ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~
プロローグ:某公爵令嬢の朝のひととき
グリーバス公爵ローバンの六女、アルティナ・グリーバスの起床時間は、とある理由から世間一般の貴族の娘のそれと比べると非常に早かった。
長年の習慣でカーテンから朝日が差し込む時間帯に自然に目を覚ますと、主以上に早起きの侍女が、心得たように水を張った洗面器を彼女の眼前に揃える。それで顔を洗い手早く着替えて食事に備えるところまで、アルティナは特に指示を発しないで済ませることができた。
「アルティナ様。今日のお帰りは、いつもと変わりありませんか?」
室内の丸テーブルに揃えられた朝食を食べ始めると、給仕をしながら侍女のユーリアが尋ねてくる。それにアルティナは、些か決まり悪げに断りを入れた。
「ユーリア、ごめんなさい。今日は例の連中と飲んでくるから遅くなるわ。夕飯の準備は良いから、のんびりしていて頂戴」
それを聞いた途端、ユーリアは主の前であるにも係わらず、盛大に顔をしかめて悪態を吐く。
「またあの腐れ縁、酒好き集団ですか? いい加減全員揃って酒樽に全身を突っ込んで、さっさとあの世に行けば良いのに……。そうすればきっと、夢心地であの世まで逝けますよ」
常々自分の主を酒浸りにしようと画策している男達を、一度も直に会っていないにもかかわらずユーリアは毛嫌いしていた。そんな彼女を、アルティナは苦笑いしながら宥める。
「まあまあ、そう言わずに。連中私と飲み比べで勝ちたくて、うずうずしているんだから偶には付き合ってあげないと。毎回私の一人勝ちで、ザルなのが申し訳ないくらいなんだから」
「だからと言って!」
「それに勝てば、飲み代を払わなくて良いんだし。『ただ酒ほど旨い物はなし』と言うけど、本当ね」
満面の笑みでそう言われてしまったユーリアは、深々と溜め息を吐いて嘆いた。
「情けない……。それがれっきとした公爵令嬢で、仮にも近衛騎士団緑騎士隊隊長の台詞ですか?」
「ここだけの話よ。ユーリアが見聞きした事を軽はずみに口外しないのは、私が一番良く知っているわ」
「それはそうですが……」
それ以上、話をする気力がなくなったユーリアは、以降は無言を保った。対するアルティナも何事もなかったかのように食べ終え、出勤の支度に取りかかる。
ゆったりした部屋着から深緑色の支給品の隊服に着替えて黒のブーツを履いたアルティナは、腰に付けたベルトに短剣を取り付け、次に肩から斜めに掛けた吊り紐とベルトを連結させた。
「よし。あとは剣だけね、ユーリア」
「はい」
恭しく差し出された長剣をベルトの連結部に装着すると、アルティナは満足そうに壁に掛けてある鏡に向かって歩き出す。
「さて……」
そして真面目な顔で鏡の中の自分と向き合ってから、小さく《彼女》に笑いかけた。
「……行ってくるよ。アルティナ」
「行ってらっしゃいませ、お兄様」
「ああ」
鏡に映る彼女の代わりに、背後から声をかけたのはユーリアである。
ちょっとした悪戯心から始まった、アルティナが騎士として外に出る際の、もう一人の自分になる儀式もどきの行為は、もう何年も続いていた。
目覚めた時は間違いなくアルティナ・グリーバスであった彼女は、近衛騎士団所属の騎士として一歩自室を出た瞬間から、現グリーバス公爵の一人息子であるアルティン・グリーバスであった。そんな複雑な事情を背負うアルティナだったが、その日も全く気負わずに自室を出て、もう何年も仕えている王宮へといつも通り向かった。
長年の習慣でカーテンから朝日が差し込む時間帯に自然に目を覚ますと、主以上に早起きの侍女が、心得たように水を張った洗面器を彼女の眼前に揃える。それで顔を洗い手早く着替えて食事に備えるところまで、アルティナは特に指示を発しないで済ませることができた。
「アルティナ様。今日のお帰りは、いつもと変わりありませんか?」
室内の丸テーブルに揃えられた朝食を食べ始めると、給仕をしながら侍女のユーリアが尋ねてくる。それにアルティナは、些か決まり悪げに断りを入れた。
「ユーリア、ごめんなさい。今日は例の連中と飲んでくるから遅くなるわ。夕飯の準備は良いから、のんびりしていて頂戴」
それを聞いた途端、ユーリアは主の前であるにも係わらず、盛大に顔をしかめて悪態を吐く。
「またあの腐れ縁、酒好き集団ですか? いい加減全員揃って酒樽に全身を突っ込んで、さっさとあの世に行けば良いのに……。そうすればきっと、夢心地であの世まで逝けますよ」
常々自分の主を酒浸りにしようと画策している男達を、一度も直に会っていないにもかかわらずユーリアは毛嫌いしていた。そんな彼女を、アルティナは苦笑いしながら宥める。
「まあまあ、そう言わずに。連中私と飲み比べで勝ちたくて、うずうずしているんだから偶には付き合ってあげないと。毎回私の一人勝ちで、ザルなのが申し訳ないくらいなんだから」
「だからと言って!」
「それに勝てば、飲み代を払わなくて良いんだし。『ただ酒ほど旨い物はなし』と言うけど、本当ね」
満面の笑みでそう言われてしまったユーリアは、深々と溜め息を吐いて嘆いた。
「情けない……。それがれっきとした公爵令嬢で、仮にも近衛騎士団緑騎士隊隊長の台詞ですか?」
「ここだけの話よ。ユーリアが見聞きした事を軽はずみに口外しないのは、私が一番良く知っているわ」
「それはそうですが……」
それ以上、話をする気力がなくなったユーリアは、以降は無言を保った。対するアルティナも何事もなかったかのように食べ終え、出勤の支度に取りかかる。
ゆったりした部屋着から深緑色の支給品の隊服に着替えて黒のブーツを履いたアルティナは、腰に付けたベルトに短剣を取り付け、次に肩から斜めに掛けた吊り紐とベルトを連結させた。
「よし。あとは剣だけね、ユーリア」
「はい」
恭しく差し出された長剣をベルトの連結部に装着すると、アルティナは満足そうに壁に掛けてある鏡に向かって歩き出す。
「さて……」
そして真面目な顔で鏡の中の自分と向き合ってから、小さく《彼女》に笑いかけた。
「……行ってくるよ。アルティナ」
「行ってらっしゃいませ、お兄様」
「ああ」
鏡に映る彼女の代わりに、背後から声をかけたのはユーリアである。
ちょっとした悪戯心から始まった、アルティナが騎士として外に出る際の、もう一人の自分になる儀式もどきの行為は、もう何年も続いていた。
目覚めた時は間違いなくアルティナ・グリーバスであった彼女は、近衛騎士団所属の騎士として一歩自室を出た瞬間から、現グリーバス公爵の一人息子であるアルティン・グリーバスであった。そんな複雑な事情を背負うアルティナだったが、その日も全く気負わずに自室を出て、もう何年も仕えている王宮へといつも通り向かった。
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