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恋愛登山道一合目

篠原皐月

第21話 騒動勃発

「それではこちらが武道場です。それでは試験開始までに、隅の方で身体を温めておいて下さい」
「ありがとうございます」
 更衣室で着替え終えた頃を見計らって、迎えに来た先程の担当者に連れられて、健介はかなりの広さがある武道場に案内された。そして指示通り隅の方で柔軟体操をしていると、不思議そうに声がかけられる。


「ねえ、あなた誰? ここの社員じゃ無いわよね?」
「子供? 何でこんな所に?」
 反射的に振り返った健介は、そこに自分と同じ様に道着に身を包んだ少女の姿を認めて、独り言のように呟いた。しかしその反応は相手にとっては面白く無かったらしく、気分を害した様に言い返してくる。


「……少なくとも、私はここの関係者よ。公社と無関係の人間に、どうこう言われる筋合いは無いわ」
美樹よしきさんはうちの社長令嬢で、社長から私達に武道一般を指導するように、依頼されているんだ」
 どうやら指導役らしい体格の良い男が、彼女の横から慌てて説明してきた為、健介は納得して彼女達に向き直って頭を下げた。


「そうでしたか。それは失礼しました。俺は佐藤健介と言って、これから信用調査部門での採用試験を受けるところです」
 それを聞いた「美樹さん」と呼ばれた少女は、少々不快げに眉根を寄せた。


「『佐藤健介』ですって? それに、信用調査部門での採用試験?」
「はい。エントランスで偶然顔を合わせた小野塚さんが、取り計らって下さいまして」
「へぇえ? 和真が? ふぅん? なるほどねぇ~」
 すると美樹は、健介を上から下まで冷やかすように眺めてから、皮肉げに笑った。


(何なんだ? この子の思わせぶりな態度は。和真って言うのは、小野塚さんの事だよな?)
 多少気分を害したものの、社長令嬢の機嫌を損ねたら拙いと思った健介は、美樹に丁重に断りを入れて準備運動を再開した。すると少しして、背後から落ち着き払った声がかけられる。


「待たせたな」
「いえ、そんなに待ったと言う程の事では……。あの、その姿はどうして……」
 素早く振り返って言葉を返した健介だったが、道着姿の小野塚に戸惑った顔になった。しかし彼は、当然だと言わんばかりの口調で言い返す。


「俺の権限で採用試験を受けさせる事にしたんだから、俺が相手をするのが道理だろうが。身体を解すまで、ちょっと待っていろ」
(黒帯だったのか……。確かにあの時、克己の仲間達を平然と叩きのめしていたが……)
 一方的に宣言して、早速準備運動を始めた小野塚を見た健介は顔色を変えたが、ここで美樹が声をかけてきた。


「ねぇ、和真。この人の採用試験を、本当に直々にやる気なの?」
「美樹さん……。そうですが。それがどうかしましたか?」
 動きを止めて、何やら嫌そうに尋ね返した小野塚に、美樹は笑って手を振った。


「黒帯で、凶悪さにかけては社内で五本の指に入る和真が? 無理無理。どう見ても素人だし、試合にもならなくて瞬殺でしょう。まともに和真の相手ができるなら、防犯警備部門で十分やっていけるわよ」
「それならどうしろと? 言っておきますが、私は帰れと一応警告しましたよ?」
「私が、その試験相手になってあげるわ」
「…………」
「え?」
 唐突に言われた内容に小野塚は憮然とした表情になり、健介は驚きで軽く目を見張った。しかしそんな健介に向き直り、美樹は笑顔で話を続ける。


「私はここで訓練を受け始めてまだ二年だから、当然白帯だけど、一通りの護身術や襲われた時の反撃スキルは身に付けているわ。信用調査部門の採用試験相手を、十分務められると思わない?」
「いえ、美樹さん。ですがそれは……」
 動揺しながら指導役らしい男が、彼女を翻意させようとしたが、美樹は重ねて健介に尋ねた。


「ああ、万が一社長令嬢に怪我をさせたりしたら、試験も何もあったものじゃないと心配しているなら、そんな心配は無用よ。白帯だけど素人相手に、大怪我させられる程しくじったりはしないし、自分から申し出たんだから、多少の怪我は親にも容認して貰うわ。ここに居る寺田さんと和真が証人よ。どうする? やっぱり和真に試験して貰った方が良い?」
「おい、お前」
 そこで硬い表情で小野塚が話に割り込んだが、健介は美樹の申し出をありがたく受ける事にした。


「分かりました。それでは試験の相手は、美樹さんでお願いします」
「決まりね。それじゃあちょっと水分だけ取ってくるから、そこで待ってて」
「はい」
 そして互いに笑顔で頷いている二人を横目で見ながら、小野塚と寺田が渋面で囁き合った。


「本当に馬鹿だな、こいつ」
「部長補佐……」
「もう俺は知らん」
 そう切り捨てつつも、小野塚は一言だけ言っておいてやるかと、健介に歩み寄った。


「おい」
「あ、小野塚さん、すみません。ですがさすがに小野塚さん相手では、どう考えても俺では太刀打ちできないかと思うので」
「一応教えておいてやるが、あいつが白帯なのは、わざと昇段試験を受けていないからだ。『だって有段者だと、襲って来た不埒者をぶちのめしても、警察に過剰防衛だと判断されるかもしれないじゃない?』とか、ふざけた事をぬかしてな」
「は?」
 恐縮気味に弁解した台詞を、かなり物騒な台詞で遮られた健介は固まったが、小野塚は平然と話を続けた。


「それと、俺は勤務中は社内規定に従うし、上司の指示には従う。れっきとした組織の一員だからな。だがあいつは社員では無いから、社内に止められる人間も規則も存在しない。父親の社長は親馬鹿であいつの言い分丸飲みだし、母親の会長は基本的に社内の事にはノータッチだ。貴様、本当に危機察知能力が欠落しているな。死にたくなかったら、本気で逃げるか反撃しろ」
「…………」
 どう見ても真剣そのものの口調に、健介が口を閉ざしたところで、水分補給を済ませた美樹が、その場に戻ってきた。


「お待たせ。それじゃあ、始めましょうか。取り敢えず私から一本取るか、参ったと言わせたら合格にすれば良い?」
「そうですね。それでは私は職場に戻って今日の報告書を作成しますので、後はお任せします。事が済んだら、結果を一言ご連絡下さい」
「分かったわ。それじゃあ寺田さん、審判をお願いね?」
「あ……、は、はい!」
 そして小野塚はあっさりと踵を返し、健介と美樹は武道場の中央まで移動した。


(さっきの小野塚さんの話……。本当なのか? とてもそんな物騒な子供には見えないが……)
 変わらずにこにこしている美樹を移動しながら横目で見た健介は、とても小野塚の話を信じられず、ちょっと自分を脅しただけだろうと判断した。


(せっかく試験をする気になったのに、こちらの都合で相手をすげ替えられて、小野塚さんが気を悪くして脅かされたんだな。試験が済んだ後で、ちゃんと謝らないと)
 そう結論付けた健介が、小野塚に対して申し訳なく思っていると、美樹が相変わらず笑顔で左手を差し出してきた。


「それでは佐藤さん、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ、お手柔らかに」
 健介は(この子、左利きなのか?)と思いながら、自分も左手を出して握手したが、その瞬間、美樹の表情が一変した。


「んな事、するわけねぇだろ。ボケが」
「え? ぐはっ!」
 吐き捨てるように低い呟いた美樹が、勢い良く左手を引き、逆に一歩踏み出しながら右の拳を容赦なく健介の鳩尾に叩き込む。その予想外の衝撃に、彼が左手を離して無意識に身体を丸めるように前傾姿勢になったところで、美樹はがら空きの彼の腕と胸ぐらを掴み上げ、右脚と身体全体を使って健介の身体を跳ね上げた。


「とりゃあぁ――っ!!」
「……がはっ!」
「よ、美樹様っ!」
 まともに背中を畳に叩き付けられた健介は、痛みで一瞬呼吸ができず、その圧倒的な実力差に加えて手加減なしの様子を見て、寺田が悲鳴じみた声を上げた。
 しかし男達の動揺など微塵も気にせず、息も全く乱さないまま健介を冷たく見下ろした美樹が、鼻で笑いながら言ってのける。


「子供だと思って、何も知らないと思ってんのか? うちの社員にちょっかい出しやがったホスト崩れ風情が、堂々と太陽の下を歩いてんじゃねぇぞ」
「……え?」
 何とか身体を捻って起き上がりかけた健介が、驚いて美樹を見上げると、彼女から冷笑が返ってきた。


「ここの社員は全員、将来の私の手下なんだよ。そんな手下に手を出されて何もしないで黙っているなんて腹立たしいと思っていたら、『飛んで火に入る夏の虫』とは、まさに貴様の事だな!!」
「ぐはっ!!」
 そして立ち上がりかけていた健介の顎に、美樹が渾身の蹴りを入れて再び彼を畳に転がすと、寺田が真っ青になりながら懇願してきた。


「美樹様! お願いします、ここで死人だけは出さないで下さい!」
 それを聞いた美樹は、足元で呻いている健介を平然と見下ろしながら、保証してやった。


「安心しろ、寺田。お前の管理責任にもなりかねないから、こいつは一応、息のある状態で外に出してやる。殺すと、後始末が色々面倒なのは分かっているしな。だからこいつには……、地獄の一丁目を見せるだけにしてやるぜ!!」
「げはっ!」
 最後の叫びと共に、四つん這いからまさに立ち上がろうとしていた健介の脇腹に、美樹が体重をかけて肘を打ち込む。それをまともに受けた健介は、もんどり打ってまた畳に転がった。


「……分かりました。お気が済むまでどうぞ」
「おら、立てやオッサン!! お楽しみはまだまだこれからだぞ!!」
 そこには愛らしい少女の姿など微塵も存在せず、自らの巣穴に飛び込んだ獲物をいたぶり殺すのを心底楽しむが如き、寺田もドン引きする獣の姿があった。




「杉本だ。どうした……、はあ?」
 時間は少々遡り、受付からの内線を自分の席で受けた杉本は、一瞬自分の耳を疑った。
「ちょっと待て。一体、何がどうなって、そんな事に?」
 動揺しながら問い返し、続けて詳細を尋ねた彼は、粗方の説明を聞いて疲れた様に頷いた。


「……分かった。報告ご苦労」
 そして受話器を元に戻すと、近くの席にいた者が、不思議そうに彼に声をかけてきた。


「部長、何かありましたか?」
「いや、大した事ではない。……今の所は」
「はい?」
 杉本は少し離れた席で書類を作成している真紀を見やったが、口に出しては何も言わなかった。相手も怪訝そうに真紀に視線を向けたものの、上司が何も口にしない為、特に触れずに仕事を再開した。
 しかし暫くして再び杉本が内線を受けた途端、彼の驚愕の叫びが室内に響き渡った。


「はい、杉本…………。何だって!! 美樹様が!? お前、どうしてそれを止めないんだ!?」
 それは寺田からのSOSであり、話を聞くなり杉本は相手を叱りつけたが、次第に渋面になりながらも、最後は頷いた。


「……分かった。どうなるかは分からんが、取り敢えず向かわせてみる」
 そして受話器を戻した杉本は、真紀に声をかけた。
「菅沼、ちょっと来てくれ」
「はい、今行きます」
 真紀がすぐさま仕事を中断して部長席まで出向くと、杉本は頭痛を堪える様な表情になりながら話し出した。


「部長、お呼びでしょうか?」
「あぁ……、昨日の報告書を作っていたところを悪いな。実はな? ちょっと武道場に、様子を見に行って貰いたいんだが……」
 常には無い上司の歯切れの悪さと、要領を得ない指示に、真紀は本気で首を捻った。


「それは構いませんが……、武道場に何の、または誰の様子を見に行けば良いのですか?」
「武道場に北郷健介氏……、ああ、もう籍を抜いて、今は佐藤健介氏だな。その彼が来ていて、馬鹿な事に美樹様と対戦する事を選んで、なぶり殺し一歩手前の状態にされているそうだ」
「……はい?」
 真紀は咄嗟に意味が理解できず、間抜けな顔で固まったが、偶々居合わせた何人かの同僚達は、全員健介の名前をこの間の騒ぎで知っていた為、揃って勢い良く立ち上がって杉本に詰め寄った。


「部長!? 何でそんな物騒な事になってるんですか!」
「第一、どうして美樹様が奴をフルボッコにしてるんです!? 意味が分かりません!」
 そう問いただされた杉本は、疲れた様に事情を説明し始めた。


「それが……、そもそも佐藤氏は、菅沼に会いに来たんだが、受付で押し問答をしている所に、運悪く外出先から戻った小野塚部長補佐に出くわしたそうだ。そこで奴が事もあろうに、面と向かって『防犯警備部門なら無理だが信用調査部門ならどうとでもなるから、自分を雇って欲しい』と直訴したそうだ」
 それを聞いた真紀は、自分の周りを囲んでいる同僚達と同様に、唖然としながら感想を述べた。


「……馬鹿ですね」
「ああ、同情はできんな。自分の職場を軽んじられて腹を立てない奴は、よほどプライドが無い奴だ。当然小野塚君が、武道場で実技試験をすると言う名目で、少々揉んでやろうと考えていたら、美樹様が試験官に名乗りを上げたらしい。そうしたら佐藤氏も、是非相手を美樹様にお願いしたいと言ったそうだ」
 そう杉本が説明すると、真紀は呆れ果てた表情で呟いた。


「素人って……、何をやらかすか予測できないから、怖いですね……」
「全く同感だ。だが、傍観もできん。菅沼に会いに来たのなら、君が顔を見せれば彼も納得して大人しく帰るかもしれん。筋違いの頼みをしているのは分かっているが」
「奴に一発、殴られて来いと仰るんですか?」
 そこで真紀が盛大に顔を顰めてみせた為、杉本は困惑しながら問い返した。


「は? どうして菅沼が殴られる必要があるんだ?」
「え? ですから奴は、不名誉な噂をでっち上げられた上で親から勘当された事を逆恨みして、公社を代表して担当に付いていた私を、ボコりに来たんですよね?」
 大真面目にそう主張された杉本は、盛大に顔を引き攣らせながら、なんとか言葉を返した。


「……いや、そういう事では無いと思うぞ?」
「それなら私が貰った五百万は、『ある意味自分が関わったせいで貰えたんだから、分け前を寄越せ』とか、交渉する気なんでしょうか?」
 どこまでも真顔で推察を述べる真紀に、杉本は溜め息を吐いてから、再度辛抱強く問いかけた。


「菅沼……」
「はい」
「他に佐藤氏が、ここに出向いた理由に心当たりは?」
「逆恨みと山分け交渉の他にですか……。う~ん、そうなると……、私が取り返したブローチが結構気に入っていて、再度奪いに来たとか。気が付きませんでしたが、あいつ、女装癖でも有ったんですかね?」
 どうにも噛み合わない会話の上、部下がすこぶる真面目に話をしているのが分かっていた杉本は、後は本人達でどうにかさせようと、それ以上の説明を諦めて指示を出した。


「……もういい。取り敢えず様子を見に行って、できれば穏便に話し合いで帰って貰え」
「はぁ、分かりました」
「ただ、奴がストーカー化する可能性もあるから、念の為に滝沢、枝野。お前達が菅沼に付いて行ってくれ」
「了解しました」
「菅沼、行くぞ」
「はい。……全く面倒な上、意味が分からない傍迷惑な話ですね」
 正直に言えば、付き添いなど不要だと思いながら歩き出した真紀だったが、付き従う事になった二人は、心の中で健介に激しく同情していた。





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