箱庭の光景

篠原皐月

(4)真相は藪の中

「変質者はこいつか! 通報してくれたのは君達か?」
 二台のパトカーを降りて駆け寄ってきた四人の警官が確認を入れてきた為、章二は真顔で告げた。


「はい。このじじいが、この子を公園から連れ出そうとしていました」
「ふえぇぇぇっ――っ!! しらない、おじいちゃん! おみみ、なめた! いっぱい、さわった! おふろいっしょ、いいことするって! やあぁぁ――っ!!」
 凛がそう泣き叫ぶのを聞いた警官達は、全員瞬時に顔付きを険しくし、一番年嵩の警官が若手に指示を出す。


「そいつに手錠をかけて、署に連行しろ!」
「はい!」
「了解しました!」
「待て、誤解だ! 俺は何もしていない! 俺はその子の祖父だ!」
「言い訳にもならん事をほざくな!」
「ええ、その人は、ぼくとも妹とも、まったくのむかんけいですから」
 すかさず勇貴が断言した為、啓介の主張は全く聞き入れられず、手錠をかけられた上で無理やり立たされ、パトカーに引きずられて行く。


「ほら、ああ言ってるじゃないか。行くぞ! おとなしくしろ!」
「貴様ら! 私に手錠をかけるなど、して良いと思ってるのか!?」
 喚き立てる啓介を、警官が二人掛かりでパトカーに押し込んで走り去り、残った二人の警官は、凛や周りの者達から事情を聞き始めた。


「……うん、そうか。なるほど、良く分かったよ。警察としてきちんと対応するから、安心してくれ」
「よろしくおねがいします」
 話を聞いていた警官に勇貴が頭を下げると、もう一人の警官が、話を聞いていた三人の少年達を笑顔で誉めた。


「君達もご苦労だったね。本当にお手柄だよ」
「い、いやぁ……、それほどでも」
「人として、当然の事をしたまでですし。なぁ?」
「ああ、何事も無くて良かったです」
 あまり面と向かって誉められた事が無いのか、少年達は揃って照れ臭そうな表情になったが、そんな彼らに向かって勇貴が一歩進み出て、深々と頭を下げた。


「お兄さんたち、ほんとうにありがとうございました。お兄さんたちは、妹のおんじんです。りん? ちゃんとおれいを言うんだよ?」
「うん。おにいちゃん、ありがとう」
 勇貴が振り返って促すと、凛も兄に倣ってぺこりと頭を下げた。そんな彼女の頭を、少年達は笑顔で軽く撫でてやる。


「ああ、これからも気をつけろよ?」
「お前みたいな可愛い子は、狙われやすいからな」
「じゃあ、俺達はこれで」
「はい、おせわになりました」
「バイバイ」
「おう!」
「気を付けて帰れよ?」
 再び頭を下げた勇貴の隣で、凛が笑顔で手を振ってくるのに手を振り返しながら、三人は連れ立って公園を出て行った。そして歩道を歩きながら、しみじみと感想を述べる。


「いやぁ、しかし今日は、とんでもなかったな」
「ああ。まさかあんな変態じじいに出くわすとは、予想外だったぜ」
「俺、どんな人生を送っても、あんな人間だけにはならないぞ」
「全くだ」
「同感だな」
 三人の意見がそんな風に一致したところで、慎弥が少々照れ臭そうに言い出す。


「でもさ……、あんな風にお礼言われるのって、ちょっと気恥ずかしいよな」
「そうだな。それに何か人の為にするって、意外に気持ちが良い物だったんだな」
「俺……、警官になろうかな? 試験受けなきゃいけないけどさ、頑張れば何とかなるかな?」
 ぽつりと章二がそんな事を言い出した為、彼の悪友達は目を見開いた。


「え? マジか?」
「いきなりどうした?」
「いや、今まで自覚した事が無かったけど、世の中は結構、危険が一杯なんだって思って。そのしわ寄せを受けるのってさ、一番立場の弱い人間なんじゃないかなって」
「ああいう、小さい子?」
「勿論、それもそうだけどさ。上手く言えないけど、俺が今まで自覚して無かったように、見えない所で働く人って格好良いかもって……」
 何やら考え込みながら真剣な口調で意見を述べる彼を、他の二人は笑い飛ばした。


「うっわ! 章二のくせに生意気!」
「似合わねー!」
「言ってろ!」
 しかしそれは馬鹿にするような笑いではなく、章二も笑い返しながら楽し気に歩き続けたのだった。




 一方で、警官に付き添われて帰宅した孫達を出迎えた香苗は、事件の概要を聞かされて顔色を変えて頭を下げた。
「まあ……、そんな事が。わざわざ送って頂いて、ありがとうございました。近くだし、他のお母さん達もいらっしゃるからと思って、兄妹だけで出したのは軽率だったかもしれません。暫くは気を付けますので」
 神妙に頭を下げた彼女を見て、警官達は笑って会釈を返す。


「いえ、今回は何事も無くて、何よりでした。後からこちらに問い合わせの連絡が入るかもしれませんので、宜しくお願いします」
「分かりました。ご苦労様でした」
 そして警官達を見送って玄関を閉めてから、香苗は勇貴を軽く睨んだ。


「勇貴? 仕組んだわね?」
 しかしその問いかけに、彼は全く悪びれずに言葉を返す。
「うん。りんに、しどうしておいた。あのろくでなし、へんたいあつかいされてまだ来るなら、ほんとうのへんたいだよね」
「来ないと良いわね……、お互いの為に。一応、皆に知らせておきましょうか」
 ほんの少しだけ啓介に同情した香苗は、頭痛を覚えながら仕事中の夫と息子夫婦に、詳細を知らせるメールを送ったのだった。
 その夜、割と早く帰宅した隆也は、大きな紙袋を手に提げていた。


「おかえりなさい、おとうさん」
「おかえりー!」
「おう、二人ともまだ起きてたな? ほら、プレゼントだ」
 笑顔で出迎えた子供達に、隆也は紙袋から大きなぬいぐるみとゲームソフトの箱を取り出す。それを見た勇貴は困惑顔になった。


「え? きょうはたんじょうびでも、クリスマスでも無いよ?」
「変態撃退のご褒美だ。受け取れ」
「やった! りん、良かったね!」
「ごほうびー!」
 父親の台詞を聞いて、素直にそれを受け取った子供達は歓喜の声を上げたが、大人達は揃って隆也に物言いたげな視線を向けた。


「お前な……」
「隆也……」
「あのね……」
 しかし当の隆也は、平然と言い返す。
「別に構わないだろう? 俺の指示をきっちり守った子供に、成功報酬を渡すわけだから」
「成功報酬って……」
 さすがに貴子は頭を抱え、舅である亮輔に目線で訴えたが、彼に無言で首を振られて完全に諦めたのだった。


 ※※※


 それから約七年後。榊家の最寄り駅の駅前交番では、新顔の警官が何人もの通行人にからからかわれていた。
「じゃあ章二、またな! その制服、意外に似合ってるぜ!」
「当たり前だ! もう来んな!」
 嫌そうな顔で同年配の若者を手で追い払った後輩を見て、組んでいる年配の警官は微笑ましそうに笑った。


「ったく、あいつら。朝に当番に入った途端、入れ替わり立ち替わり冷やかしに来やがって……」
 相手を見送りながらブツブツと呟いている章二に、彼がおかしそうに声をかける。
「長谷川君は、ここが地元なんだって?」
「ええ、実家もここですし。警官になってから、初めての地元勤務なんです」
「しかし、最初に会った高校時代の先生、もの凄く驚いてたよな。当時、そんなにヤンチャだったのかい?」
「本当に勘弁して下さいよ……」
 がっくりと項垂れた章二を見て、彼はおかしそうに笑った。ここで学校帰りらしいランドセルを背負った女の子が、明るく声をかけてくる。  


「お巡りさん、こんにちは」
「ああ、凛ちゃん。学校は終わったのかい?」
「はい、今日は午前授業だったんです」
「そうか。良かったね」
 そんなやり取りを聞いて、章二は反射的に顔を上げた。


「え? 凛?」
「ああ、三丁目の榊さんの所のお嬢さんだよ。お兄さんと一緒で礼儀正しくてね」
 すると顔を上げた章二の顔を見て、凜が不思議そうに首を傾げる。


「あれ? 新しいお巡りさん、どこかで会った事ありますか?」
「ええと……、七年前に、近くの公園であった事があるかと……」
(あの時、小さかったしな。さすがに覚えてないだろうな)
 そんな事を考えながらも密かに少し期待していると、凜は笑顔で手を打ち合わせて、章二が望んだ答えを口にした。


「あ! あの時の三人の中で、一番大きいかったお兄さん!?」
「ああ、小さかったのに、良く覚えていたね」
 すっかり嬉しくなって笑顔で褒めると、凜は負けず劣らずの笑顔を返した。


「だって恩人だもの。忘れないから! 警察官になったんですね。その節は本当に、ありがとうございました」
「いや、当然の事をしたまでだから。あの後、何も問題は無かったよな?」
「はい、大丈夫でした」
「そうか。それなら良かった」
 満面の笑顔でそんなやり取りをしながら、凜は心の中で辛辣な事を考えていた。


(だってロリコン幼女連れ去り未遂の疑いなんかかけられちゃったら、誰も関わり合いになりたいとは思わないでしょ。それにあれ以降、完璧に周囲から白眼視されて、妻子にも冷たくされてるらしいってお父さんが言ってたし。因果応報。お母さんを冷遇していた、当然の報いよね)
 しかしそんな事はおくびにも出さず、凜は笑顔で父親仕込みの完璧な敬礼をして見せた。


「またお会いできて、お礼を言う事ができて良かったです。それじゃあ、失礼します。お仕事、頑張って下さい」
「はい、頑張ります」
 章二は凜に笑顔で敬礼を返し、帰宅する彼女の背中を、見えなくなるまで見送っていた。そんな彼に、黙ってやり取りを見守っていた先輩から、声がかけられる。


「何だ、どうした? 凛ちゃんと知り合いだったのか?」
「ええ、昔ちょっと、彼女を変質者から助けた事がありまして」
「……変質者? それは穏やかじゃないな」
 途端に顔つきを険しくした彼に、章二は笑って振り返りながら告げた。


「幸い、無事に保護できましたし、それがきっかけで、俺、警官になろうと思ったんですよね」
「へえ? そうだったのか。それはまた、運命的な出会いだったな」
 そこで空気が一気に和み、彼らは元通り通常業務に勤しみ始めた。
 その後も、実は自分が啓介に濡れ衣を着せる片棒を担がされたという事実に、章二は気付く事はなかったのだった。


(完)





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