箱庭の光景

篠原皐月

(1)基本姿勢は専守防衛

 日曜日の昼下がり。隆也は今年五歳になる息子の勇貴に声をかけ、子供部屋に誘導した上で命じた。
「勇貴。お前に大事な話がある。ここに座れ」
「うん、何? おとうさん」
 自分の真正面に正座する勇貴を見ながら、隆也は数日前に届いた手紙の内容を思い返した。


(貴子の伯母が『宇田川の甥達は仕事が長続きしなくて、未だにどちらも結婚していない。血縁関係にある久住家が何度も就職を斡旋したのに、その就職先で色々問題を起こされて、久住家側でも相当腹に据えかねているらしい』 と、書き送ってきたからな)
 溜め息を吐きたくなるのを堪えつつ、隆也は考えを巡らせる。


(挙げ句に『現時点では弟の孫は勇貴君と凛ちゃんだけ。孫可愛さに目が眩んで、昔の事を都合よく綺麗きっぱり忘れて、恥ずかしげも無くそちらに接触してもおかしく無い』とまで断言してくるとは……。何かでそう察したか、あるいは実際にそういう言動があったのか……)
 そこでふと思い付いた隆也は、無意識に顔を緩めた。


(だがそれを貴子に直接ではなく、こっそり俺に伝えてくる辺り、素直じゃなくてひねくれているのは、やはり貴子の伯母だな。あいつに嫌な思いをさせず知らせず、夫の俺に『何とかしろ』と暗に言っているわけだ)
「……本当に面白過ぎる。機会があったら、是非一度、直に顔を合わせたいものだ」
 無意識に考えていた事を口に出していた隆也は、息子から不審そうな目を向けられた。


「おとうさん。ブツブツ言いながら、ひとりでなにわらってるの?」
「悪い。思い出し笑いだ。気にするな」
「へんなの」
 そこで隆也は真顔になり、勇貴に向かって重々しく言い出した。


「勇貴、お前はもう五歳だ。それなりに分別が付く年になった筈だ」
「おとうさんの言う『ふんべつ』が、どのていどの物かに、よると思う」
「それだけ分かっていれば十分だ。小さくてもお前は男だ。貴子や凛を守らないといけないのは、分かっているよな?」
 そう確認を入れると、勇貴は気分を害したように言い返した。


「おとうさん……。ぼくをバカにしてる?」
「一応、確認を入れただけだ。それで本題に入るが、お前には父方母方、双方の祖父母が存在しているのは知っているな?」
 そう尋ねると、勇貴は完全に腹を立てながら言い返した。


「やっぱりバカにしてる……。おじいちゃんとおばあちゃんと、りゅうじおじいちゃんとようこおばあちゃんだろ?」
「ああ。だが、今まで言っていなかったが、一つ訂正する点がある。竜司さんは、貴子の本当の父親じゃない」
 それを聞いた勇貴はちょっと驚いた顔をしてから、慎重に確認を入れてきた。


「そうすると……、りゅうじおじいちゃんは、ぎりのおじいちゃん、ってこと?」
「そういう事だ。血の繋がったお前の母方の祖父は、別にいる」
「おとうさんがそういうかおをしてる時は、ろくでもないはなしだよね?」
 どうやら宇田川の事を考えただけで、嫌悪感が顔に出ていたらしいと隆也は反省し、平常心を取り戻してから、勇貴に言い聞かせた。


「やはりお前は頭が良いな。口にするのも不愉快だから、二度は言わん。これから言う事を、頭の中に叩き込んでおけ」
「わかった。それで、たごんむようだよね?」
「ああ、勿論だ」
(やっぱり俺の息子ながら、物分かりが良い)
 心の中で息子を誉めてから、隆也は貴子と父親の間にあったあれこれを、順を追って説明した。勇貴はそれにひたすら大人しく聞き入り、最後まで父親の邪魔などはしなかった。


「……とまあ、こういう事があったわけだ」
 しかし隆也が話を締めくくっても、勇貴は怒りも動揺もせず、いつも通りの様子だった。


「ふぅん? それで? 終わり?」
「ああ。感想は?」
「思ったより、つまらなかった」
「……そうか?」
(随分あっさりとした反応だな。やはり良く分からなかったか?)
 期待外れの反応に、隆也がこれからどうすれば良いか内心で悩んでいると、そんな彼に勇貴が、冷静に声をかけてきた。


「おとうさん」
「何だ?」
「きほんしせいは、せんしゅぼうえいだよね?」
 いつもの顔ながら、その瞳に物騒な輝きを宿しながらのその問いかけに、隆也は一瞬呆気に取られてから、不敵な笑みを浮かべて頷いた。


「そうだな。向こうがちょっかいを出さない限りは、放置しておけ」
「じゃあ、ちょっかいを出してきたら、いちげきひっさつでいいよね?」
「……お前にできるのか?」
 物騒な台詞が出てきた事で、隆也は懐疑的な視線を息子に向けたが、勇貴は気負う事無く淡々と述べた。


「はなしをきくかぎり、あたま弱そうだし。力でかてないなら、あたまをつかえばいいだけだよ。ちがう?」
「その通りだな。分かった。その場合はお前に任せるから、好きにしろ」
「わかった。すきにする」
 思わず笑ってしまった隆也は即座に了承し、親から御墨付きを貰った勇貴は真顔で頷いた。ここでタイミング良く、ノックに続いてドアを開けた貴子が顔を覗かせ、二人に呼びかける。


「あなた、勇貴。ケーキが焼けたから、お茶にするわよ?」
「やった! おかあさんのケーキだ!」
「こら、勇貴! 走らないの!」
 途端に年相応の笑顔でバタバタとキッチンに向かった勇貴を、貴子はすかさず叱りつけてから、苦笑気味に立ち上がった隆也に尋ねた。


「隆也、二人で何をしていたの? 遊んでいたわけじゃ無いみたいだし」
「ちょっと、男同士の話だ」
「はぁ? 勇貴はまだ五歳よ?」
「小さくとも、あいつは立派な男だからな」
 先程の顔を思い出しながら隆也はしみじみと告げたが、それを聞いた貴子は変な顔になった。


「真顔で何を言ってるのよ?」
「本当の事なんだがな……。取り敢えず俺も、久しぶりにお前の料理の腕前を堪能したいんだが?」
「期待を裏切らない出来映えだと思うわ」
「そうか。それは何よりだ」
 そうして貴子と笑い合ってから、彼女と並んで歩き出した隆也だったが、内心で密かに考え込んでいた。


(取り敢えず、あの様子を見る限り、勇貴に任せておけば大丈夫だろう。貴子に不愉快な思いはさせたくないし、あいつ自身に撃退させるのが、一番手っ取り早くて効果的だな)
 そして彼のその推測は、少し後に現実の物となった。




 ※※※




 ある日の午後。幼稚園から戻って来た勇貴は、遊ぶ約束をしていた為、香苗に向かって声をかけた。


「おばあちゃん、なおくんの家にいってくるね? あそぶやくそくしてるから。ごじにかえる」
「勇貴、気を付けてね?」
「すぐちかくだから、だいじょうぶ!」
 妹の凛の相手をしていた祖母に、行き先と帰宅時間を告げた勇貴は、近所の同じ幼稚園仲間の子供の家に出かけた。


「よっと、うん。ちゃんとしめた。よし、いくぞ!」
 しかし玄関を出て門まで行き、門扉をきちんと閉めて歩き出そうとした時、背後から声をかけられる。
「勇貴君? 榊勇貴君だよね?」
 その声に振り返った勇貴は、その見知らぬ年配の男性を見上げて問いを発した。


「……おじさん、だれ?」
「おじさんじゃなくて、おじいちゃんだよ? 私は勇貴君のママのお父さんなんだ。分かるかな?」
 それを聞いた勇貴は、愛想笑いを浮かべている相手の正体に気が付き、冷静に考えを巡らせた。


(やっぱり、あたまが弱いじじいだ。これはむすことして、おかあさんのかたきをとる、ぜっこうのチャンス)
 内心で辛辣な事を考えながらも、勇貴はその顔に笑みを浮かべながら、愛想良く頷いた。
「しってるよ? うだがわのおじいちゃんだよね? けいさつの、すごいえらい人だったんだよね? おとうさんより、えらかったんだよね?」
 さり気なく持ち上げてみると、啓介が忽ち笑み崩れる。


「おう! そうだとも! 勇貴君は良く分かってるな!」
「うわぁ、会えてうれしいなぁ! じゃあ、ゆっくりおはなしできるところにいかない?」
「そうだな」
「そこまで、あんないしてあげる」
「そうか。勇貴君は優しいな」
 笑顔で提案して手を伸ばすと、啓介は疑いもせずに手を握り、勇貴と並んで歩き出した。


(だれからじぶんの事をきいたのかって、かんがえないのかな? それに、おやからはなしを聞いたら、こんなにしたしげなのって、ふつうあやしいとおもうんだけど)
 そんな考えをおくびにも出さずに、勇貴は啓介に愛想を振り撒きながら目的地へと向かった。


「ぼく、おじいちゃんみたいな、りっぱなけいさつかんになりたいなぁ」
「そうかそうか、勇貴君ならきっとなれるぞ? 何と言っても私の孫だからな!」
「そうかな? うれしいなぁ」
(マジでウザい……。これからちかくをうろうろしないように、てっていてきにあかっぱじかかせてやる)
 にこにこ笑いながら徹底排除を決心した勇貴は、そこで目の前に広がった空間について、何食わぬ顔で説明した。


「あのね、ここがえきでね、ひろばがあって、すわるところもいっぱいあるんだ!」
「本当だな」
「それじゃあ、おまわりさんにごあいさつするから、つきあってね?」
「え? どうしてだ?」
 広場の片隅にある交番を指さしながら勇貴が言い出した為、啓介は怪訝な顔をした。しかし勇貴は大真面目に、その理由を説明する。


「このまえをとおる時は、きちんとおまわりさんにあいさつしろって、おとうさんに言われてるんだ。ちいきのみんなのあんぜんをまもっているから、けいいをはらえって。おじいちゃんだってけいさつかんだったんだから、そう思うよね?」
「……確かにそうだな」
 咄嗟に反論できなかった啓介は、勇貴と手を繋いだまま大人しく付いて行き、二人は交番の前までやって来た。


「おまわりさん、こんにちは!」
 開けてある戸口から中を覗き込みながら勇貴が挨拶すると、その元気な声に、中にいた警官二人が顔を向けた。


「お! 勇貴君、こんにちは」
「長瀬さん、知り合いのお子さんですか?」
「ああ、三宅君。君は初めてだったか。勇貴君は、ここの交番では有名なんだ。父親の榊さんが警察庁のお偉いさんで、しっかり躾をされているからな。いつもこの前を通る度に、きちんと挨拶してくれるんだ」
「そうなんですか」
 顔見知りの年配の警官が、後輩に説明していると、勇貴は若い方の警官に向かって、笑顔で挨拶した。


「お兄さん、はじめまして。おとうさんは、けいさつちょうけいじきょくの、とくしゅさぎたいさくしつの、しつちょうをしてます。それでいつも『ちいきのへいわとあんぜんを守るのは、げんばのけいかんだ。いついかなる時も、けいいをはらえ』って言われてます。おしごと、ごくろうさまです!」
 そう言って頭を下げた勇貴を見て、三宅は心底感心したような声を出した。


「いやぁ、凄いな。これはしっかりしたお子さんですね」
「だろう? さすが、キャリアの方のお子さんは違うよな」
 二人がしみじみと感想を述べ合っているのを、啓介は自分が誉められたかのように鼻高々で聞いていたが、ここで未だに手を繋いでいる勇貴が、全く予想だにしていなかった事を言い出した。


「それできょうは、このおじいさんをつれてきたの。ちほうしょうで、まいごみたい。ほごして、かぞくにれんらくしてください」
「え?」
「は?」
 それを耳にした警官達は当惑し、啓介は予想外の事態に絶句した。





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