箱庭の光景

篠原皐月

(3)雨降って地固まる

「あれ、電話……。って、榊さんからだ」
 恋人の綾乃のマンションで夕飯を食べた後、二人で寛いでいた所にスマホが鳴り響いた為、祐司は怪訝な表情でそれを取り上げた。そして発信者名を呟くと、彼と旧知の人物であった綾乃も、不思議そうな顔になる。


「え? 隆也さんから? じゃあ出てあげて下さい。貴子さんに謝ろうと思って、『何か喜ぶようなプレゼントを贈りたいから相談に乗ってくれ』って言う、電話かもしれないし」
「うん、まあ……、そうだな。じゃあちょっと出るから」
 先程食べながら、前日貴子が自分のマンションに押し掛けてきた経過を綾乃に愚痴っていた祐司は、彼女にそう宥められて素直に電話に出た。


「はい、祐司です。榊さん。どうかしましたか?」
 すると隆也は、いつも通りの口調で話し出した。


「やあ、祐司君。昼間は久地仁氏に関しての話を、どうもありがとう」
「いえ、大した事ではありませんので」
「実は今夜、芳文に誘われて出向いたフレンチレストランで、面妖な体験をしてね。なんと幽霊が極上フルコースを作って提供してくれた上に、テーブルにまで挨拶に来てくれたんだ。いやぁ、滅多にない体験をした。感激したね」
 いきなりそんな脈絡の無い事を言われた祐司は、本気で面食らった。


「はい? 幽霊がコンセプトの、フレンチレストランにでも行ったんですか? 最近は変な物が流行っていますね」
(何なんだよ。姉貴に詫びを入れるから俺にも口添えをして欲しいって、泣きを入れて来たんじゃないのか? なんで変なフレンチレストランの話を、聞かせられなきゃいけないんだよ)
 向かっ腹を立てながら、それでも通話を一方的に終わらせたりせず、律儀に聞く態勢だった祐司は、次の隆也の一言で、一気に血の気が引いた。


「因みに、そこのレストランのシェフの名前は、久地仁と言うそうだ」
「…………え?」
 そんな彼の耳に、一気にトーンが下がった隆也の声が届く。


「彼の話では……、三か月前にフランスから帰国したが、出店準備等に忙殺されていて、貴子にはまだ連絡していなかったとか。改めて、こちらから結婚披露宴の招待状を送る旨を」
「大変申し訳ございませんでした!!」
「え? あ、あの、祐司さん!?」
 いきなりスマホを放り出し、ソファーから床に滑り落ちるように座り込んだ祐司は、ソファーに放置されたスマホに向かって勢い良く土下座しながら、謝罪の言葉を叫んだ。


「決して榊さんを謀ったとか、からかったという訳ではなく、姉貴を泣かせた事でちょっとイラッとしまして魔が差しまして、本当に些細な出来心で、平に平にご容赦をっ!!」
「祐司さん、どうしたの!?」
 恋人の奇行に目を丸くした綾乃だったが、祐司に呼びかけても頭を下げたまま謝罪の台詞を垂れ流しているだけだった為、恐る恐るスマホを取り上げて電話の相手に呼びかけてみた。


「あ、あの……、隆也さんですよね? 綾乃ですけど……」
 それで隆也は事情を察したらしく、申し訳無さそうに謝ってきた。


「ああ、綾乃ちゃん? 祐司君は、君の部屋にいたのか。二人の時間を、邪魔してしまって悪かったね」
「それは良いんですが、どうかしたんですか? さっきから祐司さんがこのスマホに向かって、色々と謝罪の言葉を叫びながら、床に正座して土下座してるんですけど……」
 そう告げると、笑いを含んだ声が返ってくる。


「行動パターンが弟と同じだな」
「は? 弟って、孝司さんの事ですか?」
「いや、こちらの話だから。綾乃ちゃん。祐司君に伝えておいてくれないか? 『悪いと思っているなら、次にする事は分かっているよな?』って」
「あ、えっと……。はい、伝えておきます」
「宜しく、じゃあおやすみ」
「はい、おやすみなさい」
 そこで素直に通話を終わらせてしまった綾乃は、画面が切り替わったスマホを認めて我に返った。


「……あ、切っちゃった。でも取り敢えず、伝言を伝えておけば良いよね」
「心からお詫び申し上げます!」
 そして未だに大声で叫び続けている祐司の横に座り込み、軽く肩を叩きながら冷静に声をかけた。


「祐司さん、隆也さんとの通話、もう切れましたよ?」
「え?」
「それで隆也さんからの伝言で、『悪いと思っているなら、次にする事は分かっているよな?』だそうです。何の事ですか?」
 綾乃が不思議そうに首を傾げると、顔を上げた祐司は忽ち真顔になって、鬼気迫る勢いで彼女に向かって手を突き出した。


「綾乃、それ返して!!」
「はいっ!」
 そして彼女が慌てて差し出したスマホを受け取った祐司は、そこで迷わず自分のマンションに居る筈の姉に電話をかけ始めた。




「姉貴、俺だけど! 今すぐ姉貴のマンションに帰ってくれ! 頼む!」
 電話がかかってきたと思ったら、いきなり切羽詰まった声でそう訴えられて、さすがに貴子は困惑した。


「は? いきなり何?」
「昼に榊さんから電話があって、久地さんの事を聞かれた時、早死にして形見に姉貴がレシピを貰ったって大嘘ついて」
「はぁ!? あんた何、他人を勝手に殺してんのよ!!」
 驚いて叱りつけた貴子だったが、祐司はそのままの勢いで喋り続けた。


「ごめん! どうせ久地さんはフランスに行ってるから、本当の所は分からないと高をくくっていたら、今夜榊さんが出向いたフレンチレストランが、久地さんの店だったらしくて、挨拶されたって言われて」
「えぇっ!? 仁ったら、帰国してたの!? そんな事、全然聞いてないから! 手紙もこの前、そのままフランスに送ったのに! それにレストラン開店!? 今度行かなきゃ!!」
 途端に驚愕と歓喜の叫びを上げた貴子だったが、電話越しに伝わった祐司の声で、一気に冷静になる。


「喜ぶところじゃないから! その事実を榊さんから地を這う様な声で聞かされた挙句、『悪いと思っているなら、次にする事は分かっているよな?』って言われて……」
 そこで貴子は溜め息を吐き、弟を宥めた。


「……うん。良く分かったわ。嘘を吐くにしても、時期と相手が悪かったわね。今から急いで荷物を纏めるから」
「本当にごめん、姉貴」
「良いわよ。あんたは巻き込まれただけなんだし。一晩、お世話になったわ。合鍵を使って鍵をかけていくから、後から返すわね。それじゃあ」
「ああ」
 これはさっさと帰らないと本気で祐司にとばっちりが行くと察した貴子は、慌てて荷物を纏めて、自分のマンションへと戻った。


「……ただいま」
 自宅マンションに戻り、恐る恐るリビングに貴子が顔を出すと、一足先に帰宅していた隆也は、マグカップ片手にソファーに座ったまま、何気なく尋ねた。


「ああ。祐司君から話は聞いたか?」
「一応……」
「ほら、久地氏の連絡先だ。披露宴に出て貰いたかったら、さっさと連絡しろ。もう二ヶ月切ってるんだからな」
「ええと……、どうも」
 手帳から切り離した用紙を差し出され、貴子は恐縮気味にスーツケースを引っ張りながら隆也に近付き、それを受け取って礼を述べた。すると隆也が、スーツケースに目線を向けながら、さり気なく言い出す。


「それから……、そのレシピ」
「……っ」
「しまい込まないで、有効活用しろ。偶には作れ」
「……え?」
 てっきり捨てろ云々と言われると思い込んでいた貴子は、目を丸くして固まったが、それを見た隆也は、軽く顔を顰めながら尋ねた。


「何だ? その通りに作ったら、他人に出せない程不味い料理なのか?」
「そんなわけないでしょ!? 失礼ね。美味しいに決まってるじゃない!」
 反射的に貴子が言い返すと、隆也が素っ気なく話を続ける。


「それなら構わないだろう、独り占めするな。俺にも食わせろ」
「分かったわ」
「それから予約が取れそうだったら、近いうちにあの店に食いに行くぞ。今度お前と一緒に行くと、彼と約束したしな」
 それを聞いた貴子は、途端に嬉しそうに頷いた。


「うん、予定は何とでもできるから! できれば隆也の事を、仁に紹介したいと思っていたし。でもフランスだから無理だと諦めていたから嬉しいわ」
「そうか。じゃあさっさと荷物を片付けて、寝る支度をしろ。明日も仕事だろうが」
「分かってるわよ。そっちこそ、遅くまでダラダラしてるんじゃないわよ?」
 苦笑しながら促すと、貴子も笑ってスーツケースを引きながら姿を消した。そして一人リビングに残った隆也は、飲みかけの珈琲を飲み干しながら、考えを巡らせる。


(少々面白くないのは確かだが……、あんなに嬉しそうに言われたらな。俺は確かに貴子に関する事では心が狭いかもしれんが、それ以上に甘いらしい)
 自分自身を笑いつつ、マグカップ片手に立ち上がった隆也は、それをオープンカウンターに乗せてから寝室へと向かった。





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