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箱庭の光景

篠原皐月

(1)子育ては親育ち

 入籍してから一ヶ月が経過し、二人での生活も落ち着いた頃、夕飯を食べている時にさり気なく出された話題に、隆也は思わず尋ね返した。


「十四日に、俺の実家に飯を食いに行く?」
「ええ。その日は早く上がれる?」
「取り敢えずは大丈夫だと思うが。どうしてそうなった?」
 怪訝な顔で問いを重ねた彼に、貴子は少し申し訳無さそうに言い出した。


「それが……、去年隆也に贈ったチョコをお義父さん達が食べて、好評だったでしょう? それで今年も食べて貰おうかなと思って、一応お義母さんに聞いてみたの。送っても良いか、良いならどんな物が良いかって」
「俺の分だけ作れば良いだろうが。いい加減、義理チョコ作りも止めろ」
 少々ムッとしながら再び食べ始めた隆也を、貴子が困り顔で宥める。


「怒らないでよ。こっちにも、付き合いって物があるんだから。それで話を戻すけど、『チョコのお礼にご飯をご馳走するわ。その日は眞希子も来るから、予定が空いているなら是非』と言われたものだから……」
 そう言って面目なさそうに言葉を区切った貴子を見て、隆也は溜め息を吐いてから仕方がなさそうに了承した。


「俺は構わないが、お前の方は大丈夫なのか? 無理をして、予定を空ける必要は無いぞ?」
「良いの。仕事を再開してバタバタしていたから、その日は隆也と予定を合わせて食事をしようと思っていて、予定は空けていたから」
「……やっぱり行かなくて良い」
 思わず仏頂面になってしまった隆也を、貴子は苦笑しながら再度宥めた。


「そういう訳にも、いかないわよ。手土産として、気合いを入れて作るわ」
「そうか」
(本人が納得しているし、今回は仕方がないな)
 二人でのバレンタインに予想外の邪魔が入ったのは残念だったが、貴子にしてみれば姑の誘いを無碍には断れないだろうと、隆也は割り切った。しかしここで彼女が、神妙な口調で話を続ける。


「それで……、その……」
「うん? 何だ?」
「顔を出したら、話題に出るかもしれないんだけど……」
「話題? 何の?」
「その……、子供の。私、もう三十過ぎてるし……」
「ああ……、そういう事か。確かにな」
 如何にも言いにくそうに俯き加減で話す貴子を見て、隆也は箸の動きを止めて真顔になった。


「だがそれほど焦るものでも無いし、第一、先月仕事を再開したばかりで、今は子供の事まで考えられないだろう?」
「それは……、確かにそうなんだけど……。仕事の事だけでも無いし……」
「どういう意味だ?」
 てっきりそれが理由かと思った隆也が怪訝な顔をすると、貴子はどう言えば良いものかと、幾分迷う素振りを見せてから、慎重に話し出した。


「その……、小学校に上がる前は親戚の家に預けられていたし、入学後は宇田川の家に引き取られたけど、殆ど離れで暮らしていたから、家族ってどんな感じなのか、今一つ分からなくて……」
「…………」
 途端に表情を消し、眉間にシワを寄せた隆也を見て、貴子は慌てて言い繕った。


「あ、あのね! 勿論、どんな物かって言うのは、頭では理解してるのよ? 普通の家族とか親子とか、実際にこれまでたくさん見てきたし。成人してからは、お母さんの所に良く顔を出していたし」
「だが感覚的に、良く分からないって事だろう? もっとはっきり言うと、自分が母親になる事が想像できないし、自信が無いと」
「……ええ」
 淡々と断言されて、再び面目なさげに俯いた貴子を見て、隆也は口調と表情を和らげながら宥めた。


「そう気にするな。別に何としてでも子供が欲しいってわけでもない。第一、俺に子煩悩な父親のイメージがあると思うか?」
「無いわ」
 そこで大真面目に即答された隆也は、思わず笑ってしまった。


「そこまで即答するな。とにかく、当面子供を作るつもりは無いな。せっかくの新婚気分が削がれるし、それで無くても春からは俺の親と同居するわけだから、色々考えるにしても、それが落ち着いてからだろう」
「……そうね」
「ところで、どんなチョコを持っていくつもりだ?」
 隆也がさり気なく話題を変えると、貴子もそれ以上微妙な空気を引きずりたくは無かったのか、笑顔でそれに答えた。


「皆で食べるなら、チョコケーキにしようかと思って。クリームとかでは無くて、ビターチョコで表面をコーティングしようかと思っているの。中は何層かにして、色々な味を楽しめるようにするつもり」
「ああ、それは良いな」
 それからは笑顔で会話しながら食べ進めた隆也だったが、内心では貴子の父親である人物に対して、怒りがこみ上げていた。


(全く、あのろくでなし野郎のせいで……。これからも機会があったら、手加減無しで粉砕してやる! だが取り敢えずその前に、一応釘を刺しておかないとな)
 傍目には笑顔で食べ終えた隆也は、貴子が後片付けを始めると同時に寝室に引っ込み、実家に電話をかけ始めた。そして父親に向かって、先刻の話の内容を掻い摘まんで説明する。


「……そういう訳だから、俺としてはそっちに二人で顔を出すのは構わないんだが、その時に子供の事を話題に出すのは止めてくれ。貴子が気にするから」
 そう頼み込むと、亮輔はすぐに了承した。


「分かった。香苗には、俺からちゃんと言っておくから安心しろ。しかし貴子さんは先月から仕事を再開したし、クッキングスクールで何か言われたかしたんだろうか?」
 何気なく尋ねてきた父親に、隆也は溜め息を吐いてから同意した。


「そこら辺は何も言ってはいないが、多分な。復帰と同時に入籍の報告もしたわけだし、大方『年齢が上がると子供ができにくくなるし、早めに出産しておいた方が良い』とか親切ごかして言われたり、『復帰早々子供を作って産休に入るのは困る』とか、明らかな嫌味をぶつけてきた阿呆がいたかもしれない」
「口にした本人に、全く悪気が無い場合もあるだろうしな……。分かった。俺達も、貴子さんに気まずい思いはさせたくはない。安心しろ」
「ああ、宜しく」
 そうして根回しを終えた隆也は安堵しながら通話を終わらせ、貴子の手伝いをするべく台所へと向かった。


 ※※※


 二月十四日、当日。
 酒を飲む前提で、二人はタクシーに乗り込んで榊家へと向かった。


「ただいま」
「お招きありがとうございます。今年はチョコレートケーキにしてみましたので、どうぞ」
「あら、素敵! じゃあ食後に皆で食べましょうね」
 貴子が手にしていた大きな箱を差し出すと、出迎えた香苗は嬉しそうに受け取り、笑顔で息子夫婦を促す。そして通されたリビングで、二人は亮輔と眞紀子の歓迎を受けた。


「貴子さん、陰険兄貴に虐められてない? もう心配で心配で、しょうがなかったわ」
 挨拶もそこそこに、眞紀子からそんな事を大真面目に問われた貴子は、思わず笑ってしまう。
「眞紀子さん、それは大丈夫ですから」
「本当?」
「五月蝿い。そんなわけ無いだろう。お前は自分の心配だけしてろ、この不規則生活女」
「ほらほら、騒いでないで飯にするぞ。今日は香苗が気合いを入れて、夕飯を作ったからな」
 亮輔も困った奴らだと苦笑しながら子供達を促し、皆で談笑しながらダイニングキッチンへと向かった。


(貴子は変に緊張していないみたいだし、大丈夫そうだな)
 テーブルに着き、安堵しながら母親の料理に舌鼓を打ち始めた隆也だったが、不幸な事にその和やかな団欒は、そう長くは続かなかった。


「ところで兄さん」
「何だ?」
「いつ頃、子供を作るつもりなの?」
「…………」
 何気なく眞紀子が口にした内容に、室内が不気味に静まり返った。


(このど阿呆がっ! 父さん、眞紀子に話を通して無かったのか!?)
(すまん、眞紀子に言うのをすっかり忘れていた! お前の方から直に、眞紀子に話が伝わっていると思っていたから!)
(困ったわ。どうしましょう?)
 憎々しげに妹を睨んでから、隆也が視線で父親に訴えると、亮輔は目に見えて狼狽し、香苗も困った顔になった。貴子も強張った顔をする中、のんびりとした口調での眞紀子の話が続く。


「兄さんの所の家族計画に口を挟むつもりは無いから、すぐに作っても別に構わないんだけどね? 私、二十代の間は、甥や姪には『叔母さん』じゃなくて、『お姉さん』って呼ばせるから。そこの所のご理解、ヨロシク~」
 それを聞いた貴子は、軽く目を見開いて確認を入れようとし、隆也はふざけた態度の妹を本気で叱りつけた。


「はい? あの……、確か眞紀子さんは、今」
「ふざけるな! お前、もう三十一のくせに、何を盛大にサバを読んでやがる! 恥を知れ!」
「五月蠅いわね! 五歳以上年齢を下に偽ったら明らかにサバ読みだけど、二つや三つは十分許容範囲内じゃない! 本当にキャリアって嫌だわ。少しは社会常識を身につけなさいよね!」
「常識が無いのはお前の方だ!」
「あ、あの、隆也、眞紀子さん!?」
 忽ち兄妹の間で怒鳴り合いが発生し、貴子が狼狽しながら二人を宥めにかかった。それを見た亮輔と香苗が、子供達を窘める。


「二人とも止めろ」
「そうよ。貴子さんが驚いているじゃない」
「全く……」
「大体、兄さんは『お父さん』なんて柄じゃ無いものね」
「まだ言うか!」
「隆也!」
 矛を収めかけた隆也だったが、貴子が淡々と話し続けた為、再び声を荒げた。それを亮輔が(困ったものだ)と思いながら再度叱責していると、眞紀子が独り言めいた呟きを漏らす。


「まあそれでも、あのろくでなし夫婦みたいにはならないと思うけどね」
「何の話だ?」
 いきなり脈絡が無さそうな事を言い出した娘に、亮輔が反射的に尋ねると、眞紀子は小さく肩を竦めてから、職場での出来事を忌々しげに語り出した。


「今日、救急救命センターに運び込まれた、全身火傷の一歳児の男の子。父親から熱湯を浴びせられたのよ。母親がそれを見てたのに、放置してね。悲鳴を聞いた近所からの通報で、児相と警察が踏み込んで保護するのがあと少し遅れたら、取り返しが付かない所だったわよ。病院に来た警官から聞いたんだけど、その屑野郎どもの言い分が……。あ、ご飯が不味くなるから止めるわね」
「既に十分、不味くなっていると思うがな?」
「…………」
 盛大に顔を引き攣らせた隆也が呻くように言い返し、貴子が蒼白な顔で黙り込む中、その場の空気が重苦しさを増した。


(この馬鹿が! 無神経にも程があるぞ!!)
(これは後から説教だな)
(大丈夫かしら? 貴子さんの顔色が悪いけど……)
 一斉に非難の眼差しを眞紀子に向けた面々だったが、当の本人はそんな視線に気付いているのかいないのか、淡々と思う所を述べた。


「要するにあれよね。桐谷先生の仰った通り『子育ては親育ち』って事で、親が親らしくなるよりも、子供の成長の方が遥かに早かったって事で。ほんっと情けない、とても大人とは言えない、単に図体がデカいだけの子供だったって事よね」
 そうして一人納得して頷いている眞紀子を見て、隆也が訝しげに尋ねる。


「お前、何を言ってるんだ?」
「え? あ、ごめん。説明しないと分からないわよね」
 そこで素直に謝った眞紀子は、過去に上司から受けた薫陶について語り出した。



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