箱庭の光景

篠原皐月

高木祐司の場合~恋人の真価

 恋人のマンションで手料理をご馳走になった後、ソファーに移動して彼女と並んで座った祐司は、どことなく思い詰めた様子で手の中のカップを見下ろしながら、いつもより若干低めの声で言い出した。
「綾乃……、ちょっと話があるんだ」
「はい、祐司さん。何ですか?」
 その緊迫感溢れる口調に、何を言われるのかと身構えた綾乃顔にも、無意識に緊張が走る。そんな彼女に顔を向けながら、祐司は静かに告げた。


「実は……、姉貴がこの前、漸く入籍した」
 何を言われるのかと緊張の面持ちでいた綾乃は一瞬キョトンとし、次に満面の笑みで祝いの言葉を述べた。
「貴子さんがですか? 勿論、隆也さんとですよね? おめでとうございます!」
「ありがとう。それで……、その披露宴に、君島さんを招待する事になったらしい」
「『君島さん』って……。ひょっとしてお父さんの事ですか?」
「ああ」
 再び面食らった顔になった綾乃だったが、ちょっと考えてその理由に思い当たった。


「そうか! 隆也さんのお父さんの榊のおじさまとは、父は大学時代からの友人ですから、新郎側の招待客なんですね? 祐司さんから出席云々って聞いたから、新婦側での出席かと勘違いしちゃいました!」
 そう言って明るく笑った綾乃だったが、祐司が神妙な顔のまま、その仮定を否定する。
「いや、新婦側の招待客として、出席して貰うんだ」
 そう言われて、綾乃は完全に戸惑った顔になった。


「……え? どうしてですか? 私は貴子さんにお会いした事はありますが、お父さんと貴子さんはこれまで面識は無い筈ですけど?」
「実はちょっと色々込み入った事情があって、姉貴は一部の警察関係者間で、すこぶる評判が悪いんだ。この前もトラブルがあって、綾乃にも迷惑をかけただろう?」
 そう問われた綾乃は、困惑顔のまま答える。


「迷惑と言われても……。会社に警察の人が話を聞きに来たり、祐司さんと隆也さんにお付き合いして、貴子さんのマンションに出向いた位ですよ? 何て事ありませんけど」
「そう言って貰うと気が楽だが……。榊さんは『気にする事はない』って言ってくれたんだけど、俺達の両親がちょっと気にしていて。それで今回は榊さんが現職大臣の君島さんに、新婦側に箔を付ける為にこちら側での出席をお願いしたんだ。幸い君島さんは『もとより、隆也君の披露宴には出席するつもりだったから、新郎側でも新婦側でも大差無い』と快諾して貰ったらしい」
「そうだったんですか。でも父が出席する位で箔が付くなら、良かったです」
 綾乃はにこやかにそう述べたが、祐司は思わず遠い目をした。


(親父は『君島さんはここでうちに恩を売っておけば、将来綾乃ちゃんとお前が結婚した後も、娘が粗末に扱われる事は無いと踏んだんじゃないか? 流石抜け目が無いな』って苦笑いしてたが……。これは、綾乃に言わなくても良いな)
 そして余計な事は一切口にせず、祐司は話を進める事にした。


「それで……、一応君島さんにこちら側の招待客として出席して貰うに当たって、綾乃にも姉貴の詳しい事情を説明しておくべきかと思ったんだ」
「詳しい事情?」
「姉貴が異父姉で、俺達とは離れて育ってて、父方との確執があった事なんだが。今まで簡単にしか説明してなかったし」
「確かにあの時にサラッと説明を受けただけで、後から詳しく説明するとは聞きましたけど……」
 何となく納得しかねる表情の綾乃に、祐司は真剣な顔付きのまま話し続ける。


「君島さんに新婦側で出席して貰うとなると、もしかしたら今後姉貴の事で、ご迷惑をかける事態になるかもしれない。だがそうは言っても、外聞が悪い話を君島さんの様な忙しい人に延々と聞かせるのも迷惑かと思ったものだから。俺がこれから話す内容を聞いて、綾乃がこれは伝えておいた方が良いと判断した内容を、君島さんに話して貰えないか?」
 そう頼み込んできた祐司に、綾乃は難しい顔になりながらも頷いて見せる。


「なんだか責任重大みたいですが……。分かりました。取り敢えず聞いてみます」
「助かる。じゃあまず、姉貴の生い立ちからなんだが……」
 そうして祐司は貴子と宇田川家との確執を、包み隠さず綾乃に語り始めた。
 そして三十分近く経過して、祐司が喉の渇きと疲労を覚え始めた頃、漸くその話が終わった。


「……と言うのが、この前の騒ぎの背景だったりするんだ」
 この間、一言も口を開かずに聞き役に徹していた綾乃が軽く目を見開き、慎重に尋ねてきた。
「祐司さん。まさかとは思いますが……、話、作ってませんよね?」
「正真正銘、真実なんだ。ただし、俺達から見た真実だけどな。向こうには向こうの言い分があるだろうし……。それと、綾乃が驚くのも無理無いが、できればドン引きしないで姉貴と普通に接してくれれば嬉しいんだが」
 そこで溜め息を吐いた祐司に、綾乃が不思議そうに尋ね返す。


「どうしてドン引きするんですか?」
「だってこういう話って、普通日常生活では身近で聞いたりしないだろう? さっき顔が強張っていたし」
「それは、貴子さんのお父さん達に対して怒ってたからです! 貴子さんの事を嫌いになったわけじゃありません!」
 力一杯訴えられて、祐司は思わず安堵した様に溜め息を吐いた。


「ああ、そうか。それなら良かった」
「それに私の家ではこういう殺伐とした話って普通に耳にしてましたし、物騒な事に巻き込まれた事だってありますから、今の話を聞いただけで引いたりしませんけど」
「え? どうして?」
 今度は祐司が困惑した表情になったが、綾乃は事も無げに話し出した。


「お父さんは代議士で、お母さんも普段から地域の人達のお世話をしてますから、何か困った事があると『取り敢えず君島先生にお願いしよう』的な流れになるんです。特に高齢の方々に、その傾向が顕著ですね」
「はあ……、頼られてるんだな」
 半ば感心した様に呟いた祐司だったが、綾乃は苦笑いの表情になった。


「そう言えば聞こえは良いですが、『一歩間違えると便利屋だな』ってお兄ちゃん達は笑ってます。年に一回位は地域で行き倒れや身元不明でお亡くなりになった人の、手続き代行とかもしますし。費用は行政から出ますが」
「……政治家ってのも、色々大変なんだな」
 思わず本気で同情してしまった祐司に、綾乃が淡々と説明を続ける。


「DVで旦那さんから逃げた妻子を家にかくまった時は、包丁片手に乗り込まれましたし、悪徳金融業者に法外な利子を取り立てられた方の負債の整理を仲介した時は、家にトラックが突っ込んで来ましたし、遺産相続を有利にする為、病床のおばあさんを引き取ろうと文字通り奪い合いになった子供達から引き離して暫く家で静養して貰ってたら、その子供達が家族総出で押しかけてきて、乱闘騒ぎになりました」
 まるで他人事の様に綾乃が口にした為、それを聞いた祐司が焦った声を出した。


「おい! そんな事に巻き込まれて、大丈夫なのか!?」
「一応、家の使用人の人達は女性でも半数は有段者ですし、皆、採用時には民間警備会社で1ヶ月間、護身術のレクチャーを受ける事になってるんです」
 そんな事をサラッと言われて、祐司の顔が引き攣った。


「……新手のジョーク?」
「本当ですけど?」
「…………」
 不思議そうに言い返されて、祐司は思わず黙り込む。そんな彼には構わず、綾乃は実家での日々を思い返しながら、どこか懐かしそうに口にした。


「思えば一番持ち込まれる話が、そういう家族間、親族間でのトラブル話でしたね……。貶したり、いびったり、嵌めたり、陥れたり、唆したり。最近は嫁姑問題だと、お嫁さんの方が強かったり悪質だったりして、手を焼く事が多いんですよね。でも実際は血の繋がりのある親族間の方が、もっとドロドロしてえげつなくて凄いです。警察沙汰なんてしょっちゅうでしたし。だから貴子さんのお話は、確かに特殊かもしれませんが、それほど珍しいとも怖いともみっともないとも思わないんですが?」
 真顔でそんな事を断言されてしまった祐司は、半ば呆然としながら質問を繰り出した。


「その……、珍しくは無くとも、倫理上の問題とかは……」
「貴子さんは、明らかな犯罪行為はしていないじゃないですか。逮捕されたりもしていませんし」
 綾乃にケロッと言い返された祐司が、尚も問いかける。


「いや、そうは言っても……。バレて無いだけで、どう考えても法律的には抵触している気が」
「祐司さん」
「はい」
 そこで自分の言葉を遮った綾乃に、祐司が思わず居住まいを正しながら応じると、彼女はきっぱりと言い切った。


「世の中、杓子定規な判断をしてはいけないと思います。それに先人は素晴らしい金言を、残してくれたじゃないですか」
「え? えっと……、何かな?」
「『罪を憎んで人を憎まず』です」
「…………」
 途端に表情を消して無言になった祐司に、綾乃が尚も告げる。


「貴子さんの行為に問題があって、周囲の人から責められる事があったとしても、私はそれで貴子さんを責めるつもりはありません。安心して下さい」
 そう言って微笑した綾乃を、何回か瞬きして凝視した祐司は、いきなり彼女の両手を取って謝罪してきた。


「……綾乃。本当に悪かった」
「え? な、何がですか?」
 今度は綾乃が戸惑う番だったが、そんな彼女には構わずに、祐司は話し出した。
「俺は今の今まで綾乃の事を、世間知らずの正統派お嬢様だと思い込んでいたんだ。だから俺がちゃんと面倒を見て、守ってやらないといけないと……。ある意味、少し見くびっていた」
 祐司が自分の手を握ったまま、痛恨の表情でそんな事を言い出した為、綾乃は控え目に反論してみた。


「ええと……、私が世間知らずで世慣れていないのは、本当だと思いますよ? 両親やお兄ちゃん達にもそう言われてますし、これまでにも色々祐司さんに迷惑をかけたり、お世話になってますし」
「確かに一般的で常識的な事には疎いかもしれないがが、非日常的で物騒な突発事項に関しては、それなりに経験があって、耐性があるじゃないか」
「……言われてみれば、確かにそうかもしれませんが」
 綾乃が首を傾げて納得すると、祐司が真顔で話を続けた。


「姉貴の事は勿論家族として大事だが、正直、赤の他人から見たら敬遠されると思ったんだ。だから今回の騒動が起きるまで、綾乃にも積極的に話をした事は無かったし」
「そうだったんですか……。でも、さっきも言いましたけど、私は全然気にしていませんから。それに、隆也さんが選んだ女性ですから、やっぱり貴子さんは素敵な女性だと思いますよ? 幸せになって欲しいですね」
 にこにこと笑いながら綾乃が思った事を正直に口にすると、その笑顔に釣られたのか、祐司もそれまでの緊張気味の顔を緩めて、穏やかな口調で語りかけた。


「綾乃」
「はい」
「俺達も幸せになろうな」
「はい! 頑張りましょうね」
 しみじみとしながらそう告げた祐司に、依然として両手を掴まれたまま、綾乃は満面の笑顔で力強く頷いたのだった。



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