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箱庭の光景

篠原皐月

榊眞紀子の場合~変わらないモノ、変わるモノ

「遅いぞ、眞紀子。先に始めてたからな」
「あの、初めまして……、眞紀子さん」
「や、やあ、眞紀子さん。お仕事ご苦労様」
 指定された料亭に、指定された時間より二十分ほど遅れて到着した眞紀子は、案内してきた仲居が「皆さんお揃いでいらっしゃいます」と告げてスルリと開けた襖の向こう側に、兄の隆也、その婚約者の宇田川貴子、更に何故か少し前から自分に纏わり付いている弘樹が居た為、即座に表情を消した。


「……さよなら」
「眞紀子さん!?」
 襖の向こうから悲痛な叫び声が響いてきたが、そんな物は聞こえなかった事にして、眞紀子は勢い良く襖を閉めた。そして唖然としている仲居をその場に残し、つい先程入って来たばかりの襖を開け閉めして廊下に出る。そして何歩か歩いた所で、必死の形相で追い縋って来た弘樹に捕まった。


「ちょっと待って! いきなり帰るのは無しだから! 俺、さっきから一人で、もの凄くいたたまれなくて!」
 その訴えに、眞紀子は負けじと怒鳴り返す。
「あんたの都合なんて知った事じゃないわよ!! 大体、何であんたがここにいるわけ!? 私は兄さんから『婚約者を紹介するから来い』って、こっちの都合なんかお構いなしに日時と場所をメールで送りつけられて、死に物狂いで仕事を終わらせて来たのよ!?」
「俺は……、親父経由で、榊先生から話が来て……」
「父さんから? 何て?」
 互いの父親が大学時代からの友人同士だと知っている貴子は、怪訝な顔になった。そんな彼女に、弘樹がボソボソと弁解がましく告げる。


「それが……、『我が家にとって大事な話が息子から弘樹君にあるそうだから、申し訳ないが出向いて貰えないだろうか』って。さすがに未来の舅の要請を、無碍に断るわけにもいかな」
「誰が誰の未来の舅よっ!! 妄想の垂れ流しは止めなさい!!」
 話の途中で弘樹の喉元を締め上げ、揺さぶりながら叱り付けた眞紀子だったが、ここで先程の部屋担当らしい仲居が困惑顔で、隆也が仏頂面で声をかけてきた。


「あの、お客様。申し訳ありませんが……」
「さっさと部屋に戻れ、眞紀子。五月蝿い上他人の迷惑だし、何かお前の気に入らない事でもあったのかと、貴子が気にしてる」
「……分かったわよ」
 さすがに今日が初対面の未来の兄嫁に、不安や不快な思いはさせられないと、貴子は不満と疑念を心の中に押し込んで、隆也達と共に先程の部屋に戻った。すると隆也が部屋に戻るなり、笑いを堪える口調で眞紀子と弘樹を交互に指差しながら、適当な事を言い出す。


「騒々しくて悪かったな。どうやら眞紀子の奴、弘樹君と喧嘩中だったらしい」
 すると貴子は少し安堵する素振りを見せてから、次いで申し訳なさそうな表情になった。
「そうだったんですか? だから遠藤さんが何となく、そわそわしてたんですね。そんな時期にお二人を呼びつける事になって、申し訳ありませんでした」
「あ、いえ、お構いなく」
「そんな深刻なものでは無いし……、ねぇ?」
「そ、そうだね」
 適当に話を合わせて「あはは」と弘樹と二人で笑ってから、眞紀子は何となく釈然としない気分になった。


(なんだかなし崩し的に、こいつと付き合ってるって設定にさせられた気が。兄さん、何を考えてるわけ?)
 そして眞紀子が正座して仲居からおしぼりを貰っていると、隆也が彼女を指差しながら、隣に座っている貴子に淡々と紹介した。


「じゃあ貴子、こいつが妹の眞紀子だ。まあ、適当に仲良くしてくれ。最近は滅多に家に寄り付かんし、仲が悪くても一向に構わんが」
「ええと……」
 咄嗟に次の言葉が出なかったらしい貴子を見て、眞紀子は(兄さんったら、相変わらずね)と彼女に同情したが、次の台詞であっさり切れた。


「眞紀子、これが俺の嫁だ。陰でコソコソいびったりしたら十倍返しだから、ちゃんと覚えておけ」
 軽く睨み付けながらのその物言いに、反射的に拳で座卓を叩きながら怒鳴り返す。
「兄さんじゃあるまいし、そんな事しないわよ!!」
「眞紀子さん、それはお兄さんに失礼じゃ」
「だって事実よ! 私が中学高校時代、付き合ってた彼氏、全員兄さんがこっそり脅してて、振られまくってたんだから!!」
 ビシッと指差しながら眞紀子が暴露した内容に、貴子と弘樹は驚いた表情になったが、隆也は全く悪びれなかった。


「当たり前だ。あんな小者連中、お前には釣り合わん。第一、俺にちょっと脅された位で脱兎の如く逃げ出す輩ばかりで……。お前の男を見る目は節穴だな。少しはマシになったか?」
「余計なお世話よ!」
「少なくともそいつは、俺に睨まれても逃げ出さなかったがな。少しはマシになったらしい」
 それを聞いて眞紀子は顔を引き攣らせながら弘樹に顔を向けたが、貴子も狼狽した様に問いかけた。


「だから今まで、わざと親の仇を見る様な顔で、凄んでたの!? よほど機嫌か具合が悪いのかと、密かに心配してたのに!」
「ちょっと! 私が来る前に、そんな事してたわけ!?」
「お前が遅れてくるのが悪い」
「なんですって!?」
 さすがに声を荒げて隆也に文句を付けた眞紀子だったが、ここで貴子が会話に割り込んできた。


「すみません! 遠藤さんがお見えになった時、『妹の彼氏』だとちゃんと説明されたので、てっきり交際を認めている方かと。それで偶々隆也の虫の居所が悪いのかと思って、下手に口を挟まない方が良いかと思って放置していて」
「いえ、貴子さんが悪いわけじゃありませんから」
 申し訳なさそうに頭を下げてきた貴子を見て、眞紀子は慌てて宥めたが、隆也がその気遣いを無駄にする。
「そうだな。悪いのはいつまでもフラフラしてるお前だ」
「四捨五入すると四十になるまで、フラフラしてた兄さんにだけは言われる筋合いは無いわよっ!」
「眞紀子さん! ちょっと落ち着こうか。ほら、眞紀子さんの分の料理も来たから!」
 弘樹が必死になって彼女を宥め、酒を注いで四人で再度乾杯をしてから、眞紀子は気持ちを落ち着かせる意味合いもあって、黙々と食べ進めた。そして数分して何とか平常心を取り戻し、他の三人の世間話が切れたタイミングで問いを発する。


「それで? 私達を呼びつけた理由を聞きたいんだけど。貴子さんとの顔合わせなら、こいつは要らないでしょう?」
「こいつって、酷いな~」
 弘樹を指差しながら問えば、情けない声が返ってきたが、それは綺麗に無視して眞紀子は質問を重ねた。
「そう言えば、いつ入籍するの? 結婚式の日程が決まったら、早めに教えてよね。こっちの都合もあるんだから」
「もう入籍済みだ」
 サラッと言われた内容に、眞紀子は何回か瞬きして箸の動きを止めた。


「は? 聞いてないけど!?」
 寝耳に水の話に、眞紀子は目を丸くしたが、何故か貴子まで本気で驚く。
「隆也、眞紀子さんに言ってなかったの!?」
「親には報告したぞ? それにさっき『俺の婚約者』と言わずに『俺の嫁』とちゃんと言っただろうが。注意力散漫にも程がある」
「隆也、そんな言い方……」
「あのね……」
「ま、眞紀子さん? 冷静に冷静に」
 傲岸不遜な態度で料理を食べ進める隆也に、貴子は額を押さえ、眞紀子は箸を握り締めた右手を震わせ、弘樹はそんな彼女の左腕を押さえながら、小声で言い聞かせた。


(ふざけんじゃないわよ、この俺様野郎が!! でも、何か貴子さんが困ってるし……、ここは一つ我慢我慢)
 そして眞紀子は自分自身に言い聞かせながら、一応祝いの言葉らしき物を口にした。


「ソレハソレハ、オメデトウゴザイマスー。ドウゾスエナガク、オシアワセニー」
 その明らかな棒読み口調に、隆也が軽く眉を寄せる。
「祝っている口調じゃないが?」
「俺様野郎の引き取り手があった事に感動して、思わず魂が抜けたのよ」
「言ってろ」
 隆也は素っ気なく言い返したが、特に怒っている様な素振りは見せず、この兄妹の間ではこの位の毒舌は日常茶飯事なのだろうなと、貴子と弘樹は結論付けた。そして気が緩んだ弘樹が、ここでうっかりミスをしでかす。


「あ、ええと、貴子さ……」
「…………」
 何気なく貴子に呼びかけた弘樹が、即座に正面に座る隆也から絶対零度の視線を浴びて、瞬時に固まった。その理由を察した眞紀子が、半ば呆れながら兄を叱り付ける。


「ちょっと兄さん! 貴子さんの名前を呼んだだけで威嚇しないでよ! 減るものじゃなし、心狭いわね!?」
「減る」
 真顔で断言してきた兄に、眞紀子は軽い眩暈を覚えた。それは貴子も同様だったらしく、鋭い声で叱責する。
「隆也! 何が減るって言うのよ!?」
「そうよ! 第一入籍したなら、どっちも榊姓になったんだから、名前で呼び分けないと駄目じゃない」
「『奥様』とでも呼べば良いだろう」
 平然と言い返した隆也に、貴子は座卓に両手を付いて項垂れ、眞紀子は目を細めて呆れた様に呟いた。


「……兄さん」
「何だ?」
「この前顔を合わせてから一月も経ってないのに、随分馬鹿になったわね」
「お前程じゃない」
「眞紀子さん! 刺激しちゃ駄目だから!」
「隆也! いい加減にして!」
(何なの? 喧嘩売る為に、わざわざ呼びつけたわけ?)
 冷たい火花を散らす兄妹を、貴子と弘樹が顔色を変えて宥め、何とか当たり障りのない会話に戻って、料理を食べ進めていった。そこで貴子が、先程の弘樹の発言を思い出す。


「そういえば、遠藤さん。さっき何か言いかけましたよね? 何か質問でもあったんですか?」
 その問いかけに、弘樹は苦笑いしながら答えた。
「すみません、つまらない質問なんですが、宇田川さんがテレビに出ていた頃と、随分イメージが違っていたので、ご結婚で気分一新したのかと思いまして」
(ああ、そう言えば、私もここに来た時、以前と随分印象が違うなって思ったのよね)
 テレビで見た事のある貴子は、落ち着いた栗色のゆるいパーマをかけている髪だったのに対し、今現在はストレートの艶やかな黒髪を、サイドポニーにしていた。その指摘を受けた貴子が、苦笑しながら説明する。


「ああ、髪ですね。実は元々こういう髪質なんです」
「そうだったんですか」
「でも以前はあまり好きでは無くて、パーマをかけてカラーリングもしていて。ですけど」
「俺はこの方が良い」
 自分の話を遮りながら、束ねている髪の間で指を滑らせつつ隆也が短く告げると、貴子が幾分照れ臭そうに言葉を継いだ。
「隆也がそう言うので……」
「……そうですか」
「はいはい、ごちそうさま」
(何なの? まさか盛大に惚気る為に、私達を呼びつけたわけじゃないわよね?)
 毒気を抜かれた様に弘樹と眞紀子が応じると、すかさず隆也が突っ込んできた。


「勿論、お前達に惚気る為に、わざわざここに呼び出したわけじゃない」
「心を読まないでよ!」
「今現在、俺は貴子のマンションで暮らしているが、近々貴子を連れて家に戻ろうと思う」
 考えていた事を言い当てられて動揺した眞紀子だったが、隆也の台詞を聞いて別な意味で驚いた。


「え? 貴子さん。私達の親と同居で良いんですか?」
「はい、それは特に、嫌では無いんですが……」
 何となく遠慮している様な気配を察知した眞紀子は、怪訝に思いながら意見を述べた。
「ひょっとして、兄さんが無理強いしてません? 嫌ならはっきり嫌って言った方が良いですよ?」
「貴子は同居が嫌ってわけじゃない。色々複雑な事情があるだけだ」
「なんだかねぇ……」
 納得しかねる顔付きになって、眞紀子はグラスの中身の酒を煽ったが、ここで隆也が唐突に言い出した。


「それでだ。来週末までにお前の部屋の荷物を、全部引き払え」
「は? 何で?」
「お前と俺の部屋の間の壁を取り払って、一部屋にするからだ」
「なっ!」
 いきなり予想外の事を言われて、眞紀子は固まったが、貴子が慌てて隆也を問い質した。


「ちょっと待って隆也! 話が違うわ! 私、内装とかもそのままで良いって言ったでしょう!?」
 しかし狼狽している貴子とは対照的に、隆也は微笑みすら浮かべながら冷静に答えた。
「ああ、だから俺の部屋はそのままで、眞紀子の部屋の内装を俺の部屋のそれに合わせる。部屋の途中で内装が変わってたら、おかしいだろう?」
「合わせるって……。だけど壁を取るって、強度とかの問題は?」
「工務店に見積もりを頼んだら、全く問題無いそうだ」
「第一、どうして一部屋にしないといけないのよ!?」
「ダブルベッドを置くには、俺の部屋だけだと手狭だからだ」
「…………」
 今度は畳に両手を付いて無言で項垂れた貴子を見て、弘樹はひたすらおろおろとし、眞紀子は額に青筋を浮かべた。


(ああ、そう。そういう事ですか。ダブルベッドを置くスペース欲しさに、私の部屋を欲しておられるわけですか)
 そこでふつふつと怒りがこみあげてきている眞紀子を放置し、隆也は弘樹に声をかけた。


「だから遠藤君。この際君の家で、眞紀子の荷物を引き取ってくれ」
「は?」
「ちょっと待って、何で?」
「結婚する時に、また運び出す手間が省けるだろう? 安心してくれ。両親は俺が説得してやる。眞紀子を幸せにしてやってくれ」
 そこで揃って戸惑いの声を上げた二人に、隆也は爽やか過ぎる笑顔を振り撒いた。その明らかな偽善者の笑みに、眞紀子の堪忍袋の緒が切れる。


「兄さん! ダブルベッドのスペース欲しさに、私を叩き売るつもり!?」
「貰ってくれる相手がいただけ、感謝だな」
「ふざけんな! この色ボケキャリア!!」
「眞紀子さん! 落ち着いて!!」
「隆也! 私やっぱり改装は良いし、家に入るのは遠慮するから!!」
 腰を浮かせた眞紀子を、弘樹が腕を掴んで押し止める。そして貴子も血相を変えて隆也の上着の袖を掴んで訴えた為、隆也は如何にも面白く無さそうな表情になった。


「……お前が承知しないから、貴子がまた怖じ気づいただろうが」
「あたしのせい!? それ、絶対違うわよね!」
「眞紀子さん、落ち着いて!」
 そんなこんなで最後まで色々な事で揉めながらも何とか会食を終わらせ、料亭を出た所でタクシーに乗り込んだ兄夫婦と別れた眞紀子は、弘樹と共に最寄駅に向かって歩き出した。


「……疲れた」
 嘘偽りの無いその呟きに、弘樹は思わず苦笑する。
「お疲れ様。なかなかインパクトのある、お兄さんだったよね。宇田川さんも、テレビのイメージとは随分違ってたし」
「それは私も、ちょっと驚いたわ。言いなりって言うのとも違うけど、変に自己主張しない感じ? 以前は傍若無人に見えてたって事では無いんだけど……」
 小さく首を傾げた眞紀子に、弘樹が笑いを堪える口調になって指摘する。


「でも女同士、それなりに仲良くなって、別れ際に連絡先を交換してたよね。義理のお姉さんとどう接して良いか分からないって悩んでたし、良かったんじゃない?」
 それに眞紀子は、若干面白く無さそうに答える。
「あれは……、貴子さんが兄さんに無理難題をふっかけられて困った時に、相談相手になれるかと思ったからよ。別に仲良くなったとか、そういうわけじゃ……」
「相変わらず、素直じゃ無いよね。そんな所が可愛いんだけど」
「何か言った?」
「いや、何も?」
 これ以上つつくと、本当に怒り出すのが分かっていた為、弘樹は小さく笑って話題を変えた。


「ところで実家に置いてある荷物、どうするの? 本当に俺が引き取ろうか?」
「レンタルスペースを借りるわ」
「お金の無駄使いだよな……」
 あまりの即答っぷりに、弘樹は思わず溜め息混じりに応じると、眞紀子が盛大に叱りつける。
「五月蠅いわね! あんたには関係無いんだから黙ってて!」
「はいはい。関係ないよね、今のところは」
「未来永劫、関係無いわよっ!!」
 そんな事を口にしながらも無意識に出会った頃を振り返った眞紀子は、その頃とは二人の関係が随分変化している事を、きちんと認識していたのだった。



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