フライ・ア・ジャンプ~絵から始まる事件~

篠原皐月

(6)問題山積

 シャトナー伯爵邸で、いつも通り夫妻と息子二人が顔を揃えて夕食の席に着いていた時、クリフがさり気なく話を切り出した。
「皆に、報告があるんだ。ユーリアから了承の返事が貰えたので、結婚してこの家を出ようと思う」
 それはいきなりな話ではあったが、同時に十分に予測された話であった為、家族達は笑顔で応じた。


「まあ、本当に?」
「それはめでたいな」
「お前の、粘り勝ちといった所だな。因みに、今後の計画は?」
 ケインが笑いながら詳細について尋ねると、クリフが事も無げに答える。


「自分の資産と俸給で賄える程度の、住む家や使用人は確保しているよ。来月にでも引っ越しできる」
「相変わらず、やる事にそつが無いな」
「ユーリアも、グレイシア殿の姪に当たる方が新たに上級女官として採用されたから、辞めるのにそれほど支障は無いと言っているからね」
「それは何よりのタイミングだったな」
 話題に上がった女性が、今回の麻薬密輸騒動で没落した、前ペーリエ侯爵令嬢なのを知るケインは、その皮肉さに苦笑するしかなかった。するとここで、フェレミアが思い出したように言い出す。


「結婚と言えば……、以前アルティナが尋ねていた件はどうなったの? ほら、ランディス殿下と彼女のお友達の事」
 それにクリフが頷き、真顔で説明する。


「ああ、一応過去の前例を調べて、少し前に殿下に幾つか助言をさせていただいたよ。頼まれてもいないのにお節介かなとも思ったけど、終始真剣な顔で聞いておられたから、例の騒ぎもケリがついた事だし、そろそろ行動に出る頃かもしれないね」
「それは良かった事。アルティナも安心するでしょうね。随分仲が良いお友達のようでしたし」
「そうだな。本人は結婚しても、未だに別居状態だがな」
「……父上、からかうのは止めてください」
 ここでおかしそうに口を挟んできたアルデスに、ケインが苦虫を噛み潰したような表情で応じる。しかしそれに便乗する形で、クリフが笑いながら感想を述べた。


「だけど形式上は結婚して一年経過しているのに、一向に進展が無いって、女性に関して百戦錬磨な兄さんらしく無いよな」
「笑うな、クリフ。アルティナはこれまで相手にしてきた女達とは、勝手が違う」
「うん、まあそうだよね。ずっと田舎で育った、ある意味純粋培養だし」
 苦労するだろうなと憐憫の眼差しを送ったクリフだったが、ケインは難しい顔になりながら告げた。


「それもあるが……。口説こうとしても、いつアルティンが出て来るか気が気では無くて、落ち着かないんだ。ちょっと手を出そうものなら、問答無用で投げられるか殴り倒されるか斬り殺されるか、分かったものではないからな」
 その正直な感想を聞いて、クリフの表情が呆れたものになる。


「確かにアルティン殿は兄さんの女性遍歴に関して、家族よりも知り尽くしていたみたいだったけどね……。未だに信用が無いんだ」
「信用が無いというか……、最近は表に出て来ても、そこら辺に付いて話した事は無かったからな」
「それじゃあ久しぶりに、自分がアルティナ殿の夫に相応しいかどうか、聞いてみたら良いんじゃないかな」
「そうだな。騒ぎが一段落した事だし、落ち着いて話をしやすいだろう」
「今度のお休みには、またこちらに来てくれるから、その時が良いんじゃない?」
「ああ……、うん。そうだな」
 口々に家族にそう勧められたケインは、曖昧な笑顔のまま頷き、真剣に考え込みながら食べ進めた。


 そんな事のあった翌日。
 偶々後宮の入り口詰め所の警護任務に就いていたアルティナは、任務交代直後に、奥から出て来たユーリアに捕獲された。


「アルティナ様、今日のお仕事は終わりましたよね?」
「ええ、これから食堂で食事を」
「それなら、ちょっと付き合ってください!」
「え? あ、ちょっとユーリア!? あなた仕事は?」
「私の勤務も終わりました!」
 挨拶もそこそこに問答無用で腕を取られ、アルティナは瞬く間に後宮内の一室に引きずり込まれた。


「この部屋の使用許可はちゃんと貰っていますし、ここなら通りすがりの不特定多数の人に、話を聞かれる心配はありませんから」
(女性に問答無用で部屋に連れ込まれるのが、最近続いているわね)
 大真面目にそう断言されたアルティナは、色々諦めた表情になりながら、ユーリアに声をかけた。


「それで? 何か私に、内密に話したい事でもあるの?」
「クリフ様と結婚する話自体は、別に誰に聞かれても問題はありませんが」
「それなら問題なのは、他の話……。ちょっと待って! 今、『クリフ様と結婚する』とか言った!?」
 うっかり聞き流しかけた直後、相手に掴みかかって確認を入れたアルティナだったが、ユーリアは淡々とその問いかけに答えた。


「言いましたよ。と言うか、私を後宮勤務の上級女官として押し込む為に、クリフ様の恋人設定なんか作った張本人が、今更何を驚いているんですか?」
「だって! この前、ペーリエ侯爵邸にクリフの婚約者として乗り込んだ時も、そんな話は一切していなかったじゃない!」
「その場に関係の無い話を、するわけ無いじゃありませんか。それ位、弁えています。確かにその時の事が、決定打でしたが」
「え? どういう事?」
 怪訝な顔になったアルティナに、ユーリアが解説する。


「だって社交界のごく一部とはいえ、貴族の皆様に対して婚約者だと御披露目されたわけですから、取り返しがつかないでしょうが。クリフ様からのアプローチに、最近根負けしていたのも事実ですが」
「はぁ……、なるほど。でもクリフは王太子補佐官として将来有望だし、人格的にも問題は無いと思うし、それなりに良縁だと思うわよ?」
「そうですね。そういう訳ですから、アルティナ様。後は自力で頑張ってください」
「え? 頑張るって、何を?」
 乳兄弟の縁談が、かなりの好条件で纏まったのは確かだった為、アルティナは幾分安堵しながら頷いたが、唐突な激励に困惑顔になった。そんな彼女に、ユーリアが冷静に言い聞かせる。


「最近、すっかり忘れているようですけど、アルティナ様はれっきとしたケイン様の奥方様なんですよ? 当初『すぐ離婚するから』と言って、シャトナー家に入ってからずるずると一年が経過しているのに、一体これからどうするつもりなんですか?」
「え、えっと……、それは……」
「本当に、全っ然考えていませんでしたよね?」
「…………」
 冷や汗を流し始めたアルティナを、ユーリアは若干冷たい目で眺めてから、容赦なく追及してきた。


「本当に何かそれらしい理由を付けて離婚して、そのまま行方をくらますのか。それともこのままケイン様と、本当の夫婦になるのか。その場合、アルティン様の意識共存設定はそのままにするのか、または適当な理由を付けて、消滅するか消えた事にするのか」
「ちょっと待ってユーリア! そんな矢継ぎ早に言われても!」
「ちょっと数え上げただけでも、これ位解消しなければいけない問題があるって、自覚してください! 今後アルティナ様がどんなに困っても、私がすぐにフォローなんてできませんから。と言うか、クリフ様にも本当のところは内緒にするつもりですから、それだけでもありがたいと思ってください!」
「……うん、本当にごめんなさいね、ユーリア。これまで色々迷惑をかけたわ」
 神妙に頭を下げたアルティナを見て、ユーリアは溜め息を吐いていつもの口調で述べた。


「分かっていただけたのなら良いんです。本当に大丈夫ですか?」
「ユーリアに余計な心配をかけないように、きちんとこれからの事を考えるから」
「そうしてください。それでは、お引き留めしてすみませんでした」
「良いのよ。今度結婚祝いを贈るわね」
「ありがとうございます」
 最後は笑顔でユーリアと別れて歩き出したアルティナだったが、色々有りすぎてこの間意識的に考えないようにしていた事を、これ以上は無い位に蒸し返されて、内心で途方に暮れていた。


「ケインと離婚? それとも本当に結婚するって……。今更どの面下げて、何て言って収拾を付ければ良いのよ……」
 ぶつぶつとそんな独り言を呟きながら、薄暗い回廊を歩く彼女からは、かつてそう呼ばれた稀代の名軍師の片鱗は、微塵も感じられなかった。


(完)

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