フライ・ア・ジャンプ~絵から始まる事件~

篠原皐月

(14)臨機応変

 リディアが絶体絶命の危機に陥るより時間は少し遡り、シャーペス街に到達したアルティナは、彼女と同様に立ち往生しかけていた。
(グレイシアさんが言っていた場所は、この一帯の筈だけど……。リディアの姿は見当たらないし、もうダリッシュの家に入ったのかしら?)
 内心で焦っているものの、アルティナはゆっくり馬を歩かせて、すっかり暗くなった周囲を見回す。


(もしそうなら、あまりぐずぐずしていられないのよね。できればダリッシュに一斉捜索の事を伝える前に、リディアを見つけたいけど……、あら?)
 そこで進行方向に一台の辻馬車が停まっているのを認めた彼女は、首を傾げた。


(どうして辻馬車が、こんな所に停まっているの? お客なんか拾えないじゃない。一本向こうの通りは大通りだから、まだ人通りもあるのに。門の前で、誰かが出て来るのを待っている訳でも無さそうだし)
 どうにも中途半端な位置で停まっている辻馬車に、アルティナは不審なものを覚えて反射的に馬を止め、それを凝視していると、いきなり斜め下から焦り気味の声をかけられた。


「アルティナさん! あなたこんな所で、何をやってるんですか!?」
「え? ちょっと、何?」
 声量を抑えながらも鋭く叱りつけながら、いきなり馬の手綱を掴んで馬の向きを変え始めた男に、彼女は慌てて問い返したが、馬を両側から挟んだ男達は、有無を言わせずアルティナを誘導した。


「緑騎士隊のノーランです! とにかく早く、隠れてください!」
「俺はニルスです。急いで!」
「はぁ……」
 確かに普通の平民の服装ながら、僅かに見覚えのある緑騎士隊の人間である事を認めたアルティナは、少し離れた細い路地まで大人しく馬を引かせた。そして角を曲がった所で馬を下りて、確認を入れる。


「あなた達、ダリッシュの家の監視担当なの?」
「そうですよ。それなのにさっきは、別の白騎士隊の人が入って行くし」
 溜め息まじりにそんな事を訴えられたアルティナは、忽ち血相を変えて相手に組み付いた。


「それってまさか、リディアの事!?」
「白騎士隊の制服でしたが、顔までは分かりませんでした」
「どうしてリディアが、ダリッシュの家に入る前に止めないのよ!」
「止める暇も無く馬に乗ったまま、敷地内に入ってしまったんですよ! そこに駆け込むわけにいかないじゃないですか! おまけにその直後に、変な連中まで現れるし!」
 語気強く反論したノーランの台詞に、アルティナの表情が益々険しい物になった。


「『変な連中』って、具体的には?」
「どう見ても、質の悪いごろつきにしか見えない男を五人引き連れた、ブレダ画廊の主催者です」
「あの馬車と馬に分乗して来たんですが、馬車の人間はあそこで降りて、敷地内に入って行きましたから」
 その説明を聞いたアルティナは、完全に怒り出した。


「あなた達、黙ってそれを見ていたの!? どう考えても拙い状況じゃない!」
「だから応援を呼びに、一人王宮に走らせているんです!」
「判断が甘いし、行動が遅い!」
「あ、ちょっと!」
「待ってください」
 弁解したかつての部下を一喝したアルティナは、再び馬に飛び乗って辻馬車目掛けて駆けさせた。


(それならあの御者席にいるあの男は、何かあった時の為の見張り役。異変を感じて逃げ出したり応援を呼ばれない為に、まずそいつを潰しておく必要があるわね)
 そんな算段を立てたアルティナは、素早くベルトから剣を鞘ごと抜き取り、問題の馬車に馬を寄せた。


「すみません。ちょっとお尋ねしますが」
「あ? 何だ……、ってあんた、まさか近衛騎士、ぐはぁっ!」
 何事かと座ったまま振り返った男が、アルティナの制服を見て動揺した声を上げたが、すかさず彼女が馬に乗ったまま彼の鳩尾目掛けて勢い良く剣を突き出した。それは鞘ごとだった為、当然怪我はしなかったものの、予想外の衝撃と痛みに呻きながら彼がうずくまったところで、器用に馬から御者席に飛び移ったアルティナが、その首筋に剣の柄を叩き込む。


「悪いわねっ!」
「うあっ……」
 そして狭い御者席に倒れ込んだ男を見下ろして、アルティナは盛大に舌打ちした。


「失敗したわね。慌てて出て来たから、縛り上げる物を持って来なかったわ」
「それなら、これなんかどうだ?」
「あ、ちょうど良い縄、……って、アトラス殿?」
 聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた為、全く警戒せずに振り返った彼女の目の前に、縄の束を突き出したアトラスと、複数人の近衛騎士の渋い顔を認めて、アルティナは目を丸くした。そんな彼女に、アトラスが不敵に笑いながら告げる。


「ここに来る途中で、王宮へ向かう騎士と出くわしてな。彼から事情は聞いた。即刻、ダリッシュの所に踏み込むぞ。俺達で頭数は大丈夫だろう」
「確かに私も、リディアの救出に向かうつもりではいましたが……」
「王宮への使者には『この機に乗じて、今夜中に一斉に踏み込め』と、バイゼルに伝言を頼んだ。万が一、中の人間を取り逃がしたら、証拠隠滅に走る恐れがあるからな」
 本当にそんな大事にして良いのかと、さすがにアルティナは躊躇ったが、アトラスと彼の後方に控えている騎士を含めると軽く十人は越えており、彼女も腹を括った。


「分かりました。難しいですが、怪我をさせても全員生かして捕縛しますよ? 大事な生き証人ですから」
「勿論だ。皆、分かっているな?」
「はい!」
「それでは分担を決めるぞ。二人一組で行動。絶対に連中を、敷地内から外へ出すな!」
 アトラスの指示に続き、小隊の隊長らしき男が組み分けを決めながら、素早く配置を決めていく。それを横目で見ながら、アトラスはアルティナを手招きした。


「アルティナは、俺と一緒に来い」
「はい、お願いします」
 手早く御者を縛り上げたアルティナは慎重に馬車から降り、見張り役の騎士に馬を預けて、静かに門を抜けてダリッシュ邸の敷地内に入った。
 同様に侵入した騎士達が、身振り手振りで建物を囲むように音もなく散開していき、アルティナもアトラスと共に、裏手の通用口からの侵入を試みる。すると通用口のドアノブが、外から壊されているのを認めた。


「通用口から押し入ったか?」
「そうなると、この付近には、使用人がいる筈では……」
 騎士達が音を立てないように最新の注意を払いながらドアを開け、中に侵入すると、そこから通じる厨房に、料理人と思われる男が倒れているのを発見した。


「死んでいるか?」
「……いえ、生きていますね。殴られて、意識を失っているだけだと思われます」
 素早く屈み込んで倒れている男の脈や呼吸を確認した騎士に、その場の責任者である騎士がすかさず指示を出す。


「取り敢えず荒事の前に、こいつを安全な場所に運んで避難させておけ。乱闘に巻き込まれて怪我をしたり、人質にされてはかなわん」
「そうですね。おい、手を貸せ」
「分かった。取り敢えず、近くの部屋に運ぶぞ。倉庫でも良いよな」
 その男の両手両足を掴んで、騎士が二人がかりで移動させるのを横目で見つつ、他の者は注意深く周囲の様子を窺った。


「じゃあ、進んでみるか」
「そうですね。入り込んだのは六人組と聞きましたので、要所に何人か見張りを立てているかと思いましたが、その気配は無さそうです」
「連中はよほど頭が働かないか、油断しているみたいだな」
「こちらにしてみれば、好都合ですが」
「全体的な条件として、あまり良くはないがな。狭い室内での戦闘だし」
「間違っても不利だと思っていない顔で、口にするのは止めて貰えませんか?」
「今更だろう」
(確かに、そうだけどね)
 軽口を叩くアトラスに、年配の騎士が困り顔で言葉を返しつつ慎重に廊下の先へ進むのに同行しながら、アルティナは焦る気持ちを押さえ込んでいた。



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