フライ・ア・ジャンプ~絵から始まる事件~

篠原皐月

(8)二人の思惑

 アルティナからマークスの話を聞いて以来、密かに悶々としながら過ごしていたリディアだったが、その翌日、勤務中に唐突にランディスからの呼び出しを受け、慌てて制服のまま指定された庭園の一角に出向いた。


「リディア。今日は仕事中に、急に呼び出してしまって悪かった」
 明るい日差しの下、指示された椅子に素直にリディアが腰を下ろすと同時に、侍女が隙のない動作でお茶を淹れて彼女の前に置いた。それを確認したランディスが軽く頭を下げながら発した台詞に、リディアは盛大に首を振りながら言い返す。


「いえ、確かに驚きましたが、殿下がちゃんと回復された姿を見て、安心できましたから」
「ああ。今回の事では、君に随分心配をかけてしまったみたいだね。ナスリーンや母上から話を聞いて、謝ろうと思っていたんだ」
「とんでもない! 仮にも近衛騎士団に籍を置く私があの場にいたのに、殿下に怪我をさせる事になってしまって。謝罪しなければいけないのは、私の方ですから!」
「だがあの時君は、私の護衛として配置されていた訳ではなく、非番の君に私が強引に付いて行っただけだから。私の考えなしの行動で、大事になってしまったのは明らかだ」
「そうは言っても!」
 ここで押し問答になりかけた謝罪合戦に、ランディスは笑顔で無理やり終止符を打った。


「だからこの話は双方に落ち度があったという事で、お互いにこれ以上の謝罪はしない事にしないかな? その為にここに来て貰ったんだ」
「ランディス殿下…」
 そこまで言われて、なおも強硬に主張する気にはなれず、リディアは少々困り顔になりながらも頷いた。


「……分かりました。それでは以後は、あの件に関しての謝罪はしない事にします。改めてご回復、おめでとうございます」
「ありがとう。少し身体がなまってしまったから、本格的に公務に復帰するにはもう少し時間がかかるけどね」
 明らかに安堵した表情になった彼を見て、リディアは自分自身を納得させた。


(殿下の顔色も良いし、本当に心配無さそうで良かった。ここで変に揉めるのは、やっぱり止めよう)
 そして出されたお茶を味わっていると、彼女がカップをソーサーに戻したタイミングで、ランディスが問いを発した。


「そう言えばリディアは、あれ以降の捜査状況を知っているかな? 近衛騎士団がブレダ画廊に踏み込んで、ジャービスを仕込んだ絵を幾らか発見したけれど、決定的な証拠を掴むまではいかなかった事は聞いているけど」
 それを聞いたリディアは、ほんの少し考え込む。


(ええと……、アルティナには口外しないと約束したし、聞いて気分の良い話では無いけど……。ランディス殿下は事情をご存じだし、随分経過を気にしていらっしゃるみたいだし、あの事を話しても構わないわよね?)
 そう判断したリディアは、ランディスがお茶を淹れさせた後は人払いしたのを幸い、知って限りの事を包み隠さず話して聞かせた。すると予想通り、彼の顔が露骨に歪む。


「私が寝込んでいる間に、そんな話が出ていたのか。マークスの奴が麻薬密売の片棒を担ぐどころか、積極的に絡んでいる可能性まで出て来たとは……。どこまで性根が腐った男だ」
「不愉快な話題を持ち出してしまって、申し訳ありません」
 反射的に頭を下げたリディアだったが、それでランディスは今現在自分がどんな顔をしているのかを察し、慌てていつもの表情を取り繕った。


「ああ、いや。確かに気分の良い話では無いが、話して欲しいと頼んだのは私の方だから、気にしないでくれ」
 するとここで、リディアが若干思い詰めた表情で言い出す。


「それでこの機会に、ランディス殿下にお聞きしたい事があるのですが……」
「え? 何かな?」
「その……。罪状が明らかになった場合、マークス・ダリッシュはどうなるのでしょうか?」
 その問いかけに、ランディスは難しい顔になった。


「どれ位関わっていたかにもよるだろうが、国外追放か、ダリッシュ家預かりとなって、生涯幽閉が妥当な所だろうか?」
「そうなると、絵を発表するとかは……」
「当然、できなくなるな。それ以前にダリッシュ家に配慮して、奴の罪状を世間には公表しなくとも、処分された時点で大抵の人間は後ろ暗い事をしでかしたと察するだろうし。これまでの評価も、自然に霧散するだろうね」
「そうですか……。そうですよね」
 そこで俯いたリディアを見て、ランディスは自分が考えなしに口を滑らせてしまった事を理解した。


(しまった……。そう言えば、マークス・ダリッシュの名前で発表されて、評価の高い作品の数々は、彼女の義父の遺作だった。奴の評価がどうなろうと知った事では無いが、それに付随して奴の作品の評価まで落ちる可能性もあるな)
 その可能性に思い至ったランディスは、おそらく同様にそれについて考えていたらしいリディアの心情を想って歯噛みした。


(失われたと思っていた義父の遺作が、大切に飾られていると分かって喜んだばかりなのに……。事が発覚してからあっさり絵を処分されたりしないように、あれらの所有者達全員に、譲渡する気があるなら言い値で買い取ると、内々に話をつけておこう)
 そんな決意をしながらランディスはさり気なく話題を変え、幾つかの世間話をしながら重くなった空気を何とか払拭した。


「今日はわざわざ来てくれてありがとう。おかげで楽しいひと時を過ごせたよ」
「こちらこそ、美味しいお茶を頂きました。ありがとうございました」
 そして話をしながらお茶を一杯だけ飲んでリディアと別れたランディスは、後片付けを侍女達に任せて王宮内を歩き出した。


「さて……。リディアの話から考えると、騎士団が早速動いているだろうし、できるだけ早く話を進めておいた方が良いだろうな。兄上の執務室に顔を出しながら、財務局にニルグァ殿を訪ねるか」
 そんな事を呟きながら歩いていると、廊下の向こうから自分の方に向かって歩いてくる人物を認めて、忽ち笑顔になった。


「やあ、ニルグァ殿。ちょうど良かった。今財務大臣執務室に、貴公を訪ねる所だったんだ」
 笑顔でそう切り出されたニルグァは、目を丸くしながらランディスに問い返した。


「ランディス殿下、暴漢に襲われたとお聞きしていましたが、もうお怪我は大丈夫なのですか?」
「ああ、ちゃんと医師から、出歩く許可を貰ったよ。それでニルグァ殿に時間があるなら、少々個人的な事で頼みがあるのだが」
 そう申し出た彼の表情を見て、何かを悟ったらしいニルグァは、真顔で頷いてから再び歩き出した。


「どうやらお急ぎのようですね。他人に聞かれても構わないお話なら、このまま会議室に向かいながらお伺いしますが」
「歩きながらで構わない。実は貴公が所有している、マークス・ダリッシュの《混沌の大地》についてだ」
 並んで歩きながらランディスが唐突に口に出した内容に、ニルグァが怪訝な顔を向ける。


「……あの絵が、どうかされましたか?」
 そしてニルグァを皮切りに、ランディスはその日のうちに何通もの書簡を作成してマークスの絵を所有している者達に送りつけ、彼らの憶測を呼ぶ事となった。





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