フライ・ア・ジャンプ~絵から始まる事件~

篠原皐月

(6)思わぬ幸運

 ペーリエ侯爵邸で、人知れず働いた翌朝。アルティナはいつもより遅めに起き出し、身支度を整えて食堂に向かった。


「リディア、早いのね。ここに座っても大丈夫?」
「アルティナ、おはよう。構わないわよ。どうぞ」
「ありがとう」
 カウンターから受け取ったトレーを手にしながら食堂内を見回すと、大きなテーブルで一人で食べていたリディアを見つけて声をかけ、首尾良く席を確保した。すると席に座った途端、リディアが真顔で尋ねてくる。


「ねえ、アルティナ。ちょっと聞いても良い?」
「改まって何かしら?」
「その……、ランディス殿下の容態とか、あなたの耳に入っている?」
 控えめに尋ねられたアルティナは、その事だったかと納得し、申し訳なさそうに言葉を返した。


「それはさすがに……。でも容態が悪化したっていう話は聞かないし、順調に回復されていると思うけど?」
「それはそうよね」
 自分に言い聞かせるように頷いたリディアを見て、アルティナは食べ始めながら何気なく尋ねてみた。


「リディアは、殿下のお見舞いには行っていないの?」
「殿下の怪我は半分は私の責任だし、隊長に相談してみたんだけど、『例え見舞いの為だとしても、殿下の私室に未婚の女性を入れると、それだけで問題になるし噂になるから、控えた方が良い』と言われたの」
「確かにそうね。殿下の怪我だと寝室から出られないわけだし。無神経な事を聞いてごめんなさい」
 そこら辺をすっかり失念していたアルティナは素直に頭を下げたが、リディアも小さく首を振った。


「ううん、私も考えていなかったから気にしないで。やっぱり隊長に相談して正解だったわ。一応隊長が、王妃陛下にお伺いを立ててくれたらしくて、王妃様の護衛任務の時に『すぐに回復するでしょうし、見舞いとかは気にしなくて良いから』と、直々に声をかけてくださったの」
「それなら王妃陛下のお言葉に甘えて、殿下が回復されたら改めてご都合を聞いて、出向けば良いんじゃないかしら?」
「ええ、そうするつもりよ。一人で色々気にしていても、仕方が無いものね」
 そして幾分顔付きを明るくしたリディアも残っている朝食を食べ進めたが、ふと思い出したように口を開いた。


「そういえば……、あの後、例の調査が進んでいるのか、アルティナはシャトナー副隊長経由で、何か聞いていない?」
 ジャービスの密輸密売の件は、未だに騎士団内でも関係者以外には箝口令が敷かれている為、リディアが若干声を潜めて尋ねると、アルティナも小声で応じた。


「時々、聞いてはいるけど、目立った成果は上げられていないみたいよ」
「そうなの。早く片が付くと良いわね」
 リディアはそれ以上突っ込んで聞いてはこなかったが、ここでアルティナは昨夜の事を思い出した。


(そう言えば、《ラズナイア》と《タシュケル》の事が分からないままだったわ。何か絵画に関係する事かもしれないし、駄目で元々、リディアに聞いてみよう)
 そんな事を考えたアルティナは、唐突に切り出した。


「リディア、いきなり聞いて悪いけど、ラズナイアとタシュケルって、何の事か分かるかしら?」
 それを聞いたリディアは、目を丸くしながら問い返した。
「いきなり何? それに二つとも、アルティナには関係が無さそうだけど」
「という事は、リディアはそれが何か知っているのよね?」
 思わず軽く身を乗り出したアルティナに、彼女が事も無げに告げる。


「だってラズナイアは顔料のラズニースの原料の鉱物で、タシュケルは王都でも一、二を争う画材問屋じゃない」
「顔料と画材問屋?」
「ええ」
(それなら一応画家のマークス・ダリッシュとの取引があってもおかしくないのかしら? あの廉価版の絵を山ほど描いている筈だから、それなりに画材は必要だろうし。私とした事が、勘が鈍ったのかしらね)
 あっさりと説明されたアルティナは、どこか釈然としないまま考え込んだ。そんな彼女にリディアが、不思議そうに尋ねてくる。


「でもどうして、ラズナイアの事なんか聞いてきたの? あれは高価だし、滅多にお目にかかれる物でも無いのに」
 その台詞にアルティナは、微妙に引っかかりを覚えた。


「それって、そんなに高価な物なの?」
「ええ。青色の顔料の中で、ラズニースの鮮やかさは格別だもの。取り扱いも難しいし」
「へえ? 難しいって、例えばどんな風にする必要があるの?」
「原料のラズナイアは鉱物だと言ったけど、掘り出して空気に長い間触れると変質して、青が薄れてしまうの。だから顔料にできるのは、表面を削った内側だけなのよ。粉にしたら、すぐに瓶に入れて蓋をする必要があるし」
「なるほど。確かに随分、扱いが面倒そうね」
 試しに聞いてみたアルティナは、その説明を聞いただけでうんざりしたが、続くリディアの台詞を聞いて血相を変えた。


「そうなのよ。湿気に弱いから、ラズナイアの運搬時には密閉された箱の中にキャステルのおがくずを敷き詰めて、その中に入れておかないといけないし」
「キャステルのおがくずですって!?」
「アルティナ? いきなりどうしたの? 落ち着いて頂戴」
 叫びながらいきなり立ち上がったアルティナを見てリディアは驚き、慌てて彼女を宥めた。そして周囲の視線を集めてしまった事に気付いたアルティナは、即座に腰を下ろしてリディアに謝る。


「ごめんなさい。急に大声を上げて、驚かせてしまって」
「それは構わないけど、一体どうしたのよ?」
 そんなリディアの問いかけを話半分で聞き流しながら、アルティナは必死に考えを巡らせた。


(ちょっと待って。そうなるとまさか、ジャービスの密輸ルートは複数あった上、ブレダ画廊で回収して廉価版の絵にジャービスを仕込んでいたわけでは無くて、顔料に紛れ込ませてマークスが取り寄せて、そこで廉価版の絵に仕込んでいたとか?)
 その可能性に思い至ったアルティナが顔色を変え、詳細について問い質し始めた。


「リディア。もう少し、あなたの意見を聞きたいんだけど」
「何? 急に怖い顔をして」
「そのラズナイアって、国内でたくさん産出しているのかしら?」
 徐々に不穏なものを感じながらも、リディアは素直に質問に答えた。


「ううん、殆どが外国産の筈よ。だから余計に値が張って、義父も使えたのは一度きりだったし。それも自分で購入したわけじゃなくて、例の懇意にしていた画商が、『偶にはこういう物も使ってみてはどうか』と言って持って来たの。それを見た義父がもの凄く感動して、色々私に教えてくれたのよ」
「例の画商って、ブレダ画廊の主催者の弟よね。亡くなったお義父さんの絵を、洗いざらい持ち去った」
「ええ、そう……。アルティナ、ちょっと待って。まさか例の件と今の話って、何か関係があるの?」
 ここまで話を聞いて、さすがに何かを察したリディアが一層声を潜めて尋ねてきたが、アルティナは慎重に問いを重ねた。


「さっき『ラズナイアは高価』だって言ったわよね?」
「ええ」
「仮によ? 国境での検問所とかで積み荷の検査をされた時、『ラズナイアの運搬中だ』と言われて、箱を開けたらおがくずの中にそれらしい鉱物が入っていたら、検査担当の人間は、その底まで漁って確認しようとするかしら?」
 その問いでリディアは完全に事情を察し、硬い表情で首を振った。


「そんな事はしないと思うわ。全て取り出して空気に晒して、価値が落ちたと難癖を付けられたら、下っ端の係官にはたまらないもの。箱自体は小さいものだろうし、すぐに蓋を閉じるんじゃないかしら」
「分かったわ。ありがとう」
 そこでアルティナは立ち上がったが、その食器を見たリディアが、渋面になりながら引き止めた。


「アルティナ。まだ全然食べていないし、一応説明位はしてくれるわよね?」
 その要求に尤もだと思ったアルティナは、再び椅子に座って口を開いた。


「ここだけの話にして貰える?」
「勿論よ」
「とある筋から騎士団が入手した文書によると、タシュケルと言う場所、または人物から、マークス・ダリッシュに対して、頻繁にラズナイアが渡っていた事実が判明したの」
 それを聞いたリディアは、難しい顔になって確認を入れる。


「あの人は一応画家だから、顔料の原料を購入しても不自然では無いかもしれないけど……。かなり高価な物なのに、そんなに頻繁なのね?」
「ええ」
「それなら……、あの人は単に描いた絵を利用されていただけでは無く、積極的に関わっていた可能性があるの?」
「残念ながらね」
 それを聞いたリディアは、複雑な表情になって溜め息を吐いてから、何かを吹っ切るように告げた。


「分かった。誰にも口外はしないわ。だけど食事はちゃんと、全部食べてから行きなさいよ? 今日の勤務に差し支えるわ。その代わり、至急騎士団長に報告しなければいけない事ができたから通常任務に遅れると、隊長を初め周囲には言っておくから」
「了解しました、副隊長。宜しくお願いします」
 その生真面目な忠告をアルティナは苦笑いしながら素直に受け入れ、朝食を完食してから急いで騎士団長室へと向かった。



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