フライ・ア・ジャンプ~絵から始まる事件~

篠原皐月

(1)先制攻撃

 近衛騎士団から借り受けた馬車で、ペーリエ公爵邸に向かっていたグレイシアは、自分と同様にドレスに身を包んで、向かい側の座席に腰を下ろしているユーリアに向かって、気遣わしげに声をかけた。


「ユーリア、随分緊張しているみたいだけど、大丈夫?」
「私達が付いているから、心配は要らないから」
 ユーリアの隣に座っている礼服姿のクリフも、笑顔で言い聞かせてきたが、彼女は若干青い顔のまま訴えた。


「そうは言っても! 生粋の庶民に、なんて無茶ぶりですか! 恨みますよ、アルティン様!」
 何故か同乗者では無く、座席の下部に向かって彼女が叫ぶと、不自然にくぐもった声が馬車の床から伝わってくる。


「……ああ、うん。恨み言は後からゆっくり聞くから、取り敢えずちょっと落ち着こうか」
 未だにアルティンの意識がアルティナの中に存在していると信じているクリフがいる為、ユーリアがアルティンの名前を出して文句を口にすると、座席下のスペースに隠れているアルティナは困ったように応じ、グレイシアも一緒になって宥めた。


「ユーリア、気持ちは分かるけど、あまり心配しないで。ドレスも似合っているし、上級女官として勤めている間に所作とかも修正しておいたから、今のあなたを見て『無粋な平民』呼ばわりする方はいない筈だし、私がさせないわ」
「グレイシアさんにそう言っていただけるのは、とても心強いのですが……。今回のこれは、私からすれば大事なので。それに話が出てから色々バタバタしていて、実家の方にも未だに話をしていないし、本当にどうしよう……」
「まあ、なるようになるから、そう心配しないで」
 がっくり項垂れたユーリアにアルティナが再び言い聞かせたが、それは逆効果でしかなかった。


「またそんなお気楽な事を! しかも、どうしてわざわざパーティー当日にアルティン様が忍び込んで、情報収集をする必要があるんですか!?」
「何もない日に重要書類が紛失したら、真っ先に使用人が疑われるぞ。特に最近入ったのは緑騎士隊の人間ばかりだから、現時点で怪しまれるのは避けたいんだ」
 そのアルティナの弁解に、クリフが真顔で付け加える。


「まだ内偵を、続行させる予定だからね。パーティー当日は、使用人は裏で駆けずり回っているから、持ち場を離れたりしたら人目に付く。だがパーティーで出入りした、不特定多数の人間の仕業と見せかければ、内偵者に疑いが向く可能性は低くなるから」
 そこでグレイシアが、不敵な笑みを浮かべながらさり気なく会話に加わる。


「そして、私達自身の関与も疑われないように、最初から最後まで、会場中の耳目を集めていれば完璧なのでしょう?」
「はい。グレイシア様、宜しくおねがいします」
「ええ、お任せください。……あら、ちょうど到着したようね」
 そこで馬車が速度を落とし、ゆっくり曲がったのを感じたグレイシアは、実家の屋敷の門をくぐったと察した。それと同時に、クリフが座席の下に向かって声をかける。


「アルティン殿、パーティーが終わるまでには、こちらに戻って来てください」
「了解。ユーリアを宜しく」
「心得ました」
 そうこうしているうちに馬車は正面玄関の馬車寄せに静かに停車し、外からドアが開けられた。


「グレイシア様、お待ちしておりました」
 恭しく挨拶をして手を伸ばし、降りる手伝いをしてきた老齢の執事長に、グレイシアが笑顔で応じる。
「久しぶりね、ダレス。遅くなってごめんなさい。皆様はもうお揃いかしら?」
「はい、主だった方々は、既にご来場なさっておられます。それで……、そちらのお二方はどちら様でしょうか?」
 続いて馬車から降りて来たクリフとユーリアを横目で見ながら、彼が控え目に尋ねてきた為、グレイシアは笑顔で説明した。


「私の連れよ。ちょうど良いからこの機会にお兄様達に紹介しようと思って、同行して貰ったの」
「左様でございますか。それでは皆様、広間の方へどうぞ」
「それではクリフ、ユーリア、参りましょう」
「はい」
 それであっさり納得したダレスは笑顔で三人を先導し、彼女達を乗せてきた馬車は、他の使用人によって待機場に誘導されて行った。


「どうぞ、お入りください」
 三人がダレスに促されて広間に入ると、先程彼が口にした通り招待客は大方揃っていたらしく、そこは盛況だった。その中央に向かって一同は歩いて行き、人だかりのしている所でダレスが主に声をかける。
「旦那様、奥様、ユリエラ様。グレイシア様がいらっしゃいました」
 その声に反応して人々が振り返る中、中心にいた侯爵夫妻が足を踏み出しながら、グレイシアに向かって愛想を振り撒いた。


「おう、待っていたぞ、グレイシア! 遅かったではないか!」
「本当に。最近こちらに足を運んでくださらなくて、寂しく思っておりましたのよ?」
 自分を利用する魂胆が見え見えの兄夫婦を、グレイシアは冷静に眺めながら、密かに考えを巡らせる。


(白々しい……。まともに相手にするのも馬鹿らしいけど、人目があるものね。それにマークス・ダリッシュも、へばり付いているとは。この場で私に紹介しながら、なし崩しに養子縁組話を出して既成事実化させる腹積もりでしょうけど、そう事をそちらに都合良く運ばせてたまるものですか!)
 改めてそう決意した彼女はマークスを一瞬横目で見てから、兄夫婦と姪に対して負けず劣らずの笑顔で挨拶を返した。


「ご無沙汰しております、お兄様、お義姉様。それからユリエラ、お誕生日おめでとう。ささやかですがお祝いを持参したので、受け取ってくれたら嬉しいわ」
「ありがとうございます! 叔母様からの贈り物なら、どんな物でもありがたく頂きますわ!」
「それなら良かった。……ユーリア」
「はい」
 そこでグレイシアは斜め後方を振り返り、ユーリアに声をかける。それに従って彼女が進み出て、自身が両手で運んでいた箱を、恭しくユリエラに差し出した。


「ユリエラ様、お誕生日おめでとうございます。こちらをお受け取りください」
「ありがとうございます。あの……、申し訳ありませんが、あなたはどなたですか?」
 箱を受け取りながら、面識の無いユーリアに彼女が怪訝な顔で問いかけると、そこですかさずグレイシアが会話に割り込んだ。


「ユリエラ、彼女を紹介するわね? こちらはユーリア・ケライス。この度、私の養女になったから、あなたに引き合わせようと思って連れて来たの。あなたの義理の従姉妹になるわ。仲良くして頂戴ね?」
 満面の笑みで繰り出された内容を聞いて、その場に居合わせた殆どの者が驚愕の表情になった。


「え!?」
「何だと!」
「そんな馬鹿な!?」
 ペーリエ侯爵家の人間は勿論、マークスも顔を強張らせたが、グレイシアはそれに気付かないふりをして笑顔のまま話を続けた。


「二人は名前も似ているし、年も近いし、きっと気が合うと思うの。仲良くして頂戴ね?」
「ユリエラ様、宜しくお願いします」
「は、はぁ……、こちらこそ、宜しくお願いします」
 深々と頭を下げたユーリアに、ユリエラが反射的に頭を下げたところで、広間中にペーリエ侯爵ジェイドの怒声が響く。


「ふざけるな、グレイシア! これは一体、どういう事だ!」
 しかしそんな非難の声を、グレイシアは平然と受け流した。


「ふざけてなどおりません。既に養子縁組手続きは受理されて、ユーリアはれっきとした私の養女です。彼女は平民でしたが、その人格や働きぶりなどを王太子殿下と妃殿下がお認めになって後押ししてくださったので、すこぶる早く手続きが済んで感謝しております」
「王太子殿下公認だと?」
「あなた!」
 予想外の事を聞かされて、顔色を変えた侯爵夫妻に変わって、ここで一人の老婦人がグレイシア達の前に進み出た。



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