フライ・ア・ジャンプ~絵から始まる事件~
(18)アルティナの苛立ち
先行した隊員の知らせを受けて、リディア達が王宮の正門をくぐった時には、常駐の侍医が駆け寄って来てランディスを引き取って行った。そして奥の建物に向かう彼を見送る暇も無く、騎士団管理棟に呼び出されたリディアとクエルテは、蒼白な顔で団長室に足を踏み入れ、言葉少なに促すバイゼルに向かって、一通り事情を説明する。
「なるほど……、事の次第は良く分かった。それではクエルテは下がって良い。ご苦労だったな」
「……はい、失礼します」
重々しく頷いたバイゼルに指示され、クエルテは一瞬気遣わしげな視線をリディアに向けてから、一礼して去って行った。
「リディア、災難だったな」
「申し訳ありませんでした!」
自分の目の前に一人残った私服姿のリディアに、バイゼルが静かに声をかけた瞬間、彼女が勢い良く頭を下げたのを見て、彼は溜め息を吐いてから彼女を宥めた。
「謝る相手が違うし、そもそもお前は今日は非番だ。任務として護衛していたのなら厳密な処分の対象になるが、今回はそれに当てはまらない」
「確かに同行していた殿下が怪我を負った事に関して、責任の一端はあるでしょうが、囲まれた時点で下手に抵抗せず、すぐに絵を放棄して逃げた判断は適切でした」
「……っ、ですが!」
白騎士隊の責任者として、バイゼルの横に控えていたナスリーンも言葉を同じくしたが、リディアはなおも言い募ろうとした。しかしここでドアがノックされ、バイゼルが手振りでリディアを黙らせる。
「失礼します、団長」
「どうした?」
断りを入れて入室してきた彼の部下は、チラッとナスリーンとリディアに視線を向けてからバイゼルの耳元で囁き、次いで一礼して部屋から出て行った。そして室内に三人だけになってから、バイゼルが再び口を開く。
「ランディス殿下の怪我は致命傷ではなかったし、後遺症も残らんそうだ。半月は絶対安静らしいがな」
「良かったです。安心しました」
「…………」
それを聞いて、王家とは昔から家族ぐるみの付き合いがあるナスリーンが、心底安堵したように微笑んだが、リディアは硬い表情のままだった。それを認めてから、バイゼルが冷静に指示を出す。
「それではリディア、下がって良い。後日、また改めて話を聞く事があるかもしれんが」
「はい……、失礼します」
リディアが出て行くのを黙って見送ったナスリーンだったが、室内に二人きりになった途端、バイゼルに気遣わしげに尋ねた。
「団長、どうされますか?」
それに彼が、にがり切った表情で答える。
「どうもこうも……、一報を聞いて両陛下が激怒された。それにこの騒ぎで、ブレダ画廊が証拠隠滅を図る可能性が高い。あそこにジャービスが存在する可能性が限りなく高い以上、準備が整い次第、これから踏み込む」
「ですが、まだ詳しい調査が終わっておりませんが……」
躊躇いがちにそう意見したナスリーンに、バイゼルは自嘲気味の笑みを向けた。
「何も出なかったら、俺の責任問題になるだけだ」
「バイゼル殿……」
彼女が何とも言えない表情になったところで、黒騎士隊の隊員が一人、慌ただしく団長室に駆け込んで報告してくる。
「バイゼル団長! 黒騎士隊第一分隊第三小隊及び第六小隊、全員揃いました!」
「よし、目標はグレイド地区のブレダ画廊だ。直ちに向かうぞ!」
「はっ!」
そして手早くマントを身に着けたバイゼルは、ナスリーンを振り返りながら指示を出した。
「ナスリーン、両陛下から詳細を報告しろとの命令が来ている。直ちに内宮に向かってくれ」
「了解しました。私から報告しておきます。お気を付けて」
「ああ」
そして足音荒く立ち去るバイゼル達を見送ってから、ナスリーンは無言のまま、彼らとは反対方向に足を進めた。
その日の夜。勤務を終えた後にナスリーンから粗方の事情を聞かされたアルティナは、その内容に本気で驚いた。更に寮に戻ってから、さり気なく同僚達にリディアの様子を尋ねてみると、どうやら彼女がまだ夕食を食べていないらしい事が分かった為、一人分の食事をトレーに乗せて彼女の部屋の前に立った。
「リディア、ちょっと良いかしら?」
ノックの後、少し大きめの声で室内に呼びかけてみると、少ししてゆっくりとドアが開けられる。
「アルティナ……」
「勝手に悪かったけど、あなたの分の夕食を持って来たの。あまり部屋を出たくないんじゃないかと思って」
「ありがとう。でも……」
「とにかく、入らせて貰うわよ?」
精気のない顔で現れたリディアの身体を、半ば強引に押しのけるようにして、アルティナは室内に入った。しかしリディアは追い返す気力は無いらしく無言でドアを閉め、アルティナがテーブルにトレーを置くのを見てから、短く尋ねてくる。
「話を聞いたの?」
「隊長から一通り。大変だったわね」
同情しながらアルティナが声をかけると、それが引き金になったらしく、リディアの両目にたちまち涙が滲んでくる。
「っ、殿下が大怪我っ……」
「それも聞いたわ。絶対安静だけど、命に別状は無いんでしょう? 不幸中の幸いだったわね」
「でも……、一緒に居たのがアルティナだったら、きっと殿下に怪我なんかさせなかった……」
「それは分からないわよ」
そう慰めたアルティナだったが、リディアは勢い良く首を振った。
「だって、アルティナはこの前襲われたのに、ちゃんと用心して持参した短剣で、撃退したじゃない。私、その話を聞いていたのに、丸腰でのこのこ出向いてしまって……。考えが足りないと言われても、反論できないわ」
「予想外の事が、重なった上での事よ。それに待ち合わせの相手がランディス殿下だと知っていたら、真面目なリディアだったら念の為、短剣の一つも持って行く筈でしょう? だから知らせていなかった私にも、今回の責任の一端はあるわ」
それを聞いたリディアは、少し驚いたようにアルティナを凝視した。
「それじゃあ……。アルティナは、ラスマードさんがランディス殿下だって知ってたの?」
「ええ、ごめんなさい。ご本人と王妃様から口止めされていたから、今まで言っていなかったの」
「……そう。でもアルティナは悪くないから、謝らないで」
神妙に頭を下げたアルティナだったが、リディアは彼女をなじる事はせず、力無く頷いた。そんな彼女を見て、アルティナが元気付けるように声をかけて促す。
「リディア、まず食べましょうか。明日は通常勤務だし、しっかり食べてしっかり寝ないと、身体が持たないわよ? それにいつ呼び出しがかかるか分からないから、そんな場所で醜態は見せられないわよね?」
「……分かってるわ」
控え目に叱咤しつつ食べる様に勧めると、リディアは食欲が湧かない表情ながら、椅子に座って何とか食べ始めた。それを見て一応胸を撫で下ろしたアルティナだったが、密かに考えを巡らせる。
(とんでもない事になったわ。まさかリディアに襲撃話をした事が、こんな事に繋がるなんて。それに団長達がブレダ画廊に踏み込んだとも聞いたけど、まだ内偵が終わっていないのに大丈夫だったのかしら?)
しかしノックの音に続いて声がかけられた事で、アルティナの考えは中断を余儀なくされた。
「リディア、アルティナはここにいるかしら?」
「あ、はい! いるけど、どうかしたの?」
リディアにはそのまま食べて貰う事にして、アルティナが慌ててドアに駆け寄り、内鍵を外してドアを開けると、彼女を見た相手がほっとした表情になって伝言を伝えてくる。
「良かった、ここにいたのね。ナスリーン隊長があなたを呼んでいるの。すぐに隊長室に行ってくれる?」
「分かったわ。じゃあリディア、今日は早く休んでね」
「……ええ」
リディアを振り返って声をかけたアルティナは、そこで目の前の同僚に一つ頼み事をした。
「テレサ、リディアがちょっと体調が優れないみたいだから、食べ終わったら食器を食堂まで戻しておいてくれるかしら?」
「構わないわよ? じゃあドアの外に置いておいてくれる? もう少ししたら取りに来るから」
「ごめんなさい、ありがとう」
「ううん、お大事にね」
事情を知らないテレサは笑顔で頷き、アルティナと共に部屋から出た。そして騎士団の管理棟に一人で出向きながら、アルティナが小さく舌打ちする。
「ここで私が呼ばれるって事は……、踏み込んでも芳しい成果が出なかったか、面倒な事態になっているって事よね」
そんな推測を口にした彼女は、不機嫌な表情のままナスリーンが待つ隊長室へと急いだ。
「なるほど……、事の次第は良く分かった。それではクエルテは下がって良い。ご苦労だったな」
「……はい、失礼します」
重々しく頷いたバイゼルに指示され、クエルテは一瞬気遣わしげな視線をリディアに向けてから、一礼して去って行った。
「リディア、災難だったな」
「申し訳ありませんでした!」
自分の目の前に一人残った私服姿のリディアに、バイゼルが静かに声をかけた瞬間、彼女が勢い良く頭を下げたのを見て、彼は溜め息を吐いてから彼女を宥めた。
「謝る相手が違うし、そもそもお前は今日は非番だ。任務として護衛していたのなら厳密な処分の対象になるが、今回はそれに当てはまらない」
「確かに同行していた殿下が怪我を負った事に関して、責任の一端はあるでしょうが、囲まれた時点で下手に抵抗せず、すぐに絵を放棄して逃げた判断は適切でした」
「……っ、ですが!」
白騎士隊の責任者として、バイゼルの横に控えていたナスリーンも言葉を同じくしたが、リディアはなおも言い募ろうとした。しかしここでドアがノックされ、バイゼルが手振りでリディアを黙らせる。
「失礼します、団長」
「どうした?」
断りを入れて入室してきた彼の部下は、チラッとナスリーンとリディアに視線を向けてからバイゼルの耳元で囁き、次いで一礼して部屋から出て行った。そして室内に三人だけになってから、バイゼルが再び口を開く。
「ランディス殿下の怪我は致命傷ではなかったし、後遺症も残らんそうだ。半月は絶対安静らしいがな」
「良かったです。安心しました」
「…………」
それを聞いて、王家とは昔から家族ぐるみの付き合いがあるナスリーンが、心底安堵したように微笑んだが、リディアは硬い表情のままだった。それを認めてから、バイゼルが冷静に指示を出す。
「それではリディア、下がって良い。後日、また改めて話を聞く事があるかもしれんが」
「はい……、失礼します」
リディアが出て行くのを黙って見送ったナスリーンだったが、室内に二人きりになった途端、バイゼルに気遣わしげに尋ねた。
「団長、どうされますか?」
それに彼が、にがり切った表情で答える。
「どうもこうも……、一報を聞いて両陛下が激怒された。それにこの騒ぎで、ブレダ画廊が証拠隠滅を図る可能性が高い。あそこにジャービスが存在する可能性が限りなく高い以上、準備が整い次第、これから踏み込む」
「ですが、まだ詳しい調査が終わっておりませんが……」
躊躇いがちにそう意見したナスリーンに、バイゼルは自嘲気味の笑みを向けた。
「何も出なかったら、俺の責任問題になるだけだ」
「バイゼル殿……」
彼女が何とも言えない表情になったところで、黒騎士隊の隊員が一人、慌ただしく団長室に駆け込んで報告してくる。
「バイゼル団長! 黒騎士隊第一分隊第三小隊及び第六小隊、全員揃いました!」
「よし、目標はグレイド地区のブレダ画廊だ。直ちに向かうぞ!」
「はっ!」
そして手早くマントを身に着けたバイゼルは、ナスリーンを振り返りながら指示を出した。
「ナスリーン、両陛下から詳細を報告しろとの命令が来ている。直ちに内宮に向かってくれ」
「了解しました。私から報告しておきます。お気を付けて」
「ああ」
そして足音荒く立ち去るバイゼル達を見送ってから、ナスリーンは無言のまま、彼らとは反対方向に足を進めた。
その日の夜。勤務を終えた後にナスリーンから粗方の事情を聞かされたアルティナは、その内容に本気で驚いた。更に寮に戻ってから、さり気なく同僚達にリディアの様子を尋ねてみると、どうやら彼女がまだ夕食を食べていないらしい事が分かった為、一人分の食事をトレーに乗せて彼女の部屋の前に立った。
「リディア、ちょっと良いかしら?」
ノックの後、少し大きめの声で室内に呼びかけてみると、少ししてゆっくりとドアが開けられる。
「アルティナ……」
「勝手に悪かったけど、あなたの分の夕食を持って来たの。あまり部屋を出たくないんじゃないかと思って」
「ありがとう。でも……」
「とにかく、入らせて貰うわよ?」
精気のない顔で現れたリディアの身体を、半ば強引に押しのけるようにして、アルティナは室内に入った。しかしリディアは追い返す気力は無いらしく無言でドアを閉め、アルティナがテーブルにトレーを置くのを見てから、短く尋ねてくる。
「話を聞いたの?」
「隊長から一通り。大変だったわね」
同情しながらアルティナが声をかけると、それが引き金になったらしく、リディアの両目にたちまち涙が滲んでくる。
「っ、殿下が大怪我っ……」
「それも聞いたわ。絶対安静だけど、命に別状は無いんでしょう? 不幸中の幸いだったわね」
「でも……、一緒に居たのがアルティナだったら、きっと殿下に怪我なんかさせなかった……」
「それは分からないわよ」
そう慰めたアルティナだったが、リディアは勢い良く首を振った。
「だって、アルティナはこの前襲われたのに、ちゃんと用心して持参した短剣で、撃退したじゃない。私、その話を聞いていたのに、丸腰でのこのこ出向いてしまって……。考えが足りないと言われても、反論できないわ」
「予想外の事が、重なった上での事よ。それに待ち合わせの相手がランディス殿下だと知っていたら、真面目なリディアだったら念の為、短剣の一つも持って行く筈でしょう? だから知らせていなかった私にも、今回の責任の一端はあるわ」
それを聞いたリディアは、少し驚いたようにアルティナを凝視した。
「それじゃあ……。アルティナは、ラスマードさんがランディス殿下だって知ってたの?」
「ええ、ごめんなさい。ご本人と王妃様から口止めされていたから、今まで言っていなかったの」
「……そう。でもアルティナは悪くないから、謝らないで」
神妙に頭を下げたアルティナだったが、リディアは彼女をなじる事はせず、力無く頷いた。そんな彼女を見て、アルティナが元気付けるように声をかけて促す。
「リディア、まず食べましょうか。明日は通常勤務だし、しっかり食べてしっかり寝ないと、身体が持たないわよ? それにいつ呼び出しがかかるか分からないから、そんな場所で醜態は見せられないわよね?」
「……分かってるわ」
控え目に叱咤しつつ食べる様に勧めると、リディアは食欲が湧かない表情ながら、椅子に座って何とか食べ始めた。それを見て一応胸を撫で下ろしたアルティナだったが、密かに考えを巡らせる。
(とんでもない事になったわ。まさかリディアに襲撃話をした事が、こんな事に繋がるなんて。それに団長達がブレダ画廊に踏み込んだとも聞いたけど、まだ内偵が終わっていないのに大丈夫だったのかしら?)
しかしノックの音に続いて声がかけられた事で、アルティナの考えは中断を余儀なくされた。
「リディア、アルティナはここにいるかしら?」
「あ、はい! いるけど、どうかしたの?」
リディアにはそのまま食べて貰う事にして、アルティナが慌ててドアに駆け寄り、内鍵を外してドアを開けると、彼女を見た相手がほっとした表情になって伝言を伝えてくる。
「良かった、ここにいたのね。ナスリーン隊長があなたを呼んでいるの。すぐに隊長室に行ってくれる?」
「分かったわ。じゃあリディア、今日は早く休んでね」
「……ええ」
リディアを振り返って声をかけたアルティナは、そこで目の前の同僚に一つ頼み事をした。
「テレサ、リディアがちょっと体調が優れないみたいだから、食べ終わったら食器を食堂まで戻しておいてくれるかしら?」
「構わないわよ? じゃあドアの外に置いておいてくれる? もう少ししたら取りに来るから」
「ごめんなさい、ありがとう」
「ううん、お大事にね」
事情を知らないテレサは笑顔で頷き、アルティナと共に部屋から出た。そして騎士団の管理棟に一人で出向きながら、アルティナが小さく舌打ちする。
「ここで私が呼ばれるって事は……、踏み込んでも芳しい成果が出なかったか、面倒な事態になっているって事よね」
そんな推測を口にした彼女は、不機嫌な表情のままナスリーンが待つ隊長室へと急いだ。
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