フライ・ア・ジャンプ~絵から始まる事件~

篠原皐月

(16)取り違え

「いらっしゃいませ。何かお探しの物がございますか?」
 店内に足を踏み入れてすぐに、愛想のよい年配の店員が歩み寄り、お伺いを立てて来た。慣れないリディアは無意識に身構えたが、ランディスは流石に余裕の笑みで彼に問い返す。


「ここにはマークス・ダリッシュの絵があると、知人から聞いたのだが」
「そうでございますか。因みに……、一点物では無く、廉価版の方でしょうか?」
 無遠慮に二人の姿を上から下まで眺めてから、再度尋ねてきた店員に、気を悪くした風情を見せずにランディスが頷く。


「ああ、知人が『気軽に本物が楽しめるから』と言って勧めてきてね。彼から値段を聞いたら、自分でも十分買える金額だったから、気に入ったら購入してみようかと思ったんだ」
「左様でございますか。それではこちらにどうぞ」
(何なの、さっきの態度。人の事をじろじろ見て。絶対一点物なんか買えないだろうと、侮ってるわね?)
 男二人は何事も無かった様に世間話などをしながら店内を進んだが、リディアはその後を歩きながら、微妙に見下した態度の店員に、内心で密かに腹を立てた。


「こちらの絵画が、先程お伺いしたマークス・ダリッシュ画伯の廉価版になります」
 店員がそう説明して示した壁の一面に、何種類ものサイズが異なる絵が飾ってあるのを見て、ランディスは感心したように呟いた。


「なるほど……、普通の絵と比べると、小さいサイズの物が揃っているな」
「本当ね」
「それではご自由にご覧下さい」
「ありがとう」
 そして店員がその場を離れてから、ランディス達は囁き合った。


「さて、どうするか……。一応、一枚位買ってみるかな」
「正直に言わせて頂ければ、荒さしか見えませんし、お金を払って購入する価値を見出せないのですが……。こんな物を小さい頃から見続けさせられたら、却って感性が鈍りそうです」
 そんな辛辣な台詞を耳にして、ランディスが思わず笑いを零す。


「本当に正直だね」
「い、いえっ、これはですね!」
「その意見には、私も同感だ。だが一応資料として、買っていこう」
「分かりました」
 苦笑いしながらのその意見にリディアが反論せずに頷いた所で、いきなり彼女達の近くに壮年の男が一人やって来て、壁の一角を指さしながら、少し離れた場所にいた店員に向かって怒鳴った。


「おい! この二番の絵をくれ!」
「はい、少々お待ち下さい」
「……ほう? 本当にそれなりに売れているらしいな」
 慌てて若手の店員が奥に走り、妙に画廊には似つかわしくない労働者風の身なりの男が、引き渡しをするカウンターに無言で歩いて行く。その粗暴さにランディスは一瞬呆気に取られたが、すぐにリディアに向き直って問いを発した。


「それじゃあリディア、この絵の中で一枚を選ぶとしたら、どうする?」
「そうですね……。どれでも大差はないですが、さっきあの人が買った跳ね橋の絵が、比較的見られるでしょうか?」
「分かった。それなら私達も、これを買って帰ろう」
 そう話が纏まり、彼は近くにいた店員に、絵の一つを指さしながら申し出た。


「すまないが、あの跳ね橋の絵を一枚買いたいのだが」
「畏まりました。少々お待ち下さい」
 そして彼が奥に引っ込み、少しして先程男から注文を受けて品物を取りに行っていたらしい別な店員と一緒に、店内に戻って来た。


「お待たせいたしました。こちらでよろしいですね?」
「……ああ」
「お客様、こちらで間違いございませんか?」
「これですね。それでは代金はこちらに」
「ありがとうございます」
 そしてカウンターに男とランディスが二人並び、それぞれの店員が箱の蓋を開けて中の絵を確認してから、蓋を閉めて紐で梱包した。それを代金と引き換えに二人に手渡した為、それぞれ店員に見送られて店を出る。そして男とは左右に分かれて歩き出してから、リディアが腹立たし気にランディスに囁いた。


「こんな絵に、三千リランも払う事になるなんて。腹立たしいです」
 それを聞いた彼が、苦笑しながら宥める。
「まあ、そう怒らないで。しかし普通の絵が売れないからと言って、粗悪な絵でこんな小遣い稼ぎの様な事をしているとは……。奴には真っ当な、画家としての誇りが無いとみえる」
「ランディス様、真っ当な誇りがあるなら、そもそも麻薬絡みの話に乗ったりしないと思います」
「それもそうか」
 そして「これから他の画廊も覗いていこうか」などと話しながらのんびり歩いていると、後ろから悲鳴じみた声が聞こえてきた。


「お客様! お待ち下さい!!」
「え? 何?」
「私達の事か?」
 何となく聞き覚えがある気がして二人が振り返ると、思った通り先程ブレダ画廊で応対していた店員が、汗だくになって追い縋って来ていた。その彼は足を止めた二人に追いつくと、息を乱しながらも安堵の表情になって、勢い良く手にしている木箱を差し出した。


「よ、よかったっ! 追いついたっ……。あのっ、お客様! 先程お渡ししたそちらの絵ですが、こちらの不手際で違う物をお渡ししてしまいまして。こちらと交換して頂けないでしょうか?」
(は? どういう事?)
 いきなりそんな事を言われてリディアは面食らったが、ランディスは一瞬眼を剣呑に光らせてから、何食わぬ顔で反論した。


「これはまた、随分変な事を言うな? 先程画廊での支払いの時に、ちゃんと箱を開けて中を確認させて貰ったぞ? 確かに私が指定した跳ね橋の絵で、書き損じもなかったが。別に交換して貰う必要は無い」
「あっ、あのっ!! ですが、こちらの方が良いかと思いまして!」
「益々おかしな事を言っているようだが? 見本の絵と遜色違わない絵を用意しているから、廉価版として売り出しているのだろう? 一枚ごとに完成度が違うなら、その前提が崩れてしまう。違うか?」
「それは……、確かに、その通りではございますが!」
 落ち着き払った彼と、支離滅裂な主張を繰り返す店員のやり取りを聞いて、リディアは首を傾げて考え込んだ。


(そう言えば、さっき殆ど同時に同じ絵を買っていった人がいたけど……。まさか店側が、その人の絵と取り違えた? そしてここまで必死になって回収したがっているという事は、まさかこの中にジャービスが仕込まれているとか!?)
 その考えに思い至った彼女は慌ててランディスに目を向けると、その視線を感じたらしい彼は無言で小さく頷き、店員との話をあっさり切り上げた。


「とにかく、正規の料金は支払ったし、これが欲しい絵である事も確認している。交換する必要は無い。彼女との予定があるから、失礼する」
「あ、あのっ! お客様!!」
 問答無用という気配を醸し出したランディスは、リディアの手を引いてさっさと歩き出したが、狼狽しながらも店員は追って来る気配を見せなかった。その事に取り敢えず安心した彼女は、硬い表情でランディスに囁く。


「ランディス様」
「ああ、分かっている。恐らくこの中に、ジャービスが入っているな。人目が無い所で確認……。いや、大事な証拠だから一刻も早く王宮に戻って、近衛騎士団に届けないと」
「ですが、一体どうしてこんな事に。こちらとしては幸運でしたが」
 納得のいかない口調で呟くと、それに彼が慎重に答える。


「これは推測だが……、この絵を購入する時に、私は『跳ね橋の絵』と指定し、もう一人の客は『二番の絵』と名前の横に記載してある番号で指定した。それが符号だったのではないかな?」
 そう解説されて、リディアは納得した。


「なるほど。それでジャービスを買いに来た客と、一般の絵を買う客と区別していたわけですね? それで偶々二つを取り違えて渡してしまい、直後に気付いて回収しようとしたと」
「そう考えると辻褄が合うな。取り合えず辻馬車を拾って、王宮に」
「ちょっと待てや、そこの優男」
「何? こいつら……」
「ちっ、あの店員は単なる足止めでしたか……」
 慌ただしく会話しながら道を歩いていた二人だったが、ふいに行く手を塞がれたと思った次の瞬間、ぐるりと包囲された事に気が付き、揃って険しい表情になった。





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