フライ・ア・ジャンプ~絵から始まる事件~

篠原皐月

(6)看破

 長年の侍女としての生活でユーリアの朝は早く、その日も明るくなって早々に着替えを済ませ、前庭に降り立った。


「よーしよし、クリュージャ。相変わらず良い子よね。朝からご苦労様」
 彼女の姿を認めて、近くの木の枝から素早く飛来した一羽の鳥を、分厚い保護布を巻いた左腕に停まらせ、餌をあげてから片足に括り付けられている通信筒を探った。


「あら? 今日はいつもより、随分長いみたいね」
 取り出すまではおとなしくしていたその鳥は、用が済んだのが分かると素早く飛び立ち、ユーリアも笑顔で見送ったが、いつもより分厚く丸まっている細長い用紙を不思議そうに見下ろした。


「これって……」
 自室に戻る途中で、何気なくそれを広げて目を通し始めたユーリアだったが、大まかな内容を確認した途端、僅かに顔をしかめた。


「すみません、アルティナ様。お仕事中に」
 少し悩んだものの、ユーリアはその日朝一番で調整し、勤務時間中にアルティナとの面会を取り付けた。そして後宮内の個室で顔を合わせるなり頭を下げた彼女に、アルティナが笑いながら応じる。


「良いのよ。今日はちょうどこちらの警備担当だったし、王太子妃様の許可も頂いたし。だけどこの前はグレイシアさんに呼ばれた思ったら、今度はユーリアに呼ばれるなんて。今度はマリエルに呼ばれるかしら?」
「マリエルさんからのお誘いなら、楽しい事に違いありませんが。グレイシアさんは、面倒事に巻き込まれかけているみたいです」
「どういう事?」
 途端に真顔になったアルティナに、ユーリアが真剣な面持ちで二枚の細長い紙を差し出す。


「今朝、兄さんから届いた通信文です。おそらくこちらは定期連絡用、こちらの半分はアルティナ様への私信だと思われます」
「半分って……、どういう意味? とにかく見せて貰うけど」
「どうぞ」
 そこで早速アルティナが内容を確認し始めると、ユーリアが言った通り片方は定期連絡で、もう片方には屋敷内で聞き込んだ情報が、端的に暗号で書き込まれていた。


「なるほど……。ペーリエ侯爵夫妻は、グレイシアさんを娘の誕生日パーティーに呼びつけて、その場で本人の了解を取らないまま、彼女と娘の養子縁組みと、娘と似非画家との婚約を発表してしまう腹積もりなのね」
 心底呆れた口調でアルティナが呟くと、ユーリアが怪訝な表情で問いかけた。


「幾ら何でも、本人達の了承を得ないで一方的にそんな事を発表するなんて、乱暴過ぎませんか?」
「周りにさっさと認識させておけば、後からどうにでもなると考えているのじゃない? あのグレイシアさんの身内だけど、その阿呆っぽさはうちの両親に通じる所があるわね」
 アルティナがそう切り捨てると、ユーリアは盛大な溜め息を吐いた。


「……反論もフォローもできませんね。ところで、どうされるんですか? この中に特に書かれてはいませんが、兄さんから『何とかして下さい』とかの、脅迫する思念が籠もっているようで……」
「そうね……」
 それを受けてアルティナは考え込んだが、決断するのは早かった。


「取り敢えず今日の騎士団への報告は、私がするわ。それから今からグレイシアさんに、こちらに来て貰えるかしら?」
「グレイシアさんに?」
「この際、ちょっと手伝って貰おうと思うの」
「はぁ……、分かりました。このまま少し、待っていて下さい」
 若干の不安を感じながらもユーリアは素直に部屋を出て行き、一人取り残された室内で、アルティナはこれからの話の流れを真剣に考えた。そして方針が纏まった所で、控え目なノックの音が聞こえる。


「失礼します。アルティナ様、お呼びと伺いましたが?」
 予想に違わず、姿を現したグレイシアを見て、アルティナは真顔で彼女を招き入れた。


「ご足労おかけして、申し訳ありません。ところで廊下に人影は?」
「大丈夫だと思いますが……。それほど内密なお話ですか?」
「はい。お久しぶりです、グレイシア殿」
 慎重に扉を閉めて室内を進み、椅子に座ろうとしたところで言われた台詞に、彼女は怪訝な顔になった。


「あの……、アルティナ様とは、つい先週も姪の事で、お会いした筈ですが?」
「アルティナとしてはそうですね。ですが今の私は、アルティンですから」
「…………」
 その途端グレイシアは口を閉ざし、如何にも胡散臭いものを見る目でアルティナを凝視した。


「あの……、グレイシア殿? 怒声を浴びせたりしないのはありがたいのですがて、あからさまに詐欺師を見るような目で睨むのは、できれば止めて頂きたいのですが……」
「あら、失礼しました。私って意外に正直でしたのね」
(うん、こういう方だとは分かっていたけど……)
 どこからどう見ても皮肉で返されて、アルティナはがっくりと肩を落とした。しかし何とか気合いを入れて話を進める。


「その……、驚かれたり不審に思われるのは尤もなのですが、これにはれっきとした事情がありまして……」
「それでは、そちらの言い分をお伺いしましょうか。さぞかし面白いお話を聞かせて頂けるのでしょうね?」
「勿論、一通りお話ししますが……、それほど面白いかどうかは、保証の限りではありませんよ?」
 そう前置きしてから、アルティナはこれまでシャトナー家や騎士団内で繰り返してきた、《昇天し損ねたアルティンの共存話》をグレイシアに語って聞かせた。


「……と言うわけで、今現在アルティナの身体の中には、私とアルティナの両方の意識が存在しているわけです。ですが今後、グレイシア殿と仔細について話し合う事が数多く出そうなので、以前のようにアルティンとして忌憚の無いやり取りをしたいと思いまして」
 話の間一言も余計な口を挟まず、無表情を貫いていたグレイシアは、ここで漸く口を開いた。


「それでこの際、打ち明ける事にしたと?」
「はい。ご理解頂けましたか?」
「立って頂けますか?」
「はい? それは構いませんが……」
 質問に質問で返されて戸惑ったものの、アルティナは素直に椅子から立ち上がった。するとグレイシアも立ち上がり、無言のまま小さなテーブルを回り込んで、彼女の前に立つ。と思ったら、いきなり両腕を回して、力一杯抱き付いてきた。


「グレイシア殿!?」
 いきなりの行為にさすがに動揺したアルティナだったが、グレイシアは無言のまま彼女の背中や腕の感触を確かめ、肩を掴みながらゆっくりと身体を離して断言した。


「アルティン様……、いいえ、アルティナ様。よくも今まで、私を欺いて下さいましたわね?」
「え? な、何が、でしょう?」
 鋭く睨み付けられたアルティナは動揺しながらもとぼけようとしたが、グレイシアは容赦が無かった。


「最初から、アルティン様とアルティナ様は同一人物です。最初からアルティナ様が仕官していらっしゃいましたね?」
「何を根拠に……」
「私、以前にアルティン様に抱き付いた事がありますのよ? もはや覚えてはいらっしゃいませんか?」
「ええ……、あれは不可抗力でしたが……」
「腕や背中の骨格や筋肉の付き方が、同じにしか思えません。当時は男の方でも華奢な方もいるしと納得していましたが、例え双子で顔が似ていても、男女で骨格や筋肉まで全く同じなどありえません。騎士団の皆様は、明らかに女性のアルティナ様に抱き付くような真似ができなくて、比較できずに気がつかなかったと思われますが」
「…………」
「一瞬、アルティン殿が亡くなったアルティナ様のふりをしているのかとも思いましたが、明らかに胸はありますし。アルティン殿の姿をしている時は、厚い下着か何かを身に付けて、誤魔化していらっしゃいましたね?」
「……お察しの通りです」
 正にぐうの音も出ない正論に、アルティナは完全に抵抗を諦めた。するとグレイシアが険しい顔付きから一転して、笑顔で告げる。


「良かったですわね。それでごまかせる程度の胸でいらして」
「そうですね……」
(うん。悪気は無い。毒はあるけど、全く悪気は無いんだから……)
 溜め息を吐きたいのを堪えながら、アルティナが自分自身に言い聞かせていると、グレイシアが急に恨みがましい口調で言い出した。


「……酷いですわ」
「え? な、何がでしょう?」
 慌ててグレイシアに視線を向けると、彼女がうっすらと両眼に涙を浮かべているのに気がつく。


「あなたが急死されたと聞いて、私が涙の一つも流さない、薄情な女だと思っていらっしゃいましたの?」
「申し訳ありませんでした」
 自分の訃報で、彼女が本当に悲しんでくれたのが正確に理解できたアルティナは、本心から謝罪して頭を下げた。するとすかさず、その場の気まずい空気を払拭するように、グレイシアがおかしそうに言い出す。


「事情は今伺って、納得いたしました。つまり私は、アルティナ様の弱みを握ってしまった事になりますのよね?」
「そうなりますね」(全く、本当にこの女性ひとには敵わないわね)
 機転も度胸も自分と同等のこの女性には、アルティナは以前から一目置いており、もう苦笑するしかできなかった。





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