フライ・ア・ジャンプ~絵から始まる事件~

篠原皐月

(15)思惑が交差する裏側

「やあ、皆で楽しんでいるかな?」
 頃合いを見て近付き、声をかけたジェラルドを見て、マークスを囲んで楽しげに語り合っていた者達は、揃って笑顔で振り返った。


「王太子殿下、ランディス殿下。勿論ですとも」
「十分、堪能させて頂いておりますわ」
「しかしこれだけの絵画が一度に出揃うとは、さすがランディス殿下人脈とご尽力の賜物ですな」
「誠に。普通なら熱心な収集家程、貴重な絵を外部に出すのを躊躇いますから」
 するとその中の一人が、興味津々の様子でジェラルドに問いかける。


「王太子殿下。先程ナーベル伯爵にお聞きしましたが、絵の警護の為に黒騎士隊を動員されたと言うのは本当ですか?」
「ああ、本当だ。前例の無い事だが、万が一、王宮への行き帰りで賊の襲撃を受けて、絵が奪われる事態になったら、協力してくれた皆に申し訳ないからな。騎士団長に特例として認めて貰った」
「殿下! それほどまでに私の絵を評価して頂いて、光栄でございます!」
 顔を紅潮させて礼を述べたマークスに、ランディスが笑顔で言葉を返した。


「何と言ってもマークス殿の傑作を守る為です。今回の個展は、貴公を励ます意味で開催したのですなら、それで問題が発生したら、元も子もありませんし」
「は? 『励ます』と仰いますのは?」
 途端に怪訝な顔になったマークスに、ジェラルドが真剣な面持ちで話し出した。


「いや、正直私は絵にそれほど造詣が深いわけでは無いのだが、最近の貴公の作品を観て色々思うところがあってな。例えば、今年の篤志芸術展に出品した『黎明』だったか……」
「ご覧下さったのですね? どうでしたでしょうか?」
 考え込む素振りを見せたジェラルドに、マークスが嬉々として尋ねる。しかしジェラルドは僅かに首を傾げながら、否定的な言葉を返した。


「些か、筆に勢いが無いと言うか、色使いに生彩を欠いているのではないかな?」
「……え?」
 自分をこれだけ買ってくれている王太子の事、また盛大に誉めてくれるだろうと思いこんでいたマークスは、予想外の台詞に当惑して固まった。しかしジェラルドはそんな彼には構わず、すぐ側にいた人物に意見を求める。


「とは言っても、門外漢の私の意見では、まともな評価は下せないか。ニルグァ、どうかな?」
 すると財務大臣として長年現王を支え、社交界はもとより美術愛好家達の間でも一目置かれている彼が、重々しく頷く。


「誠に、王太子殿下の仰る通りでございます。以前発表された『夜明け』と構図もテーマも似ておりますが、全く似て非なるもの。『夜明け』の様な大いなる転換を予感させる様な大胆な色使いも、それでいて抑える所は抑える緩急付けた筆のタッチも、『黎明』には見受けられませんので」
「……っ!」
 周囲の者達も無言で頷いてその意見に同意を示す中、マークスの顔色が徐々に悪くなる。更にここで、ランディスが会話に加わってきた。


「篤志芸術展の出品作品と言えば、昨年の『繁栄』も愛好家の間では話題に上りましたね」
 そう言われたマークスは一転して表情を明るくし、勢い込んでランディスに訴えようとした。
「そうでしょう! あれは私の目から見ても、近年稀に見る力」
「あまりの乱雑さと構図の無秩序さに、マークス殿はスランプに陥っておられるのではと、あれをご覧になった皆様が、心配しておられましたから」
「は?」
 何を言われたか分からないと言った風情で固まったマークスに、ランディスが穏やかな笑顔で語りかける。


「マークス殿はこの何年かの間、己の才能の枠を広げるべく、切磋琢磨しておられるのは私達にも良く分かっています。毎年統一されない画風や技術で様々な絵を描いて、試行錯誤していらっしゃいますから。残念ながらそれらの努力は、未だ実を結んではいませんが」
「…………」
 僅かに口元を引き攣らせたマークスだったが、相手が王子である為に罵倒する事もできず、無言で握った拳を震わせた。しかしランディスが容赦なく、笑顔のまま話を続ける。


「それで私は考えたのです。マークス殿は初期に発表された頃の、何物にも捕らわれない雄大で斬新な画風を忘れておられると。確かに様々な技量の習得に血道を上げるのも結構ですが、いつまでも目の前の些細な事に惑わされずに、初心に返るべきでは無いかと。それを当時の絵を所有されている方に説いて協力を仰いだところ、皆様に快くご賛同頂いて、今回の個展の開催が可能になったのですから」
「…………」
 そうランディスが告げると、周囲からは感嘆の声が沸き起こった。


「ランディス殿下の仰る通り! まだ貴殿は若い。今はろくな絵が描けなくとも、これだけの絵が描けたのだから、焦る必要は無いだろう」
「迷うのは若者の特権ですわよ? 大いに迷走するべきですわ。近い将来、これ以上の傑作を生み出して下さるのを、私は信じておりますもの」
「まさしくその通り。今の停滞期は、より大きく才能を飛躍する為の、必要な時期なのだろう。例え他人に駄作と言われようと、自分の信じるものを書き続ければ良い。きっとそこから道は拓けるからかな」
「さすがはランディス殿下。マークス殿の才能を信じていらっしゃるのですね?」
「はい。これだけの絵を描かれた方が、このまま埋もれる筈はありますまい」
 そうランディスが駄目押しすると、周囲は益々沸き立った。


「いやいや、誠にその通り!」
「本当にこれらは傑作ですからな!」
「マークス様、本当に下手に焦る事は無いのですよ? あなたにはこの様に、素晴らしい絵を描く才能がおありなのですから」
「……ありがとうございます」
 周囲は全く悪気は無く、本心から激励しているのだが、悉く過去と現在の作品を比較したり、対比した上での発言の為、マークスには皮肉意外の何物でも無かった。しかしそれを拒否する事もできずに、盛大に引き攣った笑みで礼を述べている彼を、少し離れた所から黙って観察していたリディアは、隣に立つアルティナに囁いた。


「アルティナ……」
「何?」
「あの人……、この先ずっと、言われ続けるのね。『以前は、あれだけの絵が描けたのだから』って」
「ええ。『才能があるんだから、あれ以上の絵を描ける筈だ』とね」
 それを聞いたリディアは、一瞬だけマークスを見ながら、憐憫の表情を浮かべた。


「……相応しい罰を受けたのね」
「ええ。だって本当に、素敵な絵ばかりだもの」
「ありがとう、アルティナ」
 そして顔を見合わせてどちらからともなく微笑み合っていると、あちこちで散々話題を誘導していたジェラルド達が、二人の所にやって来た。


「王太子殿下。この度はありがとうございました。良く分かりました」
「何が分かったのかな?」
 声をかける前に、いきなりリディアに頭を下げられたジェラルドは、不思議そうに尋ね返すと、彼女はすっきりとした顔で話を続けた。




「あの絵が義父の作品であると、公にならなくとも構いません。れっきとした貴族のあの方の名前で発表した事で、きちんと皆様のお目に留まったのではないかと思いますから」
「そんな事は!」
「ランディス、彼女の話の途中だ」
「…………」
 リディアの話を聞いて、ランディスが思わず納得しかねる顔付きで声を荒げたが、そんな弟をジェラルドが手振りで制した。それを受けてランディスが口を閉ざしてから、リディアが話を続ける。


「今回これらの絵を見て、そして現在所有されている方々とお会いして直にお話をさせて頂いて、義父の絵が本当に皆様に愛されて大切にされているのが分かりました。ですから、もうこれで十分です。実家の母と弟にも、良い報告ができます。本当にありがとうございました」
 彼女が心からの礼を述べて、ジェラルドに深々と頭を下げると、彼は苦笑いして隣の弟を指し示した。


「リディア、礼なら私より弟に。箔を付ける為に名目上の主催者は私だが、所有者達と交渉し、あらゆる段取りをつけたのはランディスなのだから」
「そうでしたか」
 そう頷いたリディアは、改めてランディスに向き直り、再度頭を下げた。


「ランディス殿下。今回の身に余るご厚情、本当にありがとうございました。今日の事は、一生忘れません」
 そして頭を上げたリディアが、晴れやかな笑顔を向けると、ランディスはやや顔を紅潮させながら、言葉を返した。


「そうですか……。喜んで貰えて、私も嬉しいです」
「それに殿下は、随分美術愛好家の方々との交流がおありなんですね」
「はい、それは……、色々な個展やサロンに招かれる事も多いので……」
「凄いですね。羨ましいです」
 そして傍目には和やかに会話し始めた二人を見て、ジェラルドは僅かに眉根を寄せてからアルティナに囁いた。


「ええと……、アルティナ殿?」
「はい、王太子殿下。どうかされましたか?」
「その……、ランディスは、まさか……」
 チラッと二人に視線を向けながら尋ねられた内容は分かったが、アルティナは敢えて口には出さなかった。


「ここではちょっと……。後で王妃陛下に、詳細をお尋ね下さい」
「……そうか。母上はご存じか」
 頭痛を堪える様な表情で溜め息を吐いたジェラルドだったが、同じ心境のアルティナは、下手な事は言わずに無言を貫いていた。





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