フライ・ア・ジャンプ~絵から始まる事件~

篠原皐月

密かな出会い

 今回で十回目を数える、王家主催の篤志芸術展は例年通り盛況を極め、会場となっている王都のほぼ中央に位置する大聖堂では、貴族のみならず様々な階層や職業と分かる者達が行き交いながら、和やかに出展作品を鑑賞していた。
 そんな中、警備の為に王宮から派遣されている近衛騎士団の何人かが、ある若い女性の様子を見て、囁き合いながら首を傾げていた。


「なぁ、あれって、確か白騎士隊のリディア副隊長じゃなかったか?」
「そういえば、そうかも……。今日は非番なのかな?」
「それはともかく、さっきから同じ所を行ったり来たりして、何をやってるんだ?」
「さぁ……、誰かと待ち合わせとか、はぐれたとか?」
 そんな風に噂されているなど夢にも思っていないリディアは、少し前から一枚の絵の前を行ったり来たりしていた。


(うぅ、どうしよう……。やっぱりこれが、一番良いと思う。と言うか、本当にこれが欲しい……)
 ある一枚の小ぶりの絵と、その横に記載されている最低入札額が、先程から彼女の頭を悩ませている原因だった。


(これが、凄い有名な画家の参加作品で、素敵だけど最低入札価格も桁外れだったら、すぐに諦めもつくのに……。どうして、無理をすればギリギリなんとかなりそうな、最低入札価格になってるのよ!)
 そんな八つ当たりをしながら忌々しげに絵を睨み付けていたリディアだったが、次の瞬間足を止め、気落ちした様に項垂れる。


(でも……、これはあくまでも「最低入札価格」だもの。絶対、あの金額で落札なんかできないから。サイズは小さめだけどあんなに素敵な絵だから、きっと欲しいと思う人は多いだろうし)
 そう自分自身に言い聞かせながら歩き去ろうとした彼女だったが、すぐに未練がましく絵を振り返る。


(でも……、確かに中途半端な大きさなのよね。立派なお屋敷の応接室に飾るには見栄えがしないから、それほど広くない寝室の壁に飾るには、大きさといい色合いといいテーマといい、正にぴったり……)
 そうしてフラフラと再び絵に歩み寄っては、リディアは自分自身を心の中で叱咤した。


(そうじゃなくて! 確かに私の部屋に飾るには、結構合うんじゃないかとは思うけど、この絵と作者を馬鹿にしているわけじゃ無いわよ!?)
 そんな事を先程から何度も繰り返していたリディアの行動は、顔見知りの近衛騎士団の者達以外にも、怪訝に思われていた。


「あの女、さっきから一人で、何をやっていると思う?」
「さあ……、王家主催の篤志芸術展だから、絵に興味が無い変な人間は入り込まないと思っていたが、少々頭がおかしい人間はいるのかもな」
「…………」
 王宮から派遣されている芸術展の専従官僚達は、入札受付の事務処理をしながらこそこそと囁きあっていたが、その背後に立っていた人物も彼女の様子を観察していた事には気が付かなかった。


(よし! 決めた! ここは作者に敬意を表して、狼の巣穴に素手で飛び込む気持ちで入札する!)
 心の中でかなり支離滅裂な宣言をしたリディアは、強張った表情で勢い良く振り返り、中央部に展示されている彫刻や彫金の類の作品を避けながら、入札受付の机へと向かった。


(母さんに手紙で事情を説明して、暫くは仕送り額を減らす事にして、なけなしの貯めていたお金を出して、借金もしないと無理だけど……)
 リディアはそんな事を考えながら受付まで出向き、担当者に鬼気迫る勢いで申し出た。


「すみません! 入札したいんですけど!」
「はっ、はいっ! それではこちらの用紙に、入札番号と入札額と、お名前、連絡先をお願いします! そちらの机にペンとインクは準備してありますので、お使い下さい!」
「分かりました!」
 彼女の剣幕に少々引き気味になりながら、担当者は申請用紙を手渡し、隣に設置してある机を指し示した。それに小さく頷いてから移動したリディアは、いざ入札額を書き込む段階になって、幾らか頭が冷える。


(やっぱりこの金額じゃ、さすがに落札は無理よね……。でも、このまま入札しなかったら「やっぱりあの時、入札すれば良かった」と後悔するに決まっているもの。入札して、より高額な値段をつけた人に負けたら、きちんと諦めもつくわ)
 書き込んだ最低入札額ギリギリの金額を改めて見て、リディアはがっくりと項垂れたが、すぐに自分自身に言い聞かせて元通りペンを置いた。


「よし! この金額だと作者に怒られたり、担当者には笑われるかもしれないけど、私が直接顔を合わせるわけじゃないし、別に構わないわよ」
 そして再び受付に歩み寄り、先程の勢いのまま、申請用紙を担当者に向かって差し出す。


「宜しくお願いします!」
「……はあ。お預かりします」
 微妙な表情の担当者にそれを提出したリディアは、機嫌良く踵を返して歩き出した。


「さあ、もう一回、あの絵を観てから帰ろうっと」
 そして彼女がお気に入りの絵を堪能し、漸く会場を後にしてから、一人の男性が入札受付の机に背後から近づいて声をかけた。


「すまないが。ちょっとその箱の中を、見せて貰えないだろうか?」
「はぁ? 入札箱の中身を、部外者に見せるわけ無いだろ? 何を言っ……、ラッ、ランディス殿下!? 失礼致しました!」
「こちらにおいででしたか、申し訳ありません!」
 椅子に座ったまま身体を捻り、背後の人物を恫喝しようとした担当者は、自分達の上役兼、この芸術展の主催者の一人である第二王子の姿を認めて、真っ青になって立ち上がった。並んで座っていた同僚も慌てて立ち上がる中、ランディスは鷹揚に笑いながら二人を宥める。


「いや、不正を取り締まる為には、当然の対応だ。礼を逸してなどいないから、安心して座ってくれ」
「それでは、失礼いたします」
 申し出に従って顔を見合わせた二人が腰を下ろしてから、彼は改めて要求した。


「それで、先程若い女性が入札した絵に関して、ちょっと確認したい事があってね。君達の倫理規定に反する事は分かっているが、箱の中に集まっている申請用紙を確認させて貰えないだろうか?」
「主催者のお一人である殿下でしたら、問題は無いでしょう。少々お待ち下さい」
「すまない」
 そして先程用紙を受け取ったばかりの担当者は、さすがにどの用紙かを覚えていた為、すぐにそれをより分けてランディスに向かって差し出す。


「こちらかと思われますが」
 それを受け取ってしげしげと眺めた彼は、すぐに穏やかな笑顔で相手に返しながら、礼を述べる。
「……分かった、ありがとう。邪魔をして悪かった。仕事を続けてくれ」
「はい」
 そして机から離れて再び奥の控え室に戻りながら、彼は苦笑しながら呟いた。


「随分、悩ませてしまったみたいだな……」
 それは書き込まれた金額故の台詞だったのだが、彼はそこで無意識に足を止め、背後を振り返った。


(彼女の名前……、リディアと言うのか)
 その偶然の出会いが、それから起こる騒動をより大きくしてしまった事など、まだ誰も気づいていなかった。





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