藤宮美樹最凶伝説

篠原皐月

美樹十八歳、憂さ晴らしでも大騒動

 美樹が秀明を名目上の社長に押しやり、桜査警公社の実質的な社長となって以来、社長業務のかなりの部分を副社長の和真が代行していたものの、週に二・三回は出社して、懸案事項に目を通した上で処理をしていた。


「それでは社長、宜しくお願いします」
「了解。全部目を通したら呼ぶわ」
 社長室の豪奢な椅子に収まり、和真と彼の秘書の寺島が一礼して退室してから、美樹は彼らが机に置いていった書類の山を眺めて、うんざりした表情になる。


「さてと。さすがに入学したらそうそう授業をサボれないし、気合い入れて今のうちに片付けられる物は片付けておきましょうか。休み毎に出向いて時間が潰れるのは、勘弁して欲しいしね」
 それからは無言で書類に目を通し、仕分けした上で、サインをしたり指示を書き込んだりする作業を黙々と続けた美樹だったが、一時間程続けて集中力が途切れた所で、溜め息を吐いてから愚痴っぽく呟いた。


「それにしても……。書類仕事だけじゃなくて、憂さ晴らししたいなぁ……。和真ったら安定期に入ったのに、『妊婦だから運動は厳禁だ』とか、前の時も今も五月蝿いんだもの」
 美樹の「運動」は単なるウォーキング等の可愛らしい物である筈が無く、和真を含めた周囲の人間が禁止するのは当然だったが、そんな事に頓着しない美樹はあれこれ考えているうちに、ちょっとした憂さ晴らしを思い付いた。


「あ、そうだ! 良い事を思い付いちゃった! 春休み中だし、美那はこっちに来る予定は無いかしら?」
 そして早速スマホを取り出した美樹は、齢十歳にして既に社内で「公社の金庫番」または「小悪魔の錬金術師」と囁かれている、妹に電話をかけ始めた。


「お姉ちゃん。美那だけど、どうしたの?」
「急に電話してごめんね? 大至急、調べて欲しい事があるんだけど。今日これから、公社に来る予定はない?」
「今、財務部に来てるよ? どうかしたの?」
「それならちょうど良かったわ! あのね……」
 そして妹との会話を、ものの二分程で切り上げた美樹は、機嫌良く残りの仕事に取り組んだ。
 それから更に一時間弱を費やして、目の前の書類を全て処理した美樹は、副社長室で通常業務を行っていた先程の二人を、内線で呼びつけた。


「よう、終わったか?」
「ええ、お待たせ。全部確認を済ませたわ」
 部屋に入りながら声をかけてきた和真に美樹は頷き、三つに分けたうちの一番右側の山を取り上げ、寺島に差し出しながら指示した。


「こっちは、そのまま処理して頂戴」
「畏まりました」
「それからこっちは却下。こんな胡散臭くて裏がある人間や、団体からの仕事は受けないで。うちを利用する気満々じゃないの。いくら金払いが良くても、後々面倒になるのは確実よ」
 続けて真ん中の書類の山を持ち上げた彼女が、それを突き出しながら和真に苦言を呈すると、受け取った彼は内容に目を走らせてから、少々不満そうに問い返した。


「今後有益な、新規顧客の開拓に繋がると思ったんだがな。却下の根拠は?」
「勘よ」
 端的過ぎる即答に、和真は怒る気にもなれずに遠い目をしながら、独り言のように呟く。


「……そうだよな。お前良くも悪くも、自分に正直だしな」
「何よ、今更でしょう? この三年間で私がはねつけた依頼者や団体の過半数が、捕まったり失脚したり破産したりしてるじゃない。『君子危うきに近寄らず』って言葉を知らないの?」
「うん、まあ……、『君子』の意味合いはどうあれ、確かにそうだがな。加積のじじいに付いていた金田も、当時こんな心境だったのかと、最近しみじみ考える事が多くなったな……」
 美樹が気分を害したように言い返した為、和真は諦めて溜め息を吐くと、寺島がその微妙な空気を変えるべく、さり気なく口を挟んできた。


「社長、残っている山は、いつもの奴ですね?」
「そうよ。依頼を受けるのは却下だけど、こいつらの周りを嗅ぎ回ったら、金になるネタを掴める気がするわ。予め後ろ暗い所をしっかり調べておいて、他から依頼があったらその情報を使えば良いし、そうでなくても週刊誌に売って金にするか、警察に流して恩を売るから、公社の損にはならないわ」
「了解しました。本当に、抜け目がないと言うか、あくどいと言うか……」
 いつもの事ながら寺島が呆れ顔で頷くと、ここで美樹が急に笑顔になって言い出した。


「それから二人には、ちょっと思い付いた事があるから、それの企画運営をお願いしたいの」
「企画?」
「何でしょう?」
 取り敢えず応じたものの、彼女の笑顔に不穏な物を感じた男二人が、(また何か、ろくでもない事を考えついたんじゃあるまいな?)密かに警戒していると、ドアがノックされて美那がひょっこりと顔を出した。


「こんにちは~! あ、かずにぃとお父さんもいた!」
 その声に、美樹と和真が笑顔で応じる。
「ナイスタイミング、美那」
「やあ、美那。相変わらず元気そうだな」
「ですから、私は美那様の父親では無いのですが!」
 ただ一人、寺島だけが顔を強ばらせて言い返すと、部屋に入って来た美那は冷静に言い直した。


「じゃあ、下僕のお父さん、こんにちは!」
「だから陸斗は、お前の下僕じゃないと、何度も言ってるだろうが!?」
「往生際が悪いわね」
「人生、諦めが肝心だぞ?」
 益々声を荒げた寺島を、美樹と和真が生温かい目で見やる。


「お前ら! 他人事ひとごとだと思って、好き勝手言いやがって!」
「他人事だし」
「他人事だな」
「あのなあっ!」
 そこで美那が、小首を傾げながら話を続ける。


「それはどうでも良いんだけど」
「だから、陸斗を下僕扱いして、どうでも良いわけないだろ!!」
「お姉ちゃん、余剰資金の計算をしてきたけど、五億までなら大丈夫だよ? ちゃんと運転資金とか積立金とか以外に確保してる分だから、マンホールに捨てても大丈夫!」
「あら、意外に有ったのね。良かったわ」
 そんな会話を交わしてにこにこしている姉妹を見て、喚いていた寺島は勿論、傍観者になりかけていた和真も怪訝な顔になった。


「美那、ちょっと待て。何だその『マンホールに捨てても』って言うのは」
 思わず和真が尋ねると、美那が大真面目に答える。


「うん。本当は『どぶに捨てる』って言うんだよね? でも美那、『どぶ』って見た事無いから、『マンホール』の方が自然に口から出てくるの」
「いや、俺は表現内容について、どうこう言っているわけではなくてだな、そんな大金を捨て金にして、一体何をやらかす気だ?」
「あれ? 二人ともお姉ちゃんから、まだ武道大会の事を聞いてないの?」
「武道大会?」
「何だ、それは?」
 不思議そうに美那に問い返された男二人は、即座に美樹に向き直った。それに彼女が真顔で答える。


「だって最近まともに動けなくて、退屈なんだもの。だから全社員対象に参加者を募って、武道大会を開催して、憂さ晴らしをしようかなと思って」
 それにすかさず、美那が説明を加える。


「トーナメントも良いけどそれだと何日もかかるし、もう何年か先まで予定が決まっている武道館とか東京ドームとかにねじ込むのは、結構大変だと思うの。だから1日で終わる、バトルロイヤル形式だったら良いんじゃないかな?」
「なるほど。それは良いかもね。優勝賞金は景気良く一千万位にする予定だったけど、観客には誰が勝つかの賭けに参加して貰うとか」
「それなら見る人は、余計にドキドキだね! さすがお姉ちゃん!」
「参加者の基礎データを見ながら、オッズを考えるのも楽しそうよね! うん、楽しみが増えたわ!」
「それから、会場に出店や屋台も出しちゃ駄目? 美味しいものとか無料で! 益々お祭りっぽいよ?」
「良いわね! それに、バトルに興味がない子供とかには、アトラクションとか併設にすれば良いんじゃない?」
「それだと家族全員で楽しめるね!」
 姉妹でどんどん勝手に話を進めていたが、唖然としていた和真達が、ここでようやく会話に割り込んだ。


「二人とも、ちょっと待て!」
「勝手に話を進めるな!」
「あれ? かずにぃとお父さんは、武道館とか東京ドームは嫌い?」
「それなら幕張メッセとか、横浜アリーナとかでも良いわよ?」
「場所について、どうこう言ってんじゃねぇぞ!」
「妊婦が暴れ回れないのは、当たり前だろうが! 憂さ晴らしで社員を戦わせるな!」
 和真達は本気で叱り付けたが、美樹達は事も無げに話を続けた。


「勿論、面白半分に強制させるわけじゃなくて、真剣に戦う気がある参加者を募るわよ?」
「優勝賞金、一千万じゃ足りないかな?」
「金額の問題じゃなくてだな!」
 ここで何かに気が付いたように、美樹が真面目くさって言い出す。


「ああ、やっぱり十把一絡げで募集するのは拙いの? ここは公平に、年代別に試合を設定するべきかしら?」
「でも、お姉ちゃん。確かにかずにぃ達は五十近いおじさんだけど、その分人生経験が豊富だから、二十代とか三十代の若造に、あっさり負ける事は無いと思うけど」
「さすがにあっさり負けるんじゃない?」
「…………」
 遠慮の無い事を言われた二人は、揃って顔を引き攣らせたが、辛うじて怒鳴りつけるのを堪えた。しかしここでチラッと和真を見た美那が、神妙に言い出す。


「お姉ちゃん、仮にも旦那さんに対して言う台詞じゃないと思う」
「そう? だって和真、参加しないでしょ?」
「俺はそれほど暇じゃない」
 憮然としながら和真が応じると、美樹は真顔で妹に言い聞かせる。


「ほら。やっぱり若造に瞬殺されたりしたら、副社長の威厳が台無しだもの。そりゃあ和真だって、ここは保身に走るわよ」
 それを聞いた美那が、些かショックを受けたような表情で和真を見ながら呟く。


「かずにぃ……、昔はもっと図太かった筈なのに、年を取って小さく纏まったんだ……」
「美那、人間そういうものだから、あまりショックを受けないでね?」
「……うん」
 気落ちしたように美那が頷くと、和真が呻くように声を発した。


「おい……、誰が瞬殺されるだと?」
「和真」
「かずにぃ」
「ふざけるな! 誰が来ようが、返り討ちにしてやろうじゃねぇか!」
 完全に腹を立てた和真が吐き捨てると、美樹はあっさりと頷いて冷静に付け加えた。


「じゃあ和真と、必然的に寺島さんも参加決定ね」
「どうして私まで、参加する事になるんですか?」
 いきなり話の矛先を向けられた寺島が、(巻き込まれてたまるか)と渋面になりながら言い返したが、美樹は嫌らしい笑いをその顔に浮かべながら話し出した。


「この前、実家で美那の誕生日パーティーがあったんだけど……。そこで陸斗君と、顔を合わせたのよね。美那に招待されていたから」
「確かに、心海がそんな事を言っていましたね。それが何か?」
 何となく嫌な予感を覚えながらも、寺島が話の先を促すと、美樹は予想外の事を口にした。


「その時、私、陸斗君に聞かれたのよ。『よしなちゃんのりそうのタイプって、どんなひとですか?』って」
「……え?」
「いやぁ、もう、その時の陸斗君を、見せてあげたかったわ! 可愛いし健気だし、本当に身悶えしたわよ! だから包み隠さず教えてあげたの。『以前、美那は和真と寺島さんに告白したけど、あっさり二人に振られたのよ』って」
 そこで寺島は、血相を変えて反論した。


「あれは告白じゃなくて、お前の指示で、押し掛け嫁になるつもりだっただけだ!」
「細かい経過は良いじゃない。寺島さんが心海さんと結婚して、美那を袖にしたのは確かなんだし」
「大違いだろうが!」
「そしたらさぁ……。陸斗君が真っ赤な顔で怒り出して。『いくらつよくてあたまがよくても、ゆるさない。ぜったい、おとうさんとかづみのおじさんよりつよくなる!』って固く決意してたわよ? 実の息子から敵認定。いやぁ、親冥利に尽きるわね!」
「何でそうなる!?」
 実は密かに息子から敵認定されていたと分かった寺島は、若干衝撃を受けながらも、それで何故親冥利に尽きるのかと盛大に突っ込みを入れたが、美樹は淡々と理由を説明した。


「だって、敵認定する事すら馬鹿馬鹿しいって、息子に内心で屑扱いされて、精神的に切り捨てられたいの? お母さんから漏れ聞くところによると、あいつは実の父親を散々内心で見下していた挙げ句、その金を使って大学まで出たのに、最後は嵌めて潰したらしいけど」
「それは極論だろうが」
「だから最近、陸斗が妙に反抗的だったのか。そこまで明確に、ライバル視されていたとは……」
 思わず和真が口を挟み、最近妙に息子からの当たりがきついと密かに感じていた寺島が項垂れると、美樹は容赦なく話を続けた。


「それなのに、病気や怪我とかの正当な理由もなく、参加を拒否して敵前逃亡? うわぁ……、陸斗君の中で、寺島さんの威厳とかだだ下がりしそう。『普段散々偉そうな事を言ってるのに、所詮は口だけか』とか、思ったりしちゃわないかなぁ~?」
「お姉ちゃん、陸斗君は優しいから、さすがにそこまで酷い事は言わないと思うよ? 『年寄りだし仕方がないな。後は自分に任せておけ』位は言うかもしれないけど」
「言うわけないだろ!? 陸斗はまだ四歳だぞ!!」
 好き勝手に言い合う姉妹を、寺島は本気で怒鳴りつけたが、彼女達の会話は止まらなかった。


「そう? でも子供の成長って速いしね」
「陸斗君、結構しっかりしてるよ?」
「そういう訳だから、最低限陸斗君のライバル位を保持する為に、寺島さんも参加決定ね」
「かずにぃ、ごめんね? 当日は心海さんとの付き合いもあるから、かずにぃじゃなくて、お父さんの方を応援するから」
「……ああ、それは気にするな」
「だから俺は、お前の父親でも、お前を息子の嫁にする気も無いって言ってるだろうが!?」
 神妙な面持ちで断りを入れてきた美那を、和真は淡々とした口調で宥め、寺島はこれまで何度も口にしている台詞を繰り返した。しかし美樹は全く気にせず、彼らに引き出しから取り出したメモ用紙を取り出して机に置きながら、素早く立ち上がる。


「じゃあ仕事は終わったし、各部署の視察に行ってくるわね。これが企画の原案だから、三ヶ月以内に開催宜しく!」
「そうだね。そうしないとお姉ちゃん、妊娠後期から臨月期に入っちゃうし。せっかく開催しても、観戦できなかったら意味ないよね?」
「おい! 美樹!」
「帰宅予定時間までには戻るわ」
「お前ら、ちょっと待て!」
「お姉ちゃん、先に防犯警備部門に顔を出して、企画の話をしておく?」
「そうね。やっぱり参加者の大半は、そこの所属になるでしょうしね」
 しかし姉妹は全く聞く耳持たずに部屋を出て行き、室内に取り残された和真達は、机に目をやって本気で頭を抱えた。


「あいつら……。この走り書きで、あと三ヶ月で、何をどうしろと……」
「つくづくろくでもないな、あの姉妹」
 どう考えても、予定外の仕事で当面忙殺される事が確実になった二人は、恨みがましく二人が出て行ったドアを眺めたものの、他の人間に押し付けるのはさすがに気の毒だった為、早速大まかな内容を決めるべく、副社長室に戻って検討を始めた。



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