藤宮美樹最凶伝説

篠原皐月

美樹十三歳、とあるハンターの覚醒

「よし、全員揃ってるわね。皆、トイレや、お土産とかの買い物も済ませた?」
「はーい!」
「大丈夫!」
「それじゃあ帰るから、駐車場に移動ね。列を崩しちゃ駄目よ」
 集合時間までにしっかり全員集まったのを確認した美樹は、縦二列に列を整えてから、ゆっくり駐車場に向かって歩き出した。
 先頭を歩く自分達の後ろを、楽しげに声を上げながらも、おとなしく付いて来る子供達をチラッと眺めやってから、和真な半ば呆れながら横を歩く美樹に感想を述べる。


「本当に、躾の行き届いた事で」
「別に、大した躾とかをしてるわけじゃないわ。皆、逆らっちゃいけない人間ってものを、本能的に察知してるだけよ」
「それはそれで、凄いと思うがな」
 もはや溜め息しか出ない和真だったが、笑いを含んだ声で話を続けた。


「ところで美樹。お前が今日一日、一番小さい子達の面倒を、見ていた理由だが……」
「当たり前でしょう? 一応、最年長者で、責任者なんだし」
「と言うのは建て前で、単に怖くて絶叫系に乗れないだけ」
「何で分かったの!?」
「なんて事は……」
「…………」
 軽い冗談のつもりで口にした台詞に、勢い良く驚愕した声が帰ってきた為、和真は反射的に口を閉ざした。と同時に最前列の二人が足を止めて睨み合った為、後続も足を止めると同時に口を閉ざし、その周囲に不気味な沈黙が満ちる。


「え? まさか……、お前、駄目なのか? あの手の物は一切? 本当に?」
「…………」
 完全に予想外の反応だった為、和真が半ば呆然としながら確認を入れたが、美樹は無言のまま殺気の籠もった視線を彼に向けた。その途端、安曇の切羽詰まった声での警告が、その場に響き渡る。


「皆、至急、半径三メートル以上退避!」
「うん!」
「下がって下がって!」
「ほら、こっちだよ!」
「うわぁ、プンプンだねぇ」
「そんな呑気な事、言ってる場合じゃないから!」
 素早く年長者達が自分よりも小さい子の手を引き、二人から三メートル以上の距離を取ると、美樹が和真を見上げながら凄んだ。


「和真?」
「……何だ?」
「今から五分遡った所まで、記憶を消去しなさい」
 その命令に、和真は何となく釈然としないものを感じながら言い返した。


「別に構わないだろ? 乗れない物がある事位。別に、恥ずかしがる事でもないし」
「私の数少ない、人生の汚点なのよ。それもこれも、あの馬鹿のせいで……」
 心底忌々しげに美樹が口にした内容を聞いて、和真の顔が僅かに引き攣った。


「おい……。まさか社長が、何かしたのか?」
 その問いに、美樹は恨みがましい声で答えた。


「何年か前、『美樹はもう身長制限が無くなったから、面白い物に乗せてやるぞ』って、何の予備知識も無く乗せやがったのよ。大泣きしたら『ちょっと速過ぎて怖かったか? これなら上下に移動するだけだから、景色が変わらなくてそれほど怖くないぞ?』とか、『これなら周りが星空みたいで綺麗だぞ?』とか、あるだけ乗せてくれやがって……」
「因みにその時、会長は?」
「まだ小さかった美久に付いて、別行動で遊ばせていたのよ。後から合流して私の顔を見た途端、激怒してたわ」
「……だろうな」
 その顛末を聞いて、和真は納得すると同時に、美樹と秀明双方に別の意味で同情した。


(あの社長の事だから、自分の娘だったら大丈夫だろうと、徹底的に試したんだろうな……。と言うか、社長。今の話と言い、例の授業参観の話と言い、あんたどうして娘との良好な関係構築に、悉く失敗してるんだ……。絶対、これだけでも無さそうだし)
 そこで深い溜め息を吐いた和真の耳に、怨念の籠もった美樹の呟きが聞こえる。


「近い将来……、絶対に潰す」
「実の父親に対して、不穏な台詞を口にするな……。とにかく、お前の黒歴史なのは分かった。俺の記憶からしっかり消去する」
 これ以上、何を言っても無駄だと分かった和真は、公社の社員達に向き直って言い聞かせた。


「お前達も、十分前からの記憶は消去しておけよ?」
「了解しました!」
「何も見聞きしておりません!」
「と言うわけだから、機嫌直せ。ガキ達がビビってる」
「……分かったわよ」
「ほら、行くぞ。お前達、ちゃんと付いて来い」
「はーい!」
「ほら、並んで並んで!」
 まだブスッとしている美樹を引き連れ、少し離れていた子供達に向かって和真が声をかけ、駐車場に向かっての移動を再開した。


(しかし……、絶叫系が苦手とは、意外だったな)
 歩きながら、思わず和真が顔を緩めたところで、斜め下から面白く無さそうな声が聞こえてくる。


「……何を笑ってるのよ?」
「別に? 思い出し笑いだ」
「ムカつくわね」
 その如何にも面白く無さそうな物言いに、和真は更に笑いを堪えながら車を停めていた場所まで辿り着いた。


「じゃあ遥ちゃんを見ているから、先にベビーカーを積んでおいて」
「分かった」
「ほら、皆も車に乗ってね」
「忘れ物は無いわね?」
「段差に気を付けて」
「順番にね」
 和真がベビーカーを畳み、後部の積載スペースに乗せる為に移動すると、子供達も指示に従って三台に別れて動き始める。しかし車の前方にいた遥は、ここで目の前を横切ったものに目を留めた。


「ポッポ」
「え? 遥ちゃん、何?」
「ポッポ」
「ああ、鳩ね。ちょっと見ていようか」
 遥が指差した先を見て、チラッと背後を振り返った美樹は、まだ少し全員が乗り込むまで時間があると判断して、遥に付いて歩き出した。


「ポッポ!」
「遥ちゃん、追いかけると逃げちゃうわよ?」
 しっかりした足取りで、のんびり歩く鳩の後ろに付いて歩き出した遥を、美樹が苦笑しながら見守る。しかしここで広い駐車場の周囲が急に騒々しくなり、和真はバンの後部ドアを閉めながら、騒音の発生源は何かと反射的に視線を巡らせた。


「何だ? 随分騒々しいな。……え!?」
 そして有り得ない事態に目を剥くと同時に、同僚達の緊迫した声が上がる。
「小野塚さん、暴走車が駐車場に侵入を!」
「追跡していたパトカーもです!」
「分かってる! お前達、子供達全員の安全確保と位置確認を……。美樹!?」
 確認が後回しになった美樹達がどこかと、慌てて周囲を見回した和真の視界に、美樹と遥、更に入場ゲートを突破してきた暴走車が、殆ど同時に入った。


「ブーブ?」
「遥ちゃん、危ない!!」
 追っていた鳩が急に勢い良く飛び立ち、その向こうから接近してきた車を見た遥がキョトンとして立ち止まった。それを見た美樹が、血相を変えて遥に駆け寄る。


「きゃあぁぁっ!」
「美樹様!?」
「えぇぇっ!?」
「美樹!!」
 その光景を目の当たりにした者達が悲鳴を上げる中、美樹は咄嗟に屈んで遥の両脇を両手で掴み、火事場の馬鹿力で彼女を斜め後方の空中に勢い良く放り投げた。


「和真!! 受け取って!!」
「うきゃあぁぁ――っ!!」
「とりゃあぁぁ――っ!!」
 遥が驚愕とも歓喜の叫びとも聞こえる声を上げながら空中に投げ上げられると同時に、美樹は突っ込んできた車のボンネットに飛び上がるようにして両手を付き、そのままの勢いで身体を跳ね上げ、その屋根に着地した。と同時に再び屋根を蹴って、無事駐車場に飛び降りる。しかし一方の遥は、何事も無く着地というわけにはいかなかった。 


「うわ、この馬鹿がっ!! ……え?」
 盛大に美樹に対する悪態を吐きながらも、迷わず遥の落下地点を目測して飛び出した和真だったが、その頭上でにわかには信じがたい光景が展開された。


「クホッ!? キシィョエッ!!」
 ありえない事に、低い所を飛んでいた一羽の鳩と遥が激突し、一塊になって落ちて来たのである。
「ポッポ!」
「クキャーッ!!」
 しかもそれは、遥が素早く鳩の両翼を背側からがっしり掴んでしまった故での事で、遥は嬉々として、鳩はパニックを起こしながらの落下だった。


「はあぁぁあ!?」
 その光景に度肝を抜かれながらも、和真は反射的に背中から落ちて来た遥を、全身を使って注意深く受け止めた。
「……いよっ、と。おい、大丈夫か!?」
「ポッポ!」
「クケッ!! クホァッ!! ケクッ!!」
「…………」
 血相を変えて問いかけた和真に、遥は暴れている鳩を未だしっかりと両手で掴みながら、元気よく上機嫌に叫んだ。それを見た和真は何とも言えない顔で口を閉ざし、彼とは逆に周囲が囁き合う。


「……二人とも無事だよな?」
「みたいね。一瞬、心臓が止まったわ」
「目の前で美樹様に怪我なんかさせたら、どうなるか分かったもんじゃないからな」
 大人達が胸を撫で下ろす横で、子供達も顔を寄せて言い合った。


「ねぇ、あれ、はとだよね?」
「うん、変な鳴き声だけど、鳩以外の何物でもないと思う……」
「新種の鳩?」
「いや、そうじゃなくて、生きるか死ぬかの瀬戸際だから、鳩としてのアイデンティティが崩壊しかかっていても、仕方がないんじゃないかな?」
「はと、つかまえられるんだ~」
「普通は無理だから。真似しちゃ駄目よ?」
 その中で、いつの間にかデジカメを取り出した美那が、和真を見上げながらうきうきとした声で言い出す。


「はるかちゃん、えものはつゲット! きねんしゃしん、とらなきゃね! かずにぃ、はるかちゃんをしたにおろして?」
「あ、ああ。こうか?」
 和真は言われた通り抱いていた遥を地面に下ろしたが、彼女は鳩を掴んで離さず、そんな従妹に向かって美那が明るく声をかけた。


「はるかちゃん、にっこりわらって~」
「に~っ!」
「クケッ!! クハァッ!!」
「うん、バッチリ!」
 そして必死の抵抗を見せる鳩を捕らえた遥の姿を、美那がカメラに収めているのを見ながら、大人たちが再び囁き合った。


「……誰か止めろよ」
「何を? どうやって?」
「遥ちゃん、大丈……、って、その鳩は何?」
 そうこうしているうちに美樹が和真達の所に駆け寄って来たが、遥が手にしている鳩を見て面食らった。思わず美樹が尋ねると、遥が力強く声を上げる。


「パパ、ママ!」
「はい?」
「おみゃー!」
「クェッ! キシャーッ!」
「…………」
 それを聞いた美樹が何度か瞬きして考え込んでから、恐る恐る遥に再度尋ねる。


「ええと……、ちょっと待って? まさか遥ちゃん、この鳩を美幸ちゃんと城崎さんに、お土産に持って帰るつもりじゃ無いわよね?」
「ポッポ! おみやー!」
 一際嬉しそうに笑った遥を見て、どうやら本当にそのつもりらしいと分かってしまった美樹は、憤怒の形相で周囲を見回した。


「誰よ!? 遥ちゃんに鳩なんか渡したのは!? 和真、あんた一体何やってたの!」
 その理不尽過ぎる糾弾に、和真が怒鳴り返す。
「渡してねぇぞっ! そのガキが空中で勝手に捕まえてきたんだ! そもそもお前が、あんな高さまで放り投げる真似なんかするからだろうが!」
「非常事態だったんだもの、仕方がないでしょう!? それに話を作ってんじゃないわよ! どうやったら二歳にもならない子供が、鳩を捕まえられるのよ!?」
「現に捕まえてるんだから、どうしようも無いだろうが!!」
「あんた、ホラ話もいい加減にしないと」
 そこで二人が激しい怒鳴り合いになってしまったところで、それに冷静に美久が割り込んだ。


「姉さん」
「何、美久。あんたは黙ってなさい!」
「こう、ガシッと」
「はい?」
 力強く、両手で姉の両肩を掴みながら、美久が真顔で訴える。
「遥ちゃんが空中で、両手で躊躇いなく掴んだ。僕達全員が目撃者だから」
「……え?」
 美樹が盛大に顔を引き攣らせ、反射的に周囲に視線を巡らせると、彼女と目が合った者全員が、美久の訴えを肯定する様に小さく頷く。


「そうだよね? 遥ちゃん」
「はるか、がしっ! ポッポ、おみゃー!」
「…………」
 最後に美久が遥を見下ろしながら尋ねると、彼女が力強く頷く。そこで安曇が当惑しながら、美樹にお伺いを立ててきた。


「美樹ちゃん。これ、どうする?」
 それに美樹は、彼女にしては珍しく、負けず劣らずの困惑顔で応じる。
「どうするって言われても……。こんなのを持って帰ったら確実にお母さんに怒られるし、美幸ちゃんが卒倒するわよ」
「そうだよね……。でも遥ちゃん、素直に離してくれるかな?」
「おみゃー! おみゃー!」
「クケッ! クオォッ!」
「…………」
 そこで二人揃って顔を向けた先には、満面の笑顔で声を上げている遥と、未だに彼女に捕獲されたままの哀れな鳩が居た。 



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