藤宮美樹最凶伝説

篠原皐月

美樹十一歳、適材適所を黙考する

「う~ん、やっぱりこれ、問題と言えば、問題かなぁ……」
 日曜に、自分の机で唸り声をあげながら何かを見ていた姉に、背後から美久と美那が声をかけた。
「姉さん。らしくなく、何を考え込んでるわけ?」
「ねぇね、あそぼ!」
 その声に美樹は瞬時に気持ちを切り替え、笑顔で椅子ごと振り返る。


「うん、そうね。皆で遊ぼうか。美那、せっかくだから、今日は新しい遊びを教えてあげる」
「うん! あたらしいの!」
「新しい遊びって……、何をするわけ?」
「大人の遊びよ。あんたにもやってもらうわよ?」
「はぁ?」
 おかしそうに笑った美樹に美久は当惑したが、それから姉の説明を聞いて、本気で頭を抱える羽目になった。
 藤宮家でそんな事があってから、約二か月後。
 その日は何故か午前中から美樹が桜査警公社に現れ、自分の机に陣取っていた。


「おい、美樹……」
「何?」
「どうして今日は、朝からここにいるんだ?」
「今日は開校記念日で、学校が休みなのよ。夕方まで特に何も用事は無いわ」
「ここに丸一日居る気かよ……」
 隣の席にいる彼女に、和真はうんざりとした視線を向けたが、その手元のかなり分量がある書類を目にして、思わず尋ねた。 


「それはともかく、ここに来るなり、何を見ているんだ?」
「ここの最新の財務諸表よ」
「はぁ?」
 意表を衝かれた和真が戸惑った声を上げると、美樹が少々不満げな視線を向けながら説明してくる。


「知らないの? 貸借対照表と損益計算書とキャッシュフロー計算書の事よ。公にもなっている、経営指標じゃない」
「それ位は知っているが、どうしてそれを見ているのかと聞いているんだ。ここの経営状態に不満でもあるのか?」
「いいえ、無いわ。公社設立以来、ずっと黒字経営だしね。本当に奇跡的よ」
「それならどうしてだ」
「相変わらず黒字だけど……。相変わらずなのよねぇ……」
「何だそれは。全然意味が分からんぞ」
 独り言の様にどこか不満げに呟いた美樹に、少々いらつきながら和真が悪態を吐く。しかしそれを聞いていないかのように、美樹は自分自身に言い聞かせながら、資料を閉じて勢い良く立ち上がった。


「やっぱりここは一つ、景気付けにどでかい花火……、違うわね。爆竹の束でも投げ込むか……。うん、そうしよう。決~めたっと。幸い仕込みはバッチリだしね!」
 そんな些か物騒な事を呟いたと思ったら、スタスタとどこかへ向かって歩き出した彼女の背中に向かって、和真は焦って問いかけた。


「おい、お前景気付けって、どこに何を!」
「取り敢えず、金田さんに相談してくるわ」
「だからちょっと待て! お前、社内で何をやらかす気だ!」
 しかし美樹は前を向いたまま片手を軽く振って歩き去り、それを見送った和真は「もう俺は知らんぞ」と頭を抱え、周囲の者達は何事かと密かに戦慄していた。


「金田さん、ちょっと相談があるんだけど」
 軽くノックをしただけで副社長室に押し入った美樹を、その部屋の主である金田は、机に座ったまま平然と出迎えた。


「はい、美樹様。何でしょうか?」
「ちょっと一億ほど使わせてくれない? 一年以内に、きっちり倍にして返すわ」
 その唐突な申し出に、傍らに居た彼の秘書は無言のまま目を見開いたが、金田は面白そうに笑いながら応じる。


「それはそれは……、また随分大きく出られましたね」
「大金を借りるわけだし、一応詳しい説明をしておきたいんだけど、今は時間があるかしら?」
「お伺いしましょう」
 即座に手元の仕事を中断した金田は話を聞く態勢になり、それから少しの間、二人の間で密談がかわされた。


 それから更に半月ほど経過したある日、信用調査部門に美久と美那が連れ立ってやって来た。
「こんにちは!」
「お邪魔します」
「おう、来たな、美那」
 いつも通り、上二人の訓練中美那を預かろうとして、和真は美樹の不在を不審に思った。


「ところで美久、美樹はどうした?」
「ちょっと野暮用。訓練開始時間までには、武道場に行くよ」
「うん、わるだくみちゅー!」
「……そうか。最近美那の語彙が、顔を会わせる度に劇的に増えているが、姉と兄からろくでもない言葉しか教わっていない気がするぞ」
 兄に続いて、元気に笑顔で答えた美那を見て、和真は深い溜め息を吐いたが、ここで美久が周囲を見渡しながら問いを発した。


「そんな事より、峰岸さんって誰の事?」
「はっ、はい! 何でございましょうか!?」
 そこで反射的に立ち上がった峰岸に向かって、美久がこの場の誰もが予想し得なかった事を言い出した。


「ちょっとやって欲しい事があるんだけど。美那の代わりに、株取引をして欲しいんだよね。姉さんの手下だし、名義貸し位は何でも無いだろう?」
「は、はいぃ?」
「ほら、さっさと取引講座作る。ネットで申し込み可能なんだから。因みにあんた名義の通帳も、もう作っておいたからな。この通帳がそうで、カードはこれ、インターネットバンキングのワンタイムパスワードはこれで、中に資金も入金してあるから」
「……え?」
 自分の机までさっさと移動し、その上に背負ってきたリュックから次々と出した物を乗せていく美久を見て、峰岸は完全に固まった。


「おい、美久。お前いきなり、何を言い出す?」
「その資金で、美那が丸を付けた会社の株を買って欲しいんだけど」
「え? ええと……、新聞の株式欄?」
 和真の問いかけを完全に無視しながら、美久がリュックから最後に取り出した新聞紙を差し出す。それを受け取って広げてみた峰岸はまだ困惑していたが、その足下で美那が声を上げた。


「てしたさん、すわる!」
「え? あ、こうですか?」
「うん。えっとね……、これひとつ、これふたつ、これひとつ、それから」
「あの、美那様? 『ひとつ』と言うのは一株と言う意味ですか? そういう売り方はしていない所が殆どですが」
 素直に膝を曲げてしゃがみ込んだ自分の手元を、美那が指さしながら何事かを言い始めた為、峰岸は怪訝な顔で反論したが、それを美久が遮った。


「あ、違う違う。美那が言っている単位は一千万だから、『ひとつ』は一千万の事。一千万で買えるだけ、その銘柄の株を買うって事だよ。通帳には一億入れてあるから」
「はいぃぃぃ!?」
 その事実に、峰岸は元より周囲の人間も度肝を抜かれる中、美久が冷静に指摘する。


「それよりも、美那の言う事、ちゃんと聞いておかなくて良いの? 購入金額は、新聞に書き込んで無いんだけど」
「あ、は、はい! 美那様、申し訳ございません! もう一度お願いします!」
「うん、いいよ? これひとつ、これふたつ、これひとつ、これみっつ、これふたつ、おわり!」
「じゃあ早速購入手続きして。それから僕達が連絡したら、すぐに売却して。これから購入と売却の連絡、こまめに入れるからね」
「いえ、その……、あのですね」
 さくさくと話を終わらせた兄妹に、峰岸が数字を書き込みながらもしどろもどろになっていると、彼が広げている新聞紙を横から覗き込んだ和真が、眉根を寄せて言い出した。


「……おい、ちょっと待て。ここの『信楽薬』って『信楽製薬』の事だよな? 確かあそこは近年収益が悪化して、近々大手に吸収合併される噂が無かったか? そうなると株価が吸収先と1対1での等価になるわけが無いし、下手すれば売り抜けようとする輩のせいで株価が下落する可能性があるぞ? それに『高錬工』の『高梨精錬工業』は、鉱石輸入先でトラブルが起きているのを耳にした気がするし、『明石フ』の『明石フードサービス』は最近クレームが多くて、その背景を週刊誌がすっぱ抜いていた筈だが?」
「へえ? そんな噂があるんだ。知らなかったな」
「しがらきせーやく?」
 しかしそれを聞いても美久は素っ気なく応じ、美那は不思議そうに首を傾げただけなのを見て、和真は盛大に顔を引き攣らせた。


「おい……。まさかお前ら、どんな会社かも知らないのに、株を買うつもりじゃないだろうな?」
「知るわけ無いだろ? 僕は株取引なんて全然興味ないし。美那は漢字はまだ読めないし」
「ひらがなかたかな、だいじょーぶ!」
「あのな……」
 当然の如く言い返した美久と自信満々で告げた美那を見て、和真は額を押さえながら溜め息を吐いたが、そんな周囲を丸無視して、美久が一枚の文書を峰岸に押し付ける。


「とにかく、業務命令だから。言われた通りにさくさくやってよ。ほら、金田さんからの通達文書。業者への手数料とは別に、一回売買するごとにあんたに手数料として一万支払うよ」
「本当だ……」
「じゃあ美那の事、宜しく。僕は武道場に行くから」
 そして居合わせた者達が茫然としている間に、美久はさっさと武道場に向かい、残された美那は笑顔で和真を見上げた。


「かずにぃ、あそぼ?」
「それは構わないが……、美樹は一体、どこで何をしてるんだ?」
「えっとね、ここの、おんみつちょーさ!」
 にこにこと告げて来た美那を見下ろした和真は、再度深い溜め息を吐いた。


「ここは一応、隠密調査のプロの巣窟なんだがな……。あいつ本当に、このところ何をやってるんだか」
 その自問自答の答えは、約一か月後に判明する事となった。



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