相棒(バディ)は黒猫(クロ)

篠原皐月

(8)悪霊退散

「田崎さん、こんにちは」
「やあ、千尋ちゃん。持って来たぞ」
 決行当日。店を開けた直後に小さめのプラスチックのバケツや洗面器に塩を入れてやって来た市原と立花を、千尋は笑顔で出迎えた。


「いらっしゃい。お二人とも、すぐにでも使えますね。まずは奥から上がって、お茶でも飲んでいてください。打ち合わせ通り、奴が来たら知らせますので」
「そうさせて貰うわね」
「ふはははは! 楽しみだな!」
 店の奥で靴を脱ぎ、そこから繋がっている階段を上がっていく二人を見送ってから、千尋は独りきりの店内で、語気強く宣言する。


「さてと、こっちも準備万端。来るなら来い!」
「にゃうっ!」
 千尋の声に応じるように、出入り口から入って来たクロが力強く一声鳴いた。それで反射的に見下ろした彼女は、真顔で言い聞かせる。


「ああ、あんたも来たのね……。居ても良いけど、奴が来たらいつも通りに、ちゃんと姿を隠しなさいよ? あんたは、こことは無関係だと思われているんだから。例のジャケットの事で、因縁を付けられるのは御免だわ」
「なうっ!」
 クロが即座に了承したように声を上げたところで、小さな子供達が店に入って来た。しかしいつもと若干異なる様子に、戸惑った顔になる。


「こんにちは。……あれ?」
「おねえさん、どうしておかしの上に、ビニールが敷いてあるの?」
 いつもは無い、薄くて透明なビニールシートが低い棚に並べられている商品の上にかけられていたのを見た子供達は、不思議そうに理由を尋ねてきたが、千尋は笑ってごまかした。


「ごめんね、今日だけそんな風にしないといけないの。それを捲って取ってくれるかな」
「わかった」
「じゃあ、これとこれ」
 まだ早い時間帯で低学年であった事もあり、子供達はそれ以上突っ込んで聞いたりはせず、素直にビニールシートを捲って商品を選んで購入していった。同様に何組かの対応をしてから、千尋は時計で時刻を確認する。


「さてと……。これまでの行動パターンからすると、そろそろ奴が立ち寄る時間帯。クロもいつの間にか姿を消しているし、いつ来てもおかしくないわよね」
 店内を見回した千尋が独り言を呟いていると、ここでタイミング良く待ち人が現れた。


「こんにちは、田崎さん」
「あら、大崎さん、いらっしゃい」
(飛んで火にいる夏の虫とは、あんたの事よ! これまでのふざけた振る舞いに対する、相応しい罰をくれてやるわ!)
 内心の怒りなど微塵も面に出さず、千尋は満面の笑みで店の奥へと誘導する。


「どうぞ中に。今、椅子を出しますので」
「ありがとうございます」
(よし、四人に伝わったわね)
 いつも通りパイプ椅子を出しながら、千尋はエプロンのポケットに入れておいたスマホで、待機中の四人にメールを一斉送信する。そしてビニールシートを見て怪訝な顔をしている大崎に、余計な事を聞かれる前に笑顔で声をかけた。


「お仕事とはいえ、毎週大変ですね。同じ所を廻って、大変じゃありませんか?」
 それに彼が、愛想笑いを振りまきながら答える。


「別に、苦痛に思った事はありませんね。それに金曜日は田崎さんにここで会えるので、癒されていますし」
「あら、お上手ですね」
「別にお世辞じゃありませんよ? 初めて会った時から思っていましたが、田崎さんとは他人の気がしなくて。そちらさえ良ければ、千尋さんと呼んでいいですか?」
「私は構いませんけど」
「それなら良かった」
(けっ! ふざけんな! 詐欺師風情に馴れ馴れしく、名前を呼ばれるつもりは無いわよっ! こんなのに一時とはいえときめいたとか、本当に人生の汚点よね!)
 相変わらず爽やかな笑顔を振り撒く相手に、千尋の怒りは倍増したが、根性で笑顔を取り繕った。そして二人で椅子に座ったところで、店の出入り口からボウルを抱えた女性が現れる。


「千尋さん、こんにちは。もう皆は来ているかしら?」
 その声に、千尋は立ち上がって根岸を出迎えた。


「ええ、上で自慢のお漬け物レシピを、披露し合っている筈ですよ?」
「じゃあ、漬け物に使う分とは別に、これは千尋さんにお裾分け。実家から送って寄越したから。赤穂の塩よ」
「まあ、本場の本物じゃないですか。何よりの物をありがとうございます」
「げっ! なんでここに」
 女二人でそんな白々しい会話をしていると、大崎が狼狽して椅子から立ち上がった。それで気が付いたように根岸が店の奥に視線を向け、親しげに声をかける。


「あら、平塚さん、こんにちは。その格好、今日はお休みなのね?」
「あ、いや、それは……」
 まさかこの場で二人が顔を揃えるとは想像だにしていなかったらしい大崎は、狼狽しながら何とかごまかそうとしたが、千尋はそれを無視しながら真顔で根岸に反論した。


「根岸さん、この人は大崎さんですよ? 平塚なんて名前じゃありませんけど」
「え? だって私、平塚さんから名刺だって貰っているのよ?」
「私、大崎さんの名刺を貰っていますけど」
「どういう事?」
「ええと、それは……」
 女二人に疑惑の眼差しを向けられて進退窮まった大崎だったが、ここで更に事態が混迷する事となった。


「千尋ちゃん! すまんな。調子に乗って漬け物を色々作っているうちに、塩が足りなくなっちまった! ひとっぱしりして買って来るから!」
「え!?」
 店の奥から現れた市原を見て驚愕した大崎が、盛大に顔を引き攣らせたが、それには気が付かないふりで千尋と市原は話を続けた。


「あ、市原さん。今ちょうど根岸さんが、お塩をこんなに持って来てくれましたから」
「おう、それは助かった! おや、赤木さん。今日は私服かい。いい男は何を着てもきまっとるな!」
「あ、いえ……、何でこんなに集まって……」
 市原に笑顔で声をかけられた大崎が、茫然自失状態で呟く中、千尋が先程と同様の疑問を口にする。


「市原さん、この人は大崎さんですよ? 赤木なんて名前じゃありませんけど」
「違うわよ、平塚さんよ! 私、まだボケてませんからね!」
「はぁ? だってあんた、赤木敏也だよな?」
「あ、あの……、俺はこれで失礼します」
 もうごまかしが利かないと悟った大崎は、慌ててリュックを手に立ち去ろうとしたが、そこで根岸が金切り声を上げた。


「分かったわ! あなた、ここら辺に昔から出没しているって言う、亡霊ね!? そうでしょう!?」
「え?」
「なるほど! だから人によって姿を変えているから、各自で微妙に認識している内容が違うんですね!」
「は?」
「確かに十何年か前にも、騒ぎになっていたな! その時、この周辺で事故や不審な事件が多発していたが、また悪さをしに出てきたか!?」
 根岸に続いて、千尋と市原にも詰め寄られ、退路を断たれた大崎は狼狽しながら弁解しようとしたが、それは大音量の悲鳴に遮られた。


「いえ、ちょっと待っ」
「きゃあぁぁぁ――――っ!! 亡霊よ!! 怨霊よ!! 悪霊よ!!」
「呪い殺されるぅ――っ!! 助けてえぇ――っ!!」
「そのボウルを貸せっ!! 悪霊退散!!」
「う、うわっ! ちょっと! 止めてください!」
 根岸から塩の入ったボウルを受け取った市原は、寧ろ嬉々として大崎に握り取った塩を投げつける。更に千尋もさり気なくカウンターの内側に準備しておいたバケツを持ち上げ、同様に大崎の顔めがけて塩を投げつけ始めた。そこで階段を下りてきた女性二人が、店の奥から驚愕した様子で現れる。


「根岸さん、千尋さん、何事!?」
「凄い悲鳴が聞こえたけど、どうしたの!?」
「横川さん、立花さん! こいつ悪霊です! 皆の前に大崎とか、平塚とか、赤木とか違う名前の違う姿で出て来て、私達を呪い殺そうとしてるんです!」
「塩で清めてやるわ! 鬼は外! 福は内!」
「それはちょっと、違うと思うが……、悪霊退散!!」
「俺は悪霊なんかじゃ、止めっ」
 もう茶番以外の何物でも無い千尋達の訴えを聞いた二人も、さり気なく持って来た塩入りの洗面器片手に、そのまま塩撒きに参戦した。


「嫌ぁっ!! 私の所にはそいつ、時任の名前で来てたわよ! 呪われちゃう!」
「節子さん! はい、お塩! 私、追加を持って来るから!」
「分かったわ! 食らえ、悪霊!!」
 そして寄ってたかって塩を撒かれていた大崎が、ここで憤怒の形相で周囲を怒鳴りつけた。


「このくたばりぞこないどもがっ! 甘い顔してれば、つけあがりやがって! いい加減にしろよ!?」
「キシャ――ッ!!」
「え?」
 しかし大崎が恫喝すると同時にいつの間にか店内に駆け込んで来たクロが、棚を踏み台に飛び上がり、彼の後頭部に飛び付いた。そして頭頂部から上半身を大崎の顔に伸ばしつつ、盛大に爪を出して引っ掻き始める。


「うにゃ! なうっ! なぎゃっ!」
「うわあぁぁっ!! 何しやがる! この馬鹿猫がぁっ!!」
「にゃおぅっ!」
 予期せぬ痛みに襲われた大崎が、頭からクロを引き剥がしながら投げ捨てたが、クロはさすがに猫であり、器用に身体を捻って何事も無かったかのように着地した。


(ナイス、クロ! あれなら目の周囲じゃなくて、顎から頬にかけてだけ引っ掻く事になるし、間違っても大怪我にはならないわよね!)
 千尋が密かに快哉を叫んでいると、顔を押さえた大崎が悪態を吐いた。


「いてて……、っのやろう! 血が出てるじゃねぇか!?」
 しかしそれに構わず、周囲は塩を浴びせ続ける。


「しぶといな、悪霊野郎!!」
「うわぁっ!!」
「ふぎゃっ!! ぎ――ッ!!」
「ぶふぁっ! うげっ!」
 そして塩を浴びた直後に、クロに顔面に飛びかかられた大崎は、その身体で傷口に塩が擦り込まれでもしたのか、悲鳴を上げて尻餅を付いた。そこにまだたっぷり塩が入っているバケツや洗面器片手に、千尋達が詰め寄る。


「覚悟しろ、悪霊!!」
「怨霊退散!!」
「げっ! ちょっ、待っ!」
「そうれっ!」
「げはっ! うげっ ぐあっ!」
 頭上から文字通り塩が降り注ぎ、それが口や鼻にでも入ったのか、大崎が盛大にむせた。それを千尋達は、冷ややかな目で見下ろす。


「しぶといわね。警察を呼ぶ?」
「悪霊なんだから、呼ぶのは警察じゃなくて坊主じゃないか?」
「あ、それもそうね」
「じゃあ住職を呼びましょうよ」
「あんたら……、こんな事して、ただで済むと思うなよ!?」
 事ここに至って、自分が偽名をかたっていたのが完全にバレていると悟った大崎が、怒りの形相で吐き捨てたが、千尋達は怯むどころか相手をせせら笑った。


「あぁら、名前も姿もバラバラで現れていた悪霊に、相応しい対応をしただけだわ。人間扱いして欲しかったら、真人間に生まれ変わってからいらっしゃい」
「悪霊の分際で、訴えるつもり?」
「あら、どこに? なんて言うのかしら?」
「閻魔様に『全身に塩を撒かれて、成仏しかけました』とか?」
「そりゃあいい」
 そこで五人に爆笑された大崎は、捨て台詞を吐きながらリュック片手に駆け去って行った。


「くそっ……、覚えてろよ!!」
「とっとと失せろ!! 悪霊野郎!!」
 そして店内に残った面々は、口々に笑顔で言い出す。


「はぁ、すっきりした」
「だけど無様だったわね」
「本当。しばらく思い返して笑えそうだわ」
「千尋さん、しっかり撮影しておいたから」
「ありがとうございます」
「よし、じゃあ子供達が来るまでに、ここをちゃんと片付けておかんとな」
「そうね。この有り様じゃ、びっくりされるわ」
 床に塩が撒き散らされ、所々山盛りになっている惨状を見ながら皆が苦笑していると、出入り口から二人連れの子供が顔を覗かせた。


「こんにちは。お姉さん、お菓子……」
「……どうしたの?」
 予想に違わず店内を覗き込んだ子供達は目を丸くし、それに千尋達は苦笑しながら応じた。


「ごめんね? ちょっとした大人の事情なの。すぐに片付けるから、ちょっとガレージの方か、公園で待っていてくれるかな?」
「うん、いいよ?」
「ガレージでまってる」
「ありがとう」
「箒とちりとりは?」
「山になっている所は、ボウルですくっても良いわよね?」
「覆っていたビニールは剥がすわよ?」
「……大人って、へんなことするね」
「うん、わからないね」
「なうっ!」
「あ、クロだ」
「……クロも、何をやってるの?」
 そして千尋達が分担して手早く掃除を始め、クロが水気を払うように身体を震わせて付いた塩を払っているのを、子供達は不思議そうに見守っていた。




「うわぁ! まっしろだ!」
「あはは、笑えるっ! 本当にまともに塩を浴びてるね!」
 夕食後に子供達だけで部屋に集まり、千尋がスマホの画像を披露すると、聡美と健人は想像していなかった自称大崎の惨状に、手を叩いて喜んだ。それに不敵に笑いながら、千尋が説明を続ける。


「物理的な暴力をふるったわけじゃないし、泥水やペンキとかをかけて、服を台無しにしたわけじゃないし。塩はすぐに、払い落とせるもの。悪霊と勘違いした不審者めがけて塩を撒いただけなんだから、こっちを責めるなら責めてみなさいよ」
「そうだよね」
「てんちゅーだね!」
「健人、難しい言葉を知ってるのね。凄いわ」
「うん!」
 そんな大盛り上がりの室内の会話をドアの所で漏れ聞いた義継は、無表情のまま書斎へ向かった。その後に付きながら、理恵が些か心配そうに囁く。


「あなた、本当に大丈夫なの? その大崎さんって人が、仕返しをしたりしないかしら?」
 そんな妻の懸念を、義継は廊下を歩きながら一刀両断した。


「例の大崎某とつるんでいたと思われる不動産屋は違うが、元々あそこを開発しようとしていた大手ディベロッパーの、メインバンクはうちだ」
「あらまあ……、そういう事」
「手を出そうとしていた土地がいつの間にかそこの副頭取名義になっていて、それをさり気なく融資担当者から耳打ちされた担当者は、それなりに動揺しただろうな」
 それを聞いた理恵は、呆れ顔で肩を竦める。


「相当動揺したと思うわよ? それなら今後、変なちょっかいを出される心配はないのね」
「よほど変な筋に、目を付けられない限りはな」
 そこで書斎に入った夫に、理恵はさり気なく問いかけた。


「この事を、千尋さんに教えてあげないの?」
「保有不動産を売り買いする度に、どうして一々子供に教える必要があるんだ。それより、珈琲を持って来てくれ」
「……はいはい、分かりました」
 素っ気なく言われた理恵は、(相変わらず素直じゃ無いんだから)と内心で呆れつつも、余計な事は言わずに台所へと向かった。




 それからも幾つかの些細なトラブルは発生したものの、問題無く営業を続けていたよろづやは、無事に退院した尚子が店に立つ日になった。
「お母さん、身体は大丈夫?」
 一応、前日引き継ぎはしたものの、心配して様子を見に来た千尋に、尚子は少し困ったように笑う。


「勿論よ。ちゃんと退院できたんだし、心配いらないわ」
「例の制裁事件の後、奴は姿を見せていないけど、変なちょっかいを受けたらすぐに知らせてよ?」
「ええ、そうするから」
 それを聞いて安心すると同時に、千尋にちょっとした疑問が生じる。


「だけど……、あんなに手の込んだ真似をしておきながら、意外にあっさり引いたわね……。また何か企んでくるかもしれないから、油断しちゃ駄目だからね?」
 真顔で忠告してくる娘に、(その可能性は無いと思うわ)と言いたかったものの、義継が動いていた事実を口にした場合、文句を言われるのは確実だった為、尚子は曖昧に笑って誤魔化す事にした。


「あ、そうそう。千尋に渡そうと思って、準備しておいた物があるの」
「何?」
「はい、これ。私の代わりにお店に入って貰った分の、バイト代よ。法定最低賃金で時給換算させて貰ったけど」
 カウンターの引き出しに入れてあった封筒を取り出し、尚子がそれを差し出すと、千尋は困惑顔で言い返す。


「親子なんだから、ボランティアのつもりだったんだけど?」
「私は最初から、払うつもりだったわよ。親子とはいえ生計は別だし、面倒をかけちゃったしね。それに、これで何も出さなかったら、あの人から嫌みの一つもきそうだわ」
「迷惑料込み、って事か……」
 そして一瞬、難しい顔で考え込んだものの、千尋はそれを受け取って頭を下げた。


「分かりました。正当な対価として、ありがたく頂いていきます。今回は色々、勉強になりました」
「そうして頂戴。就活頑張ってね」
「お母さん……。最後の最後で、一言余計よ」
 がっくりと項垂れた娘を見て尚子が笑いを誘われていると、足元から間延びした声がかけられた。


「なぉお~ん」
「あら、クロ。いらっしゃい。今日も毛艶が素敵ね」
「本当に得体が知れない奴ね、あんたって」
 笑顔の尚子と呆れ顔の千尋に出迎えられたクロは、いつも通り店の奥に悠然と進み、定位置の丸椅子に飛び乗って、そこで穏やかなひとときを過ごした。


(完)





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