相棒(バディ)は黒猫(クロ)

篠原皐月

(3)様々な出会い

 千尋にとって想定外だった事に、店舗横のガレージが子供達の溜まり場となっており、《よろずや》が再開した事が分かるとすぐに、常連客が入り浸るようになった。


「お姉さん、そっち使わせて貰うから、座布団出して」
 店で飲み物やお菓子を購入した小学生高学年と思われる三人組が、隣接するガレージの方を指さしながら言ってきた事を聞いて、千尋は面食らった。


「はい? 座布団って何の事よ?」
「あれ? おばさんから話聞いてない?」
「ガレージにロッカー置いてあるよね?」
「そこで俺達の私物を、預かって貰ってるんだよ」
「にぁあ~!」
 子供達が口々に訴えると、丸椅子から飛び降りたクロがレジ台の引き出し目がけて飛び上がり、その一つを鳴き声を上げながら前足でタッチして、音も無く床に下り立つ。


「おう、さすがにクロは分かってるよな。そういう訳だからお姉さん、そこの鍵開けて」
「ええっと、鍵、鍵っと。あ、ロッカーはこれか」
 そこまで言われて、千尋はクロが触った引き出しからロッカーの物と思われる鍵を取り出し、三人と連れ立ってガレージに移動した。そして言われた通りに、ロッカーを開けてみる。


「はい、お待たせ。……本当に色々、入っているわね」
 そこには細々とした道具類の他に、確かに小さめの座布団が積み重なっており、子供達は次々に目当ての物を引っ張り出した。


「これが俺の、マイ座布団」
「こっちは俺」
「あ、俺のも取って」
 そしてガレージの隅に積み重ねてあるジュース瓶のケースを引っ張り出し、その上にガレージに立てかけてあった薄い板と座布団を敷いた彼らは、早速揃ってそこに座り、携帯型のゲームを始めた。その光景を目の当たりにした千尋は、呆れ返りながら声をかける。


「お母さんもお母さんだけど、あんた達、何を持ち込んでるのよ」
 しかし子供達は、ゲーム機のディスプレイから目を離さないまま、事も無げに答えた。


「ちゃんとうちの親と、おばさんの許可は取ってるぜ?」
「それはともかく、いきなりこんな所でゲームなんか始めないで、子供なら元気良く公園で遊んできたらどうなの?」
「分かってないな~。今時のコンビニは、イートインスペース設置済みの方がメジャーだぜ?」
「俺達は客。客が寛ぐ為のスペース提供は、店の営業努力だよ?」
「今時は夕方まで親が居ない家が多いからさ、特定の家ばかりに子供が大人数で集まるのも、そこの家に申し訳ないだろ?」
「私は、家庭の事情や営業努力云々を、問題にしているわけじゃなくてね」
「第一、もう外で駆け回るのは飽きたから」
「一応ここは外気に触れてるし、外だと思う」
「うん、家の中より健康的だよな」
(このガキども……。この年になると変に小賢しくなって、本当に生意気よね)
 そんな屁理屈を言いながら、自分と目線を合わせずにゲームに没頭している子供達を見て、千尋は頬を引き攣らせた。もう少し意見しようかどうしようかと迷っていると、ここで背後から控えめに声をかけられる。


「あの……、すみません」
「はい! いらっしゃいませ!」
(え? 珍しいわね。と言うか五日目にして、初めての大人のお客様?)
 反射的に営業スマイルで振り向いた千尋の目の前には、予想に反してれっきとした成人、しかも明らかに自分より年上の、ラフな服装の男性が立っていた為、本気で戸惑った。すると相手は恐縮気味に、一枚の名刺を差し出してくる。


「いえ、客では無くて、俺はこういう者です。お仕事中にお邪魔してすみません」
 千尋は名刺を受け取り、その顔に相手以上の戸惑いを浮かべながら、独り言のように呟く。


「はぁ……、フリーライターの大崎達生さん、ですか……」
「はい。実は俺は地元のタウン誌と契約していまして、掲載範囲の色々な場所の取材をしています。今日はこの周辺の取材をしていましたが、外観になかなか味のある店舗を発見したので、喉を潤しつつ取材をさせて貰えればと思いまして」
 そう告げてきた彼に対し、千尋は心からの笑みを浮かべつつ、店内へと促した。


「そういう事でしたら、どうぞ中にお入りください。ジュースとかの他に、ミネラルウォーターやスポーツ飲料とかも、数は少ないですが冷やしてありますから」
「それならそれを頂きながら、少しこちらのお店の話を聞かせてください」
「わざわざお話しする事なんて無さそうですけど、それでも構わないなら喜んで」
(うわ、本当に男の人と、差し向かいで話すのって半月ぶり位かも。しかもイケメンだなんて、無給で頑張っている私に、神様からのご褒美かしら!?)
 千尋は店の奥からパイプ椅子引っ張り出し、大崎に座るように勧めつつ飲み物は何が良いか尋ねた。それに大崎がミネラルウォーターを注文し、それに千尋がいそいそと応じているのを、ゲームを中断してガレージから移動した三人組が、こっそり店の入り口から観察する。


「確かにちょっとイケメンだけどさ、嬉しさが隠しきれてないよな」
「お姉さん、随分男に飢えているとみた」
「さすがに子供ばかり相手してる所に、あんな奴が現れたら舞い上がるかもしれないけどさ……。何かうさん臭くないか?」
「は? お前の気のせいだろ」
「そうかな……。おいクロ、お前どう思う? って、あれ? クロは?」
 ここで店内を覗き込みつつ囁き合っていた子供達は、てっきりいるとばかり思っていたクロの姿が無い事に気が付いた。


「え? さっきまで、ガレージにいたよな?」
「いつの間に居なくなってたんだ?」
 つい先程まで自分達の近くにいた彼を子供達は目線で探したが、何故かクロは何処かに姿を消していた。


「そうですか……。ここの店主のお母さんが、交通事故で入院中とは大変ですね」
 向かい合って座るには少々手狭な為、斜めに椅子を並べて話し始めた二人だったが、すぐに実際の店主の尚子の話を聞いた大崎が、同情する顔つきで言い出した。それを千尋が笑って宥める。


「本当に巻き添えの事故でしたし、後遺症も残らないみたいで良かったですが。両親が離婚して、私は父方に引き取られたので、母の入院手続きとかは母方の伯母や従姉妹が済ませてくれて、申し訳無かったです」
「それは……、普段離れて暮らしていれば、余計にお母さんの事が心配ですよね。それでお母さんの代理を買って出たんですね?」
「いえ、買って出たと言うか……、偶々就職浪人中で身体が空いていただけですし」
 そんな立派なものではないと自虐的に口にした千尋だったが、大崎は心底感心したように言い出す。


「それでも、自分のお小遣い稼ぎのバイトを優先したりしないで、立派な親孝行じゃありませんか。田崎さんみたいな娘さんがいて、お母さんは本当に幸せですね」
「いえ、本当にそんなに大した事では……」
 そんな風に手放しで誉められて、流石に千尋は照れくさくなったが、そんな彼女を子供達が密かに物陰から眺めていた。


「おうおう、デレデレしちゃって」
「しっかり撮れよ」
「任せろ」
 そしてその中の一人が自分のスマホを取り出し、笑顔で話し込んでいる自分達のツーショットを撮影している事など、千尋は全く気付いていなかった。


「すみません、すっかり長居をしてしまって。お仕事の邪魔でしたね」
「いえいえ、子供達も大して来ずに閑古鳥が鳴いていましたし、お構いなく」
「それではまた今度改めて、お話を聞かせてください」
「こんなむさ苦しい所で宜しければ、いつでもどうぞ」
 結局、三十分以上も話し込んで大崎は腰を上げ、そんな彼を千尋は笑顔で見送った。


「はぁ、つい夢中になって話し込んじゃった……」
 彼の後姿が角を曲がって見えなくなるまで見送ってから、溜め息を吐いて無意識に呟いた千尋の独り言に、背後から合いの手が入る。


「それは良かったね~、お姉さ~ん」
「二人の世界を邪魔しないように、俺達がちゃんと準備中の札を下げて、他の子供を追い払ってやってたからな」
「感謝しろよ?」
「はぁ!? あんた達、何勝手な事をしてるのよ! それって営業妨害じゃないの!?」
 勢い良く後ろを振り返って、そこにいた三人組を叱り付けた千尋だったが、続けて差し出されたスマホの画面を見て固まった。


「おね~えさ~ん」
「何よ!」
「これ、要らない?」
「…………っ!」
 そこに映し出されていた、自分と大崎が仲良さげに写り込んだそれを見て、千尋は内心で葛藤する事になった。


「おう、ばっちりツーショットが撮れてるな。しかも、か~なりいい感じ?」
「どうする? 要らないなら、さっさとデータを消しちゃおうかな~」
「要るんだったらさ、お姉さんは大人なんだし、これ以上言わなくても分かるよね?」
(欲しい……、欲しいけど、明らかな盗撮物を要求するってどうなのよ)
 しかし悩んだのはそれほど長くなく、千尋は呆気なく降参して物々交換を申し出た。


「くっ……、そこの麩菓子、一個ずつ持って行って良いわよ」
 そんな取引を、子供達が清々しい笑顔で駄目押しする。
「もう一声!」
「それなら、そこのチョコ棒も付けるわ」
「お姉さん、もうちょっと勉強しようか?」
「あっ、あのねっ……」
(くっ、完全に足下を見られてる……。ここはビシッと、大人の威厳と言う物を)
 子供達と押し問答をしながら、千尋がそんな事を考えていると、いきなり足元から鳴き声が響いてきた。


「なぉ~ん!」
「あれ? クロ」
「お前、どこに行ってたんだよ」
「相変わらず、神出鬼没な奴だな」
「にゃっ! にゃっ!」
 ゆったりとした足取りでやって来たクロが、一人の子供の靴の先を前足で軽く叩きながら、まるで窘めるように短く数回鳴いた。


「え? それ位にしておけって?」
「なうっ!」
 行儀よく座り込んで、自分達を見上げながら再度一声鳴いたクロを見て、子供達は顔を見合わせて頷き合う。


「ほら、クロもあんまり欲張るなって言ってるぞ?」
「麩菓子とチョコ棒で手を打っとけよ」
「そうだな。いじりすぎて、お姉さんがちょっと可哀想になってきたし。データを移してあげるよ」
「……どうもありがとう」
「どういたしまして」
(何か子供に色々見透かされて恥ずかしいし、私よりクロの言うことの方を聞くなんて……。しかもクロははっきり口にした訳じゃないし、二重の意味で屈辱……)
 データを貰える事になって嬉しかったものの、千尋はどこか釈然としないまま、引き攣り気味の笑顔でお礼の言葉を口にした。




 その日も夕食の席で、店での話を披露した千尋だったが、一通り聞き覚えた理恵は無言で顔を引き攣らせ、聡美は興味津々で尋ねた。


「お姉ちゃん、その男の人ってそんなに格好良いの?」
「うん。スマホに一緒に写った画像があるから、ご飯を食べ終わったら見てみる?」
「見たい!」
「ぼくね、きょうもねこさんみたい!」
 ウキウキと言い出した健人に、千尋は笑いながら頷く。


「今日はいつも以上に、やる気の無いクロが撮れたわよ? 道路のど真ん中でベローンと寝そべっていたり、バケツの中で丸まっている写真もあるから、後から見せてあげる」
「やったー!」
「笑えそう。それも見せてね!」
「良いわよ。でもその前に、きちんとご飯を食べようね?」
「は~い!」
「うん!」
 さり気なく千尋が好き嫌いせずに食べようと促し、少しでも早く猫の画像が見たかったのか、健人が皿の隅に寄せていたピーマンを勢い良く食べ始める。兄弟三人で和やかに会話しながら食べ進めるのを、理恵は微笑ましく眺めていたが、それと同時に密かに安堵していた。


(今夜も、あの人の帰りが遅くて助かったわ。千尋さんが嬉しそうに男の人の話をしているのを聞いたりしたら、下手したらあの人)
「戻ったぞ」
「はひゃいぃっ!?」
 自分の考えに浸っていた最中にその本人が音も無く帰宅し、いきなり至近距離から声をかけてきた為、理恵は激しく驚いて意味不明な叫びを上げた。当然それは、家族全員から怪訝な視線を集める。


「……どうした」
「え?」
「お母さん?」
「ママ?」
「ああああのっ! あなた、お帰りなさい! 今日は随分早かったのね!」
 慌てて勢い良く椅子から立ち上がった理恵に、義継は益々訝しげに問いを重ねた。


「ああ。仕事が思ったより早く片付いてな。……何かあったのか?」
「いいえ、別に何も。待っていて、今すぐにご飯を出すから」
 そこで理恵が動き出すと同時に、子供達が次々に食べ終わる。


「御馳走様でした」
「ごちそうさま」
「ぼくもたべおわった!」
「それじゃあ一緒に食器を片付けて、私の部屋でさっきの話の続きをしようか?」
「うん!」
「いこう!」
 そして義継に挨拶してから、千尋達は連れ立ってダイニングキッチンを出て行った。彼はそれを見送ってから、自分の前に夕食を並べている妻に、何気無く尋ねる。


「子供達は、何をあんなに盛り上がっているんだ?」
「ほ、ほらっ! 千尋さんのお店の猫の話よ。今日も色々大活躍だったみたいで、写真も撮ってきたそうだし」
「……そうか」
 焦りながら理恵が弁解し、それを聞いた義継は少し片眉を上げたが、それ以上突っ込んで聞いてくる事は無く、黙々と食べ始めた。


(何だか、微妙に疑っている気がするけど……。別に、聡美と健人に、口止めまでしなくても大丈夫よね?)
 それを見て密かに胸を撫で下ろした理恵だったが、一抹の不安を抱える事となった。


 次の日曜日、千尋は予定していた通り、母親の見舞いに出かけた。
「お母さん、具合はどう?」
「取り敢えず元気よ。ごめんなさいね、店の事を任せた上に、色々届けて貰って」
「毎日来ているわけじゃないし。伯母さんとかも来ているんでしょう?」
「一人で何不自由なく生活していたけど、こういう事があると本当に考えちゃうわ」
「そうよね。大崎さんも、お母さんの事を随分心配してくれてたし」
 そこで千尋がしみじみとした口調で言い出した事について、尚子は不思議そうに尋ね返した。


「大崎さん? そんなご近所さんは居ないけど、誰の事?」
「この前の金曜日にお店に来た、タウン誌と契約しているフリーライターさんよ。味のある店構えだから、ちょっと話を聞かせて貰えないかって言われて話し込んだの。お母さんは知らないよね?」
「ええ、いらした事は無いし、会った事は無いわね」
 素直に頷いた尚子に、千尋は苦笑いしながら補足説明をした。


「尤もお母さんの代理で、先週からやり始めたばかりだし、大して話す事も無くて。逆に大崎さんから、付近のイベントとかを色々教えて貰っちゃったわ」
「そうだったの」
「あ、そういえば、あの店がある一角って、今年の春頃に再開発の話が持ち上がったんですって?」
「ええ。その話、その大崎さんから聞いたの? 耳が早いのね」
「曜日ごとに地域を分けて回って、住人から色々情報を仕入れているらしいわ。それでその事も記憶にあったみたいで、話題に出たのよ」
「なるほど、そう言う事ね」
 感心したように尚子が頷くと、千尋も深く頷きながら、真顔で話を続ける。


「一人暮らしのお母さんが入院して、その代わりで店を開けていると説明したら、『それは大変でしたね。娘としては心配でしょう』って凄く同情してくれて。『怪我ですと、リハビリとかも大変ですよね? 住居部分は二階みたいですし、階段も危ないかもしれません。マンション建設に伴う、地権者提供用の部屋での暮らしになるなら、これからお年を重ねても色々便利だとは思いますが』って心配してくれたの」
「確かに、そうかもしれないけど……」
 そこで言葉を濁した尚子に、千尋は踏み込んで聞いてみた。


「どうしてマンション建設の話が進まなかったの?」
「地権者である住民の多くが、拒否したからよ」
「お母さんも?」
「ええ。だって住む所は用意して貰えるでしょうけど、駄菓子屋を併設って無理ですものね」
 そこで千尋は思わず口を挟んだ。


「そう? 一階に店舗とか設置してあるマンションって多くない?」
「そういう所はコンビニとかでしょう? 駄菓子屋が入っているマンションって、想像できる?」
「……できない」
「そうよね」
 難しい顔で答えた娘に、尚子は笑った。それを見た千尋は、憮然としながら問いかける。


「どうしてそんなに、あのお店にこだわるのよ?」
「まあ……、色々あってね」
「本当に、わけが分からないわね」
 完全に呆れ顔になった千尋に、肝心な事は語らないまま、尚子は笑みを深めた。



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