相棒(バディ)は黒猫(クロ)

篠原皐月

(2)《よろづや》の頼もしいスタッフ?

「さてと。一応開けてはみたけど、こんな早くから子供達が来る筈がないし、暇だわね。本当にボランティアだわ」
 週明けの月曜日の午後。準備を済ませた千尋は十三時に店を開けたが、公園の外周に接した目の前の道路に人通りはなく、当然、《よろづや》にも客は入って来なかった。


「なぉ~ん」
「来店者第一号が、猫とは泣けるわね」
 店を開けてから30分程、入り口に設置してあるレジカウンターで頬杖を付いていた千尋は、開けてあった入り口から悠々と見覚えのある黒猫が入ってきた為、本気でカウンターに突っ伏したくなった。しかし何とか気を取り直し、立ち上がって猫に向かって皮肉っぽく声をかける。


「あのね、一応ここは食べ物を扱っているから、動物の出入りは望ましく無いんだけど?」
「にゃうっ!」
 店の奥に向かって歩いていた猫は、その歩みを止めて千尋に振り向きざま一声短く鳴いてから、何事も無かったかのように再び歩き出した。そして小さな木製の丸椅子に到達すると、そこに飛び乗って丸くなる。


「……聞いているわけないのに、私、何を真面目に相手してるのよ」
 思わず愚痴っぽく呟いた千尋は、尚子のノートにも「邪魔はしない」云々と書かれていたのを思い出し、そのまま無視を決め込んだ。
 それからさらに一時間ほど経過すると、猫は音も無く椅子から飛び降り、無言で歩き出す。


「あれ? どこに行くの?」
 反射的に声をかけた千尋だったが、猫はそのまま振り返りもせずに店を出て行き、彼女は「行き先を言う筈もないか」と自重めいた呟きを漏らした。
 そしてこのまま夕方まで閑古鳥が鳴いているのかと、彼女が本気でうんざりしかけた時、小学校低学年に見える少年が二人唐突に現れ、千尋は慌てて愛想笑いを振り撒いた。


「いらっしゃい」
「こんにちは、おばさんは?」
(このくそがき! そりゃああんたの母親と、それほど世代の差は無いでしょうけどね!?)
 大真面目に一人の子供にそんな事を言われて、千尋は内心で腹を立てたが、何とか顔に笑みを浮かべつつ答えた。


「ええと……、私は田崎千尋って言うのよ。この店を暫く預かっているの」
「おねえさんじゃなくて、おばさんは?」
 益々不思議そうに問いを重ねられた千尋は、相手が意図するところを誤解していたのを悟って、慌てて言い直した。


「あ、ああ……、おばさんって、お母さんの事か……。おばさんはまだ入院中だから、その間、私がここを頼まれているのよ」
「そうなんだ……」
「ねこさんがいたから、おばさんがおみせをあけてるとおもった」
 少々残念そうに子供達が口にした内容を聞いて、千尋は首を傾げた。


「猫?」
「うん、くろいやつ。おみせがあるときは、いつもこのへんをフラフラしてるよ?」
「おばさんがかってるんじゃないの?」
「飼ってはいないのよね。入り浸ってはいるみたいだけど」
「ふぅん?」
「そっか。おねえさん、ラムネください」
「ぼくも!」
「はい、今出すからちょっと待ってね」
 求めに応じて千尋が冷蔵庫からラムネの瓶を取り出し、栓を開けて子供達に手渡している間に、猫は気配を感じさせずにいつの間にか店内に戻っており、先程の椅子にまた収まっていた。代金を受け取ってレジに閉まってからその存在に気付いた千尋が、半ば呆れて凝視する。


「あ、飲み終わったら、瓶はそこのケースに入れてね?」
「だいじょうぶ!」
「ごちそうさまでした」
 子供達が飲み終わりそうな事に気が付いて千尋が声をかけると、二人は慣れた様子で所定のケースに瓶を入れ、挨拶して公園に向かって行った。


(うん、小さい子って、純真で可愛いよね。お母さんの事も、心配してくれていたし。……心の中でだけど、悪態を吐いてごめんね)
 二人の後姿を眺めながら反省した千尋だったが、店の奥に視線を戻すと、再び猫の姿が無くなっている事に気付いた。


「あれ? またあの猫、いつの間にかいなくなってる……。本当に、落ち着きの無い猫ね」
 千尋が呆れ気味にそう呟いていると、それからものの五分もしないうちに、猫と共に少年三人組がやって来た。 


「なぅ~」
「あ、戻って来た」
 ゆっくり店内に足を進める猫を見つけて、千尋が思わず声を出すと、その猫に続いて男の子達が口々に言い合いながら入店してくる。


「お店、あいてるね」
「今日はやってるんだ」
「猫がいたし、やってるって言っただろ?」
「いらっしゃい」
(本当にこの猫が、お客の子供達を誘導しているの?)
 あれが良い、これが良いと雑談しながら、手元の籠に小さなパッケージを入れている子供達から視線を外し、千尋は半信半疑で猫を凝視したが、相手は椅子の上で大きなあくびをしてから元通り丸まった。
 それからぽつぽつと子供達が来店し始め、お菓子の他に水風船やシャボン玉のセット、組み立て式の紙飛行機などが一つ二つと売れていたが、何分か前に縄跳びを買って行った姉妹が再び来店して、千尋に声をかけてきた。 


「お姉さん、はさみを貸して貰えますか?」
「え? 鋏?」
「さっき買った縄跳びで、妹に教えようと思ったけど長いの。持ち手の中に余分な分を押し込んで調節しても、まだ長くて」
「なるほどね。ちょっと待って」
 小学校高学年に見える姉が困ったように差し出してきた、縄跳びの透明な持ち手部分を見た千尋は、そこにぎゅうぎゅう詰めになったビニール製の紐を見て、カウンターの引き出しを開けた。


「えっと、鋏、鋏っと。……あれ? 筆記具とか領収書とか、糊までここに纏めてあるのに、どうして鋏やカッターの類が無いのよ?」
 若干焦りながら千尋が机の引き出しを漁っていると、いきなり店の奥から猫の泣き声が響き渡った。


「にゃっ! にゅあっ! にやぁ~っ!」
「あ? ちょっと五月蠅いわよ! こっちは忙しいんだから、静かにしてなさい!」
「にゃっ! なぁっ!」
 思わず叱り付けた千尋だったが、猫は奥の戸棚の引き出しに向かってジャンプしつつ泣き叫んでおり、彼女は苛つきながらそこに向かった。


「ちょっと! そこに鰹節でも入ってるっての? いい加減にしなさいよ? 全部まとめて捨ててやるから!」
 そして彼女は、猫が前足でタッチしていた引き出しを勢い良く引き開けたが、そこに入っていた物が目に入った瞬間固まった。


「……え?」
 そこには鋏やカッター、ドライバーなどが整然とケース類に入って並べられたおり、千尋は思わず足元に目をやった。そこにはもう飛び上がったりはせず、おとなしく無言で自分を見上げている猫がおり、彼女は内心で動揺する。


「お姉さん?」
「あ、ああ、ごめんなさいね? 鋏を見つけたから、切って調節してあげるわ」
 しかし怪訝そうに少女に声をかけられた千尋は、我に返って鋏を手にカウンターに戻った。


「これで大丈夫かしら?」
「うん」
「ちょうど良いね。ありがとうございました」
「どういたしまして」
 妹の身長に合わせて紐を切り、元通り持ち手の留め具を填め込んだ千尋は、満足した姉妹を見送ってから、店の奥に視線を向けた。そして幾らか逡巡する素振りを見せてから、控え目に声をかける。


「その……、クロとやら……」
 その声に、椅子の上にいた猫は、無言で顔を上げて千尋を凝視してきた。そんな猫に向かって、千尋が素っ気なく礼を述べる。


「偶然でしょうけど、さっきは助かったわ」
「なぅ」
「……本当に状況が分かっているわけ?」
 小さく頷いたクロは、まるで「気にするな」とでも言うように短く鳴いただけで、再び頭を下げて目を閉じた。それに懐疑的な目を向けながら、千尋は小さく溜め息を吐いた。




 その日の夕食時の話題は、もっぱらクロ一色となった。
 仕事で帰宅が遅くなる義継を除いた田崎家全員が顔を揃えた席で、理恵から「お店は今日からだったけど、どうだった?」と心配そうに尋ねられれば素っ気なく答えるわけにもいかず、千尋は開店からのあれこれを順序良く語って聞かせた。


「それで……、今まで言った他にも、ゴミ袋を切らしていればそこのロッカーを叩くし、無くなった商品在庫の前で鎮座して鳴いているし。細かい所で店を閉めるまで、色々助けられたのよ」
 そう話を締めくくると、この間興味津々で姉の話に聞き入っていた聡美と健人は、すっかり感心した風情で感想を述べた。


「その猫、すごいね」
「あたまいいね~」
「うん、まあそれは認めるし、釈然としない所はあるけど……。素直に助かったと思っておくわ。本当にもの凄い確率での、偶然だったのかもしれないけど」
「でもお店の事を知り尽くしているスタッフが居ると思えば、随分気が楽よね。営業までやってくれているなんて完璧よ」
「本当ですよね。それに経費はかからないし」
 思わず理恵も笑いながら会話に加わると、千尋も苦笑で返す。


「それじゃあ本当に、尚子さんが飼っている猫では無いのね?」
「ええ。試しに何か食べるかと思って幾つか食べ物を出してみたんですが、最後まで水だけ飲んでいました」
「不思議ねぇ」
「まあ、こっちは無給のボランティアなのに、猫に報酬を出さなきゃいけなかったらさすがに腹が立ちますから、ちょうど良いです」
「それもそうね」
 すました顔でそんな事を言われてしまった理恵は本気で笑ってしまい、その日は千尋を含めて子供達全員、笑顔が絶えない夕食となった。


 それから約四時間後。その家の主である義継が帰宅し、人気のない食堂で夕食を食べ始めると、理恵がさり気なく店の事を話題に出した。
「そういえば、千尋さんの方は順調そうよ? 例のお店に、頼もしい助っ人さんがいたんですって。夕食の時に、彼の話で盛り上がったのよ」
「……彼? 何の事だ?」
 口調は平坦ながら、夫の眉間にくっきりとしたシワが刻まれたのを認めた理恵は、何とか笑いを堪えながら夕食時に聞いた話を掻い摘んで説明した。


「情けない……。猫にフォローして貰うとは何事だ。恥を知れ」
 聞き終わった途端、千尋を叱責する台詞を口にした義継だったが、実は夫が口で言う程不機嫌ではない事は理恵には分かっていた。


(本当に彼氏ができたわけでは無いと分かって安心して、機嫌は悪く無いわよね? だって眉間のシワが消えているし。さっきはわざと、『彼』なんて言い方をしたから。でも本当にこれから千尋さんに恋人でもできたら、どうなるのかしらね?)
 ちょっと狼狽えるこの人を見てみたいかも、などと少々意地の悪い事を考えつつ、理恵はお代わりの求めに応じて、ご飯茶碗を手にキッチンへと向かった。





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