飛んで火に入れば偽装結婚!?

篠原皐月

(14)不穏な気配

 応接室に案内された四人のうち、クレアとセレナは勧められるままソファーに座ったが、パトリックとコニーは自分達は随行者の立場であるからと椅子を固辞し、多少揉めた後、ソファーの後方に背もたれなしの椅子に腰を下ろした。その後、ルイーザが子供達を呼びに部屋を出て行ってから、バウルがしみじみとした口調で言い出す。


「セレナ。君とクライブ殿との関係が公になってから、王宮で相当紛糾した事がここまで伝わってきたが、本当に無事に結婚できて良かった。これでレンフィス伯爵領も、ひと頃よりは落ち着くだろうし」
 それを聞いたセレナは、ある可能性に思い至った。
「あの……、もしかして、何かこちらにご迷惑をかけていたでしょうか?」
 慎重に詳細を尋ねてみると、バウルが苦笑いでそれに応じる。


「うん? ああ、迷惑と言う程ではないのだが、ライアンの又従弟とか大叔母の息子とか名乗る輩が時折押しかけてきて、『自分をレンフィス伯爵家の後継者か、エリオットの後見人として推薦して欲しい』と要請してきたんだ。一蹴しておいたがね」
「我が家の事でご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありません」
 とんだところで迷惑をかけていた事が分かったセレナは深く頭を下げたが、バウルは笑みを深めながら彼女を宥めた。 


「先程も言ったように大した迷惑では無いし、君のせいでもないさ。れっきとした後継者が存在しているのに、それを覆そうなどと考える不届き者の声に、耳を傾けるのは馬鹿馬鹿しいし時間の無駄だ」
 そんな二人のやり取りを聞いていたクレアは、目の前の人物を改めて評価した。


(なるほど、ご当主は武人として名を馳せているけれど、それ以上に公明正大な方らしいわ。この地にこのような方がおられて、レンフィス伯爵家は幸運だったわね。賄賂を貰って口利きするような方だったら、下手をするとセレナとエリオットは路頭に迷っていたわ)
 そんな事を考えていると、バウルが顔つきを改めて話し出す。


「ただ今回、君達には謝っておかなければいけない事がある」
「何でしょうか?」
「最近、レンフィス伯爵領との境界付近で、野盗が出没しているんだ。小隊に付近を巡回させているのだが、なかなか一網打尽にできなくて。どうやら根城がそちらの領内にあるらしく、下手に侵入できないものだから。こちら側に出てきた時に一気に叩こうと考えたのだが、最近国境沿いで不穏な動があったから、そちらに予備兵力のうちかなりの人数を動員していて、なかなか思い通りに事が運ばなくてね」
 そんな事情を聞かされたセレナは、益々申し訳なく思いながら言葉を返した。


「バウル様が謝る事ではございません。父が亡くなって以降、暫く領内が動揺しておりましたから、それに付け込んだ輩が非道な振る舞いに出ていたのでしょう。お話ではこちらの領内にも出没しているのですから、謝罪しなければいけないのはこちらの方です。本当に申し訳ありません」
「加えて、領主不在の所で騒ぎを起こせば、レンフィス伯爵家の領内管理に落ち度があると指摘され、お咎めを受けるかもしれませんね。最悪、当主を縁戚の者に挿げ替えるように、どこからか進言されるとか」
「え!?」
「さすがにご理解が早い」
 冷静にそんな推察をしてきたクレアにバウルが深く頷き、予め準備しておいたらしい用紙を服のポケットから取り出して差し出す。


「それでこちらが、先程私に推挙を願って来た者の一覧です。加えて、普段私の妻子と何らかの付き合いや関わり合いがある者については、特に印を付けてあります」
「ありがとうございます。こちらはこのまま頂いても宜しいですか?」
「どうぞ、進呈いたします。境を接する領地が安定するのは、我が家に取っても望ましい事です。今後ともよろしくお付き合いください」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
 二人が真顔でそんな話をしているのを眺めながら、セレナは決意を新たにしていた。


(そんな事になっていたなんて……。バウル様のお話では最近の事らしいから、館の方でも対処に苦慮していたのかしら。王都にルイを呼び寄せてしまったから、領内の指揮系統が若干混乱しているとか。向こうに着いたら、即刻状況確認をしないと。いつまでもバウ様にご迷惑をかけられないわ)
 セレナが内心で考えを巡らせていると、先ほど応接室を離れたルイーザが戻って来た。


「失礼致します。子供達を連れてまいりました」
「ああ、入りなさい」
 バウルの呼びかけに従い、ルイーザに続いて年齢順に四人の子供が入室し、ソファーの近くで横一列に並ぶ。
「バルド大公、私の子供達を紹介いたします。向かって左から順に長男のチェスター、長女のレノーラ、次男のグエン、次女のキャリーです」
 そこでクレアとセレナは立ち上がり、クレアは更に長男のチェスターに歩み寄って、右手を差し出した。


「初めまして、バルド大公クライブです。本日はお世話になります。皆さんにお会いできて嬉しいです」
 クレアがそう挨拶すると、チェスターは手を握り返しながら、満面の笑みで滞在延長を勧めてきた。
「こちらこそ、お会いできて光栄です。一泊と言わず二泊でも三泊でも、ご滞在していただいて構いません。そうですよね、母上」
「ええ、勿論ですわ。ごゆるりとご滞在くださいませ」
 妻子が唐突にそんな事を言い出した為、驚いたバウルはすかさず彼らを窘める。


「お前達、大公にもご都合と言うものがあるのだぞ?」
「少し位、良いではありませんの」
「そうですよ。せっかくこちらまでいらっしゃいましたのに」
 そんなやり取りを聞いたセレナは、内心で動揺した。


(えぇ!? こんな領地と目と鼻の先で、どうして何泊もしないといけないのよ! しかもこの人達の居る所に、長居したくないわ)
 何とかして延泊を回避できないかとセレナが悩んでいると、クレアがさりげなく断りを入れた。


「それは大変ありがたいお申し出ですが、レンフィス伯爵領が目と鼻の先にありますので。先代の伯爵がお亡くなりになって以降、領民も落ち着かない日々を過ごしていた筈。一日も早く彼らの不安を払拭させたいので、今夜だけお世話になって明日には領内に入ります」
 それを聞いたバウルが、深く納得しながら頷く。


「確かにそれは、領地を預かる者の心構えとしては当然の事ですな。お前達も、無理にお引止めするのは控えなさい。これから色々と、お招きする機会はあるだろう」
「……分かりました」
「大公様は、お優しい方ですのね」
 チェスターとルイーザはしぶしぶといった感じで頷いたが、ここでセレナより一歳年下のレノーラが、いかにも馬鹿にした口調で会話に割り込んだ。


「レンフィス伯爵家の屋敷をご覧になって、大公様が驚かなければ宜しいのですけど。こことは比べ物にならない位、貧相な館だと聞いておりますし」
「レノーラ! 失礼だろう、口を慎め!」
「あら、私は親切心で申し上げましたのよ? そもそもあの地は、罪人の流刑地ではございませんか。王宮育ちの大公様があんな所でお暮らしになるなんて、本当にお気の毒で」
「レノーラ!」
 咎められても態度を改めないレノーラにバウルの語気が強まり、この間黙ってソファーの後ろで観察していたパトリックとコニーは、眉根を寄せながら囁き合った。


「何なんだ、あのご令嬢は」
「全くだ。失礼にも程があるぞ」
 そこで室内に、クレアの落ち着き払った声が響く。


「レンフィス伯爵領内の事については、私も一応聞き及んではおりますよ? 勿論、このグランスバール城とは比べ物にならない位、規模の小さい館しかない事も」
「そうでございましょう?」
「ですから是非、こちらでお過ごしくださいませ」
 ルイーザとレノーラが勢い込んで話を纏めようとしたが、クレアはそれには構わずに話を続けた。


「そんな要塞とも言えない設備しかない所で、しかも主だった産業も無い所で、罪人の暴動なども発生させる事無く領地を運営できたのは、歴代の伯爵家当主の類稀なる手腕と努力によるもの。そんな彼らを、私は前々から密かに尊敬しておりました」
「え?」
 にこやかにそんな事を言われてしまったルイーザ達は困惑したが、彼女達には構わずクレアは語り続けた。


「その家に連なる事ができ、かつその地で暮らす事ができる幸運に恵まれて、私は本当に幸せ者です。今後はレンフィス伯爵家を今以上に盛り立てる為、全力を尽くすつもりです」
 そう話を締め括ると、ルイーザ達が何か言う前にバウルが感極まったようにクレアに歩み寄り、手を握りながら語りかける。


「さすがはバルド大公、あなたに任せておけばレンフィス伯爵領は安泰ですな。そちらから優秀な騎士が何人も輩出しておりまして、こちらで活躍している者が数多いるのです。領内が安定すれば、こちらに出て来る者も増えましょう。良き騎士を推薦していただければすぐにでも召し抱えますので、よろしくお願いします」
「こちらこそこれまで通り、よろしくお付き合いください」
 二人は笑顔で親交を深めていたが、その背後でルイーザ達が忌々しげな顔で自分を睨み付けているのを認めたセレナは、はっきりと嫌な予感を覚えた。


(私達を引き留めて、何かしたい事でもあったのかしら。どう考えても、ろくでもない事のようにしか思えないのだけど)
 そんな事を考えて、溜め息を吐くのを何とか堪えていたセレナの背後で、パトリックが感心したようにコニーに囁く。


「さすがクライブ様だな」
「ああ、胸がすっとしたぞ」
「だが……、あの連中の態度。ちょっと気に食わないな」
「ああ。何か含む物でもありそうな……。ここに滞在するのが、一晩だけで良かったぞ」
「そうだな」
 二人も些か不快なものを感じ取ったが、余計な口を差し挟む事は控えた。その後、全員の挨拶が済んでから、四人はそれぞれ割り振られた部屋へと案内された。



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