飛んで火に入れば偽装結婚!?

篠原皐月

(11)結婚話の余波

義兄にい様。昼間、殿下がいらした時の話の内容は、これで全部です」
 その日の夕食の席で、帰宅したラーディスにセレナが日中の事を説明すると、彼は難しい顔になって問い返した。


「セレナは殿下の話を聞いて、どう思った?」
「どうもこうも……。やはり殿下には、公にはできない恋人がいたみたいですね。その方を連れて、こちらに来るのでしょう?」
「話を聞く限りでは、そうだが……。殿下のお人柄を考えると、どうも引っかかるんだよな」
 そのまま考え込んだ息子を横目で見てから、既に話を聞いていたフィーネが、納得いかない顔付きで会話に加わる。


「だけど旦那様は平凡な伯爵家当主で、官吏としても内務局次官補という地味な役職だったのに、どうやって殿下の秘密の恋人の存在を、掴む事ができたのかしら?」
「それも謎ですけど……。そもそも下働きならともかく、後宮勤務の女官だと身元がはっきりした、それなりの家格以上の子女がなるものだと思っていましたが。何もわざわざ姉様と偽装結婚してまで、その方を隠す必要があるのでしょうか?」
 エリオットも大真面目に疑問を呈したが、セレナは首を振った。


「そんな事は、私にも分からないから聞かないで。でも殿下が偽装結婚したがっている理由が分かって、安心したのは確かだわ」
 それを聞いたエリオットは、おかしそうに笑いながら頷く。


「そうですね。兄様は『寝室に繋がる隠し扉を作ろう』とか言い出して、屋敷の皆と相談していましたけど、最初から寝室を別にするなら、その必要は無いでしょうし」
「お前だって『ベッドの下に、潜り込めるスペースがあるかどうか確認する。無ければ買い換えて』とか言っていただろうが」
「もう、義兄様もエリオットも、何をやっているのよ!」
 セレナも兄弟と一緒になって笑ってしまうと、一人真顔で考え込んでいたフィーネが、心配そうに確認を入れてきた。


「でもセレナは、本当にこれで良いの? 形だけでも殿下と結婚する事になるのよ?」
「勿論です。それに偽装結婚するにしても、相手がクライブ殿下で本当に幸運だったと思います。エリオットが無事に伯爵位を継承したら、離婚しても良いと申し出てくれましたし」
「正直、かなり複雑な心境なのだけれど……。でも、そうね。セレナが嫌がる相手と結婚する事は回避できたのだし、ここは素直に殿下に感謝して、喜ぶべき所なのでしょうね」
 フィーネが自分自身に言い聞かせるようにそう告げると、セレナが深く頷く。


「ええ。ですから殿下が連れてくる女性に対して、くれぐれも失礼の無いように、皆に徹底させてください」
「分かったわ。きちんと言い聞かせておきましょう」
「義兄様もお願いしますね?」
「……ああ」
 セレナが視線を移して念を押すと、ラーディスが不承不承頷いてみせた。そのまま無言で食べ進める彼を見て、セレナが考え込む。


(何だか義兄様は、納得していないと言うか、不満そうなのよね。でもさすがに、この話が壊れたら拙いという事は分かっているし、大丈夫だとは思うけど)
 そんな風にレンフィス伯爵家では、若干の不安と不満を抱えながらも、セレナとクライブの結婚話を受け入れ、諸々の準備を進めていったが、それとは対照的に他所では大いなる不満と怒りが沸き起こっていた。




「クライブが王太子位を返上して、大公を名乗るだと!? それは一体、どういう事だ!?」
 侯爵家に降嫁してからは滅多に顔を合わせない妹が、わざわざ屋敷を訪ねて来たと思ったら、挨拶もそこそこに口にした内容を聞いて、グレナース伯爵ギュンターは相手を怒鳴りつけた。しかし妹であるアルネーは、冷え切った視線で言葉を返す。


「先月から社交界では、随分噂になっておりました。ですが兄上は噂話には疎いですし、交友関係も偏っておられるので、やはりお耳に入っていなかったのですね。既にクライブ殿下に下賜される王家の直轄領が選定され、次の王太子もリオネス殿下に本決まりだと伺っております」
「ふざけるな!! どうしてあいつばかり厚遇されるんだ! 俺は第一王子なのに王族籍を離れても、大公位も領地も与えられなかったんだぞ!」
 憤怒の形相でテーブルを叩き付けた彼を見て、室内に控えていた侍女が恐怖で真っ青になったが、兄の癇癪など幼い頃から見慣れていたアルネーは、半眼で言い返した。


「それはやはり、清廉潔白で能力も人望もおありのクライブ殿下と違い、兄上の素行の悪さが原因でしょう」
「何だと!?」
「一人の女性だけを愛する為に王太子位を投げ出した殿下と、関わりのあった無数の女性を悉く不幸にした兄上とでは、比較する事すらクライブ殿下に失礼ですわ」
「アルネー、貴様!! 実の兄を罵倒する気か!?」
 益々いきり立ったギュンターだったが、そんな兄をアルネーは、全く恐れずに見返した。


「ええ、誠に残念な事に、私と兄上は同父母兄妹ですので、嫌な役目を押しつけられましたわ。兄上を恐れて、誰も報告できないと思った母上に頼まれて、わざわざ私がこちらに出向きましたのよ? 母上からは『くれぐれも、クライブ殿下とリオネス殿下に対して、失礼な言動は慎むように』との伝言を預かって参りました」
「黙れ!! 余計なお世話だ!!」
「能力が劣る以前に、そういう粗暴で他人の話に耳を貸さないところが、王位継承者として失格だと見なされたのが、いまだにお分かりいただけないみたいですね……」
 溜め息を吐いて立ち上がったアルネーに対し、ギュンターは手で追い払う真似をした。


「五月蝿い! とっとと失せろ!!」
「それでは失礼します。くれぐれも軽挙妄動は謹んでください」
 言うだけ無駄だと思いながら忠告し、一応の義務を果たしてから、アルネーは応接室から廊下へと出た。


「お邪魔しました。お騒がせして、申し訳ありません」
「こちらこそ、まともなおもてなしもできず、面目次第もございません」
 アルネーの来訪に嫌な予感を覚えたらしいギュンターの妻のルディアが、使用人達を従えて廊下で様子を窺っていた為、アルネーは彼女に向かって頭を下げた。すると恐縮した様子で使用人共々、ルディアが頭を下げる。 そのまま玄関まで彼女達に見送って貰い、馬車に乗り込んだアルネーだったが、帰り際の従姉妹で義妹にも当たるルディアの暗い表情を思い返し、心底彼女に同情した。


(取り敢えず、伝えるだけはしたけれど……、大丈夫かしら? とても兄上が素直に認めるとは思えないし、周囲に当たり散らしそうで……)
 そして盛大な溜め息を吐いたアルネーは、自分の考えに僅かに頭痛を覚えた。


(王妃様の産んだクライブ殿下が王太子になっていたから、今までは諦めていたと言うか、我慢していた筈だけど。同じ側室腹のリオネス殿下が立太子されたら、変な事を考えそうで……。リオネス殿下の実の祖父君でもあられるし、事前に宰相閣下にご相談しておきましょうか。後宮内でのお母様の立場を、これ以上悪化させたくは無いもの)
 分を弁えない息子の行為のせいで、事ある毎に非難されてきた母親に同情しているアルネーは、早速夫である侯爵に頼んで、宰相と面会する段取りを付けて貰おうと決意した。
 そんな妹の心痛など知った事では無いギュンターは、応接室に一人取り残されてから、腹立ち紛れに罵声を上げていた。


「くそぉっ! 俺は第一王子だぞ! 本来なら俺が王太子だったのに、クライブが生まれたせいで! しかも奴が王太子を下りたのに、次がリオネスだと!? ふざけるな!! こんな伯爵家に押し込められずに王子のままだったら、この俺が王太子、ひいては国王だったのに!」
 そんな見当違いの事を叫んだ彼は、壁際に飾られている大きな花瓶睨み付けながら吐き捨てた。


「こんな事になるならクライブの奴、さっさとくたばってれば良かったんだ!! リオネスの奴も、宰相の後押しがあるから、デカい顔をしやがって!! ちくしょうぉぉっ!」
 そして怒りにまかせて、大量の花が活けてあるその花瓶を持ち上げ、壁に向かって勢い良く投げつけた。当然それは壁に激突して無数の破片となり、大量の水と花弁を壁と床に撒き散らす。それでも怒りが収まらないギュンターは罵詈雑言を喚き立てていたが、廊下で使用人達が恐る恐る室内の様子を窺っているところに、アルネーの見送りを済ませたルディアがやって来た。そして漏れ聞こえる喧騒を聞いて、閉ざされたドアの向こうに、冷え切った目を向ける。


「また何か壊しているの? 物に当たってもどうしようもないのに、懲りない人ね」
「奥様……」
 王家から押し付けられたギュンターより、この伯爵家の娘として生まれ育ったルディアを主と認めている老執事は、気の毒そうに彼女を見やった。しかしそんな彼を、ルディアは苦笑しながら宥める。


「大丈夫よ。ここは私が見ているから、暫くは誰も近づかないように、皆に厳命しておきなさい。あなた達も仕事に戻って良いわ。掃除が必要になったら呼びますから」
「畏まりました」
 そして使用人達がその場を去って一人残されてから、ルディアは室内から聞こえる罵声を、冷え切った声で切り捨てた。


「何を言っているやら……。自分だけが、貧乏くじを引かされたみたいな事を言って。最大の貧乏くじを引かされたのは、誰がどうみても私じゃない。あなたみたいな最低男を婿として迎え入れて、手を付けた女達の後始末までさせられているのよ? あなたを伯爵にする為に、本来の後継者の兄様まで、この家から出されたのに。ふざけるのもいい加減にしなさいよ」
 そして話題になっているレンフィス伯爵家に関しても、愚痴を零す。


「同じ伯爵家なのにレンフィス伯爵家は、クライブ殿下がご子息の後見をしてくださるなんて……。確かに武術には秀でておられないけど、殿下のお人柄や行政能力に関しては、誰もが疑いようもないもの。なんて羨ましい事」
 そんな独り言を漏らして、無意識に歯軋りをしたルディアの瞳には、暗い感情が籠もっていた。





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