飛んで火に入れば偽装結婚!?

篠原皐月

(2)驚天動地の出来事

「……セレナ嬢」
 その静かな呼びかけにセレナは慌てて顔を上げたが、正面に座っているクライブと目が合った瞬間、激しく動揺する事になった。


「は、はい! どうかされましたか!?」
「あなたはこの中身を、本当にご存知ないと?」
「はい、そうですが……。何か?」
「そうですか……」
 恐る恐るセレナが答えると、それに短く呟いてから、クライブは再び真剣な表情で手紙に目を通し始めた。そして時折便箋をめくる音しか聞こえない、静まり返った室内で、セレナは先程までとは違う意味で緊張する。


(どうかしたのかしら? 殿下の顔色が悪い上、凄く険しい表情に……。何か失礼な事とか無茶な事でも、書いてあったわけではないでしょうね?)
 気が気では無い彼女がクライブの様子を窺っていると、彼は真剣な顔付きのまま最後まで読み終えてから、片手で顔を覆って呻いた。


「これは参ったな……」
 そう呟いたきり俯いたままの彼に、セレナが勇気を振り絞って尋ねる。
「あの……、父が何か失礼な事でも、そちらに書いていたのでしょうか?」
 すると顔から手を離したクライブが、ゆっくりと顔を上げた。すると何故かセレナの予想に反して、彼は苦笑にしか見えない表情で告げてくる。


「いや、そうではなくて……。あなたの父上は慧眼をお持ちの上に、なかなか愉快な方だったのだなと、初めて知ったものですから」
「はぁ……」
(何なのかしら? 殿下を怒らせたわけでは無いみたいだけど……)
 何が面白いのか、小さく笑っているクライブを見て、セレナは本気で戸惑った。しかしそれは少しの間だけで、真顔になった彼の言葉で、彼女も気を引き締める。


「亡きレンフィス伯爵のご意向は、良く分かりました。全面的に、この申し入れを受けましょう」
「それは大変ありがたいのですが、一体どういう内容でしょうか?」
 全く内容を知らされていなかった為、素直に喜んで良いのか分からなかったセレナが、若干不安になりながら尋ね返すと、ここでクライブが予想外にも程がある事を口にした。


「あなたと私が結婚して、私がエリオット殿が継承年齢に達するまで、レンフィス伯爵家当主代行を務めます」
「……はい?」
「あなたと結婚すれば、私はエリオット殿の義兄になるわけですから、元王族の私が後見するのに全く問題はありません」
「ああ、なるほど。それはそうですね」
(私の夫になるなら、レンフィス伯爵家の一員になると言う事で、しかも王家に連なる方だから、遠縁の連中にガタガタ言われる筋合いは無くなる……、って、違うでしょ!?)
 満面の笑みでの申し出に、セレナも釣られて笑顔になりながら頷いたが、すぐに納得している場合ではない事に気が付いて声を荒げた。


「いえ、問題大ありですよね!? 『元王族』って何ですか! まるで殿下が、王族で無くなるような言い方ではありませんか!」
「ですが、そうなりますよ? あなたを愛人にするならともかく、普通なら一伯爵令嬢と結婚はできませんから。最近では他国との政略結婚も話に上っていましたし、それを全て反故にするとなると、それ位しないと、対外的にも拙いでしょう」
「あ、あのですねっ!」
 冷静に状況説明をしてくるクライブに、理解の追い付かないセレナが動揺していると、何かに気が付いたらしい彼が付けくわえた。


「ああ、あなたとの結婚はいわゆる偽装結婚ですから、心配しないでください。本当に結婚生活を送るつもりはありません。いきなり見ず知らずの人間と結婚するとなったら、色々躊躇う事があるでしょうし」
「そうではなくて! いえ、それも大問題ですが!」
「そうだ。最後の便箋は、お父上からあなたへの私信でした。どうぞ、ご覧になってください」
「はい? 拝見します!」
 便箋を一枚だけより分けてクライブが差し出してきた為、セレナはそれをひったくるようにして受け取り、血走った目でそれを凝視した。


(ちょっとお父様、何なのよこれは! 『王太子殿下にはエリオットに継承が認められるまで、お前との偽装結婚をお願いした』とか、『お前には迷惑をかける事になるが、殿下と力を合わせて頑張ってくれ』とかで、あっさり済ませる問題じゃ無いでしょう!? それに『殿下にもこの話を受けるメリットがあるから大丈夫』って、どういう事? もう全然、意味が分からないわよ)
 確かにクライブが告げた通りの事が書いてあったものの、とても納得できなかった彼女は、強張った顔で彼に問いかけた。 


「あの、殿下? 確かに私達にとっては、かなり良いお話なのですが、殿下にとっては不利な事ばかりではありませんか? どうしてこんな荒唐無稽なお話に、乗ってくださいますの?」
 しかしその疑問に、彼は事も無げに答える。
「そちらに書いてあったでしょう? この偽装結婚話は、私にもメリットがあると」
「確かに書いてはありますが、それはどんな事なのですか?」
「それは実際にあなたと結婚した後、ご説明します。それでセレナ嬢、どうしますか? 結婚するかしないかは、あなた次第です」
 そう決断を迫られたセレナは、盛大に顔を引き攣らせて固まった。


(クライブ殿下と偽装結婚……。しかもれっきとした王太子殿下なのに、私と結婚する事で王家から離脱する事にもなるのよ? 申し訳無さ過ぎるし意味が分からないけど……。この申し出を逃したら、私自身もそうだけど、お義母様達の立場もどうなるか分からないわ。お父様と殿下を、信じるしかないわね)
 悩みながらもセレナは腹を括り、正面の彼に向かって頭を下げた。


「クライブ殿下。ご好意に甘えさせていただきます」
 それを見た彼が、安堵した笑みを浮かべる。


「それは良かった。私としても、無理強いはしたくない。あなたに好いた方がいらっしゃるなら、その方との縁談を纏めて、そちらを伯爵家当主代行に据えても良いかと思いましたし」
「そんな方がいましたら、父が偽装結婚などと、ふざけた事は言い出しませんわ」
「ええ、それはそうでしょうね」
 そう言ってくすくすと笑った彼を見ながら、セレナはふと、常日頃囁かれている噂を思い出した。


(クライブ殿下は本当に紳士よね。容姿にも能力にも問題は無いから、以前から色々な方と縁談が持ち上がっていた筈なのに、どうして未だに婚約者すらいらっしゃらなかったのかしら? 噂では殿下の母親の王妃様が婚約者候補に難癖を付けて、縁談が纏まらないという事だったけど。そんな子離れしていない方がこの話を聞いたら、どんな騒ぎになるかしら)
 そして確実に王妃の怒りを買う事に思い至ったセレナが、一人で顔を青ざめさせていると、ここで廊下で待機していた警備担当の近衛兵が、ノックした上でドアを開け、クライブに移動を促してきた。


「失礼します、殿下」
「どうかしましたか?」
「申し訳ありません。閣議の開始時間が迫っておりますので、そろそろご準備を」
「ああ、もうそんな時間でしたか。分かりました。すぐに出向きますので、補佐官に必要書類を纏めて、会議室の前で待っているように伝えて下さい」
「畏まりました」
 そして近衛兵が再びドアの向こうに姿を消すのと同時に、セレナは長居をしては拙いと判断して立ち上がった。


「殿下。本日はお忙しい所、お時間を頂きありがとうございました。それでは、今日はこれで失礼します」
 詳しい話は後日改めてになるだろうと思ったセレナが挨拶したが、クライブは挨拶を返してはこなかった。


「セレナ嬢。演技力には自信がある方ですか?」
「は? 演技力、ですか? それはまあ……、人並み程度には、あると思いますが。それが何か?」
 戸惑いながらもセレナが答えると、彼は再びとんでもない事を言い出した。


「それでは都合の良い事に、会議室に主だった面々が集まっているので、早速あなたと私の仲を既成事実化してしまいましょう」
「はい?」
「実はあなたと私は、二年程前から恋い慕う間柄だったと言う事です」
「はあぁぁ!?」
 あまりにも荒唐無稽過ぎる話に、セレナは仰天して声を裏返させたが、クライブは端から見れば神妙そのものの表情で続けた。


「しかし私は一国の王太子。他国の王族や国内の有力貴族を差し置いて、伯爵家の令嬢を正妃にはできません。それであなたの父である伯爵に、内々に『側妃に欲しい』と頼んでも、『一人娘をそんな立場にする事はできない』と、頑強に拒まれていたと言う設定です」
「あっ、あのですね! 真っ赤な嘘にも程があると思うのですが!?」
 セレナのそんな非難の声を綺麗に無視して、クライブは感情を込めながら語り続けた。


「しかしそんな折に、予想もしなかった伯爵の早世。あなたは弟に無事伯爵位を継承させる為に、一族の誰かとの結婚を強いられる事となったのです」
「…………」
 もはや怒りを通り越して呆れるしかないセレナは、白い目でクライブを見やったが、彼はそれをものともせずに語り続けた。


「それであなたが私に別れを告げに来た事で、私はあなたを手放す事などできない、かけがえのない女性だと再認識したわけです。もうこの震える胸の内の、熱くたぎる想いを、人知れず隠し続ける事など不可能。もはや私達を分かつものは、身分や家名では無く、死、あるのみです」
 そう断言したクライブに向かって、セレナは乾いた笑いと気のない拍手と共に、棒読み口調で感想を述べた。


「まあぁ、すごいですわぁ~、でんか。それとも、おうけのとのがたというのは、そんなうそをたれながしにできるかたの、あつまりなのでしょうかぁ~。おもしろくて、それいじょうにおそろしいところでございますわねぇ~」
「何だか、完全に呆れられた感じですね。ですが流れ的には、それほど無茶な話では無いでしょう?」
「無茶苦茶です! というか、そんな話をでっち上げて、誰が信じると言うんですか!?」
 微笑みながら同意を求めてきたクライブを、セレナは本気で叱りつけた。しかし彼の飄々とした態度は変わらなかった。


「取り敢えず、陛下と宰相と閣僚全員と事務長官全員ですね。今から閣議ですから」
 それを聞いた瞬間、セレナの全身から血の気が引いた。


「まさか殿下……。今の、でっち上げにも程がある恥ずかしい話を、閣議の席で披露するとか仰いませんよね?」
「それはさすがにできません。あくまでも個人的な内容ですから」
「そっ、そうですよね? すみません、変な事を口走りまして」
「ですから閣議が始まる前に、話を済ませます」
「同じ事ではありませんか!?」
「心配要りませんよ? 私の話に合わせてくれれば良いですから。さあ、打ち合わせは済みましたし、皆さんをお待たせしては拙いので、急いで行きましょうか」
 嘘臭い笑顔を振りまきながら、クライブが自分の手を掴んでドアに向かって歩き出した為、セレナは激しく動揺した。


「殿下、ちょっと待ってください! 『合わせてくれれば良い』とか『打ち合わせ』って、まさか今からその場に、私も行くんですか!?」
 しかしクライブは、如何にも当然と言わんばかりの口調で、容赦なくセレナを引きずって行く。


「結婚するんですから、当然ですよね? 大丈夫。かなり厳めしい可愛くないおじさんやおじいさんばかりですが、根は悪くない人達ですから」
「おっ、恐れ多いです! 勘弁してください! お願いします!」
「あはは、恥ずかしがり屋さんだなぁ、セレナは。そういう所が可愛らしいのだけど」
「こっ、心の準備がぁぁーーっ!」
 しかし抵抗虚しく、ここで廊下に引きずり出されてしまったセレナは、待機していた護衛担当の近衛兵や、廊下を行き交う文官達の耳目がある所で、偽装結婚云々などと下手な事を口にするわけにもいかず、おとなしくクライブに手を引かれて、会議室へと向かった。


(どうしてこんな、荒唐無稽な策を考えたの……。少しは、私の迷惑も考えてよ! お父様の馬鹿ぁぁぁーーっ!!)
 文句を言いたいのは山々ではあったが、クライブの他にレンフィス伯爵家を頼める人間は存在していない為、セレナは色々諦めて、ぶっつけ本番の茶番に挑む事となった。





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