悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(55)隠れた才能

 クレランス学園から国教会総主教会経由で帰宅したエセリアは、待ち構えていたらしい執事長のカルタス以下複数の使用人達に、恭しく出迎えられた。
「エセリア様、お帰りなさいませ。それで審議はどうなりましたか?」
「勿論、私には全く非はないことを両陛下に認定していただいた上で、婚約は正式に解消していただいたわ」
「それはようございました」
 笑顔でエセリアが端的に告げると、玄関ホールの空気が瞬く間に弛緩する。


「ところで、お父様とお母様は?」
「旦那様はお出かけになられました。奥様はお部屋にて、お嬢様達をお待ちです」
「そうでしょうね。それでは着替えの前に、まずお母様のお部屋に行きましょうか。ルーナも付いてきて」
「はい」
 カルタス達に見送られてエセリアはミレディアの私室に向かったが、それに付き従いながらルーナは密かに悩んでいた。


(ちょっと困ったわね。奥様から審議の全体の流れを報告するように言われていたけど、あの馬鹿馬鹿しいにもほどがある一部始終を、どうお伝えしたものかしら。エセリア様の完全勝利であるのは、エセリア様ご自身が報告されるでしょうし)
 馬車に揺られている間も真剣に考えていたものの、今一つ考えが纏まりきらなかったルーナは難しい顔で歩いていた。しかしすぐにミレディアの部屋に到達してしまう。


「お母様、ただいま戻りました」
 まずエセリアが挨拶すると、ミレディアが座ったまま笑顔を向けてくる。
「お帰りなさい、エセリア。ところで、問題なく済みましたか?」
「はい。グラディクト殿の主張は全て著しい事実誤認と荒唐無稽な作り話であることが判明し、私に全く非がないことを両陛下に認定していただいた上で、無事に婚約解消となりました」
 それを聞いたミレディアは、満足そうに確認を入れる。


「『グラディクト殿』と言うからには、早くもあの方の処遇が定まったようね」
「ええ。陛下がその場であの方を廃嫡の上、臣籍降下させる判断を下されました」
「良かったこと。今後も王族として大きな顔をするようなら、顔を合わせる度に扇で打ち据えそうでしたもの」
「お母様の扇が傷む可能性が排除できて、本当に良かったですわ」
 そこで楽しげに笑い合う母娘を見て、ルーナは若干寒気を覚えた。


(笑顔の奥様の、全然笑っていない目が怖すぎる。それにエセリア様。グラディクト殿の心配などする筈がないとは分かっていますが、扇が傷む心配ですか……)
 するとミレディアが笑うのを止め、エセリアからルーナに視線を移してくる。


「それではエセリア、部屋で休んでいて構わないわよ? ルーナは残って、もう少し詳しく話を聞かせてね? こういう事は当事者より第三者が観察した方が、全体的な流れを把握できていると思うし」
「じゃあルーナ。私は先に部屋に戻って一人で普段着に着替えて休んでいるから、お母様に説明していて大丈夫よ」
「そうですか? 申し訳ありません」
(うぅ……、正直、上手く纏めて説明できる気がしない……。でも、やれるだけやってみるしかないわよね! 奥様が結果だけではなくて、審議の経緯と詳細な報告を求められているのだし!)
 あっさりとエセリアが席を外し、その場に取り残されたルーナは腹を括った。そしてソファーに座っているミレディアに対して、少し離れた場所から頭を下げる。


「それでは奥様。馬鹿馬鹿しいにもほどがある内容でしたが、一通り全体の流れをご説明してもよろしいでしょうか?」
「ええ、勿論よ」
「それでは、始めます」
 そう宣言したルーナは真剣な面持ちで何回か深呼吸をしてから、その日、クレランス学園の講堂に入ったところからの記憶を思い返しつつ、滔々と語り出した。


「エセリア様が講堂に入って足を進めると、その端麗な容姿と気品溢れる立ち居振る舞いに、その場に居合わせた皆様が羨望の眼差しを送り、感嘆の溜め息を吐いておりました。そんな中、その場の空気をぶち壊す、場違いな嘲笑と非難の声が! 『良く臆面もなく、この場に出てきたな、エセリア! 逃げなかったのは褒めてやるぞ! 今日こそ両陛下の前で、貴様の化けの皮を剥いでやる!』と勘違い廃太子がふんぞり返って宣言すれば、その横で口調だけはしおらしく『今のうちに自分の非を認めて、散々蔑ろにしていた殿下に謝罪するべきですよ! そうすれば殿下はお優しい方ですから、穏当な処分にして貰えますから!』などと訴える、勘違い自惚れ令嬢。ええ、結論から先に言ってしまいましょう!! 今回の審議の場は国王王妃両陛下をお迎えしての厳粛な議論の場である筈だったにも関わらず、この迂闊道化カップルによって単なる自爆披露会と、嘘八百告白会と化してしまったのだと!!」
「え? ちょっと待って」
「あの……、ルーナ?」
「あなた、いきなり何を……」
 いきなり身振り手振りをまじえ、くるくると立ち位置や声音を変えつつ一人で熱演を始めたルーナを見て、ミレディア付きのメイド達は揃って困惑して彼女を制止しようとした。しかしミレディアが、小声で彼女達に言い聞かせる。


「構わないわ。あのまま進めさせなさい」
「ですが奥様……」
「だって、面白いのですもの。あなた達、手分けして、誰でも良いから手が空いている者達を呼んでいらっしゃい。面白い物が見られると言って」
「はぁ……、畏まりました」
 ミレディアの指示を受けたメイド達は、困惑顔のまま屋敷中に散っていった。しかし夢中で演じているルーナは、それらに全く気づいていなかった。


「『貴様がその直後の時間帯に、同じ棟のイドニス教授の研究室に、王妃陛下の指示で王国と周辺国の歴史を講義して貰うために通っていたのは、判明しているんだぞ!』などと勝ち誇った声を上げ、証拠として切り裂かれた本らしきものを提示しつつ、見苦しいほどふんぞり返る廃太子。しかし我らがエセリア様に、廃太子風情が敵う筈ありません! エセリア様は『そんな事はしておりません。それは一体、誰のお話ですの?』余裕の表情で一蹴し、根も葉もない言いがかりを全面否定するのみ。しかもここで王妃陛下が『そうですね。私も特に、そのような指示は出しておりません』と、冷静に一言述べられ、そこで話の流れと講堂内の空気は明らかに一転。当事者のイドニス教授からも全面否定されたことで、『……え? 王妃陛下?』『そんな……、どうして?』などと迂闊者二人組は早くも周章狼狽著しく、公衆の面前で無様過ぎる姿を晒したのであります!」
「あの……、お母様? ルーナがなかなか戻らないと思って、呼びに来たのですが……。これは一体、何事ですか?」
 控え目なノックに続いて入室してきたエセリアは、なぜか一人芝居を熱演しているルーナを見て、驚きながら母親に尋ねた。しかしミレディアは、自らの隣を手で示しながら笑って応じる。


「ちょうど良かったわ。エセリア、あなたも見ていきなさい。ルーナが頑張っているわよ?」
「はぁ……、それは構いませんが……」
 エセリアは困惑しながら、二人がけのソファーにミレディアと並んで座った。しかし必死に記憶を辿っているルーナは、その時点でも全く室内の様子に気付かなかった。


「徐々に会場中から非難の眼差しが向けられているのに全く気がついていないのか、はたまたそれらを丸無視しているのか廃太子の傍迷惑な暴走が続き、様々な方に迷惑が降りかかります。『まだまだエセリアの悪行を証言する者はいます! 昨年の剣術大会の折り、“接待係になったアリステアに嫌がらせをする為、レオノーラ・ヴァン・ラグノースがエセリアの指示を受けて、彼女の足を引っ張るようにペアを組んだ″と証言する者と、“アリステアに嫌がらせをする為に、セルマ教授に剣術大会中、休暇を取るように指示した″と言う者がおります!』などと訴えた折には、会場中、特に上級貴族の皆様が座っている辺りから、隠そうともしない失笑が漏れました。ここで当事者の一人であるラグノース公爵令嬢レオノーラ様が優雅に立ち上がり、国王陛下から発言の許可を正式に頂いた上で華麗に参戦! なぜ卒業生たる彼女がこの場にいるのかと見苦しく喚き散らす廃太子を尻目に、理路整然と迂闊カップルの言いがかりを見事に粉砕なさったのです! ああ、さすがは上級貴族の正統派ご令嬢! エセリア様とはまた違った意味で、超絶した存在感と強い意志をお持ちのお方でいらっしゃいます!」
「奥様……。複数のメイドが職場放棄かと思いましたら、全員奥様に呼びつけられたと耳にしまして、仔細を確認に参りましたが……」
 既に屋敷内のあちこちから集まってきた使用人達が、ミレディアとエセリアが座っているソファーの背後に立っているのを見て、ロージアが呆れ顔で声をかけてきた。しかしミレディアは、そんな彼女を笑顔で宥める。


「あら、ロージア。急ぎの仕事がなければ、あなたも見ていきなさい。それにしてもルーナは演技の才能もあったのね。全員知らなかったわ」
「……彼女にこういう方面の才能があるとは、私も今まで存じませんでした」
 ロージアはミレディア公認のこの騒ぎを止めさせるのを諦め、疲れたように溜め息を吐いてから見物人の一人と化した。


「全く怪我など負っていないにも関わらず、階段で転げ落ちた筈もないのに、エセリア様に階段で突き落とされたと恥知らずにも程がある偽証の数々! 頭は全く回らなくとも、舌だけは人一倍回るらしい廃太子が『確かに少々迂闊だったかもしれませんが、今この場で糾弾されるべき人物は違います! お前達! 全員が口裏を合わせて、エセリアがその場に居ない事にするとは。両陛下に対して、不敬にも程があるぞ!』と大言壮語! しかし迂闊嘘吐き女が『エセリア様らしき女性に突き落とされた』と主張した日時には、エセリア様は財産信託制度についての意見交換のために王宮に招聘されており、国王王妃両陛下がそれを証言してくださるという、馬鹿馬鹿しいにもほどがある大逆転! しかも王宮内や携わる官吏達の間では公然の秘密になっている、国教会の財産信託制度や貸金業務の発案者がエセリア様だと、廃太子が知らなかったという事実が明らかになって恥の上塗りになるという結果に。全くどこまで醜態を晒して王家の威信を傷つければ気が済むのかと、遠目でみても王妃様の怒りの程が見て取れ、畏れ多いことながら国王王妃両陛下に心底同情してしまった次第であります」
「失礼いたします。なにやら奥様が手の空いている使用人を、お呼び立てになっていると伺いましたが……」
 暫くして執事長のカルタスもやって来たが、ミレディアはこれまでやって来た者達と同様に、彼にもルーナの芝居を観ていくように勧めた。


「ええ、カルタス。急ぎの仕事がなければ、あなたも少し見ていきなさい。とても面白いわよ?」
「はぁ……、なるほど。こういう事でしたか……」
 悪乗りしているミレディアとルーナの熱演を眺めたカルタスは、少し離れた所からロージアが無言で首を振ってみせたことで、それ以上意見はせずにおとなしく観客の一人に加わった。





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