悪役令嬢の怠惰な溜め息
(49)格の違い
クレランス学園にて執り行われる審議に出席するため、エセリアはルーナを連れて正面玄関ホールに向かい、ディグレスとミレディアの他、主だった使用人達が見送りに出た。
「エセリア、そろそろ出る時間だな。グラディクト殿下の主張が通る筈はないだろうが、くれぐれも油断しないように。変な言質を取られないようにしなさい」
「はい、お父様。あまり心配せずにお待ちください。茶番を済ませたら、すぐに戻りますから」
念のために声をかけたディグレスにエセリアが笑顔で応じていると、ミレディアが笑顔でルーナに声をかける。
「ルーナ。エセリアのことをよろしくね。それから戻ったら審議の内容がどんなものだったか、後で私に教えて貰えないかしら?」
「はい、奥様。完全に記憶するのは無理だとは思いますが、全体の流れは押さえておきます。それでよろしいでしょうか?」
「ええ、それで結構よ。あなたは物覚えがよいと屋敷内でも評判だし、期待しているわ」
「恐れ入ります。精一杯努めます」
ここまでは恐縮気味に頷いたルーナだったが、続くミレディアの台詞に困惑した。
「それから、あのろくでなし殿下がエセリアに危害を加えようとした場合、その場で殴り倒して構いません。それくらい幾らでも揉み消してあげますから、躊躇わずに実行なさい」
「はぁ……、畏まりました。それでは万が一の場合には、遠慮なくそうさせていただきます」
「ええ、任せて頂戴」
(仮にも王子殿下を、殴り倒しても良いのかしら? でも奥様は真顔だし、向こうの使用人の皆さんも同様に頷いているし、本当に大丈夫みたいね)
ルーナが横目で執事長やメイド長が並んでいる辺りの様子を窺うと、皆平然と小さく頷いているのを見てすぐに腹を括った。しかしさすがにディグレスとエセリアが、傍観できずに口を挟んでくる。
「ミレディア、何を唆している。両陛下がご臨席する場であれば、近衛騎士団がその場全体を統轄警護することになる。万が一にもグラディクト殿下が、そんな暴挙に及べる筈がないだろう」
「私も同感です。殿下が暴れようとしても、その場で即座に取り押さえられると思いますが」
「でもなんと言っても、公式の場で婚約破棄宣言など、非常識極まりないことをやってのけた方ですもの。常識の枠にはまりきらない行動を、しかねないと思いませんか?」
「それは否定できないがな……」
「お母様、考えすぎです。それにルーナは騎士ではありませんよ?」
エセリアが呆れ声で言い聞かせてきたが、今度はルーナが口を挟んだ。
「はい。確かに騎士ではありませんし、山で猪や熊を狩っていたのはだいぶ前ですが、狐や狸でも追い詰められれば牙を剥くのは承知しております。不測の事態の時には、この身を挺してエセリア様を守ることをお約束します」
その台詞に、ミレディアが笑みを深めながら応じる。
「なんて心強い言葉かしら。ありがとう、ルーナ。あなただったらそう言ってくれると信じていたわ」
「微力を尽くします」
神妙に頭を下げているルーナを見ながら、ディグレスとエセリアが囁く。
「この場合、殿下が例えられているのは、熊や猪ではなくて狐や狸だろうな……」
「ルーナったら……、真顔で殿下を小者扱いしていますね」
そんなやり取りをしてからエセリアはルーナと共に馬車に乗り込み、両親や使用人達に見送られてクレランス学園へと向かった。
「いらっしゃいませ、エセリア様。お待ちしておりました」
クレランス学園に到着すると、二人は学園長以下、主だった面々に出迎えられた。それにエセリアが苦笑しながら応じる。
「お出迎え、ありがとうございます。正直卒業してすぐに、このような理由で学園を再訪する事になるとは、夢にも思ってもおりませんでしたが」
「私達もです。誠に残念です。こちらにどうぞ、ご案内致します」
「随行の方も、会場である講堂にお入りください」
「ありがとうございます」
審議の場である講堂に案内されてから、ルーナは入口付近に学園側が用意してくれた席に落ち着いて、講堂内の観察を始めた。学園が用意した観覧席は生徒達でほぼ満席状態だったが、最前列に陣取っている女性が斜め後方を振り返った拍子にその顔を確認し、激しく脱力する。
(コーネリア様……、有言実行の方なのですね。堂々と制服姿でいらっしゃるとは、ある意味尊敬します)
良く見れば観覧席の最前列に陣取ったコーネリアの両隣の席は空席であり、周囲から不審人物扱いされているのがルーナにも察せられて頭痛を覚えた。
続けて前方を観察すると、観覧席の向こうの開けたスペースに舞台に対して平行に長机が置かれ、それとは別に直角に長机が二つ置かれているのに気が付いた。すると向かって左側の長机にいたグラディクトが勢い良く立ち上がり、エセリアを指さしながら言い放つ。
「良く臆面もなく、この場に出てきたな、エセリア! 逃げなかったのは褒めてやるぞ! 今日こそ両陛下の前で、貴様の化けの皮を剥いでやる!」
「今のうちに自分の非を認めて、散々蔑ろにしていた殿下に謝罪するべきですよ! そうすれば殿下はお優しい方ですから、穏当な処分にして貰えますから!」
グラディクトの横にいた女生徒も、彼に続いて口調だけは神妙に訴えてきたことで、彼女の素性がルーナには分かった。
(なるほど、あの方がエセリア様を追い落とそうとした、ミンティア子爵令嬢なのね。確かにそれなりに顔立ちは整っていて可愛らしい方だとは思うけれど……、遠目に見ても明らかにエセリア様より見劣りするし、申し訳ないけど頭もあまり良くなさそうだわ。こんな場で、いきなりあんなことを口にするなんて)
ルーナがそんな遠慮がないことを考えていると、グラディクト達とは反対側の長机の席から、エセリアが落ち着き払って答える。
「恐れながら、何の事を仰っておられるのか、全く身に覚えがございません。私が処分を受ける事態などあり得ませんのに、何を世迷い言を仰っておられるのやら」
「アリステア、これで良く分かっただろう。あのような恥知らずにかける恩情など、無駄以外の何物でもない」
「残念です。仮にも殿下の婚約者だった方が、ここまで往生際が悪い方だったなんて……。恥の上塗りになるだけなのに。元婚約者という事で殿下の名前にも傷が付く事すら、分からないなんて」
エセリアの反応を見たグラディクト達は互いに向き合い、傍目には沈痛な面持ちで殊勝に語り合ったが、ルーナには馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。
(場を弁えないというか、空気が読めないというか……。周囲の学園関係者や生徒の方々がしらけきっているのが分かるし、殿下やエセリア様の周囲に配置されている近衛騎士の方々も、呆れた様子を隠そうともしていないわね。あの騎士様達の配置なら万が一にもエセリア様に危害が及ぶ筈はないし、私は審議の内容を頭に入れることに集中させて貰おう)
ルーナがそう決心していると国王夫妻の入場が知らされ、彼女は周囲と同様に椅子から立ち上がり、恭しく頭を下げて二人を出迎えた。それから再び着席して居住まいを正している間に、着々と審議に向けての準備が進められる。
「それでは全員、準備はできましたか?」
「はい、いつでも開始できます」
舞台に設けられた肘掛け椅子に座ったマグダレーナが同行してきた書記官達に尋ねると、舞台近くの長机に着いた彼らが即座に応じる。それに頷いたマグダレーナは、自分達から見て左右に分かれて座っている当事者達に、穏やかに声をかけた。
「グラディクト殿下、エセリア・ヴァン・シェーグレン。審議を始めても構いませんか?」
「勿論です」
「異存ありません」
「分かりました。……それでは陛下、開催の宣言をお願い致します」
隣に座るマグダレーナから促されたエルネストは、彼女に小さく頷いてから講堂内に向かって力強く宣言する。
「それではこれより、一昨日王太子グラディクトより申し出のあった、エセリア・ヴァン・シェーグレンに対しての、王太子妃欠格事項に関する真偽を判定する、審議を執り行う」
(始まったわ。それにしても、一見穏やかな笑顔の王妃様から、怒りの感情が滲み出ているように感じるのよね。奥様と王妃様は実の姉妹だし、あの笑顔は屋敷を出る時の奥様の笑顔に通じるものがあるわ……。絶対に王妃様も激怒しておられるわね)
エルネストの宣言に観覧席が微妙にざわめく中、これから目の前で繰り広げられるであろう茶番を思って、ルーナは深い溜め息を吐いた。
「エセリア、そろそろ出る時間だな。グラディクト殿下の主張が通る筈はないだろうが、くれぐれも油断しないように。変な言質を取られないようにしなさい」
「はい、お父様。あまり心配せずにお待ちください。茶番を済ませたら、すぐに戻りますから」
念のために声をかけたディグレスにエセリアが笑顔で応じていると、ミレディアが笑顔でルーナに声をかける。
「ルーナ。エセリアのことをよろしくね。それから戻ったら審議の内容がどんなものだったか、後で私に教えて貰えないかしら?」
「はい、奥様。完全に記憶するのは無理だとは思いますが、全体の流れは押さえておきます。それでよろしいでしょうか?」
「ええ、それで結構よ。あなたは物覚えがよいと屋敷内でも評判だし、期待しているわ」
「恐れ入ります。精一杯努めます」
ここまでは恐縮気味に頷いたルーナだったが、続くミレディアの台詞に困惑した。
「それから、あのろくでなし殿下がエセリアに危害を加えようとした場合、その場で殴り倒して構いません。それくらい幾らでも揉み消してあげますから、躊躇わずに実行なさい」
「はぁ……、畏まりました。それでは万が一の場合には、遠慮なくそうさせていただきます」
「ええ、任せて頂戴」
(仮にも王子殿下を、殴り倒しても良いのかしら? でも奥様は真顔だし、向こうの使用人の皆さんも同様に頷いているし、本当に大丈夫みたいね)
ルーナが横目で執事長やメイド長が並んでいる辺りの様子を窺うと、皆平然と小さく頷いているのを見てすぐに腹を括った。しかしさすがにディグレスとエセリアが、傍観できずに口を挟んでくる。
「ミレディア、何を唆している。両陛下がご臨席する場であれば、近衛騎士団がその場全体を統轄警護することになる。万が一にもグラディクト殿下が、そんな暴挙に及べる筈がないだろう」
「私も同感です。殿下が暴れようとしても、その場で即座に取り押さえられると思いますが」
「でもなんと言っても、公式の場で婚約破棄宣言など、非常識極まりないことをやってのけた方ですもの。常識の枠にはまりきらない行動を、しかねないと思いませんか?」
「それは否定できないがな……」
「お母様、考えすぎです。それにルーナは騎士ではありませんよ?」
エセリアが呆れ声で言い聞かせてきたが、今度はルーナが口を挟んだ。
「はい。確かに騎士ではありませんし、山で猪や熊を狩っていたのはだいぶ前ですが、狐や狸でも追い詰められれば牙を剥くのは承知しております。不測の事態の時には、この身を挺してエセリア様を守ることをお約束します」
その台詞に、ミレディアが笑みを深めながら応じる。
「なんて心強い言葉かしら。ありがとう、ルーナ。あなただったらそう言ってくれると信じていたわ」
「微力を尽くします」
神妙に頭を下げているルーナを見ながら、ディグレスとエセリアが囁く。
「この場合、殿下が例えられているのは、熊や猪ではなくて狐や狸だろうな……」
「ルーナったら……、真顔で殿下を小者扱いしていますね」
そんなやり取りをしてからエセリアはルーナと共に馬車に乗り込み、両親や使用人達に見送られてクレランス学園へと向かった。
「いらっしゃいませ、エセリア様。お待ちしておりました」
クレランス学園に到着すると、二人は学園長以下、主だった面々に出迎えられた。それにエセリアが苦笑しながら応じる。
「お出迎え、ありがとうございます。正直卒業してすぐに、このような理由で学園を再訪する事になるとは、夢にも思ってもおりませんでしたが」
「私達もです。誠に残念です。こちらにどうぞ、ご案内致します」
「随行の方も、会場である講堂にお入りください」
「ありがとうございます」
審議の場である講堂に案内されてから、ルーナは入口付近に学園側が用意してくれた席に落ち着いて、講堂内の観察を始めた。学園が用意した観覧席は生徒達でほぼ満席状態だったが、最前列に陣取っている女性が斜め後方を振り返った拍子にその顔を確認し、激しく脱力する。
(コーネリア様……、有言実行の方なのですね。堂々と制服姿でいらっしゃるとは、ある意味尊敬します)
良く見れば観覧席の最前列に陣取ったコーネリアの両隣の席は空席であり、周囲から不審人物扱いされているのがルーナにも察せられて頭痛を覚えた。
続けて前方を観察すると、観覧席の向こうの開けたスペースに舞台に対して平行に長机が置かれ、それとは別に直角に長机が二つ置かれているのに気が付いた。すると向かって左側の長机にいたグラディクトが勢い良く立ち上がり、エセリアを指さしながら言い放つ。
「良く臆面もなく、この場に出てきたな、エセリア! 逃げなかったのは褒めてやるぞ! 今日こそ両陛下の前で、貴様の化けの皮を剥いでやる!」
「今のうちに自分の非を認めて、散々蔑ろにしていた殿下に謝罪するべきですよ! そうすれば殿下はお優しい方ですから、穏当な処分にして貰えますから!」
グラディクトの横にいた女生徒も、彼に続いて口調だけは神妙に訴えてきたことで、彼女の素性がルーナには分かった。
(なるほど、あの方がエセリア様を追い落とそうとした、ミンティア子爵令嬢なのね。確かにそれなりに顔立ちは整っていて可愛らしい方だとは思うけれど……、遠目に見ても明らかにエセリア様より見劣りするし、申し訳ないけど頭もあまり良くなさそうだわ。こんな場で、いきなりあんなことを口にするなんて)
ルーナがそんな遠慮がないことを考えていると、グラディクト達とは反対側の長机の席から、エセリアが落ち着き払って答える。
「恐れながら、何の事を仰っておられるのか、全く身に覚えがございません。私が処分を受ける事態などあり得ませんのに、何を世迷い言を仰っておられるのやら」
「アリステア、これで良く分かっただろう。あのような恥知らずにかける恩情など、無駄以外の何物でもない」
「残念です。仮にも殿下の婚約者だった方が、ここまで往生際が悪い方だったなんて……。恥の上塗りになるだけなのに。元婚約者という事で殿下の名前にも傷が付く事すら、分からないなんて」
エセリアの反応を見たグラディクト達は互いに向き合い、傍目には沈痛な面持ちで殊勝に語り合ったが、ルーナには馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。
(場を弁えないというか、空気が読めないというか……。周囲の学園関係者や生徒の方々がしらけきっているのが分かるし、殿下やエセリア様の周囲に配置されている近衛騎士の方々も、呆れた様子を隠そうともしていないわね。あの騎士様達の配置なら万が一にもエセリア様に危害が及ぶ筈はないし、私は審議の内容を頭に入れることに集中させて貰おう)
ルーナがそう決心していると国王夫妻の入場が知らされ、彼女は周囲と同様に椅子から立ち上がり、恭しく頭を下げて二人を出迎えた。それから再び着席して居住まいを正している間に、着々と審議に向けての準備が進められる。
「それでは全員、準備はできましたか?」
「はい、いつでも開始できます」
舞台に設けられた肘掛け椅子に座ったマグダレーナが同行してきた書記官達に尋ねると、舞台近くの長机に着いた彼らが即座に応じる。それに頷いたマグダレーナは、自分達から見て左右に分かれて座っている当事者達に、穏やかに声をかけた。
「グラディクト殿下、エセリア・ヴァン・シェーグレン。審議を始めても構いませんか?」
「勿論です」
「異存ありません」
「分かりました。……それでは陛下、開催の宣言をお願い致します」
隣に座るマグダレーナから促されたエルネストは、彼女に小さく頷いてから講堂内に向かって力強く宣言する。
「それではこれより、一昨日王太子グラディクトより申し出のあった、エセリア・ヴァン・シェーグレンに対しての、王太子妃欠格事項に関する真偽を判定する、審議を執り行う」
(始まったわ。それにしても、一見穏やかな笑顔の王妃様から、怒りの感情が滲み出ているように感じるのよね。奥様と王妃様は実の姉妹だし、あの笑顔は屋敷を出る時の奥様の笑顔に通じるものがあるわ……。絶対に王妃様も激怒しておられるわね)
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