悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(45)失態

「エセリア様!? 笑い事ではございません! エセリア様とシェーグレン公爵家の名誉にかかわる事態ではありませんか!?」
 しかしその指摘に、エセリアは平然と答える。
「勿論、そんな言いがかりと妄言を放置するつもりはないわ。王妃陛下の判断で、私の王太子妃としての欠格事項に関する審議の場を、近日中に設けることになったの。そこできちんと王太子殿下の主張は根も葉もない戯言だと訴えて、反論するつもりよ」
「しかし、そう言われましても!」
「旦那様! 奥様! 一体、どういう事でございますか!?」
 ロージアに続き、カルタスも血相を変えて公爵夫妻を問い質した。しかしディグレスは、落ち着き払って周囲を宥める。


「皆、落ち着いてくれ。エセリアには何一つ後ろ暗いことはないそうだ。それであれば、こちらが審議の場を回避する必要はないだろう」
「真実は、自ずと明らかになります。王太子殿下にはこの際きちんと目を覚ましていただいた上で、自らの行いに対する報いを確実に受けていただきましょう。あの方を元王太子殿下、または元王子殿下とお呼びする日も近いですわね」
 夫に続いてミレディアも笑みを浮かべながら穏やかに語りかけたが、その台詞には明らかに棘が含まれており、ディグレスが溜め息を吐く。


「……辛辣だな、ミレディア」
「事実ですから」
「………………」
 にこやかに微笑んでいるミレディアが、実は激怒しているのがその場に居合わせた全員にはっきりと分かり、玄関ホールは静まり返った。
(エセリア様の目論み通り、今夜王太子殿下が派手に失態をやらかしてくれたから、今後は婚約破棄計画をうっかり漏らしたらまずいと、気を張る必要はないわけね。勿論、エセリア様が企んでいた事を口外したら今でもまずいけれど、今までみたいにどこでどう露見するかと、心配をする必要はなくなったわけで……)
 密かにルーナが考えを巡らせているうちに、エセリアが笑顔で家族に断りを入れる。


「それでは、今日はもう休みますので。お父様、お母様、お兄様、失礼します」
「ああ、ゆっくり休みなさい」
「また明日、今回の騒動についての話をしましょう」
「王宮内の動向は、分かり次第逐一教えるよ」
「ええ、お兄様、お願いします。それじゃあルーナ、行きましょうか」
「………………」
 ルーナを促して自室に向かおうとしたエセリアだったが、なぜかルーナが微動だにせず佇んだままなのを見て、不審そうに振り返った。


「ルーナ? どうかしたの?」
 エセリアはルーナに近寄り、不思議そうに首を傾げながら尋ねた。するとルーナはエセリアに勢い良く抱き付きながら、盛大に泣き始める。


「エッ、エセリア様ぁあぁぁっ!! うわぁあぁぁっ! う、うぇえぇぇっ!」
「ちょっとルーナ! どうしたの! 落ち着いて頂戴!」
 その光景に周囲は唖然としたが、抱き付かれたエセリアも動揺しながらルーナに声をかけた。するとルーナは、エセリアにだけ聞こえるようなか細い涙声で答える。


「こっ、婚約破棄……、公表されて……」
「ええ、そんなことにはなったけど、私は全然気にしていないから大丈夫よ? むしろ、そんな浅慮な行為に及ぶ殿下との婚約が破棄されそうで、安堵しているわ」
「そっ、そうじゃなくて……」
「え? それじゃあ、どうして泣いているの?」
「エセリア様が企んでいるのが、今の今まで露見せずに済んで安心したら、自然に涙が溢れて……。うっかり口に出して騒ぎになったらクビになると、ずっと思っていたのが気が楽になって……」
「……ああ、そちらの方ね」
 自分の婚約破棄云々ではなく、企みが頓挫した場合の心配だったのかとエセリアは納得して頷いたが、ここで色々振り切れてしまったらしいルーナが、先程まで以上に盛大に泣き喚き始めた。


「うっ、うわぁあぁぁ~ん!」
「ああ、はいはい、ルーナ、落ち着いて。単に婚約が破棄されただけだから。なにも人生が終わったわけではないのよ? それにあなたが婚約を破棄されたわけではないのだから、そんなに動揺しないで?」
「ふっ、ふぇえぇぇ~っ!」
「まあ確かに、婚約破棄なんて少々衝撃的過ぎたわね。私は別になんとも思わないけど、他の人だとそうはいかないだろうし。このまま少し泣いていても構わないから」
「うぇえぇぇっ、ふぅうぅぅっ」
 ルーナが泣いている理由を正直に明かせないエセリアは、周囲に対して自分が婚約破棄されたことに対してルーナがショックを受け、自分の事のように悲しんで憤るあまり、泣き出してしまったという風情を装った。当然周囲もそうだと認識し、ミレディアがしみじみとした口調で述べる。


「ルーナは本当に優しいのね。涼しい顔をしているエセリアの代わりに、あんなに悲しんで怒ってくれるなんて」
「そうだな。ロージア、ルーナの行いはメイドとしては失態だろうが、今夜のところは大目に見てやってくれないか?」
 ディグレスから直々にそんな事を言われてしまったロージアは、深く頷きながら応じる。


「確かに、通常であれば厳重注意ものですが、公爵様の仰せの通りにいたします。私も、ルーナと同様の心境ですので」
「あら、ロージアもエセリアのために、ここで泣きわめいても構わないわよ? 今夜は見なかったことにしてあげるから」
「奥様……、ご冗談はお止めください」
 唆すようにミレディアが促したが、さすがにロージアは困り顔で溜め息を吐いた。その様子を見たディグレスとナジェークが思わず笑いだし、それを契機に緊迫した空気が霧散する。それで自然にその場は解散となり、エセリアもルーナを宥めつつ、自室へと移動を始めた。


「ルーナ……。確かに無表情ではなくなったけれど、できるならもう少し平常心を強固にしておいて欲しかったわ……」
「……申し訳ありませんでした」
 二人で廊下を歩きながら、エセリアから愚痴っぽく囁かれた台詞に、なんとか涙を引っ込めたルーナは全く反論できず、両目を腫らしながら深々と頭を下げたのだった。



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