悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(35)思わぬ落とし穴

「マリーリカ、どうかしら? その歌に詳しい者が言うには、この曲のメロディーに、その歌詞を合わせる事はできるらしいのだけど」
 弾き終えたエセリアがピアノ越しに尋ねると、マリーリカは少しだけ考え込んでから答えた。


「……ええ、そうですね。原曲とはかけ離れた、かなり型破りなメロディーにはなりますが、きちんと歌えると思います。歌詞が余ったり、逆に足りなくなったりもしない筈です」
「それは良かったわ」
「ただやはり、きちんと練習する必要はあると思いますが。何と言っても、これまで耳にした事のないメロディーですし、従来とは比べ物にならない位、広い空間で歌うわけですから」
「そうね。講堂の端まで、きちんと聞こえるように。だけど声を張り上げたり無闇に叫んだりはせず、響き渡るような発声を考えないといけないでしょうね」
(本当にそんな大声で歌えるの? 教会で讃美歌は歌われることはあるけど、皆で歌うものだし、学園の講堂の広さはどれくらいあるのかしら?)
 ルーナが考え込んでいると、マリーリカが口を開く。


「お姉様、今の曲の楽譜を頂けますか? 自分の部屋でもそれを見ながら、歌う練習をしたいので」
「ごめんなさい、楽譜は無いのよ。私、弾くのは構わないけど、楽譜を読んだり書くのは苦手で……」
「まさかお姉様が、今の曲を作曲されたのですか!?」
「ええ、まあ……、一応……」
「本当に素晴らしいですわ、お姉様! こんな才能溢れる方を、誰かの風下に立たせようと考えるなど、到底許せません! 殿下は本当に、何を考えていらっしゃるの!?」
(エセリア様、作曲の才能までおありだったんですね……。それにマリーリカ様は、絶対に騙されている……。殿下が他の女生徒に肩入れしている状況は、エセリア様にとっては願ったりかなったりの筈だもの)
 マリーリカは盛大に驚いてから、その反動で王太子への反感を露わにしたが、そんな従妹をエセリアは笑いながら宥める。


「マリーリカ、私はそれほど気にしてはいないのよ? 現に国王陛下には何人もの側妃がいらっしゃるけど、王妃様は一度だって取り乱したりせず、しっかりと王宮内を取り仕切っていらっしゃるでしょう?」
「ですが!」
「だからと言って、私を蔑ろにしても構わないという事ではないから、この際、公の序列という物を、きちんと実感させてあげようと思うの。話を聞く限りではアリステア嬢は、言い聞かせて分かっていただけるような方ではないみたいだしね」
「分かりました。全力で取り組みます! 絶対成功させましょう、お姉様!!」
「ありがとう。心強いわ、マリーリカ」
「そうと決まれば、早速練習致しましょう!」
「そうね」
 嬉々として立ち上がったマリーリカに苦笑しながら、エセリアは少し離れた場所で待機しているルーナに指示を出した。


「ルーナ、この部屋の窓を全て開けてくれる? その後、庭の花壇の端まで行って、私の演奏とマリーリカの歌声がそこできちんと聞こえるかどうか、一回毎に感想を聞かせて欲しいの」
「……畏まりました。ご指定の場所まで行きましたら、手を振って合図します」
 面倒な事になったと思いながらも、ルーナはその部屋の庭に面している窓を全て開け放ってから廊下へと出た。
 エセリアとマリーリカを長々と待たせるわけにはいかなかったが、とはいえ廊下や庭園内の人目につく所を走り抜けるわけにもいかず、ルーナは廊下は可能な限りの早足で、回廊や庭園は他からの死角になりやすい、かつできるだけ最短ルートを選んで駆け抜けた。


「こ、ここで、良いわよね……」
 目的の場所に着いたルーナは、微妙に息を乱しながら先程までいた第二応接室の窓を確認し、そこに立っているエセリアの姿を認めて大きく手を振ってみせる。するとルーナの姿を確認したらしいエセリアが同様に手を振り返してから、部屋の奥に引っ込んだ。
 それからピアノのメロディーが小さく聞こえてきたが、マリーリカの歌声はほとんど聞き取れずに終わった。そして再び窓際に出てきたエセリア様が手を振ったのを見て、ルーナは先程とは逆ルートで第二応接室へ急いだ。


「ルーナ、どうだった?」
 第二応接室に戻るなりエセリアから尋ねられたルールーナは、申し訳なく思いながらも正直に答える。


「ピアノは聞こえましたが、歌声の方は微かに聞こえる程度で……。何を歌っていらっしゃるのかまでは、聞き取れませんでした」
「普通に歌うと、やはり難しいみたいね……。伴奏のピアノの音量を、少し抑えるべきかしら……」
 しかしマリーリカの意欲は衰えず、寧ろやる気満々で声を上げた。


「大丈夫ですわ、お姉様! いきなり歌ってしまいましたし、きちんと発声練習をしてから、もう一度歌ってみます!」
「そう? それではお願いね。ルーナも庭に戻って頂戴」
「はい……」
(ちょっと待って。これ、一体何回続くのよ!?)
 エセリアは従妹を頼もしげに見やったが、ルーナは内心でうんざりしながら再び庭へと出て行った。
 それから延々と同じことが繰り返され、さすがに五回目辺りからは、他の使用人達が第二応接室と庭を往復しているルーナの行動に気付き始めた。


「お前さん、エセリア様専属のルーナといったかな? 大変だなぁ、ほら、一つ飴を持っていきなさい。疲れが取れるから」
「あ、ドルパさん。ありがとうございます。頂きます」
「ルーナ、あなたさっきから何をやってるのよ。喉が乾くでしょう。ほら、飲みなさい」
「リジーさん、ありがとう。生き返るわ~」
「ええと、ルーナだったか? エセリア様付きだと、何をさせられるか分からなくて大変だな……。筋肉痛に良く効く膏薬があるから、うちの騎士団の誰かに声をかければ、分けて渡すようにしておこう」
「……お心遣い、ありがとうございます」
 植え込みの陰を走り抜ける途中で、庭師から缶に入った飴を分けてもらい、
廊下を早歩きしているところで、顔見知りのメイドに汲みたての水を飲ませてもらい、回廊を駆け抜けているところで屋敷の警備担当の騎士団長に膏薬を分ける申し出を受けながら、ルーナはひたすら往復を続けた。




 結局、十数回歌ってみてからエセリアが今日はここまでとストップをかけ、マリーリカは少し休憩してから屋敷を辞去した。
「お姉様。今日でメロディーは完全に頭に入れましたし、今度お会いする時までに研鑽を重ねて、何としてでもお姉様の期待に応えてみせますわ!」
 玄関ホールでの鼻息荒い宣言に、エセリアは若干引きながら笑顔で言い聞かせる。


「ええと……、それはとてもありがたいのだけれど……、無理だけはしないでね? 喉はきちんと労って頂戴」
「はい、留意致します。それでは失礼致します」
 そしてマリーリカが乗り込んだ馬車が走り去るのを見送ってから、ルーナはもの凄く疑わしげにエセリアを問いただした。


「エセリア様……、本当に大丈夫なのですか?
「え? なんの事?」
「本当にマリーリカ様に、学園内で変な事をさせたりはしないでしょうね!? マリーリカ様はエセリア様とは違って、本物のお嬢様なのですから!! 大丈夫だと信じて、宜しいんですね!? 余所様のお嬢様を巻き込んで、取り返しがつかないような事態には、なりませんよね!?」
 マリーリカの見送りに出ていた他の使用人達は、そんな主従のやり取りを見なかった事にして立ち去って行き、エセリアは不本意そうにルーナに言い返した。


「何をそんなに心配しているのか分からないけど、本当に大丈夫だから。だけど、どうして私がまともなご令嬢ではないような言われ方を、されなくてはいけない」
「まともではございませんから」
「…………」
 ルーナの遠慮の欠片もない物言いに、エセリアは僅かに顔を引き攣らせながら押し黙ったが、ここでナジェークが通りかかった。


「エセリア、今日はマリーリカが来ていたみたいだが、もう帰ったのかい?」
 その問いかけに、エセリアは背後を振り返りながら答えた。


「ええ、つい先程。お兄様、お帰りになっていたのですか」
「ああ、予定よりかなり早く用事が済んでね。ところで、マリーリカと歌の練習をしていたのかい?」
「はい。お聴きになったのですね。長期休暇明けに、音楽祭が開催されることになりまして。長期休暇中に、何回か一緒に練習するつもりです」
「それにしても、随分大きな声で歌っていたみたいだが……」
「音楽祭は講堂で開催しますから。それでどれくらい遠くまで響いて聞こえるか、ルーナに庭園の端まで行って聴いて貰っていました」
「ああ、だからルーナが、何度も庭園に出たり入ったりしていたのか。でも……」
 エセリアの説明を聞いていたナジェークは、そこで何故か不思議そうな顔で言葉を濁した。それを見たエセリアが、不思議そうに尋ね返す。


「お兄様? マリーリカの歌で、何か気になることでもありましたか?」
「いや、歌ではなくて……。どうしてルーナは頻繁に屋敷内と庭園を往復していたのかと思って」
「え? どういう意味ですか?」
「単に聞こえる聞こえないを判別するなら、ルーナに庭園の端にずっといてもらって、予め合図を決めて手の振り方の違いとかで判断すれば、済む話ではないのかな? 遠くで見えにくいのであれば、旗を持って振るとか」
「………………」
 淡々とした口調での指摘に、エセリアとルーナは思わず無言で顔を見合わせた。そして次の瞬間、ルーナが床に崩れ落ちる。


(確かに、ナジェーク様のご指摘の通り……。歌い始める前に手を振って合図されていて、お互いに姿は見えているのだし、歌い終わったら聞こえたか聞こえなかったか、合図を決めておけば一回毎に急いで戻る必要はなかったじゃない……)
 自分の行動がはっきり言って無駄だったと悟ったルーナは、ショックのあまり四つん這いの状態のまま項垂れた。その様子を見て、エセリアは動揺しながらルーナに声をかけ、次いでナジェークに八つ当たりをする。


「ええと、あの! ルーナ、ごめんなさい! なんだかすっぽりその手の考えが抜け落ちていて! お兄様もお兄様です! 気がついていたなら、その時点で傍観していないで指摘してください!」
「あ、いや……、何か意味があるのかと思ったものだから……。すまないね、ルーナ」
「……いえ、エセリア様付きであるなら、これくらいは大したことではございませんので。ええ、本当にお気になさらず」
「…………」
 ほとんど気合いだけでいつもの口調で述べたルーナだったが、相変わらず四つん這いのままであり、その場に微妙に気まずい空気が漂った。しかしルーナはすぐに気を取り直し、エセリアを促して玄関ホールから移動したのだった。



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