悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(33)決意

「ところでルーナ、どうしますか?」
「え? あの……、どうするかとは、何をでしょう?」
「あなたがここでの勤務を辞めたいというのなら、領地の館での勤務に戻そうかと思います」
 予想外のことを言われてしまったルーナは、本気で戸惑った。そして一瞬エセリアに視線を向けてから、ロージアに告げる。


「あの……、それには及びません」
「ご本人の前だからといって、遠慮しなくて良いのですよ?」
「いえ、遠慮しているわけではありません。確かに今回、職務中に気を失うという失態を犯しましたが、それは私の気の緩みから生じたことです。エセリア様が何をしでかすか分からない方であるのは、重々承知していたつもりだったのですが、まだまだ認識が甘かったようです。猛省して今後はより一層精進いたしますので、是非とも職務を全うさせてください」
(ええ本当に、エセリア様が幼い頃から突拍子もない言動をしてきたのは、ミスティさんから散々聞いていたのに! 専属メイドとして失格じゃない! 悔しすぎて、とてもこのまま引き下がれないわ! 思い出すのよ、ルーナ!! あの猪や熊と山道で不意に出くわした時の、あの危機感と緊張感を!!)
 自分自身に腹を立てつつルーナが固く決意していると、ロージアが安堵した表情になりながら小さく頷く。


「分かりました。それでは引き続き、エセリア様の専属はあなたにお願いします。ですが、本当に無理だと思った時には、遠慮せずに申し出なさい」
「ええと……、ロージア? 私はそれほど頻繁に、常軌を逸した行動をしているわけではないわよ?」
 ここでエセリアが弁解がましく言い出したが、ルーナ達は全く聞いていなかった。


「メイド長、お心遣い、ありがとうございます。どれだけ非常識で突拍子がなくとも、今回のあれより酷いことはそれほどないと思われますし、耐性がついた気がします。精一杯務めさせていただきます」
「だからルーナ。今日のあれは、本当に偶々だから」
「やはりあなたを選んだケイトの目に狂いはなかったわ。これからも色々と面倒をかけることになると思いますが、エセリア様を頼みます」
「はい、二度と失態は犯しません。常在戦場の心構えで挑みますので、お任せください」
「二人とも……、面倒とか戦場とか、言い過ぎではないかしら?」
 互いに真剣な面持ちで語り合っている二人を見て、完全に無視されてしまったエセリアはがっくりと肩を落とした。そしてエセリアを引き連れてロージアが部屋を出ていってから、ルーナは再びベッドに横になった。




 一眠りしてルーナが目を覚ますと、既に窓の外は暗くなっていた。驚きながらも室内のランプを点けて時計の時刻を確認すると、夕食の時間帯になっており、着込んだままのメイド服に気がつく。多少しわになっているが、このまま食堂に向かって夕飯を食べてこようかと考えていると、ドア越しに軽いノックの音と呼びかける声が聞こえてきた。
「ルーナ、大丈夫? 起きている?」
「はい! 起きています! どうぞ」
 聞き覚えのある声にルーナが慌てて反応すると、ドアを開けて現れたのは予想通りオリガだった。


「夕食を持ってきたから、今日は部屋で食べて良いわよ。起き上がれないなら食べさせてあげようかと思ったけど、大丈夫みたいね」
 夕食を載せてあるトレーを見て、ルーナは思わず溜め息を吐いた。
「オリガさん……、ちゃんと食堂に出向いて食べられると思うのですが……」
 控え目に告げたルーナに、オリガが苦笑いで応じる。


「一応、部屋から出ないで休むように言われているでしょう? 今日の事は人伝に聞いたけど、災難だったわね。元気そうで安心したわ。食べ終わったら、食器を廊下に出しておいて。後から片付けるから」
「本当にすみません。先輩にそんなことまでしてもらうなんて……」
「気にしないで。それじゃあ、食器は後で回収しておくわ」
 明るく笑ってオリガは引き上げ、ルーナは持ってきてもらった夕食を食べるため椅子に座った。


「うぅ、本当に色々大事になっちゃったわね……。メイド長の心遣いはありがたいけど、少し大げさ過ぎるかも……」
 これから気を付けようと心に決めながら夕食を食べ終えると、今度は小さな籠を抱えたメリダがやって来た。


「ルーナ、食事は終わったみたいね。手の湿布を替えにきたわよ」
「え? メリダさん? 湿布ですか?」
「右手だし、取り換えも包帯を巻くのも無理よ。先生から、あざが薄くなるまで定期的に交換するように指示が出ているから。寝る前に一度替えておくわ」
 テーブルに籠を置きながら説明したメリダに、ルーナは恐縮して頭を下げた。


「ありがとうございます。確かに少し痛みはありますけど、普通に動かせますから骨は折れていないはずですし、殆ど忘れていました」
「相変わらず豪胆ね。今取り替えても良い?」
「お願いします」
 それでルーナはベッドの端に座り、メリダは向かい合う形で椅子に座った。それから手際よくルーナの包帯をほどき、患部に当てている布を取り去ったが、その下から現れたものを見て驚愕する。


「それじゃあ、これを取って交換……、何よこれ!?」
「うわぁ……、こんなことになっていましたか……。頭の代わりに、手の甲を派手に打ちましたね」
 内出血で青黒くなり、少し腫れているようにも見える右手を、ルーナは冷静に観察した。しかし彼女とは対照的に、メリダが狼狽しながら問いただしてくる。


「ちょっとルーナ! 本当に大丈夫なの!?」
「はい。本当に手や指は普通に動かせますし」
「それにしたって……。私達が怖じ気づいて、エセリア様付きになるのを全力で回避したりしたから、若いあなたに余計な苦労を……」
「あのっ! メリダさん、本当に大丈夫ですから! 落ち着いてください!」
 急に涙ぐみ始めたメリダを、ルーナは慌てて宥めた。それから何とか気を取り直したメリダが当て布に膏薬を塗りつけ始めていると、普段から比較的親しくしている何人かのメイドが、連れ立って様子を見に来る。


「ルーナ、大丈夫? エセリア様が暴れたのに巻き込まれて、怪我をしたって聞いたけど」
「暴れたとかじゃなくて、変な道具を開発して、それに激突したのではなかったの?」
「ええ? それも違うわよね? エセリア様がバイオリンを演奏しようとしたら、振り回したそれがルーナに当たったんでしょう?」
「あの……、皆さん、全員違っていますが……」
 何と言ったものかとルーナが頭を抱えていると、すぐにルーナの手に気づいた彼女達が、驚いて騒ぎだす。


「ルーナ! その手はどうしたの!?」
「凄いあざじゃない!」
「どんなぶつけ方をすればそうなるのよ!?」
「ええと……、無意識だったので、自分でも分かりません」
「大丈夫なの!?」
「エセリア様、今度は何をしたの!?」
「しばらく仕事を休ませてもらった方が良いんじゃない!?」
「あの! 皆さん、本当に大丈夫ですから!」
 それから就寝時間になるまでの間、自分を心配して入れ替わり立ち替わり訪ねてくる者達を宥めたルーナは、精神的な疲労を覚えながら深い眠りに就いたのだった。





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