悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(29)ルーナの疑問

 普段寮生活を送っているエセリアの身の回りをすることはあまりなかったが、休暇で彼女が帰宅した時は当然ルーナがするべき事は山ほどあった。
「エセリア様、これで如何でしょうか?」
 ルーナはその日、夜会に招待されているエセリアの衣装と装身具一式を揃えて身支度を手伝い、滞りなく化粧とヘアセットを済ませてから仕上がりに関してお伺いを立てた。すると鏡と向かい合っていたエセリアが、ルーナを見上げながら満足そうに小さく頷く。


「ええ、これで大丈夫よ。私が思っていた通りに仕上がったわ。ありがとう、ルーナ」
「恐縮です」
 本格的な夜会の支度はこれが初めてだったルーナは、エセリアの返答に心底安堵した。それを見たエセリアが、笑顔で立ち上がる。
「それでは私は一階に下りて、お母様達とお話しながら殿下の到着を待つわ。ルーナは後片付けが終わったら、そのまま休んでいて構わないわよ? 戻るのは遅くなるし」
「畏まりました。必要なことを済ませましたら、お戻りになるまで休憩させて貰います。行ってらっしゃいませ」
 深々と頭を下げてルーナがエセリアを見送ると、支度の間、彼女の補佐役として無言で控えていたメリダが、ルーナと同様に頭を上げながら声をかけてきた。


「ルーナ、お疲れ様。あなたはエセリア様の夜会の支度は初めてだから、念のため私が付いていたけど、手を出したり注意することはなかったわ。本当に安心して見ていられたわよ?」
 そう褒められたルーナは、恐縮しながら頭を下げた。


「ありがとうございます。でもこれはエセリア様が寮生活をしている間に、先輩の皆さん達に事細かく指導して貰ったお陰ですから。特にメリダさんには、散々ヘアセットやお化粧の練習台になって貰いましたし。本当にお手数おかけして、申し訳ありませんでした」
「良いのよ、そんなこと。偶々私とエセリア様の髪質が似ているし、奥様やロージアさんから指導を頼まれたことだから。それにあなたは教えた内容は一度できちんと覚えて、凄く優秀だもの」
「メリダさん、それは褒めすぎですから」
 手放しで褒められて微妙にむず痒くなってきたルーナだったが、メリダは真顔で続ける。


「あら、そんなことはないわよ? 前々から思っていたけど、ルーナはどんな時でも隙がないというか、観察眼が鋭くて細かいことも見逃さないというか、一つ一つの動きにキレがあるというか……。うまく言えないけど、同年代の女の子とはなんとなく格が違う感じがするのよね。あ、老けているって意味じゃないわよ? 今のは本当に褒め言葉だから、誤解しないでね!」
「分かっています。ありがとうございます」
 慌てて弁解してきたメリダを見て、ルーナは思わず笑ってしまった。そして言われた内容について考え込む。
(なんだろう……。山で自給自足生活をしているうちに、ちょっと常人とは異なる動き方になったり、視線が変に鋭くなってしまっているのかしら? 仕事に役立っているみたいだから良いけど……。あ、そうだ)
 とりとめのない事を考えているうちに思いついた事について、ルーナは尋ねてみた。


「メリダさん。今日みたいにエセリア様と王太子殿下が揃って招待されている時は、殿下がお屋敷に迎えにいらっしゃるのですよね?」
「それはそうね。婚約者同士だし、殿下がエセリア様をエスコートするのは当然だもの。勿論、都合がつかなくてお一人だけで参加したり、会場で合流する場合もあるでしょうけど。それがどうかしたの?」
「いえ、大したことではないのですが、王族の方にお目にかかる機会などは皆無なので、どんな方なのかなと興味が湧きまして。メリダさんは王太子殿下にお目にかかったことはありますか?」
 本当にちょっとした興味からの問いかけだったのだが、メリダは苦笑いで答えた。


「それはないわ。だって公爵家の皆様を見送る場合ならともかく、王太子殿下をお出迎えするなら、万が一にも粗相があってはいけないもの。だから殿下を玄関でお出迎えする使用人は、通常であれば執事長とメイド長に、古参の方々くらいのものよ。通常であれば、私達が顔を揃えることはないわ」
「なるほど。それもそうですね」
「どうしても見たいのなら、玄関ホールに続く廊下の陰から覗き込むとか、階段の上から見下ろしてみれば? 今から行けば、間に合うかもしれないわよ?」
 メリダが唆すような笑みを浮かべたのを見て、ルーナも苦笑しながら首を振る。


「そこまでして見たいわけでもありませんから、大丈夫です。ここの後片付けもありますし。メリダさん、ありがとうございました。後は私一人でできますから」
「そう? それなら私は戻るわね。因みに又聞きだけど、王太子殿下はエセリア様と並んでも見劣りしない程度に、整った顔立ちをしているらしいわ」
 メリダはいかにもついでのように告げてから、笑顔で部屋を出て行った。


「王太子殿下について『エセリア様と並んでも見劣りしない程度に』とか言うのは、不敬罪にならないのかしら? 人前では言えないわね」
 思わず呟いたルーナは、それとは別の懸念事項を口にする。 
「だけどエセリア様は、本当に婚約破棄をするつもりなのかしら? 確かに休日でお屋敷に戻る毎に、お部屋で何事かをブツブツ呟いているけれど。特にお屋敷の人を動かしているわけでもないし、正直、実感が湧かないのよね……」
 しかし困惑顔で考え込んだのはほんの少しの間だけで、ルーナはすぐに気持ちを切り替えて後片付けに取りかかった。



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