悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(24)誤解

 ルーナが公爵邸での勤務を始めて一ヶ月が経過しないうちに、給金の支給日になった。
 予め使用人毎に指定された順番と時刻に従ってルーナが執事長室に出向くと、執事長のカルタスが給金を入れた革袋を差し出してくる。
「ルーナ・ロゼレム、あなたの今月分の給金です。この場で金額を確認してください」
「ありがとうございます。少々お待ちください」
 素直に受け取り、早速硬貨の種類と枚数を確認したルーナは、困惑顔で問いを発した。


「あの、執事長? 日割り計算だと、以前説明があった金額よりも多いのですが……。それから、この紙はなんでしょうか?」
 折り畳まれた紙を取り出したルーナに、カルタスが冷静に指示する。


「今月から諸手当が出されているので、手取りが増えている使用人が多くなっています。その紙は給金の明細ですから、開いて内容を確認してください」
「分かりました」
 何か事務処理に必要な用紙だったら勝手に見てはまずいのではと懸念したルーナだったが、説明を聞いて安心しながら内容を確認した。しかしそれによって、彼女の困惑は深まった。


(支給項目に『扶養家族手当』と書いてあるけど……。これはアンケートとかいう、エセリア様が作った用紙を見た時に、ミスティさんが推測していた……。まさか本当に、お給金に上積みされるなんて。さすがミスティさん、読みが凄いわ)
 無言のままルーナが考えを巡らせていると、カルタスがしみじみとした口調で言い出す。


「エセリア様から話を聞いています。両親亡き後、妹と一緒に伯父夫婦に引き取られ、領地の館勤務の時から給金を自分や妹の生活費として伯父夫婦に渡していたとか」
 給金全額を取り上げられていたなどと誤解されてはたまらないと思ったルーナは、そこで慌てて弁解した。


「いえ、それは確かにそうですが給金の一部だけで、大した金額ではありません。それに伯父夫婦は、私達の結婚資金として貯めておくからと言ってくれていますし」
「それも聞いているから安心しなさい。エセリア様がそのお話を聞いて、使用人がより働きやすい環境作りの一環として新規手当の創設と充実を思い付かれたとか。アンケートで把握した情報を元に該当者に給付しているので、ありがたく受け取りなさい」
 誤解はされていないのが分かり安堵したものの、ルーナは別の意味で恐縮した。


「はぁ……、確かにありがたいお話ですが、私のせいで公爵家の支出が増えるのは申し訳なく……」
「その辺の心配は無用です。支出が増えた分は、エセリア様が個人的な収入から補填してくださっています」
「え? どうしてエセリア様が補填するのですか?」
 公爵令嬢がどうやって資金を捻出するのかと、ルーナは当惑した。しかし彼女の戸惑いが予想外だったらしく、カルタスが意外そうに告げてくる。


「おや? エセリア様が執筆活動をしたり、ワーレス商会と開発した商品売上金に関する契約をしたり、国教会の貸金業務の外務顧問で大口の出資者であることを聞いていないのか?」
「……………………はい?」
 限界まで眼を見開いて絶句したルーナを見て、カルタスは溜め息を吐いてから話を続けた。


「どうやらミスティは、実質的な業務引き継ぎに重点を置いているようだな。時間に余裕がある時に聞いてみたまえ。ところで、明細書の確認は終わったかな?」
「え? あ、はい! たしかに明細書の記載通りの額です! ありがとうございます!」
「礼ならエセリア様に。それでは下がってよろしい」
「はい、失礼します」
 まだ動揺しながらもルーナはなんとか金額を確認し、革袋を持って退出した。


「ちょっと待って。執筆活動って……。エセリア様は私の一つ下の筈だけど、商会との契約とか国教会の外部顧問って、一体どうなっているのよ? 空き時間にミスティさんに聞いてみないと」
 ルーナはブツブツと独り言を呟きながら廊下を歩き始めたが、少し歩いたところで廊下の反対側から歩いてきたメイドが声を上げた。


「あ! ねえ、あなた、ひょっとしてエセリア様付きのルーナ!?」
「え? あ、はい、ルーナ・ロゼレムですが。ええと……、どちら様でしょうか?」
 小走りに駆け寄ってきたメイドにルーナが困惑しながらも、先輩に対する礼儀を守りながら挨拶すると、相手は笑って自己紹介してきた。


「急に呼び止めてごめんなさい。私は奥様付きメイドの、メリダ・ピムロスよ。よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
(何かしら? 使用人が多いから、これまで接点がなかった人だけど。怒っているようには見えないし……)
 内心の戸惑いを面に出さずにルーナが応対すると、メリダはいきなり彼女の手を取りながら笑顔で礼を述べた。


「あなたがエセリア様に、新しい手当を作るように進言してくれたのよね? どうもありがとう!」
「あ、いえ、進言などというものでは……。私の境遇を聞いて、エセリア様が何やら思うところがあったらしく……」
「本当に、若いのに苦労しているのね。領地のお屋敷で働いていた頃は妹さんの養育費の名目で、給金を強欲な親戚に全額取り上げられていたのでしょう?」
 真顔でそんなことを言われてしまったルーナは、瞬時に顔色を変えて力一杯否定した。


「メリダさん!! それ、誤解ですから!! 伯父さんは強欲じゃありませんし、渡していたのも一部ですし、私達の結婚費用に貯めておいてくれているだけですから!!」
 その主張を聞いたメリダが、キョトンとした表情になりながら言葉を返す。


「あら、そうなの? 私が聞いた話と、ずいぶん違うのね」
「すみません! 伯父夫婦の名誉にかかわりますので、今の話は周りの皆さんに対して全面的な訂正をお願いします!!」
「分かったわ。周囲にあなたの話を伝えておくから。とにかく、直にお礼を言いたかったの。それじゃあね」
「はい、よろしくお願いします!」
 にこやかに手を振ってメリダは立ち去り、ルーナは疲労感に襲われながら呻いた。


「どうして変な話が、奥様付きのメイドの間で広まってるのよ……。本当に勘弁して」
 頭を抱えながら再度歩き出したルーナだったが、すぐに会釈してすれ違おうとした見覚えのない騎士から声をかけられた。


「君、新しくエセリア様付きのメイドになった、ルーナ・ロゼレム?」
「あ、はい。そうですが、どちら様でしょうか?」
 普段全く接点がない騎士からの問いかけにルーナが困惑しながら尋ね返すと、相手は笑顔になって話を続けた。


「俺は公爵家騎士団所属のグリード・ケプラー。君の境遇に同情したエセリア様が、色々な手当を考えたんだって? それで俺も今月の給金額が増えて、礼を言いたくて。それに不遇な君を一言激励したかっ」
「すみません、グリードさん!! 誰から何をどう聞かれたのかは全く分かりませんが、おそらくその話は大方間違いですから!! お願いですから、誤解しないでください!!」
「え? 誤解? 何が?」
 いきなり自分の話を遮りつつ勢いよく頭を下げて懇願してきたルーナを見て、グリードは呆気に取られた。それから暫くの間、ルーナは屋敷中の使用人達から親しく声をかけられ、その都度自分の境遇に関する噂を全力で否定し続ける羽目になった。



コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品