悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(23)やっぱり変なお嬢様

 公爵邸での勤務初日。メイドの制服姿で使用人棟の出入り口でミスティと落ち合ったルーナは、深々と頭を下げた。
「おはようございます」
「おはよう、ルーナ。最初は私のやり方を見て、覚えながら補助をしてね? 徐々にあなたにやって貰って、私が足りないところを指導するようにするわ」
「はい、お願いします」
 互いに笑顔で挨拶してから、二人はエセリア様の私室に向かった。


「おはようございます、エセリア様」
「おはよう、ミスティ。ルーナもいるのね」
「はい。1日の仕事の流れを覚えて貰いますので」
「宜しくお願いします」
 洗顔用の洗面器と水、タオルなどを揃えて寝室に入ると、エセリアは既に目を覚ましており、笑顔で二人を出迎える。


「エセリア様、今日の服はどういたしますか?」
「う~ん、どこへも出かけないし、普段着を適当に。ミスティに任せるわ」
「畏まりました」
 エセリアが顔を洗っている間に、ミスティが手早くクローゼットやチェストから衣類を一揃い取り出して揃える。


「エセリア様の衣装や装飾品の手入れや保管、必要なら補修も私達の仕事になるわ。それに関して、細々したことを覚える必要があるけど」
「はい、色々教えてください」
 ミスティの手際の良さに感心しながら、ルーナは真剣に相手の説明に頷いていた。
 着替えを済ませてからエセリアが朝食のために食堂に出向いている間に、ミスティとルーナは手早くシーツやカバーの交換を済ませ、脱いだ夜着も片づける。軽く室内の清掃も済ませると、食事を済ませたエセリアが戻ってきた。


「そうだわ。ミスティ、これをカルタスに渡して頂戴」
 書き物机の引き出しから1枚の用紙を取り出したエセリアは、それをミスティに手渡した。ミスティは、受け取ったそれに目を落としながら問い返す。


「執事長にですか? はい、畏まりました。ところで、これはなんでしょうか?」
「アンケートの用紙よ」
「『あんけーと』、でございますか?」
(え? 『あんけーと』って、なんのこと?)
 ここではっきりとミスティは怪訝な顔になり、聞き慣れない言葉を耳にしたルーナも困惑した。


「パッと見て貰えれば分かると思うけど、この屋敷の使用人全員の家庭環境を調査するための物よ。これを各人に配って、各項目の内容を記入して貰った物を回収すれば、一人一人内容を聞き取りしなくても済むでしょう?」
「はぁ……、なるほど。それは確かにそうでございますね……。要するに『あんけーと』とは、簡易式の聞き取り用紙のことですか。それでは執事長にお渡しして、これを使用人全員に配る許可をいただいた上で人数分書き写して配るように、お願いすればよろしいのですね?」
「ええ。お願いね」
 ルーナには何が何やら分からなかったが、長い付き合いであるミスティは主の説明と要求をすぐに理解して確認を入れた。それにエセリアが笑顔で頷いたのを見て、ミスティは次の行動に移る。


「それでは私達は、少し下がっております」
「ええ、用がある時は呼ぶわ」
 二人は一礼して退出したが、廊下を出てからミスティが独り言のように呟く。


「またエセリア様は、前例のないことをお考えついて……。決して悪いことではないのだけど、こんなことを事前の説明なしに詳細に書かせたら、皆が変に思うわよ……」
「ミスティさん、なんですか? 見せて貰っても構いませんか?」
「構わないわよ」
 興味をそそられたルーナが尋ねると、ミスティは歩きながらその用紙を手渡してきた。それに目を通したルーナは、本気で首を傾げる。


「『以下の各項目に該当する内容を書き込んだ上で、期日までに執事長に返却すること』、何かしら? ええと……、『家族構成、年齢』『配偶者の有無』『家族の同居・別居分類』『主たる生計者か否か』『扶養義務のある家族・親族の有無』『送金の有無』『本人及び家族の借金の有無』……、なんか他にも色々細かい質問がありますけど、これってなんですか?」
 完全にお手上げのルーナが問いを重ねると、ミスティは笑いを堪える表情になりながら答えた。


「分からない? 昨日エセリア様が、あなたが妹さんの生活費の足しにするために送金していると言ったら、何やら騒ぎだしたでしょう?」
「はい。確かにそうですが……、それが何か?」
「だからあなただけではなく、この屋敷の使用人全員に対して、基本的なお給金に加えてそれぞれの生活実態に合わせた手当ての支給を考えていると思うの。同じ仕事で同じお給金を貰っていても、面倒を見る家族が多ければ、その分生活が苦しいでしょう?」
 しかしその説明を聞いたルーナは、益々困惑を深めた。


「はい? そんな手当てなんて、聞いたことがありませんが?」
「私だって聞いたことはないわよ。だからさっき『前例がない変なことを思い付いて』と言ったのよ」
「その……、ミスティさんはこの用紙を見ただけで、そう判断したんですか? 何か他の用途で使うものでは……」
「じゃあ何か賭けましょうか?」
「……止めておきます」
 自信たっぷりに微笑んだミスティを見て、ルーナは潔く自分の意見を引っ込めた。


「さあ、それじゃあ執事長の所に行ってこれの転写と屋敷内への配布をお願いして、エセリア様宛の封書を頂いてきましょう」
「はい。分かりました」
(ミスティさんが随分自信満々に言っているけど、本当にそうなのかしら? 本当にそうなら、これだけで何に用いるか正確に看破したミスティさんは凄いし、エセリア様はかなり変わったお嬢様だわ)
 そんなことを考えていると、ミスティが振り返りながら思い出したように告げてくる。


「それから、一つ一つ実地で教えていってもどうしても漏れる内容はあるだろうし、煩雑な内容もあるから、業務内容を一通り書き記した物を纏めてあるの。今日の勤務が終了したら渡すから、私の部屋に寄ってくれる?」
「分かりました」
 その時は素直に頷いたルーナだったが、夜仕事を終えてから渡された覚え書きの束を見て、呆然自失となった。


「うわ……、枚数もそうだけど、内容が凄く細かい……。エセリア様の親戚関係や交友関係から始まって、各場面ごとの衣装や小物の選択パターンとか、贈答品の選択やお礼状の書き方。旅行時の荷物の纏め方まで……。これを全部、頭に入れるの? やっぱり、入れないと駄目なのよね。ミスティさんがいるうちに、できるだけ教えて貰わないと」
 勤務初日から呆気に取られる事ばかりだったルーナだったが、その後はミスティの指導の下、なんとか日常業務をこなしながら必要な事柄をひたすら頭の中に叩き込む日々が続いた。





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