悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(11)微笑ましい変化

 手早く買い物を済ませたナジェーク達は、当初の予定よりかなり早く屋敷に戻った。それからヴァイスの両親に宛てて手早く手紙を書き終えたナジェークは、執事長のカルタスにそれを届けに行った。


「それじゃあカルタス。荷物と一緒に送る手配を頼んだよ?」
「畏まりました」
(さて、用事は一つ片付いたし、次は姉上の所に行くか)
 首尾良く領地への使者に言付ける事ができたナジェークは、気分良く廊下を歩き出した。
「失礼します」
 コーネリアの私室のドアをノックして入ると、姉の専属メイドであるアラナが、心得たように笑顔で頭を下げた。


「ナジェーク様。アルトーからこちらにいらっしゃると聞いて、お待ちしておりました。今、お茶をお出ししますね」
「ありがとう、アラナ」
「いらっしゃい、ナジェーク。どうかしたの?」
 コーネリアに促されて丸テーブルを挟んで座ったナジェークは、持参した刺繍糸の束を差し出しながら彼女に説明した。


「今日、アルトーとヴァイスを連れて下町に行ってきたのですが、立ち寄った先で綺麗な刺繍糸を見つけたので、姉上にお土産に買ってきました。良かったら使ってください」
「……え?」
 すると驚いたように目を見開き固まった姉を見て、ナジェークは何か問題でもあったかと不安になった。
「姉上、何か拙い事でもありましたか?」
 その問いかけで我に返ったコーネリアが、控え目に確認を入れてくる。


「そうではないけれど……。出掛けたついでに、買い物をしてきたのよね?」
「ええ、そうです。姉上も最近、エセリアの小説を出版する話でワーレス商会に度々出向いていますから、その時ついでに買い物とかしてこないのですか?」
「ラミアさんとお話ししてくるだけで、他は何も。普段は頼めば屋敷に商人の方々が持ってきてくれるし、ドレスを作る時だってお店の方が生地の見本やデザイン画を持って、採寸に来てくれるでしょう?」
 困惑気味に姉が語った内容を聞いて、ナジェークはしみじみと考え込んだ。


(そうだよな……。下級貴族ならともかく、伯爵家以上の上級貴族のお嬢様が、子供の頃から気軽に街を出歩くのってあり得ないよな。もう少し大きくなったら、世話役や護衛を付けて出歩く事があるかもしれないが……。それを考えると、彼女はエセリア並みに自由なんだな)
 深窓の正統派令嬢の姉とは異なり、自分の妹は規格外だと前々から認識していたものの、彼女とはまた違う意味でカテリーナも一般的な上級貴族の令嬢とは言いかねるとの認識を新たにしていると、その間にコーネリアが刺繍糸を取り上げ、嬉しそうに微笑んだ。


「それでわざわざ、これを私に買ってきてくれたのね? ありがとう。あなたからお土産を貰うのは初めてだし、綺麗な紫蘭色の糸で嬉しいわ。大事に使わせて貰うわね」
 姉に礼を言われて嬉しくなったナジェークは、そこまで喜んで貰えるならと、ある提案をしてみる。


「良かったら、今度一緒に買い物に行きませんか? これを買った店には紫色でも濃淡取り揃えて、たくさんの種類がありましたから」
「本当に? でも行かせて貰えるかしら?」
 幾分心配そうに問い返した姉に、ナジェークは大して案じずに言葉を返した。


「きちんと父上と母上に断りを入れれば、大丈夫ではないですか? 僕と一緒にアルトー達も付いて来ますから。あ、ただ下町なので、仰々しく出かけられませんよ? 危険回避の為にも庶民の子供のような、簡素な服装で行きますから。アラナ、その時は姉上の準備を頼めるかな?」
「はい。予定をお知らせいただければ、必要な衣装を準備いたします」
 一応アラナに確認を入れると、彼女は事も無げに了承した。それで実現可能だと理解したコーネリアが、顔付きを明るくしながら喜びの声を上げる。


「本当? そんな風にして外に出るのは初めてだわ!」
「それに早めに馬車から降りて、店までかなり歩く事になりますけど」
「益々楽しそうね! 大丈夫、頑張って歩くわ!」
「それなら良かった」
 そこで苦笑の表情で、アラナが控え目に会話に割り込んできた。


「ナジェーク様。アルトーとヴァイスが同行するなら、その時私はご遠慮した方が良いのでしょうね」
「そうだね。人数が多くなりすぎると、周りから不審がられるだろうし」
「分かりました。その時は、送迎の馬車内で待機しております」
「うん、よろしく」
 万事心得ている姉付きのメイドにナジェークが笑顔で頷くと、コーネリアが満面の笑みで言い出した。


「楽しみだわ! ナジェークみたいに優しい弟がいて、私は幸せよ。そういう風に一緒に連れ歩いてくださる、優しい方と結婚できたら嬉しいわ」
「姉上の結婚相手、ですか……」
「ナジェーク、どうかしたの?」
(姉上を連れ歩くとなると……)
 そこで急に真顔になって考え込む素振りを見せたナジェークに、コーネリアが怪訝な顔になりながら尋ねた。するとナジェークが大真面目な口調で言い出す。


「姉上の結婚相手なら、姉上と並んで歩いても遜色が無い程度に、容姿が際立っている方でないと駄目ですね」
「え?」
「ナジェーク様?」
「そもそも、『下町を出歩くなどもっての外』などと言い出さない、寛容な方でないと許せないし」
「それは……」
「確かにそうかもしれませんが……」
「それにそういう場所に、護衛をぞろぞろ引き連れて行けないから、それなりに腕が立つ方でないと……。でも『自分ができない事を他人に求めるな』とか難癖をつけられる可能性があるし、僕も武芸の訓練をもう少し真剣に取り組もうか……。うん、そうしよう」
 独り言のような台詞が続けられる間、コーネリアとアラナは唖然としていたが、ナジェークが何やら一人で納得して頷いたところで、アラナが若干呆れ気味に指摘してきた。


「ナジェーク様。お気持ちは分かりますが、コーネリア様のご結婚相手に色々と厳しい条件を付けていると、お嬢様が結婚できなくなるかもしれませんよ?」
「そうなったら僕が一生姉上の面倒を見るから、心配いらないよ」
「まあ……」
「嬉しいわ。ありがとう、ナジェーク」
「どういたしまして」
 ナジェークの即答っぷりにアラナは完全に呆気に取られ、コーネリアは我慢できずに小さく笑ってから、弟の心遣いに礼を述べた。それからお茶を一杯飲み終えたナジェークが立ち去ってから、アラナが彼のカップを片付けつつコーネリアに声をかける。


「コーネリア様、よろしいのですか? あんな事を言ったりして」
 しかしそんなアラナの懸念を、コーネリアは笑顔で一蹴した。


「ナジェークは以前から『将来は官吏になって国を動かしたい』と言って勉学を頑張っているけど、武芸の方は身が入らないと教師の方が嘆いていたし。この機会に少し身を入れて、稽古に励んでくれれば良いのじゃない?」
「それなら良いのですが……」
「本当にあの子は、最近どこか性格が丸くなった気がするわ」
 そう言ってクスクスとおかしそうに笑い出したコーネリアを見て、アラナもそう大した問題ではないかと思い直し、それ以上深く追究する事を止めたのだった。



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