悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(6)思いがけない再会

 ナジェークが下町で、謎の父娘と遭遇してから三日後。彼は改めて両親から外出許可を貰い、先日遭遇した旅芸人の公演を観るべく再び下町に出かけたが、外出の条件として同行させるほか無かったアルトーとヴァイスは、出発直後から口やかましかった。


「良いですか、ナジェーク様。今日は人込みに紛れて、逃げ出したりしないでくださいよ!?」
「人が多いと言うことは、ただでさえスリとか人さらいとかに遭遇する可能性が高いんですからね!」
「それから、ちゃんとお金は持ってきましたか? 旅芸人の公演を見たのに投げ銭を払わないなんて、貧しい庶民ならともかく、我が公爵家の体面に関わります」
「例えお忍びでご覧になって、周囲の者達がナジェーク様の素性を知らなくても、とても公爵様に顔向けできません。もしお忘れなら、私達が立て替えますから」
「分かっているし、ちゃんと持ってきている! 二人ともくどいぞ!」
 広い街路を歩きつつ、屋敷を出てからもう何度目になるのか分からない位同じ注意事項を繰り返しているアルトーとヴァイスに、さすがにナジェークが腹を立てて怒鳴りつけると、その剣幕に周囲の者達が数人何事かと振り返った。その中に見知った顔を見つけたナジェークが、反射的に顔を強張らせる。


「何なの? 五月蠅いわね……、あら?」
「おう、あの時の少年か。これは奇遇だな」
「え? げっ!」
 まさかこんなところで先日の父娘に遭遇するとは予想だにしていなかったナジェークは、驚きで頭の中が真っ白になったが、その反応を見たアルトーとヴァイスが怪訝な顔で囁いた。


「……ナジェーク様?」
「こちらのお二人はどなたですか?」
(驚いている場合じゃない。せっかく再会できたんだ。ここはきちんと、あの時のお礼を言わないと)
 二人に問い質された事で我に返ったナジェークは、瞬時に自分がしなければならない事を思い出し、神妙な口調で謝罪の言葉を口にしながら頭を下げた。


「先日お会いした時、助けていただいたのにお礼を申し上げるのをすっかり失念しておりまして、誠に失礼しました。改めてお礼申し上げます」
「…………」
 そんなナジェークの姿を、カテリーナは無言のまま胡散臭い物でも見るような目で眺めていたが、彼女の父親は笑いを堪えるような表情で告げる。


「先日の事は気にしなくて良い。少年はどうやら貴族らしいな。十分な謝罪の言葉と丁寧な挨拶だ。娘は大方、羽振りの良い成金商人のどら息子だろうとか言っていたが」
「…………」
 それを聞いたナジェークは目を細めながら無言でカテリーナを睨んだが、彼女はさり気なく視線を逸らした。


「あの連中だが、あの後官吏に引き渡したら、それなりに人身売買組織の情報を引き出せたらしい。近々大掛かりな摘発があるらしいから、少年が変な逆恨みをされる恐れも無いだろう。安心しなさい」
「……そうですか。情報をありがとうございます」
「人身売買組織……」
「摘発って……」
 先日の騒ぎについてナジェークから全く説明を聞いていなかったアルトーとヴァイスは、唐突に物騒な内容を耳にして顔色を変え、ナジェークは面倒な事になったと舌打ちを堪えたが、ここで騎士が唐突に話題を変えた。


「ところで、私の名前はジェフリーだが、少年の名前は何と言うのかな?」
 不意を衝かれたナジェークは反射的に正直に名前を名乗りかけたが、公爵家の人間が見ず知らずの人間に簡単に素性を明かすような危険は冒せないと思い返し、咄嗟に偽名をひねり出す。
「名前……、ジェイクです」
 しかし相手は、その偽名を全く疑わずに鷹揚に頷く。


「そうか、ジェイク。これは単なるおせっかいかもしれないが、最低限自分の身は自分で守れる位の技量と知恵を身に付けるまで、不特定多数の人間に囲まれる可能性がある場合は、護衛の人間は常に側に付けた方が良いな」
「はい。ご指摘、ありがとうございます。肝に命じておきます」
「うむ、素直でよろしい。それでは失礼する」
「はい」
 咄嗟に偽名を口にしてしまった後ろめたさもあって、ナジェークはジェフリーの主張を全面的に受け入れた。その様子を見た彼は満足げな表情で別れの言葉を告げ、カテリーナを連れて再び歩き出す。ナジェークはそれを黙って見送ったが、二人の姿が人波に紛れて見えなくなった途端、アルトーとヴァイスが血相を変えて彼を問い質し始めた。


「ナジェーク様! あの方は一体どなたですか!?」
「しかも人身売買組織って、どういう事です!?」
「まさかこの前市場に行った時、倒れていた連中の事ですか!?」
「俺達を撒いて一人でいた時、何をされていたんですか!」
「二人とも、こんな人目がある所で喚くな! 屋敷に戻ったらきちんと説明する!」
(ジェフリー殿に礼を言えたのは良かったが、この前の事を洗いざらい話さないといけなくなったか。二人の雷が落ちるのは確実だし、下手をすると父上から、暫く外出禁止を言い渡されるかもしれないな)
 面倒な事になったと思いながらも、身から出た錆だと自分自身に言い聞かせたナジェークは、せめて今日は気持ち良く公演を観て帰ろうと思いながら護衛の二人を引き連れて歩き続けた。


「え? どうしてここに?」
 旅芸人達が公演の場にしている広場に到着すると、その開始を待つ人だかりができていたが、その最後方に先程別れたばかりの二人組を見つけたナジェークは無意識に声に出した。するとその呟きを耳にしたカテリーナが振り返り、彼と同様の困惑顔で尋ねてくる。


「あら、あなたもこれを見に来たの?」
「ああ。そのつもりだが」
「それならもっと前に行かないと、大人達が囲んでいるから見えないわよ?」
「そういう君は、君は前に行かないのか?」
 人垣の後ろから動く気配の無い彼女に尋ねてみると、カテリーナは事も無げに言い返してきた。


「始まったら、お父様が肩車をしてくれるから良いのよ。あなたはまだ背が小さいし、前に行きなさい。回りの大人も、子供は優先的に前で見させてくれるから。あ、お目付け役さん達は、後ろで遠慮しなさいね?」
 改めて良く見れば、今日は彼女は前回着ていたようなワンピース姿ではなく、少年が穿くようなズボン姿であり、ナジェークは子供扱いされた事が癪に触ったものの彼女の言い分を認め、アルトー達に向き直って指示を出した。


「僕は前に行くから、二人はこのまま後方で待機していてくれ」
「それは!」
「ですが!」
「ちゃんと二人から見える所に居るから。周りの迷惑になる」
「…………」
 さすがに反論しようとした二人だったが、ナジェークが重ねて語気強く言い聞かせてきた為、不承不承了承してその場で待機する事となった。
 それからナジェークは周囲の大人達に断りを入れながら前へと進み、自分より背が低い子供達が立っている後ろで足を止めた。そこからだと人垣の間や大人達の肩越しに時折アルトー達の姿も確認でき、それを認識した二人も幾分安堵して軽く頷く。そうこうしているうちに座長らしき男が前に進み出て口上を述べ、一座の公演が始まった。



コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品