悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(3)実はこの時が初対面

「呆れた。あなた、とんだ世間知らずのお坊っちゃまね。善良な売り手を困らせないでちょうだい」
「え?」
(何なんだ、この子は。いきなり失礼だな)
 反射的に振り返ると、至近距離に同じ年頃の気の強そうな顔立ちの女の子が立っており、ナジェークは無意識に眉根を寄せた。その様子を見た少女は、薄笑いしながら話を続ける。


「あら……、まるで『何を言ってるんだ、こいつ』なんて言いそうな顔ね」
「そんな事を言うつもりはないが」
「でも私の言った言葉の意味が、分からないわよね?」
「…………」
 その通りだと認めるのもしゃくだったのでナジェークが黙っていると、彼女は溜め息を吐いてから言い聞かせるように話し出した。


「それじゃあ、世間知らずのあなたにも分かるように教えてあげるけど、金貨一枚でこの台に乗っている果物が殆ど買えるわ。それなのにこれを一個買うだけに金貨を出されたら、大量にお釣りを出さなければいけないじゃない」
 そう指摘されたものの、ナジェークは半ば意地になりながら反論する。
「確かにそうかもしれないが、商売をしているなら当然お釣りの準備はしているだろう?」
「それで間に合ったとしても、使い切ってしまったらどうするの? まだまだ売る商品があるのに、買いに来たお客全員に『お釣りの準備がないので、値段通りの金額を支払ってください』とお願いするの? 一人だから誰かに店番を頼んで、他の店に両替を頼みに行くわけにもいかないわよ?」
「…………」
(そういう事か。悔しいけど、反論できない)
 反論したものの、即座に畳み込まれたナジェークは、今度こそ相手の主張を認めて口を閉ざした。するとそれを見た彼女が再度疲れたように溜め息を吐いてから、自分が持っていた布袋の中から小さな銅貨を一枚取り出し、店の主人に差し出す。


「そういうわけだから、私がこれを二つ買うわ。これでちょうどの金額よね?」
「え? あ、はい。ありがとうございます」
 半ば呆然としながら銅貨を受け取った主に断りを入れ、彼女はオレンジを二つ手に取った。しかしその直後、いきなりその片方をナジェークに向けて軽く放り投げる。


「ほら、受け取って」
「え? あ、うわっ!」
 いきなりの事に狼狽しながらも、ナジェークが辛うじてオレンジを受け取ったのを見た彼女は、素っ気なく言いながら踵を返して歩き出す。
「じゃあそれをあげるから、それを持っていくなり食べるなり、好きにすれば良いわ。それじゃあね」
「……は?」
 予想外すぎる展開に一瞬固まったナジェークだったが、すぐに気を取り直してオレンジを持ったまま彼女の後を追った。


「ちょっと待ってくれ! どうしてそうなるんだ!」
 慌てて追いついた彼女の腕を捕まえながら問い質したナジェークだったが、対する彼女の主張はあっさりしたものだった。


「だって、あなたは金貨しか持っていない物知らずな迷惑客で、私は偶々小銭の持ち合わせがあって喉が渇いていた。だから私が買い物をするついでにあなたに奢れば、あのおじさんは助かる、あなたはお金を払わずに済む、私は気持ち良く美味しく食べられる。三方丸く収まるじゃない」
「冗談じゃない! 手持ちはちゃんとあるのに、見ず知らずの女の子に恵んでもらう筋合いは無いぞ!」
「つまらないプライドをひけらかすなら、市場に来る前に庶民がどんな買い物をするかどうか位、調べておきなさいよ。迂闊さん」
「何だって!? 代金は後からきちんと払う!」
「どうしてそんな面倒くさい事を言い出すわけ? っと! きゃあっ!」
「うわっ!」
「ごめん、足を踏んじゃった?」
「いや、大丈夫だ」
 街路の端で立ち止まって言い争い始めた二人だったが、ここで二人まとめて誰かに突き飛ばされ、たたらを踏んだ。幸いナジェークが少女を受け止めて街路に倒れ込むのは避けられたが、彼がその原因になった人物を睨みつけようとして漸く周囲の状況を把握し、顔を強張らせる。


「おいおいガキども。往来の邪魔をすんじゃねぇよ」
「そうだぞ? 大声出しながら歩くとはどういう了見だ?」
「躾のなってないガキどもだなぁ……。ちょっと俺達が、世間の常識ってものを教えてやるか」
「そうだな。俺達は紳士だからななぁ」
(刃物を持って脅す時点で、紳士なわけが無いだろうが。徒党を組んでいるごろつき風情が)
 いつの間にか自分達が大柄で人相の悪い四人組に取り囲まれているが分かったナジェークは、咄嗟に周囲に助けを求める視線を送ったが、厄介事は御免だとばかりに周りの大人達は距離を取り始めており、その事態に彼は小さく歯軋りした。加えて四人組のうち一人が短剣を鞘から抜いて見せつけてきた時点で、普段から同様の事を繰り返しているのだろうと見当を付けた彼は、周囲の反応が(無理もないな)と納得する。


「ほら、こっちに来い」
「………………」
 ここで下手に抵抗して危害を加えられたらまずいと判断したナジェークは少女と顔を見合わせて頷き合い、男達に腕を取られながら市場が設置されている通りからすぐの細い横道に入った。そこは奥が行き止まりであり、唯一の逃亡経路である街路への方向を四人組に塞がれたナジェークは、完全に進退窮まった。


(僕一人だったら何とか逃げられるかもしれないが、まさかこの子を置いては逃げられないし……。全く、アルトーとヴァイスはどこをほっつき歩いているんだ!)
 自分で撒いた護衛達に心の中で理不尽な怒りをぶつけつつ、ナジェークは隣に立っている少女を守る方策を真剣に考え始めた。







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