悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(11)衝撃の事実

 コーネリアのワーレス商会訪問から、一ヵ月が経過した頃。夜になって寝支度を調えたアラナは、コーネリアにお伺いを立てた。


「コーネリア様、もうご用はございませんか?」
「大丈夫よ、アラナ。下がってくれて良いわ。それから、これを渡しておくわね?」
 寝間着姿の主が机の上から紙の束を取り上げ、それを自分に差し出してきたのを見て、アラナは素直に受け取りながらも怪訝な顔になった。


「これは何でございますか?」
「私が書いた本の原稿なの。私にしかできない事があると言ってくれたから、まずアラナに読んで貰おうと思って」
 確かに商会訪問後、コーネリアがコツコツと書き進めているのを知っていたものの、それに真っ先に目を通す事になるなど予想だにしていなかった彼女は、心底驚いて声を上擦らせた。


「私などが、そんな貴重な物を一番に読んでしまってよろしいのですか!?」
「勿論よ。アラナにはいつもお世話になっているし、率直な感想を聞かせて欲しいわ。来週までに返して貰えば良いから、時間がある時に少しずつ目を通して貰えないかしら」
「はい、分かりました! ありがたく読ませていただきます! それではお休みなさいませ!」
「ええ、ご苦労様」
 原稿を両手で胸に抱えつつ喜色満面でアラナは引き下がり、そんな彼女をコーネリアも笑顔で見送った。


(もう嬉し過ぎて、どうにかなってしまいそう!! そんなにもお嬢様に信頼して貰えるなんて! 少しずつなんて生温いわ! 寝不足になるかもしれないけど今夜中に読み切って、明日の朝にきちんと感想をお伝えしなくては!!)
 緩み切った顔で、鼻歌を歌うのは遅い時間である事から何とか自重したものの、アラナはスキップしながら使用人棟に与えられている自室に戻り、ランプの灯りの前に原稿の束を置いた。


「さあ、読むわよ! あのお嬢様のお書きになった物だから、きっと素晴らしい文章に違いないわ!」
 そう宣言した彼女は着替えもせずに早速原稿に目を通し始めたが、何枚も読み進めないうちにその顔から表情が抜け落ちて行く。
「……え?」
 その後、当初のテンションが幻だったかのようにアラナは無言で原稿に目を通していき、室内には暫くの間、原稿をめくる音のみが生じていた。
 結局彼女はその夜一睡もせずに翌朝を迎えたが、いつも通りに身支度を整え、時間通りにコーネリアの私室に出向いた。


「コーネリア様、お目覚めでしょうか?」
「ええ、起きているわ。着替えの支度をお願い」
「その前に、こちらをお返ししておきます」
 そう言って恭しく差し出された原稿を見て、コーネリアは驚いて目を見張った。


「え? まさか昨夜のうちに全部読んでしまったの?」
「はい。最初は少しずつ読んでいこうと思ったのですが、ついつい読み進めてしまいまして」
「まあ……。アラナ、大丈夫? 寝不足になっていない?」
「はい。それは問題ありません」
「それなら良いのだけど……。それで、読んでみてどうだった?」
 ここで期待と不安が入り交じった表情で感想を問われてしまったアラナは、自分の笑顔が若干引き攣っているのを自覚しつつも、何とか穏便な表現で内容について述べた。


「その……、大変興味深く、先の展開が全く読めない事が気になって、一気に読んでしまいました。大して教養が無い私が読んでも、その表現力と構成力は凄いと思います。エセリア様がお書きになった物をメイド仲間で回し読みした事がありますが、それとはまた違った意味で素晴らしい作品なのではないでしょうか……」
「本当? それなら嬉しい! 少し心配だったけど、安心してラミアさんにも読んで貰えるわ! 早速、本にして貰える内容かどうか、確認して貰うわね! ありがとう、アラナ!」
「いえ……、お嬢様のお役に立つのが、専属メイドの仕事ですから……」
 無邪気に喜んでいるコーネリアを見て、果たしてこれで良かったのだろうかとアラナは悩んだが、一方で出版する前には否応なくラミアのチェックが入る事を思い出し、密かに安堵した。


(そうよね。何と言っても、ワーレス商会の出版販売部門責任者はラミア夫人なのだし、問題があると判断されたらそこで止められるわよね。ここでわざわざ私が指摘して、お嬢様を落胆させる必要は無いわ)
 そう自分に言い聞かせたアラナは、それ以降はその件に関しては蒸し返さず、平常心で日々の業務をこなしていった。


 ※※※


「お嬢様、ワーレス商会からお届け物がございます」
 アラナが、ある意味衝撃的な原稿を見せられてから二ヶ月が経過した頃、コーネリアの下に小ぶりの箱が届けられた。いつも通り執事から受け取ったそれをアラナが届けると、受け取ったコーネリアが期待に満ち溢れた様子で開封する。
「これは……。やっぱりそうだわ! そろそろできる頃だと思っていたのよ。嬉しい!」
 そう叫びながら箱の中から彼女が取り出した物を見て、アラナは盛大に顔を強張らせた。


「あの、お嬢様……。それはまさか……」
「以前、アラナに読んでもらった原稿を、製本した物よ。ラミアさんの話では、来週から売り出す予定みたいね」
 本と一緒に入れられていたメモに目を落としながら加えられた説明に、アラナは本気で眩暈を覚えた。


「本当に発売すると? ラミア夫人は内容について、何も仰らなかったのですか?」
「いいえ。渡した時にアラナと同様に、色々誉めてくれたわ」
「そうでございますか……。因みに、公爵様にご説明などは……」
「きちんと説明済みで、エセリアと同様に、本名は伏せて仮名での発表なら良いと了解をいただいたの。せっかくだからエセリアが使っている『マール・ハナー』に倣って、『カーネ・キリー』の名前で発表する事にしたわ。ほら、見て頂戴!」
 そこでコーネリアが嬉々として、両手で持って差し出してきた本の表紙に、金文字で《それでも朝日は昇る カーネ・キリー》とタイトルと著者名が大きく記されてあるのを認めたアラナは、ここに至って色々完全に諦めた。


「……本当に姉妹仲がよろしくて、結構な事ですね」
「だけど、私などが本を書いて世に出すのが、まだ少し恥ずかしくて……。だからあまり他の人には、私が作者だと知られないようにしたいの。だからこれを私が書いたと知っているのは、家族でもお父様とお母様だけで、ナジェークとエセリアには秘密にしてあるの。後はワーレス商会の方々とアラナだけだから、暫くの間は秘密にしていてね? 自信が持てたら、公表するつもりだけど」
 神妙にそんな事を申し出られたアラナは、思わず乾いた笑いを零した。


「本当にコーネリア様は、奥ゆかしいのですね……。分かりました。お嬢様が周囲に秘密にしているうちは、私から公言いたしません。ご安心ください」
「ありがとう、アラナ」
(どうせならその奥ゆかしさを、原稿を書く時、その内容に反映させて欲しかったわ……)
 年相応の少女らしい笑みを浮かべながら礼を述べたコーネリアに対して、アラナはその時心の中で些細な愚痴を漏らした。



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