悪役令嬢の怠惰な溜め息
(7)凡人ゆえの葛藤
食事が済んだ絶妙のタイミングでお茶を出されたアラナは、さすがはワーレス商会の使用人だと感心したが、お茶を飲み終わったのを見計らってデリシュが顔を見せた事で、改めてそのそつの無さに感じ入った。
「失礼します。コーネリア様、お茶はお済みでしょうか?」
「はい、大丈夫です。デリシュさん、お待たせしたした。それから先程食器を下げに来た給事担当の方にもお礼を言いましたが、大変美味しくいただきました」
「ありがとうございます。調理担当の者に伝えたら喜びます。『公爵令嬢にこんな物をお出しして大丈夫だろうか』と、戦々恐々だったものですから」
その会話を契機に、ジェイムズとラリーは腰を上げて元の警備場所に戻り、アラナも部屋の隅で待機する態勢になる。その後、テーブルを挟んでデリシュと向かい合ったコーネリアが話を切り出した。
「それでは早速お伺いしますが、デリシュさんは私より四歳年長と聞いていますから、今現在は十八歳ですよね? 何歳頃からご商売の手伝いをされているのですか?」
「単なる手伝いなら小さな子供の頃からやっていますが、本格的に店に出て、他の店員と同様に働きだしたのは十四の時からです」
「まあ……、今の私の頃からですか。凄いですね。他の大人の方と交ざって働くなんて、想像ができません」
事も無げに告げられた台詞にコーネリアは軽く目を見開いたが、デリシュは微笑みながら話を続けた。
「勿論、その頃から一人前に働けるわけではありません。周りの人間に散々叱責されながら、少しずつ仕事を覚えました」
「ワーレスさんのご子息なのに、そんなに叱られたりするのですか?」
「はい。両親は自分の息子だからといって、甘やかすタイプの人間ではありませんから。寧ろ私を厳しく教育しろと周りに指示していた位です」
苦笑いで彼がそう告げると、コーネリアは納得したように深く頷く。
「さすが、ワーレス商会をここまで大きくされた方は違いますね……。そういえば二番目のクオールさんは私の一つ下ですから、そろそろお店で商売を手伝う事になるのですか?」
その問いかけに対してデリシュは笑顔を消し、微妙な表情になった。
「いえ、実はクオールは客商売を嫌がって、以前から工房に入り浸っていますから……。両親もそちらが向いていると考えており、店に出す事は考えていないようです」
「そうでしたか。最近はエセリア考案の物を色々作ってくれていると聞いてはいましたが……。それでは末のミランはどうですか? 定期的に屋敷に出向いて、エセリアの用事以外に発注や納品もしていると聞きましたし、商売に関心はあるのでしょう?」
するとデリシュが、更に困惑を深めながら末弟について述べる。
「それはそうなのですが、ミランはミランで独自の考えがあるようで……。最近、クレランス学園の官吏科に進学したいと言い出しています」
その内容はコーネリアには寝耳に水の話であり、完全にペンの動きを止めてデリシュを見返した。
「え? それではミランは官吏になるのですか?」
「そうではなくて、『クレランス学園在学中の費用は全て国が負担してくれるし、卒業したら商売三昧になるから、三年間のびのび過ごしたい』とか訳の分からない事を言い出しまして……。本当に八歳の子供が、何を言っているのやら。両親も呆れて『好きにしろ』と言って、自主的に勉強をさせています」
デリシュがそこまで言って溜め息を吐いたところで、コーネリアが小首を傾げながら問いを重ねた。
「失礼な事をお聞きしますが、ミランは平民が受けるクレランス学園の選抜試験に受かりそうなのですか?」
「あいつは兄弟の中で一番勉強ができると思いますし、身びいきと言われるかもしれませんが、今から頑張れば何とかなるのではないかと。因みにクオールは勉強ができると言うよりは、発想が自由で応用が利くタイプなので……。弟達と比べると、私が一番平凡だとも言えますね」
弟達の力量を冷静に評価しつつ、どこか自嘲気味に笑ったデリシュに、コーネリアは真顔で切り込んだ。
「やはり、長子ならではの気苦労とかございますか? 既に家業もお手伝いされていますから、未だにそちらには携わっていない弟さん達と比べて、ご両親からの期待も大きいでしょうし」
その問いかけにデリシュは少しだけ考え込んでから、自分の気持ちを率直に、かつ慎重に述べる。
「それはまあ……、否応なく感じてはいますね。クオールは工房に入り浸って好き勝手をしていますし、ミランは店を手伝ってはいますが、まだまだ遊びの延長気分で片手間にやっているので……。本当に、二人とも気楽で良いなと思う時があるのは確かです」
それを聞いたコーネリアは穏やかな笑みを浮かべながら、相手を宥める台詞を口にした。
「でも、そんな風に弟さん達がのびのびと好きな事をできるのは、上のデリシュさんがしっかりご両親を支えていらっしゃるからこそですわ。そうでなければ、下のお二人に好き勝手な事などさせないでしょう。ワーレス夫妻がデリシュさんに厳しいと感じる事はあっても、それは期待の裏返しだと思います。寧ろそれは誇るべき事かと」
「ええ。以前は弟達との処遇の差に不満を感じて拗ねた事もありましたが、今ではお嬢様と同様に考えています。本当にコーネリア様は、お年に似合わず思慮深い方ですね。感服しました」
「ありがとうございます」
本心からと分かるデリシュの誉め言葉に、コーネリアが笑顔で礼を述べているのを見て、アラナは益々目の前の主人を誇らしく思った。
(当然よ! お嬢様はドレスやアクセサリーや他人の噂話だけにうつつを抜かす、頭の軽いお嬢様ではないんだから!)
そこでコーネリアが、実にしみじみとした口調で語り出す。
「私には、両親から期待されている跡継ぎの弟と非凡な妹がおりますので、二人の姉としてどうあるべきかと悩む時があります。ですからデリシュさんの揺るぎない超然とした態度を、この機会に見習わせていただきたいですわ」
そんな事を真顔で言われてしまったデリシュは、両手を振りながら激しく狼狽した。
「いえいえ、コーネリア様が俺を見習うなんて、滅相もありません! 俺、いや、私なんて単に、商いが性に合っているだけの単純な人間ですよ!?」
「そのように謙遜するところも、デリシュさんの美徳の一つですね」
「いや、これは……、参ったな……」
満面の笑みでだめ押しをされてしまったデリシュは、いかにも照れ臭そうに頭を掻きながら恐縮した。その直後、コーネリアが話題を変えたのを幸い、彼は何とか気を取り直して会話を続けたが、アラナは先程のやり取りを思い返しながら深く考え込んだ。
(やっぱりコーネリア様はあのお二人の姉という立場で、それなりに悩む事がおありなのね……。ナジェーク様はエセリア様よりは常識的だと思うけれど、変な風に頭が良くて時々振り回されているって、ナジェーク様付きの先輩が愚痴っていたのを聞いた事があるし)
本当に、優秀かもしれないけれど扱いに困る弟妹がいると困りものだわと、アラナは一人でコーネリアに同情していた。
「失礼します。コーネリア様、お茶はお済みでしょうか?」
「はい、大丈夫です。デリシュさん、お待たせしたした。それから先程食器を下げに来た給事担当の方にもお礼を言いましたが、大変美味しくいただきました」
「ありがとうございます。調理担当の者に伝えたら喜びます。『公爵令嬢にこんな物をお出しして大丈夫だろうか』と、戦々恐々だったものですから」
その会話を契機に、ジェイムズとラリーは腰を上げて元の警備場所に戻り、アラナも部屋の隅で待機する態勢になる。その後、テーブルを挟んでデリシュと向かい合ったコーネリアが話を切り出した。
「それでは早速お伺いしますが、デリシュさんは私より四歳年長と聞いていますから、今現在は十八歳ですよね? 何歳頃からご商売の手伝いをされているのですか?」
「単なる手伝いなら小さな子供の頃からやっていますが、本格的に店に出て、他の店員と同様に働きだしたのは十四の時からです」
「まあ……、今の私の頃からですか。凄いですね。他の大人の方と交ざって働くなんて、想像ができません」
事も無げに告げられた台詞にコーネリアは軽く目を見開いたが、デリシュは微笑みながら話を続けた。
「勿論、その頃から一人前に働けるわけではありません。周りの人間に散々叱責されながら、少しずつ仕事を覚えました」
「ワーレスさんのご子息なのに、そんなに叱られたりするのですか?」
「はい。両親は自分の息子だからといって、甘やかすタイプの人間ではありませんから。寧ろ私を厳しく教育しろと周りに指示していた位です」
苦笑いで彼がそう告げると、コーネリアは納得したように深く頷く。
「さすが、ワーレス商会をここまで大きくされた方は違いますね……。そういえば二番目のクオールさんは私の一つ下ですから、そろそろお店で商売を手伝う事になるのですか?」
その問いかけに対してデリシュは笑顔を消し、微妙な表情になった。
「いえ、実はクオールは客商売を嫌がって、以前から工房に入り浸っていますから……。両親もそちらが向いていると考えており、店に出す事は考えていないようです」
「そうでしたか。最近はエセリア考案の物を色々作ってくれていると聞いてはいましたが……。それでは末のミランはどうですか? 定期的に屋敷に出向いて、エセリアの用事以外に発注や納品もしていると聞きましたし、商売に関心はあるのでしょう?」
するとデリシュが、更に困惑を深めながら末弟について述べる。
「それはそうなのですが、ミランはミランで独自の考えがあるようで……。最近、クレランス学園の官吏科に進学したいと言い出しています」
その内容はコーネリアには寝耳に水の話であり、完全にペンの動きを止めてデリシュを見返した。
「え? それではミランは官吏になるのですか?」
「そうではなくて、『クレランス学園在学中の費用は全て国が負担してくれるし、卒業したら商売三昧になるから、三年間のびのび過ごしたい』とか訳の分からない事を言い出しまして……。本当に八歳の子供が、何を言っているのやら。両親も呆れて『好きにしろ』と言って、自主的に勉強をさせています」
デリシュがそこまで言って溜め息を吐いたところで、コーネリアが小首を傾げながら問いを重ねた。
「失礼な事をお聞きしますが、ミランは平民が受けるクレランス学園の選抜試験に受かりそうなのですか?」
「あいつは兄弟の中で一番勉強ができると思いますし、身びいきと言われるかもしれませんが、今から頑張れば何とかなるのではないかと。因みにクオールは勉強ができると言うよりは、発想が自由で応用が利くタイプなので……。弟達と比べると、私が一番平凡だとも言えますね」
弟達の力量を冷静に評価しつつ、どこか自嘲気味に笑ったデリシュに、コーネリアは真顔で切り込んだ。
「やはり、長子ならではの気苦労とかございますか? 既に家業もお手伝いされていますから、未だにそちらには携わっていない弟さん達と比べて、ご両親からの期待も大きいでしょうし」
その問いかけにデリシュは少しだけ考え込んでから、自分の気持ちを率直に、かつ慎重に述べる。
「それはまあ……、否応なく感じてはいますね。クオールは工房に入り浸って好き勝手をしていますし、ミランは店を手伝ってはいますが、まだまだ遊びの延長気分で片手間にやっているので……。本当に、二人とも気楽で良いなと思う時があるのは確かです」
それを聞いたコーネリアは穏やかな笑みを浮かべながら、相手を宥める台詞を口にした。
「でも、そんな風に弟さん達がのびのびと好きな事をできるのは、上のデリシュさんがしっかりご両親を支えていらっしゃるからこそですわ。そうでなければ、下のお二人に好き勝手な事などさせないでしょう。ワーレス夫妻がデリシュさんに厳しいと感じる事はあっても、それは期待の裏返しだと思います。寧ろそれは誇るべき事かと」
「ええ。以前は弟達との処遇の差に不満を感じて拗ねた事もありましたが、今ではお嬢様と同様に考えています。本当にコーネリア様は、お年に似合わず思慮深い方ですね。感服しました」
「ありがとうございます」
本心からと分かるデリシュの誉め言葉に、コーネリアが笑顔で礼を述べているのを見て、アラナは益々目の前の主人を誇らしく思った。
(当然よ! お嬢様はドレスやアクセサリーや他人の噂話だけにうつつを抜かす、頭の軽いお嬢様ではないんだから!)
そこでコーネリアが、実にしみじみとした口調で語り出す。
「私には、両親から期待されている跡継ぎの弟と非凡な妹がおりますので、二人の姉としてどうあるべきかと悩む時があります。ですからデリシュさんの揺るぎない超然とした態度を、この機会に見習わせていただきたいですわ」
そんな事を真顔で言われてしまったデリシュは、両手を振りながら激しく狼狽した。
「いえいえ、コーネリア様が俺を見習うなんて、滅相もありません! 俺、いや、私なんて単に、商いが性に合っているだけの単純な人間ですよ!?」
「そのように謙遜するところも、デリシュさんの美徳の一つですね」
「いや、これは……、参ったな……」
満面の笑みでだめ押しをされてしまったデリシュは、いかにも照れ臭そうに頭を掻きながら恐縮した。その直後、コーネリアが話題を変えたのを幸い、彼は何とか気を取り直して会話を続けたが、アラナは先程のやり取りを思い返しながら深く考え込んだ。
(やっぱりコーネリア様はあのお二人の姉という立場で、それなりに悩む事がおありなのね……。ナジェーク様はエセリア様よりは常識的だと思うけれど、変な風に頭が良くて時々振り回されているって、ナジェーク様付きの先輩が愚痴っていたのを聞いた事があるし)
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