悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(5)シレイアの本音

「お久しぶりです、エセリア様!」
「本当に久しぶりね、シレイア。元気そうで何よりだわ」
 シレイアをシェーグレン公爵邸に招待すると、彼女は思った通り快諾して、次の休日に嬉々としてやって来た。それをエセリアは笑顔で出迎え、応接間でお茶を飲みながらひとしきり互いの近況を語り合って楽しく過ごしてから、顔付きを改めて切り出した。


「シレイア。これからちょっとあなたのプライベートに係わる話をしようと思うの」
「私のプライベート、ですか?」
「ええ、そうよ。だからあなたが不愉快に感じたらすぐに止めるつもりだから、その時は遠慮無く言って頂戴ね?」
「エセリア様は他人のプライバシーに、理由も無く面白半分で関与する方とは思えませんので、それは構いませんが……。改まって何事ですか?」
 心底不思議そうに問い返されたエセリアは、用意していた台詞を口にした。


「実は王都に来た直後に、カルバム大司教から頼まれた事があるの」
「お父様からですか?」
 益々不思議そうに首を傾げた彼女にに、エセリアが総主教会でカルバム大司教と交わした会話の一部始終を告げると、当初呆れ顔だったシレイアは徐々に申し訳無さそうな顔になり、エセリアの話が終わると同時に深々と頭を下げた。


「なるほど、そういう事でしたか。私事にエセリア様を巻き込んでしまって、誠に申し訳ありません」
「それは良いのよ。正直に言わせて貰えば、婚約者も夫もいない私が何をどう話したって、あなたがあっさり『仕事を辞めて結婚します』なんて事にはならないでしょうし」
 苦笑いしながら肩を竦めたエセリアに、シレイアも笑顔で返した。


「当然です。まだまだ官吏として至らない所が多々ありますし、やりたい仕事が一杯ありますもの。差し当たっては、来年開設の学術院ですね!」
「そうなると」
「はい、エセリア様から構想を聞かされた段階から、頑張って上司にアピールしてきましたが、この度無事に民政局の学術院担当者に内定しました! 来年からよろしくお願いします!」
 満面の笑みで再度頭を下げた友人を見て、エセリアの笑みも自然と深くなった。


「そうだったの。私も気心の知れた人が、担当者の一人になってくれて嬉しいわ。そうなると選任担当者として、学術院に赴任してくれるのかしら?」
「当然です! 研究者の方々のサポートをしつつ、導き出された成果をいち早く幅広く国内に広める為に、全力を尽くします!」
「本当に良かったわ。それだと話も進めやすいし」
「話? 学術院の話以外に、まだ何かあるのですか?」
 エセリアの安堵した表情を見て、興奮状態から我に返ったシレイアが冷静に問いかけると、エセリアは真顔になって次の話を切り出した。


「他にあると言うか……、まず話を一度、元に戻すわね? 実はカルバム大司教からあなたの事について依頼された時に、キリング総大司教からも頼まれた事があるの」
「総大司教様から? 何か重要なご相談でもされたのですか? それを私が聞いても、支障は無いのでしょうか?」
 総大司教直々の依頼ともなれば、国教会や内政に係わる事ではと推察したシレイアが心配そうに尋ねてきた為、エセリアは軽く首を振って答えた。


「色々取り繕うのが面倒くさいから、洗いざらい正直にぶちまけると、ローダスは昔からあなたの事が好きで、それなのにストレートに告白できないヘタレだから、ローダスとあなたをくっつけるか、玉砕させてきっぱり諦めさせて欲しいと、総大司教様から無茶ぶりされたのよ」
「…………はい?」
 先程のカルバム大司教に関しての話の時には触れなかった内容を、洗いざらいぶちまけると、シレイアは目を丸くして完全に固まった。普段冷静沈着な彼女の、滅多に見られないリアクションを目の当たりにしたエセリアが、そこで思わず苦笑する。


「本当に予想外だったと言うのが一目瞭然なリアクションを、どうもありがとう」
「え、あ、はい……。ええと……、あの、エセリア様?」
「何かしら?」
「エセリア様はご存知ないかもしれませんが、これまで結構な数の男性からの告白とか交際の申し込みを、ローダスが仲介していたのですが……」
 戸惑いながら、これまでの事を思い返しつつ述べたシレイアに、エセリアが苛立たしげに告げる。


「それに関しては、総大司教様からしっかり聞いているわ。だからさっきヘタレと言ったでしょう? 幾ら勉強や仕事ができても、ヘタレはヘタレよ。そうは思わない?」
「……そうですね。ヘタレ以外の何者でも無いですね」
 真顔でシレイアが賛同したのを見て、これまで黙って壁際に控えつつ、必要に応じて給仕をしていたルーナは、この場にいないローダスに激しく同情した。


(お嬢様もシレイアさんも手厳しい……。ローダスさんが気の毒になってきたわ)
 そんな侍女の心情になど構わず、エセリアは話を続けた。


「それで更に率直に聞くけど、そのヘタレと結婚する気はある?」
「え? 結婚? それはあり得ないです」
(即答……。ローダスさんが、本当に不憫に思えてきた)
 途端に目を見張って首を振ったシレイアを見て、ルーナは思わず落涙しそうになった。しかし彼女達の容赦の無い話は、更に続いた。


「う~ん、もっと突っ込んだ話をしてしまうけれど、それはあのヘタレだろうがそうでなかろうが、結婚するのは論外って解釈で良いのよね?」
「はい。ヘタレだろうが誰だろうが、別に結婚したいと思いません」
(遂にヘタレが定着した……。ローダスさんに、幸あれ)
 どこか遠い目をしながら、ルーナが密かにローダスの幸運を願い始めると、エセリア達の話が若干逸れた。


「やっぱり女性がちゃんと仕事を持って、結婚出産後も働き続けるのは、まだまだ難しい状況だものね」
「難しいと言うか、皆無だと思いますが?」
「一応、お義姉様は兄と結婚後も近衛騎士として王宮勤務を続けていたし、妊娠したので今現在は出仕を控えているけど、出産して体調が落ち着いたら、仕事に復帰して貰う事になっているの」
「それは初耳でした。前代未聞ですし、認められるまで色々揉めたりはしなかったのですか?」
 兄嫁であるカテリーナについてエセリアが言及すると、シレイアは本気で驚いた表情になった。そんな彼女に、エセリアがどこか遠い目をしながら説明を続ける。


「確かに近衛騎士団の上層部で、かなり議論になったそうだけど、お義姉様に甘いお兄様が色々水面下で個別に脅、いえ、調整とお願いをして、認めていただいたみたいなの」
 微妙に言葉を選びつつエセリアが事情を説明すると、シレイアは納得して深く頷いた。


「ナジェーク補佐官の辣腕ぶりは、仕事だけではなくてプライベートにおいても発揮されておられるんですね……。でもそれは、かなり特殊な事例ですよね?」
「確かにそうね。そもそも私の両親が、体面に拘らないタイプの人間だったと言うのが大きいけれど、それに加えてお義姉様が出仕しても、きちんと育児を担ってくれる人間が存在しているもの。家事は元々、使用人が担っているし」
「本当にカテリーナ様は、幸運な方ですよね。羨ましいです」
 思わずシレイアが羨望の眼差しで感想を述べると、それにすかさずエセリアが食い付いた。


「そういう感想を口にすると言う事は、シレイアも結婚出産後に仕事に復帰した時、家事育児を誰かが担ってくれるなら、結婚しても良いと思っているわけよね? 結婚なんかどうでも良いと心底思っているなら、さっきのような台詞は出ないと思うし」
 にこやかにそんな事を言われたシレイアは、困惑しながらも控え目に言葉を返した。


「それは……、確かにそうかもしれませんが、全く現実味がありませんよ? 仕事を続ける上では、結婚は障害にしかなりませんから」
「ところが、それがそうでも無くなるかもしれないと言ったら、シレイアはどうする?」
「え?」
 意味ありげに問いかけられて、シレイアは本格的に戸惑ったが、エセリアはそんな彼女から自分の侍女に視線を移して言いつけた。


「ルーナ。例の預けておいた書類をここに持って来て」
「かしこまりました」
 その指示を受けたルーナは部屋の片隅に置かれている机に歩み寄り、その上に纏められていた書類を持ち上げて主に届けた。





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