悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(6)行きつく先

 後宮から退出したその足で、グラディクトは侍従を恫喝して馬車を手配させ、自身が養子縁組する事になったと聞かされた、母方の伯父の屋敷に押しかけた。


「伯父上! 伯父上からも、陛下に私の処遇を撤回する様に、とりなして下さい!」
 訪問の挨拶もなしに、いきなり目の前に現れて喚き立てた甥を見て、書斎で書類に目を通していたバスアディ伯爵ダレンは、傍らに立つ執事に向かって不機嫌そうに確認を入れた。


「誰が許可なく、あれを通した?」
「申し訳ありません。まだ下の者まで、通達が行き届いておりませんので」
「伯父上! これは伯父上にも、関わりがある事ですよ!?」
 無反応なダレンにグラディクトは引き続き訴えたが、この甥の短慮のせいで不名誉な取り調べを受けたばかりの彼は、それに応じないばかりか、如何にも不思議そうに問い返した。


「ジムテール男爵、本日はどうされました? 今日は貴公とは、特に面会の約束等は無かった筈ですが」
「は? 何を言っている?」
 いきなり意味不明な事を言われた彼が戸惑うと、ダレンが途端に顔を顰めて苦言を呈する。


「あなたはもう王族では無くなったのですから、少しは言葉遣いに気を付けた方が宜しいでしょう。あなたは今日中にジムテール男爵家と養子縁組が整って、今後はジムテール男爵を名乗る事になるのですから。当然事前の約束も無しに目上の家格の屋敷に押しかけるのも、慎まれたらよかろう」
 王族では無くなり、伯爵家に養子に入ると言われた事だけでも憤慨していたグラディクトは、貴族としては最下級にあたる男爵家の家名を素っ気なく持ち出されて驚愕した。


「なっ!? どうして私が、男爵家などと養子縁組する必要があるんだ! 私はこのバスアディ伯爵家の養子になるのだろうが!」
 しかしその訴えを、ダレンは鼻で笑った。


「あなたは公式の場でエセリア嬢との婚約破棄と同時に、ミンティア子爵家のアリステア嬢と婚約すると公言したではないですか。それならアリステア嬢の家に婿入りするのが筋でしょう。我が家にはれっきとした後継者が存在しますし、子爵家風情に王家の血が入るのですよ? その幸運を、涙を流して喜ぶ筈です」
「伯父上……、私を切り捨てるつもりか!?」
 伯父の思惑が読めたグラディクトは非難の声を上げたが、今更そんなもので考えを変える筈もないダレンは、素知らぬ顔で話を続けた。


「と思ったのですが、てっきり諸手を上げてあなたを迎え入れると思ったミンティア子爵家が、それを快く思わなかったようで。聞くところによると、ミンティア子爵が彼女の母親との婚姻無効を申請し、彼女の籍を抜いて、母親の実家に当たるジムテール男爵家の籍に入れたそうです」
 そこまで言われた彼は、漸く自分が「ジムテール男爵」と呼ばれた理由が理解できた。


「それで私が、ジムテール男爵令嬢になったアリステアと結婚して、ジムテール男爵を名乗る事になると?」
「ええ、その手続きも、今日中に完了するでしょうね。それに伴い、王宮内のあなたの部屋にあった私物は、今頃全部纏めてジムテール男爵邸に送り届けられていると思いますが」
「なんだと!? 私の許可なく、誰がそんな事を命じた!」
「それはやはり、国王陛下のご指示でしょう」
 呆れた様に笑ってから、ダレンはグラディクトの叫び声を聞いて集まってきた使用人達に、淡々と指示を出した。


「こちらの方をお見送りしてくれ。それからジムテール男爵邸まで、馬車で送って差し上げろ。乗って来た馬車はこの方を降ろした直後に、王宮に戻った筈だしな」
「畏まりました」
「それではグラディクト様、こちらにどうぞ」
「離せ! 私はまだ、伯父上との話が済んでいない!」
「伯爵様のお話はお済みです」
「お引き取り下さい」
 慇懃無礼に書斎から引きずり出されたグラディクトは、そのまま玄関から外に出され、問答無用で伯爵家の馬車に押し込まれた。ダレンの言った通り、ここまで乗って来た王家の馬車が厄介払いをするかの如く既に消えている事を認め、彼が愕然としているうちに馬車が軽快に走り出す。そして静まり返ったその車内で、グラディクトは虚ろな目をしながら自問自答を繰り返した。


「一体、どうしてこんな事に……。あいつらはあんなにも、エセリアの仕業だと言っていたじゃないか。いつでも証言するとも言っていたのに、証言する以前に、そもそも学院に存在していなかったなんて……。それなら、あいつらは一体誰だったんだ? それにエセリアが、色々アリステアにしていた筈の嫌がらせや傍若無人な行為の全てに、第三者のれっきとしたアリバイや、否定する物証が出てくるなんてありえないだろう。一体全体、どうしてこんな事に……」
 ほんの二日前まで自分達の勝利を確信していた彼は、未だ無残な敗北を受け入れられず、哀れな泣き言を漏らしていた。


「それでは失礼します」
 バスアディ伯爵家の御者は、目的地に到達すると恭しくグラディクトに声をかけ、彼が馬車から降り立つと同時に一礼し、馬車を操って姿を消した。それを呆然と見送った彼はのろのろと背後を振り返り、先程訪れた伯爵邸とは比較にならないほど、小さな屋敷の玄関に顔を向ける。
 すると馬車の音で来訪に気付いていたらしい執事が中から姿を現し、素っ気なく彼に声をかけた。


「いらっしゃいませ。グラディクト様でいらっしゃいますね?」
「ああ」
「それではこちらにどうぞ。男爵夫人がお待ちです」
 事務的に告げてきたその執事の後に続き、グラディクトは奥へと進んだ。そしてこれから起こるべき事を予想して、さすがに緊張する。
 ここまで来てさすがにグラディクトも、自分とアリステアが乗っ取る形になった家の者に、良い顔などされない事を理解していたが、その自制心は応接室に通された途端に潰えた。案内されて足を踏み入れた室内に、自分が愛して止まない女性が所在なげに座っていたのを、彼が認めたからである。


「グラディクト様がお見えになりました」
「グラディクト様! 皆、酷いのよ!? いきなり私の荷物を纏めて、ここの屋敷に送り付けて!」
「アリステア! 無事だったのか?」
 神妙に挨拶し、これからの友好関係を築く為の足掛かりにしようと考えていたグラディクトは、彼女の姿を認めた途端、室内の他の面々を丸無視して彼女に駆け寄った。そして涙目の彼女を宥めようとしたその時、皮肉げな声がかけられる。


「どうやらありがたくもジムテール男爵家は、王家の血筋をお迎えできる栄誉を賜ったみたいですわね」
「これで私達は後顧の憂いなく、後腐れなく隠居して、悠々自適の生活が過ごせるというものです。隠居と言うか、母の代から全員、貴族簿から記載を抹消したのですが」
「え? 貴族簿から抹消だと?」
「そうなの、グラディクト様。もう意味が分からない!」
 てっきり文句を言われたり罵倒されるかと思い込んでいたグラディクトは、挨拶抜きで前ジムテール男爵夫妻から語られた内容が信じられずに、理解不能に陥った。すると彼らの横に座る、その息子らしき人物も、あっさりと付け加える。


「私も二代前に入った血のせいか、領地経営よりは商売の方が好きですし、向いていると思っていましたのでね。全く、貴族なんて窮屈だ。権利はあるがそれ以上に、領民の生活を守る義務があるからな」
「貴様正気か? 本当に平民になるとでも?」
 本気で唖然としながら呟いたグラディクトに、相手は幾分馬鹿にするように告げた。


「弟も騎士として自立していますし、姉も嫁いで久しいですから、この家の事はお好きになさって結構です。これまでも領地経営の傍ら商売をして、そちらの利益を屋敷の維持費に充てていた位ですから、あなた方に今後の生活費を要求する事はありません。その代わり今後一切、赤の他人の私達とは関わらないで頂きたい」
 彼がそう告げると同時に、三人は揃って立ち上がった。


「それでは荷物の搬出が終わりましたので、私達は失礼させていただきます。一応新しい当主にご挨拶してから離れようと、お待ちしていましたので」
「屋敷内の事は全て執事長が分かっておりますので、追々彼に聞いて下さい」
「領地運営に関する書類なども、彼に預けておりますのでご心配なく」
 そう言って爵位や領地などに微塵も未練を見せない彼等は、今後それに関する権利を主張する気はなく、それと同時にグラディクト達に助言も助力も与える義務はないと突き放した。そして振り返る事無く彼等が応接間を出て行ってから、アリステアが不安で一杯の表情でグラディクトに縋り付く。


「グラディクト様。私達、これからどうなるの?」
「本当に……、一体どうしてこんな事に……」
 そんな風に愚痴と泣き言しか口にしない、急遽ジムテール男爵夫妻となった男女をしらけた目で眺めていた侍女は、この家が早晩傾くと見切りを付け、心の中で密かに次の勤め先の算段を立て始めていた。



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