悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(2)駆け引き

「陛下、お止め下さい。グラディクト殿。あなたがそこまで仰るからには、エセリアが品性に欠ける言動をしたとの、れっきとした証拠や証言があるのでしょうね? 先程も何やら仰っていましたし」
「勿論です、陛下」
「それでは後日審議の場を設け、そこでそれを公表していただいた上で、真偽を糺しましょう。その上で正式に婚約を破棄すれば、遺恨も残らないのでは?」
「マ、マグダレーナ……」
 そんな常識的な提案をすると、エルネストは真っ青になって懇願する表情になったが、一方のグラディクトは晴れ晴れとした表情で彼女の判断を讃えた。


「勿論です! 王妃陛下のご英断、このグラディクト、感服致しました!」
「それでは王妃陛下。その場で、先程王太子殿下が私に対して根拠の無い言いがかりを付けた事に対する処遇は、どういった事になるのでしょうか?」
「この期に及んで、まだそんな発言をするか!」
 そこでさり気なく会話に割り込んだエセリアをグラディクトが怒鳴りつけたが、マグダレーナは少々考える表情になりながら姪に問い返す。


「そうですね……。あなたはグラディクト殿からの謝罪が必要ですか?」
「いえ、謝罪などは必要ありません。しかしこれ以上、殿下と関わり合いにはなりたくはありませんので、殿下の主張通りに婚約を破棄して頂きたく存じます」
「なるほど。それは道理ですね」
「加えて一方的な婚約破棄と、公の場で謂われのない誹謗中傷を受けた事に対する、慰謝料を頂きたく存じます」
「何だと?」
 そこで睨み付けてきたグラディクトに向き直り、エセリアが淡々と要求を繰り出した。


「かと言って、無関係の両陛下に償って頂こうなど、不敬な事は考えておりません。この場合、王太子殿下個人が所有する物で、慰謝料を支払って頂こうと考えております」
「私が個人で所有する物でだと?」
「ええ。ザイラスを頂きたく」
「何?」
「エセリア嬢、それは!?」
 グラディクトは眉根を寄せただけだったが、国王たるエルネストは明らかに狼狽した。マグダレーナも予想外の単語が出て来た事に驚いて目を見開く中、エセリアは馬鹿にする様にグラディクトを眺めながら挑発する。


「逆に言えば、今現在王太子殿下が個人で所有している物で、この件の慰謝料に相当する物など、王太子領のザイラスしかございませんでしょう? 違いますか?」
 そして動揺した周囲が何か言う前に、グラディクトはあっさりとその挑発に乗ってしまった。


「良かろう! もし裁定の場で、貴様の悪行が全て事実無根の物であったと証明されたら、ザイラス如き狭い領地などくれてやる! その代わり、真実が明らかになった暁には、アリステアに臥して詫びて貰うぞ!」
「これだけの方の前で、宣言されたのですもの。よもや後で、本意ではなかったなどとは仰いませんわね?」
「当然だ! 貴様こそ」
「誰か! グラディクトを下がらせろ! 部屋に閉じ込めて一歩も出すな! その女も、この会場から叩き出せ!! それからミンティア子爵の責を問う! 即刻、身柄を確保の後に、王宮内に監禁して尋問せよ!」
 グラディクトにこれ以上の失言をさせない事に加え、事態の収拾を図る為、エルネストは警備の為に会場に配置されていた近衛騎士達に向かって、矢継ぎ早に指示を出した。それを受けて瞬時に我に返った騎士達のうち、玉座に近い前方に居た十人程が、猛然とグラディクトとアリステアに走り寄り、問答無用で連行していく。


「さあ、殿下、お引き取りを。陛下の御命令です」
「なっ!? 父上、何故ですか!」
「ちょっと! 何するのよ、離して!」
「アリステア! 貴様ら! 未来の王太子妃に無礼を働いたら、承知せんぞ!」
 更に後方では、周囲の貴族達から早速距離を取られて不自然に開いた空間の中に居た、アリステアの父親のミンティア子爵が、後妻と共に蒼白な顔で、駆け寄った騎士達に連行されて行った。


「待て、私は無実だ! 何も知らない! あれはアリステアが勝手にやった事で!」
「五月蝿い! 事もあろうに、建国記念式典を台無しにしやがって!」
「黙ってさっさと歩け! それが嫌なら引きずって行くぞ!」
「あなた! どういう事!」
 そんな騒々しい一団が会場内から出て行くと、マグダレーナがまるで何事も無かった様に扇を閉じ、優雅に微笑みながら宴の続行を宣言した。


「皆様、大変お騒がせ致しました。それでは陛下のご挨拶も済みましたので、ごゆるりとおくつろぎ下さい」
 その王妃の台詞と共に、大広間に控えていた楽団が心地良い音楽を奏で出し、給仕が飲み物を出席者に配り始めた。そして漸く会場内に弛緩した空気が漂い始める中、エセリアは好奇の視線を受けながら無事に家族と合流を果たした。すると何年も前に結婚してクリセード侯爵夫人となっていたコーネリアが、夫のライエルを放り出して駆け寄って来る。


「エセリア、大丈夫? まさかこんな場で殿下があんな事を言い出すとは、夢にも思っていなかったわ!」
 久しぶりに顔を合わせた姉にまで心配をかけてしまったかと、涙目で抱き付いて来た彼女を見て、エセリアは心底申し訳なく思った。


「お姉様にまで心配をおかけして、申し訳ありません。ですが本当に身に覚えのない事ですから、心配要りませんわ」
「当たり前よ。あなたが先程殿下が言及したような、ちまちました嫌がらせをするわけがないもの。本当に邪魔者を排除するのなら、正面から手段を選ばず粉砕するわよね。グラディクト殿下に関しては、前々からあまり良い噂は聞いていなかったけど、本当に目が節穴だったようだわ!」
「……お姉様の中では、私はどういう妹像なのでしょうか」
 あまりの出来事に憤慨して家族の所にやって来たらしいコーネリアが、涙をぬぐった後は怒り心頭で訴えた為、エセリアは思わず遠い目をしてしまった。しかしそれを聞いた家族は全員、尤もだと苦笑しながら頷いたが、ディグレスが幾分困った様子で言い出す。


「しかし、慰謝料に王太子領を引き渡せとは……。幾ら何でも無茶過ぎるぞ。本当にそんな事になったら、王家の権威に傷がつく」
「驚かせてしまって、申し訳ありません。お父様」
 父の苦言に神妙にエセリアが頭を下げると、ミレディアが玉座の方をチラッと見ながら囁いた。


「それにしても、そのザイラスを手放す事を、あっさりと公言なさるなんて……。あなたに公の場で言いがかりを付けて婚約破棄を言い出した段階で、お姉様は殿下を切り捨てる気になったと思うけれど、あれを聞いて、完全にその気持ちが固まったみたいだわ」
 どうやらまだ憤慨しているらしい母の台詞を聞いたエセリアは、尤もらしく頷いて決定的な一言を口にする。


「私もそう思います。これであの方が、この国の王位に就く目は、完全に無くなったのでは?」
 その意見に彼女の家族達は無言で頷き合い、彼らの話題はすこぶる政治的な内容に移った。


「王太子派の連中は、まだ何とかなると思っているかもしれんが、これで王宮内の勢力図が大幅に変わる事になるな」
「ええ、これまで王太子とその生母のバスアディ伯爵家にすり寄っていた連中は、もう浮かび上がれ無いでしょう」
「そして明らかに非がない状態で婚約破棄をされた我が家に、その火の粉が降りかかる可能性はありませんわ」
「当然です。シェーグレン公爵家は、れっきとした被害者ですもの。ただ暫くは没落した連中が、口添えをしてくれとか鬱陶しいでしょうね」
「向こうだって、こちらを利用するつもりで近付いていただけですし。お姉様も無視していれば宜しいわ」
「勿論、そのつもりよ。クリセード侯爵家まで、この騒ぎに巻き込むつもりはありませんから」
「ただ……、今後エセリアの嫁ぎ先が、どうなるかだけが心配ですが……」
 ここでミレディアの口から、母親らしい懸念が漏れたが、それを聞いたエセリアは笑って流した。


「それは別に構いません。暫くは特に何もせずに、のんびりしたいと思っていますから」
「まあ、エセリアにしては珍しい事。退屈で暇なのは、死ぬほど嫌では無かったの?」
 すかさずコーネリアが彼女の幼少期の口癖を口にしてからかうと、自分でもらしくない事を言ってしまったとエセリアは笑い、それを見た家族達も、揃って場違いな笑い声を上げた。
 しかし無粋にもその輪の中に場を弁えず、蒼白な顔で割り込んで来た者が居た。



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