悪役令嬢の怠惰な溜め息
(26)ナジェークの役回り
「相変わらず、だらしのない奴らだ。新人なら、率先して来るべきだろうが。主が主なら、部下も部下だな」
新年度からグラディクトが本格的に公務に参入する事を受けて、ナジェークは王太子付き補佐官に任命されており、王太子執務室に続く秘書官室にまず足を踏み入れたが、定刻間近だと言うのに室内が無人なのを見て、もう何度目になるか分からない悪態を吐いた。
ディオーネのお声掛かりで任命された三人の秘書官は、学園時代からグラディクトの側付きで、ナジェークは当初からその事務処理能力に期待していなかったが、あまりの仕事のはかどらなさに、密かにキレる事も度々だった。しかし取り敢えずそれ以上蒸し返す事無く部屋を横切り、奥の王太子執務室へと向かう。
「まあ、勤勉で無い事で助かっているこちらが、文句を言う筋合いでは無いがな」
苦笑しながらグラディクトの机に歩み寄った彼は、一番上の引き出しを開けて預かってきたアリステアからの手紙を入れた。そして元通り閉めた後、すぐ側の自分の席に着き、何食わぬ顔でその日の業務準備を始める。それから少しして幾らか定刻を過ぎた頃に、グラディクトが現れた。
「殿下、おはようございます」
「……ああ」
立ち上がり、恭しく頭を下げて出迎えたナジェークに気のない返事をした彼は、仏頂面で席に着いた。しかしさり気なく机の一番上の引き出しを開けた瞬間、昨日部屋を出る時には無かった封筒をそこに認めて、密かにほくそ笑む。
(早速、アリステアからの返事が来ているな。二日で王宮の執務室まで届くとは、王宮内にも学園内にも私達の味方が多い証拠だし、補佐官として張り付いているナジェークの裏をかいて毎回机に仕込んでおくとは、なかなかやるじゃないか。誰の仕業かは未だに分からないが、事が公になったら誉めてやるぞ)
グラディクトがどこの誰とも知れない者の手腕に満足し、内心で快哉を叫んでいると、ナジェークが椅子から立ち上がる気配を察して、慌てて引き出しを閉めた。すると思った通りナジェークが書類を抱えて立ち上がり、グラディクトの机の前に立って恭しく告げる。
「殿下、本日の予定をお知らせします」
「ああ。早く言え」
「午前中は、机上に揃えておきました、書類の決済と承認をお願いします。昼食を挟みまして、午後には全大臣出席の御前会議がございますので、そちらへの出席をお願いします」
「分かった。もう下がって良いぞ」
用が済んだとばかりに、彼を手で追い払おうとしたグラディクトだったが、ナジェークは微笑みながら手にしていた書類を机に乗せて説明を加えた。
「それでは午前中に、こちらに目を通しておいて下さい。午後の会議の議案についての資料になります」
「……分かった」
かなりの分量のそれを見て、グラディクトが眉根を寄せたのを見てから、ナジェークは何事も無かったかのように自分の席に戻った。その飄々とした態度を見て、グラディクトの中で怒りがふつふつと湧き上がる。
(こいつ……。会議では、まだ私が意見を求められる事など殆ど無いのに、どうしてこんなに頭に入れておく必要があるんだ。エセリアが兄に言って、嫌がらせをさせているに違いない)
ナジェークが手渡した資料は会議参加者全員に配られている代物であり、当然事前に目を通すべき物であったのだが、被害妄想に凝り固まっている彼からすると、ナジェークを介したエセリアの嫌がらせとしか思えなかった。
(大体、前年は財務局に所属していたこいつが、私が公務に本格的に関わるようになったタイミングで、王太子付き補佐官に就任するとは……。噂では『エセリア共々、公私に渡って王太子殿下にお仕えしてお支えしたい』とか、殊勝な事を言ったらしいが)
そして真面目に書類を捌いているナジェークの横顔を忌々しい思いで睨み付けながら、グラディクトは内心で彼を罵倒した。
(どうせ私の名前で、権勢を欲しいままにしようと画策しているのだろうが! この俗物が、そうはさせんぞ! エセリアを追い落としたらその責任を取らせて、貴様もすぐにここから叩き出してやる!)
密かにそんな事を決意していると秘書官室に繋がるドアが開き、秘書官の一人が姿を現した。
「ナジェーク補佐官。各部署から書類が届きました」
「ご苦労、こちらに」
すかさず立ち上がったナジェークがそれを受け取り、自分の机で素早く仕分けして、グラディクトの所にやって来る。
「殿下、こちらにはサインを。こちらは内容を精査の上、必要な指示をご記入下さい」
「分かっている」
面倒くさそうに目の前に置かれた書類を睨み付けたグラディクトだったが、そんな事をしてもそれらが消え去る筈はなく、しぶしぶ一枚ずつ取り上げて目を通し始めた。しかし何枚も処理しないうちに、驚きで軽く目を見張る。
(これは、アリステア用のドレス等の請求書……。孤児院への定期寄付の処理書類の裏にさり気なくクリップで付けてくるとは……。本当に反エセリア派の中には、なかなか目端の利く人間がいるらしい。そしてナジェークの目は、思った以上に節穴だな。まあ、それで私の所にまで無事に届いたのだから、文句を言う筋合いでは無いが)
実はナジェークが屋敷の使用人を仕立て屋に遣いに出し、受け取った請求書を、先程書類を仕分けするのに紛れて、関係の無い書類に添付したのだったが、そうとは知らないグラディクトは、心の中で見知らぬ忠実な配下の手腕を褒め称えると同時に、ナジェークをあざ笑った。
ナジェークはそんな彼の内心など手に取るように分かっていたが、素知らぬふりを貫き、グラディクトはその請求書に「婚約者への贈答品により、交際費として支払う事」とのコメントを付けてサインをする。そのまま全ての書類を処理した彼は、ナジェークに向かって横柄に言い放った。
「ナジェーク、全て処理したぞ。さっさと各部署に持って行け」
「はい、暫く席を外します」
即座にナジェークは書類を纏めて執務室から出て行き、一人取り残されたグラディクトは、如何にも楽しげに引き出しから手紙を取り出した。
「爽快な気分だな。今のうちに、アリステアの手紙に目を通しておこう」
それを開封して内容に確認したグラディクトは、ナジェークが戻ってきても素知らぬふりで、彼女への返事を書き続けていた。
「今日の仕事は、これで終わりだな?」
「はい。ご苦労様です」
「それでは後片付けをしておけ」
「畏まりました」
定刻を過ぎて立ち上がったグラディクトを、恭しく頭を下げて見送ったナジェークは、手早く後片付けを済ませてから、彼の机の引き出しを開けた。そして、持ち出されるのを待つばかりの手紙を取り上げた彼が、皮肉っぽく笑う。
「今の所は大してする仕事も無いから、手紙も書き放題だな。どうせ私の目をかすめて、手紙を回収したり届けるのは大したものだとか、見当違いな事を思っているんだろうが……」
彼は一度言葉を区切り、苦笑を深めながらその手紙を上着のポケットに入れてから、つい先程グラディクトが出て行ったばかりの扉を見ながらひとりごちた。
「とんだ茶番ですが、これはちゃんと彼女にお届けしますよ。あなた達に、自分達の味方が多いと錯覚して頂く必要がありますのでね。そこは安心して下さい」
それから執務室を出て、続きの秘書官室を通り抜けようとしたナジェークだったが、机の上が乱雑に散らかっている状態ながら、そこが早くも無人になっているのを認めて、こめかみに青筋を浮かべながら盛大に舌打ちした。
「全く、どいつもこいつも! 相変わらず本当に、役に立たん奴らばかりだ。あの殿下と一緒に、纏めて叩き出してやる」
グラディクトと同様、勤勉さには程遠い秘書官達の行く末も、正にこの時決定したのだった。
新年度からグラディクトが本格的に公務に参入する事を受けて、ナジェークは王太子付き補佐官に任命されており、王太子執務室に続く秘書官室にまず足を踏み入れたが、定刻間近だと言うのに室内が無人なのを見て、もう何度目になるか分からない悪態を吐いた。
ディオーネのお声掛かりで任命された三人の秘書官は、学園時代からグラディクトの側付きで、ナジェークは当初からその事務処理能力に期待していなかったが、あまりの仕事のはかどらなさに、密かにキレる事も度々だった。しかし取り敢えずそれ以上蒸し返す事無く部屋を横切り、奥の王太子執務室へと向かう。
「まあ、勤勉で無い事で助かっているこちらが、文句を言う筋合いでは無いがな」
苦笑しながらグラディクトの机に歩み寄った彼は、一番上の引き出しを開けて預かってきたアリステアからの手紙を入れた。そして元通り閉めた後、すぐ側の自分の席に着き、何食わぬ顔でその日の業務準備を始める。それから少しして幾らか定刻を過ぎた頃に、グラディクトが現れた。
「殿下、おはようございます」
「……ああ」
立ち上がり、恭しく頭を下げて出迎えたナジェークに気のない返事をした彼は、仏頂面で席に着いた。しかしさり気なく机の一番上の引き出しを開けた瞬間、昨日部屋を出る時には無かった封筒をそこに認めて、密かにほくそ笑む。
(早速、アリステアからの返事が来ているな。二日で王宮の執務室まで届くとは、王宮内にも学園内にも私達の味方が多い証拠だし、補佐官として張り付いているナジェークの裏をかいて毎回机に仕込んでおくとは、なかなかやるじゃないか。誰の仕業かは未だに分からないが、事が公になったら誉めてやるぞ)
グラディクトがどこの誰とも知れない者の手腕に満足し、内心で快哉を叫んでいると、ナジェークが椅子から立ち上がる気配を察して、慌てて引き出しを閉めた。すると思った通りナジェークが書類を抱えて立ち上がり、グラディクトの机の前に立って恭しく告げる。
「殿下、本日の予定をお知らせします」
「ああ。早く言え」
「午前中は、机上に揃えておきました、書類の決済と承認をお願いします。昼食を挟みまして、午後には全大臣出席の御前会議がございますので、そちらへの出席をお願いします」
「分かった。もう下がって良いぞ」
用が済んだとばかりに、彼を手で追い払おうとしたグラディクトだったが、ナジェークは微笑みながら手にしていた書類を机に乗せて説明を加えた。
「それでは午前中に、こちらに目を通しておいて下さい。午後の会議の議案についての資料になります」
「……分かった」
かなりの分量のそれを見て、グラディクトが眉根を寄せたのを見てから、ナジェークは何事も無かったかのように自分の席に戻った。その飄々とした態度を見て、グラディクトの中で怒りがふつふつと湧き上がる。
(こいつ……。会議では、まだ私が意見を求められる事など殆ど無いのに、どうしてこんなに頭に入れておく必要があるんだ。エセリアが兄に言って、嫌がらせをさせているに違いない)
ナジェークが手渡した資料は会議参加者全員に配られている代物であり、当然事前に目を通すべき物であったのだが、被害妄想に凝り固まっている彼からすると、ナジェークを介したエセリアの嫌がらせとしか思えなかった。
(大体、前年は財務局に所属していたこいつが、私が公務に本格的に関わるようになったタイミングで、王太子付き補佐官に就任するとは……。噂では『エセリア共々、公私に渡って王太子殿下にお仕えしてお支えしたい』とか、殊勝な事を言ったらしいが)
そして真面目に書類を捌いているナジェークの横顔を忌々しい思いで睨み付けながら、グラディクトは内心で彼を罵倒した。
(どうせ私の名前で、権勢を欲しいままにしようと画策しているのだろうが! この俗物が、そうはさせんぞ! エセリアを追い落としたらその責任を取らせて、貴様もすぐにここから叩き出してやる!)
密かにそんな事を決意していると秘書官室に繋がるドアが開き、秘書官の一人が姿を現した。
「ナジェーク補佐官。各部署から書類が届きました」
「ご苦労、こちらに」
すかさず立ち上がったナジェークがそれを受け取り、自分の机で素早く仕分けして、グラディクトの所にやって来る。
「殿下、こちらにはサインを。こちらは内容を精査の上、必要な指示をご記入下さい」
「分かっている」
面倒くさそうに目の前に置かれた書類を睨み付けたグラディクトだったが、そんな事をしてもそれらが消え去る筈はなく、しぶしぶ一枚ずつ取り上げて目を通し始めた。しかし何枚も処理しないうちに、驚きで軽く目を見張る。
(これは、アリステア用のドレス等の請求書……。孤児院への定期寄付の処理書類の裏にさり気なくクリップで付けてくるとは……。本当に反エセリア派の中には、なかなか目端の利く人間がいるらしい。そしてナジェークの目は、思った以上に節穴だな。まあ、それで私の所にまで無事に届いたのだから、文句を言う筋合いでは無いが)
実はナジェークが屋敷の使用人を仕立て屋に遣いに出し、受け取った請求書を、先程書類を仕分けするのに紛れて、関係の無い書類に添付したのだったが、そうとは知らないグラディクトは、心の中で見知らぬ忠実な配下の手腕を褒め称えると同時に、ナジェークをあざ笑った。
ナジェークはそんな彼の内心など手に取るように分かっていたが、素知らぬふりを貫き、グラディクトはその請求書に「婚約者への贈答品により、交際費として支払う事」とのコメントを付けてサインをする。そのまま全ての書類を処理した彼は、ナジェークに向かって横柄に言い放った。
「ナジェーク、全て処理したぞ。さっさと各部署に持って行け」
「はい、暫く席を外します」
即座にナジェークは書類を纏めて執務室から出て行き、一人取り残されたグラディクトは、如何にも楽しげに引き出しから手紙を取り出した。
「爽快な気分だな。今のうちに、アリステアの手紙に目を通しておこう」
それを開封して内容に確認したグラディクトは、ナジェークが戻ってきても素知らぬふりで、彼女への返事を書き続けていた。
「今日の仕事は、これで終わりだな?」
「はい。ご苦労様です」
「それでは後片付けをしておけ」
「畏まりました」
定刻を過ぎて立ち上がったグラディクトを、恭しく頭を下げて見送ったナジェークは、手早く後片付けを済ませてから、彼の机の引き出しを開けた。そして、持ち出されるのを待つばかりの手紙を取り上げた彼が、皮肉っぽく笑う。
「今の所は大してする仕事も無いから、手紙も書き放題だな。どうせ私の目をかすめて、手紙を回収したり届けるのは大したものだとか、見当違いな事を思っているんだろうが……」
彼は一度言葉を区切り、苦笑を深めながらその手紙を上着のポケットに入れてから、つい先程グラディクトが出て行ったばかりの扉を見ながらひとりごちた。
「とんだ茶番ですが、これはちゃんと彼女にお届けしますよ。あなた達に、自分達の味方が多いと錯覚して頂く必要がありますのでね。そこは安心して下さい」
それから執務室を出て、続きの秘書官室を通り抜けようとしたナジェークだったが、机の上が乱雑に散らかっている状態ながら、そこが早くも無人になっているのを認めて、こめかみに青筋を浮かべながら盛大に舌打ちした。
「全く、どいつもこいつも! 相変わらず本当に、役に立たん奴らばかりだ。あの殿下と一緒に、纏めて叩き出してやる」
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