悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(22)無事卒業、その裏で

 数々の騒動を引き起こし、または意図せずに巻き込まれながらも、無事に卒業記念式典の日を迎えた朝、エセリアは感慨無量の面持ちで式典会場の講堂へ向かった。
 式典自体は正直に言えば少々退屈だったものの、感動して涙ぐんでいる周囲に余計な事など言わず、学園長たるリーマンからの祝辞と薫陶に、神妙に耳を傾ける。そして終了と同時に彼女は、女生徒達に幾重にも取り囲まれた。


「無事、式典が終わりましたね。これで卒業かと思うと、物悲しいですわ」
「本当に三年間など、あっという間でしたね」
「ですが今までの人生の中で、一番濃密な時間でした」
「そうですね。様々な価値観をお持ちの、立場の異なる方々と触れ合えましたし」
「卒業しても、折々のお付き合いなどはして頂きたいですわ」
「私こそ、お願いしたいと思っていました」
 身分による隔意など全く感じさせないそれらの会話に、エセリアも同感だと思いながら話の輪に加わっていると、中の一人が思い出したように言い出す。


「エセリア様は、これから一気にお忙しくなるでしょうね。王太子殿下の婚約者でいらっしゃいますから、次期王族として公務に携わる事が出てくるでしょうし」
「はぁ……、そうなりますね」
 心の中で(和やかに話している時に、思い出させないでよ!)と文句を言いつつも、口元を微妙に歪めながら何とか微笑んだエセリアに対し、周囲から口々に祝福と賛辞の声がかけられる。


「婚礼に向けての準備も、加速致しますわね!」
「華やかな式典になりそうで、今から楽しみで楽しみで!」
「何よりも、国王陛下に王妃陛下がおられるように、エセリア様が王太子妃になれば、我が国は安泰ですもの」
「本当に。これからは内政外交の第一線で、思う存分能力を発揮して下さいませ!」
「エセリア様ならば、この国の舵取りを、安心してお任せできますわ!」
 そんな事を満面の笑みで、口々に言われたエセリアは、密かに頭痛を覚えた。


(あなた達……、陛下と殿下が頼りにならないと言っているのも同様だと、分かって発言しているのかしら?)
 そうは思ったものの、エセリアは笑顔を保ちながら、彼女達を宥める。


「皆様、私を買いかぶり過ぎです……。ですが微力ながら、全力を尽くすつもりですわ」
 そんな風に盛り上がっているエセリア達から少し離れた講堂の一角で、グラディクトは彼女と同様、男子生徒達に囲まれていた。しかしそこにアリステアがやってきて、人垣の向こうから大声で呼びかける。


「グラディクト様、卒業おめでとうございます!」
 途端にグラディクトの周囲に居た生徒達が顔を顰めながら振り返り、側付き達は顔色を変えて彼女を叱りつけた。
「お前! 分を弁えずのこのこと、こんな時にまで!」
「殿下は今、皆様方とご歓談中だ!」
「少しは遠慮しろ!」
「お前達、五月蝿いぞ」
 しかしグラディクトは不快そうに側付き達を一瞥した上で、周囲の生徒達に対して下がるように告げた。


「もう全員と挨拶は済んでいる。皆、わざわざご苦労だったな」
「……御前、失礼致します」
「殿下!」
 こちらから足を運んだのに、まともに話もせずに追い払うのかと、上級貴族の子弟達は揃って憮然とした顔付きになったが、単にご機嫌伺いに来ただけでもあり、これ以上食い下がる必要性を認めなかった為、全員があっさりその場を離れた。それを見た側付き達が顔色を変え、慌ててグラディクトを窘めようとしたが、彼が素っ気なく言い捨てる。


「お前達も、もう下がって良い」
「……それでは失礼します」
 面倒くさそうに手まで振られて側付き達は憤然としたものの、何とか怒りを押し殺し、一礼してその場を離れた。その時にアリステアを一睨みする事は忘れなかったが、さすがにそれが分かった彼女は、控え目にグラディクトに詫びを入れた。


「すみません、グラディクト様。お話中のところに、割り込んでしまったみたいで……」
「別に構わない。先程も言ったが、ちゃんと挨拶は済んでいたしな。それにわざわざアリステアが、卒業祝いを言いに来てくれたのだから、きちんと相手をしなければ駄目だろう」
「気が引けます。さっきの人達は剣術大会の時、開票係として見た覚えがありますから、上級貴族の方々だと思いますし、エセリア様もこれからご挨拶に来るのではありませんか?」
 彼女が「殊勝にそんな事を言うのなら、最初から割り込んでくるな!」と側付き達が突っ込みそうな事を言っていると、グラディクトは馬鹿にした口調で吐き捨てる。


「はっ! あの女がわざわざ、私の所に出向く筈が無い。自分を取り囲んでいる取り巻きが多ければ多い程自尊心が満たされて、他人の事など気にも留めない女だからな! ほら、あれを見てみろ」
 そう言って彼が指さした方向にアリステアが視線を向けると、ちょうどエセリア達が集まっている所に、レオノーラが親しい友人達と共に挨拶に出向いていた。その光景を目にしたアリステアは、しみじみとした口調で述べる。


「本当ですね。最後の最後まで自分の影響力を誇示して、満足したいなんて……。確かに綺麗で優秀かもしれませんけど、エセリア様はとても心が貧しい人ですね」
 そんな見当違いも甚だしい事を彼女が口にすると、グラディクトはエセリア達を皮肉っぽく見やりながら、それに同意した。


「『心が貧しい』か……。アリステアは本当に、真実を言い当てるな」
「そんな……。大した事はありません。普通の人間の感覚だと思いますよ?」
「私の周りには、普通の感覚すら持ち得ない、愚かな人間が多過ぎるからな」
 そう自嘲気味に呟いたグラディクトは、真剣な表情でアリステアに向き直り、自分自身に言い聞かせるように告げた。


「やはり私の隣には、エセリアではなくお前が相応しい。今度の建国記念式典で、エセリアが王太子妃として相応しく無い事を暴露して婚約破棄に持ち込んだら、お前を私の新たな婚約者として周囲に認めさせる」
(やった! 本と同じ様に、グラディクト様が宣言してくれたわ! 凄い! これで私もいよいよ、王太子妃になれるわ!)
 彼の言葉を聞いたアリステアは内心で歓喜しながらも、控え目に反論してみせた。


「でも、グラディクト様。それは幾ら何でも、無理です。私は子爵家の人間に過ぎませんし」
「大丈夫だ、心配するな。上級貴族や母の実家のバスアディ伯爵家と養子縁組させるとか、色々やりようはある。アシュレイ達も着々と、水面下で動いてくれているからな」
「本当に皆さんには、助けて頂いてますね」
 明るい展望にアリステアが笑顔で頷くと、グラディクトも釣られたように顔を緩める。


「アリステアの事は、学園内に在籍している者達がこれからもしっかり見守ってくれると言っていたが、記念式典までの約1ヶ月、身の回りに十分注意してくれ」
「分かりました」
 彼の言葉に素直に頷いたアリステアだったが、ここである懸念を思い出した。


「そういえば明後日、記念式典用のドレスを作りに行くと、モナさんから聞きましたけど……」
「ああ、門の前で待っていてくれ。馬車と世話役を手配して、差し向ける手筈になっている」
「ですが、支払いとかは……。私は無理ですし、そのお世話役の方が支払いをしてくれるんですか?」
 心配そうに詳細について尋ねたアリステアだったが、ここでグラディクトは笑いを堪える表情になりながら言い出した。


「それがな……、実はアシュレイが、傑作な事を思い付いたんだ」
「なんですか?」
「幾ら王太子でも、纏まった金を動かす場合は、予算を管轄している財務局の担当者のチェックが入るんだ。だから普通なら、一子爵令嬢のアリステアにドレスを作るなどと言っても、支払いをして貰えない。だが、『婚約者への贈答品』としてのドレスや宝飾品の支払いなら、必要な交際費として認められて、前例が幾つもあるんだ」
「え? でも……」
 さすがに当惑したアリステアだったが、彼は得意満面で話を続けた。


「前後するが、アリステアはいずれ私の婚約者になるのだし、『アリステア様の名を書かずに「婚約者への贈答品」として金額を申請すれば、嘘を申告したわけではありませんから、何も問題はございませんでしょう』と、アシュレイが指摘してくれたんだ」
 それを聞いた彼女は驚いた表情になり、そのまま何回か瞬きしてから、嬉々としてアシュレイを褒め称えた。


「凄い! やっぱりアシュレイさんは頭が良いですね!」
「全くだ。それなのに三男だから卒業後は領地に籠もって、そこの管理運営をするなどと、宝の持ち腐れだ。この件が片付いて落ち着いたら、王太子権限で父親のノルト子爵に話を付けて、彼を私の側近に召し抱えるつもりだ」
「それが良いですよ!」
「それでドレスの発注や支払い申請の細工は、既に王宮内で確立している反エセリア派が仕切ってくれるそうだから、安心してくれ」
「分かりました!」
 周囲の者達から遠巻きにされ、白い目を向けられている事に気が付かないまま、二人は自分達にとって都合が良過ぎる明るい未来を脳裏に思い描き、悦に入っていた。


(やった! やっぱりグラディクト様の前で、終始謙虚に振る舞ったのが良かったのね! 本当にエセリア様が『心の貧しい人』で助かったわ!)
(建国記念式典まで、あと1ヶ月足らず。いい気になるのも今のうちだけだぞ、エセリア!)
 そんな二人の視線など全く無視していたエセリアは、今後の幅広く有益な交際に繋げるべく、卒業生在校生問わずに笑顔を振り撒きながら、彼女達と楽しく語らっていた。



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