悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(14)事態の収拾

「え? どうして終わり? それに、どうしてこのテーブルが使えないの?」
 困惑して彼女が問い返すと、レオノーラが僅かに目を細めて厳しい表情になりながら、説明を加える。


「お金を払って飲食する店舗や、家族やごく親しい人達と飲食する場合ならともかく、人を招いて接待する場合、テーブルクロスは必須ですし常識ですわ。ミンティア子爵家では、誰が来てもテーブルにクロスをかけずに、料理やお茶を饗するのですか? まさか、そもそもテーブルにクロスを掛ける意義すら、理解していないなどと仰るのでは無いでしょうね?」
「それは……」
(確かにお客様が来る時は、クロスをかけさせられていたけど、テーブルの傷隠しだと……。そういえば礼儀作法の授業で、何か言っていたような……)
 母を亡くしてから使用人のように家事をさせられていたアリステアは、基本的なマナーが身に付いていなかった上、入学してからの礼儀作法の授業の時間も、これ位は常識として身についている事だと教授がサラリと触れただけだった為、その意義や使用する理由などを正確に理解していなかった。そこで口ごもったアリステアを見たレオノーラは、完全に呆れ顔になりながら結論を述べる。


「ですから、お茶が零れて台無しになったクロスは使えませんし、必然的にクロスを敷かないテーブルは使えません。ですからこのテーブル担当の私達の仕事は、もう無くなったと言う事ですわ。他のテーブルの担当は、きちんと決まっておりますし」
「そんな!」
「ふざけるな! 他のテーブルクロスを敷けば良いだけの話だろうが!」
 早々にお役御免を言い渡されてしまったアリステアが悲痛な声を上げると、横からグラディクトが会話に割り込んだ。しかしレオノーラは全く動じず、彼に言い返す。


「使用しているテーブルクロスは、剣術大会の第1回開催時にワーレス商会から寄付されて備品となっている物を全て出しているので、予備はありません。それでもこのテーブルを使いたいなら、代わりのテーブルクロスを調達してきて下さい」
 静かに正論を振りかざされた彼は、レオノーラを軽く睨んでから、作業台の方に向き直って声を上げた。


「分かった。……おい、お前達!」
 三人とも開票係に所属していた側付き達に、適当なテーブルクロスを調達させてこようと目論んだグラディクトだったが、ここですかさずアドレイスから鋭い声がかけられた。


「殿下。お断りしておきますが、作業中の開票担当者を、私用で使うのは止めて頂きましょう。皆、校内行事に参加している最中です。監督者のナダン教授も、あそこでご覧になっておられますが?」
 監督者の教授の存在をアピールしながら、冷ややかな目で自分を睨んでくる相手が、かなり有力な公爵家の子息、かつアーロン派の中心人物であった為、衆人環視の前で派手に揉めるわけにもいかなかったグラディクトは、苛立たしげに言い捨てて外に向かって歩き出した。


「分かっている! ちょっと待っていろ!」
「あ、グラディクト様!」
 そんな彼の後を慌ててアリステアが追いかけ、講堂内から彼らの姿が消えた途端、その場に安堵した空気が漂った。


「やれやれ、アドレイスのお陰で助かったぞ」
「全くだ。本来敵対する派閥の人間に、助けて貰う事になるとはな……」
「しかし、テーブルクロスを駄目にするとは……。呆れて物が言えないぞ」
 危うく駆り出されるところだった三人は、小声で悪態を吐いてから中断していた開票作業を再開し、講堂内も漸く落ち着きを取り戻したかに見えたが、ここで新たな人物が登場した。


「ああ、良かった! 間に合いましたね!」
「え?」
「何事?」
 いきなり講堂内に木箱を抱えた三人が現れ、声を張り上げながら壁際に沿って前方に進んだ為、殆どの者が訝しげに視線を向けた。そして注目を浴びながら進んだミランは、剥き出しになったテーブルの上に木箱を置いてから、レオノーラに向かって頭を下げる。


「お騒がせして、申し訳ありません。接待係責任者のレオノーラ様ですね? 私はミラン・ワーレスと申します。以後、お見知り置きを」
 その自己紹介で、目の前の彼がワーレス商会会頭の息子だと理解した彼女は、冷静に言葉を返した。


「初めまして、ミランさん。私に何かご用ですか?」
「レオノーラ様にと申しますか、接待係の皆様にお見せしたい物がございまして、持参致しました。こちらです、どうぞ」
 そう言いながら木箱の蓋を開け、中から布に包まれた物を取り出したミランは、更にその布を取り去って中身をレオノーラに見えるように差し出した。それを一目見た彼女が、正確にその価値を判別する。


「まあ! まさか、ジュールデルのティーセット!? しかもこんな高級品、一体どうされたのです!?」
 滅多にお目にかかれない最高級品にレオノーラが声を上げ、周囲も驚いて視線を向ける中、ミランは微笑みながら説明を始めた。


「私が在籍している関係で、ワーレス商会会頭である父が、この学園に折に触れ金銭や物品を寄付しております。先日『二年前、剣術大会開催時に寄付したクロスやティーセットが汚れたり破損しているかもしれない。そろそろ新しい物を届けさせよう』と言っていたのですが、店の方で手違いがあって先程漸く届いたのです。遅れて申し訳ありませんが、今からでも使って頂けないかと思って、慌てて運んできました」
 その説明の間に、ミランと一緒に木箱を運んで来たローダスとシレイアが、次々と中身を取り出してテーブルに並べ始めた為、接待係は勿論、離れた所からも小物係の生徒がやって来て、歓喜と感嘆の声を上げた。


「凄い、なんて薄くて軽いの!」
「それに、この繊細な模様!」
「洗練されていて、素敵なデザインよね……」
「我が家でも、このレベルの物は置いていないわ」
「王宮で、公式行事に使用されるレベルよ……。こんな超高級品を、学内行事で使っても宜しいの?」
 テーブルを囲んでいた一人が控え目に尋ねたが、ミランはそれに笑顔で答えた。


「ええ、勿論です。後は礼儀作法の時間にでも、活用して頂きますから。『将来有望な若者に、本物に触れる機会を数多く作って差し上げたい』と言うのが、父の願いなのです」
 それを聞いたレオノーラは、感じ入ったように頷いた。


「本当にあなたのお父上の尊いお志には、頭が下がります。あなたからお父様に、お礼を申し上げて下さい」
「畏まりました」
「それでは皆様、良い物をご提供頂きましたので、急ですが茶器をこちらに差し替えて頂けますか?」
「勿論ですわ!」
「このテーブルクロスも、手触りが良くて一級品ですもの。急いで全て取り替えましょう!」
 レオノーラの指示に周囲は即座に頷き、嬉々として動き出した。そんな活気に満ちた講堂内を見回しながら、レオノーラは一人考えを巡らせる。


(ワーレス商会……。会頭はシェーグレン公爵領出身で、公爵家とは密接な関わり合いを持っている筈。万が一、あの方達が騒ぎを起こした時に事態を収集する為に、予めこれらを準備しつつ、今まで隠匿されていたわけですね? そしてこの段階で出した、と……)
 そして我関せずと言った風情で座り続けているエセリアの姿を目にした彼女は、小さく笑った。
(さすがですわ、エセリア様)
 レオノーラがそんな尊敬の眼差しを向けている事に気が付かないまま、当のエセリアはサビーネと共に胸をなで下ろしていた。


「何とかあの茶器とテーブルクロスの事に意識が向いて、あの二人の事は殆ど忘れ去られましたね」
「本当に。何かあった時の為に、準備をしておいて良かったわ」
 まさか盛大にお茶を零すとまでは予想していなかったものの、何か騒ぎが起きたら高級茶器で話題を逸らそうと考え準備させていたエセリアに、ここでサビーネが声を潜めて尋ねる。


「ところで……、エセリア様。あの茶器とテーブルクロスの代金は、いかほどなのですか? かなりの金額になっているかと思うのですが……」
 それにエセリアが、溜め息を吐いてから応じる。


「私は、ちゃんと支払うつもりだったのだけど……。ワーレスが『エセリア様が考案された新型ヘアピンと新製法のお茶の売上が半端では無いので、これ位献上させて下さい』と返事が来てしまったのよ」
「献上……。もの凄く売れているみたいですわね」
 半ば呆れながらサビーネが感想を述べると、エセリアが大真面目に頷く。


「そうみたいね。だけどお茶はともかく、絵心の無い私が描いたあの図案を、実用化させてしまうなんて……。クーレ・ユオンの時も思ったけど、やっぱりクオールさんは商品開発の天才だと思うわ」
「…………」
 一見完璧なエセリアの、微妙過ぎる画力について既に知っていたサビーネは、しみじみと呟かれたその言葉に対しての明言を避け、無言を貫いたのだった。





コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品