悪役令嬢の怠惰な溜め息
(13)アクシデント発生
「レオノーラさん! どうして教えてくれなかったんですか!」
「何の事でしょうか?」
「打ち合わせの時に、皆が喋っていた内容です! 全部必要な情報じゃないですか!」
その見当違いな非難にも、レオノーラは淡々と応じた。
「ですから『打ち合わせ』を開始する前に、接待する対象者の『開票担当者リスト』をお渡ししました。その家名と領地を確認しながら聞いていれば、誰でもお分かり頂けると思っておりましたので」
「だって、それは!」
「それにあなたはあの時、『自分はあなた達程、暇ではない』と仰ってその場を立ち去りましたから、個別に情報収集をされていたのでしょう? それこそ暇な私達が、暇潰しに集めた情報以上の物を。それを使って開票担当者の方々に、気持ち良くお茶を飲んでひと時を過ごして頂ければ、良いではありませんか。私達に合わせる必要はございませんわ」
「…………」
自分から席を立った事実を今更変えられず、痛烈な皮肉を受けたアリステアは、憤然として唇を噛みながらレオノーラを睨んだ。そんな二人には構わず小物係の生徒達が、使用済みの茶器を片付ける為に歩み寄る。
「回収します」
「レオノーラ様、片付けても宜しいですか?」
「ええ、お願いします」
アリステアには素っ気なく、レオノーラには丁寧にお伺いを立てて片付けている間も、そのテーブルの周囲だけは微妙な空気が漂っていた。それは遠目に見ても分かる物であった為、サビーネが僅かに眉根を寄せながら囁く。
「先程何やら、彼女とレオノーラ様が揉めていたように見えたのですが……」
「言わないで……。胃が痛くなってきたわ」
エセリアが腹部を軽く抑えながら呻くと、すぐ後ろの席に陣取っていたミランが、すかさず身を乗り出しながら声をかけてきた。
「大丈夫です、エセリア様。こんな事もあろうかと、新商品の胃薬を準備しておきました。使った後は、是非感想を聞かせて下さい」
ミランに全く悪気は無かったものの、エセリアはこれですっかり追い討ちをかけられた気分になってしまった。
「この状況下で、モニター員に勧誘してくるなんて……。さすがね、ミラン」
「はい? 『もにたーいん』とは何ですか?」
「……何でもないわ。気にしないで」
本気で首を傾げたミランを、エセリアは深い溜め息を吐いて宥めた。それから(今度、商品のモニター制度導入を、ワーレスに提案しようかしら)などと少々現実逃避気味な事を考えてから、再び前に向き直った。
それからは問題無く作業が進んでいくかに見えたが、再びアリステア達のテーブルで騒ぎが起きた。
「……あ、困ります! そちらの席にお願いします!」
「うるさい! 誰がこんな辛気臭い席に座るか!」
休憩に入ろうとしていた一人の生徒が、アリステアの席を示されたものの、それを無視してレオノーラの席に座ってしまった。当然露骨に避けられたアリステアは怒りで顔を紅潮させ、レオノーラは困り顔になって、親戚中で手を焼いている従弟を窘める。
「ラーズ? 何をしているの。あなたはこちらの席を勧められたのでしょう?」
「嫌だね。俺は動かないからな」
「全く……、私の方が年上なのだけど? 私の顔を立てるつもりは皆無なの?」
「だから従姉たるレオノーラに敬意を評して、ここに座っただけだ」
足を組んで座ったまま、平然と言い返してきたラーズを見て、この従弟の性格を知り抜いていたレオノーラは、諦めて案内役の生徒に声をかけた。
「ごめんなさい。彼はここで良いわ。こうなったら、もう動きませんから」
「分かりました」
それ以上余計な事は言わずに彼女が引き下がると、ラーズが笑いながら告げる。
「さすがレオノーラ。分かってるじゃないか」
「今度、あなたのご両親に、きつく意見して貰います。次期侯爵家当主として、その態度はなっていないわよ?」
「お、お説教タイムか? レオノーラの叱責って、心地良いよな」
「……本当に、どうしてこうなったのかしら。昔は、あんなに素直で可愛かったのに」
幾分きつく睨み付けても、全く恐れ入らずに飄々としている彼の態度に、レオノーラは真剣に嘆いた。そんな二人を見ながら、アリステアが密かに怒りを増幅させる。
(何なの、この失礼な人! 私の席に座らないで、まっすぐレオノーラさんの席に座るなんて! 従兄弟って事は、やっぱりレオノーラさんが裏で手を回して、私に恥をかかせるつもりなのね! そうはさせるものですか! 意地でも私が、お茶を飲ませてやるわ!)
そう決意したアリステアは勢い良く立ち上がり、無言のまま奥のスペースへと向かった。そして扉を抜けて小物係がお茶を淹れているスペースに乱入し、茶葉を抽出中のポットを奪い取る。
「貰うわよ!」
「あ、ちょっと! 何をするんですか!」
「だから貰うって言ったでしょう! 私がちゃんと出すわよ! 何か文句でもあるの!?」
作業中の生徒が驚いて咎めたが、アリステアは逆に怒鳴り返してカップにお茶を注いだ。更にそれをトレーに乗せて、唖然としている小物係の面々を後目に、自分のテーブルまで戻って行く。
(出されたお茶を飲まなかったら失礼になって、マナー違反になるもの。ちゃんと飲ませて、しっかり私の相手をさせてあげるわ!)
そんな算段を立てながら、アリステアは談笑している二人の所に戻った。
「だから、親父は五月蠅いんだって」
「あなたはまず、言葉遣いから直す必要が」
「お待たせしました! さあ、どうぞ!」
押し問答をしている二人の声に負けないように、声を張り上げながらソーサーをテーブルに置いたアリステアだったが、勢いが良過ぎたのか置いた瞬間にカップが傾いて倒れ、事もあろうにラーズの座っている方向に、中身が全て零れてしまった。
「え? うわあっ!」
「まあ! ラーズ、大丈夫!?」
「え、嘘……」
ソーサーやテーブルクロスのみならず、ラーズの制服の上着の裾やスラックスにまでお茶がかかってしまい、その場の三人は揃って顔色を変えた。そしてすぐさまラーズが立ち上がり、アリステアに詰め寄って恫喝する。
「貴様! 俺の服に何て事をしてくれるんだ!!」
「きゃあっ!」
「ラーズ! そんな事より、早く拭いて洗濯に出さないと。染みになってしまうわ。それに手にはかかっていない? 火傷とかは大丈夫?」
さすがに女生徒に手出しは拙いと、咄嗟にレオノーラが二人の間に割り込んで引き剥がし、真剣に怪我の有無を尋ねると、その表情で彼女が本気で心配してくれているのが分かったラーズが、怒りを抑えながら答える。
「いや、火傷とかは大丈夫だ。服にはかかったが、それで大して熱さは感じていないから」
「それなら良かったわ」
取り敢えずレオノーラが安堵していると、騒ぎを聞きつけた開票係の責任者者であるアドレイスが足早にやって来て、事の次第を尋ねてきた。
「ラーズ、大丈夫か? ……では無さそうだな。もう作業は上がってくれて構わない。早く寮に戻って着替えて、制服を洗濯に出したまえ」
被害状況を確認して即座に判断を下した彼が、係の責任者である以上に公爵家の子息で貴族科の上級学年でもあった為、ラーズはその指示に素直に従った。
「分かりました。失礼します」
しおらしくアドレイスに頭を下げたラーズだったが、狼狽して黙り込んでいるアリステアを見やって悪態を吐く。
「ったく! この無作法女が!」
「……っ!」
「おい! 貴様! アリステアを怒鳴りつけるとは何事だ!」
ここで先程から揉めているのを見て取ったグラディクトが駆け付け、ラーズを叱りつけたが、彼は王太子相手に全く恐れ入る事無く、小バカにした口調で言い返した。
「はぁあ? 俺に茶をぶちまけるような、頭の足りない女を怒鳴りつけて、何がどう悪いのか、教えて頂けませんかね?」
「貴様、無礼だぞ!」
そこで舌戦などに巻き込まれるのは真っ平だと判断したアドレイスは、強制的に事態を収束させた。
「ラーズ。君は早く寮に戻って、服を洗濯に出したまえ」
「ちっ!!」
忌々しげに舌打ちしてラーズが歩き去るのを確認してから、アドレイスはグラディクトに向き直って冷静に告げた。
「殿下。彼女は彼にお茶をかけておきながら、未だに謝罪もしていません。これでは『無作法』と言われても、全く反論できません。そこはご理解下さい」
「わ、私は! ちゃんと謝るつもりで! でもあの人が、いきなり怒り出したから!」
「ほら見ろ! 彼女はちゃんと謝罪するつもりだったのに、あいつがさっさと立ち去ったんだろうが」
「そうですか。それなら今後は、もっと早く謝罪するように心がけるべきですね」
アリステアの弁解を彼が冷ややかに一刀両断していると、集まってきた小物係の生徒が、そこのテーブルの惨状を見て溜め息を吐いた。
「あ~あ。このテーブルクロス、もう駄目ですね」
「完璧に染みになっちゃいますよ。急いで洗濯をお願いしたら、なんとか取れるかしら?」
「とにかく、このテーブルはもう使えませんね。これからは他のテーブルに、人を回しましょう」
「分かりました」
「それではアリステアさん、お疲れ様でした。もうここは担当して頂かなくて結構です」
テキパキと周りの人間に指示を出したレオノーラが、いきなり終了を告げた為、アリステアは本気で面食らった。
「何の事でしょうか?」
「打ち合わせの時に、皆が喋っていた内容です! 全部必要な情報じゃないですか!」
その見当違いな非難にも、レオノーラは淡々と応じた。
「ですから『打ち合わせ』を開始する前に、接待する対象者の『開票担当者リスト』をお渡ししました。その家名と領地を確認しながら聞いていれば、誰でもお分かり頂けると思っておりましたので」
「だって、それは!」
「それにあなたはあの時、『自分はあなた達程、暇ではない』と仰ってその場を立ち去りましたから、個別に情報収集をされていたのでしょう? それこそ暇な私達が、暇潰しに集めた情報以上の物を。それを使って開票担当者の方々に、気持ち良くお茶を飲んでひと時を過ごして頂ければ、良いではありませんか。私達に合わせる必要はございませんわ」
「…………」
自分から席を立った事実を今更変えられず、痛烈な皮肉を受けたアリステアは、憤然として唇を噛みながらレオノーラを睨んだ。そんな二人には構わず小物係の生徒達が、使用済みの茶器を片付ける為に歩み寄る。
「回収します」
「レオノーラ様、片付けても宜しいですか?」
「ええ、お願いします」
アリステアには素っ気なく、レオノーラには丁寧にお伺いを立てて片付けている間も、そのテーブルの周囲だけは微妙な空気が漂っていた。それは遠目に見ても分かる物であった為、サビーネが僅かに眉根を寄せながら囁く。
「先程何やら、彼女とレオノーラ様が揉めていたように見えたのですが……」
「言わないで……。胃が痛くなってきたわ」
エセリアが腹部を軽く抑えながら呻くと、すぐ後ろの席に陣取っていたミランが、すかさず身を乗り出しながら声をかけてきた。
「大丈夫です、エセリア様。こんな事もあろうかと、新商品の胃薬を準備しておきました。使った後は、是非感想を聞かせて下さい」
ミランに全く悪気は無かったものの、エセリアはこれですっかり追い討ちをかけられた気分になってしまった。
「この状況下で、モニター員に勧誘してくるなんて……。さすがね、ミラン」
「はい? 『もにたーいん』とは何ですか?」
「……何でもないわ。気にしないで」
本気で首を傾げたミランを、エセリアは深い溜め息を吐いて宥めた。それから(今度、商品のモニター制度導入を、ワーレスに提案しようかしら)などと少々現実逃避気味な事を考えてから、再び前に向き直った。
それからは問題無く作業が進んでいくかに見えたが、再びアリステア達のテーブルで騒ぎが起きた。
「……あ、困ります! そちらの席にお願いします!」
「うるさい! 誰がこんな辛気臭い席に座るか!」
休憩に入ろうとしていた一人の生徒が、アリステアの席を示されたものの、それを無視してレオノーラの席に座ってしまった。当然露骨に避けられたアリステアは怒りで顔を紅潮させ、レオノーラは困り顔になって、親戚中で手を焼いている従弟を窘める。
「ラーズ? 何をしているの。あなたはこちらの席を勧められたのでしょう?」
「嫌だね。俺は動かないからな」
「全く……、私の方が年上なのだけど? 私の顔を立てるつもりは皆無なの?」
「だから従姉たるレオノーラに敬意を評して、ここに座っただけだ」
足を組んで座ったまま、平然と言い返してきたラーズを見て、この従弟の性格を知り抜いていたレオノーラは、諦めて案内役の生徒に声をかけた。
「ごめんなさい。彼はここで良いわ。こうなったら、もう動きませんから」
「分かりました」
それ以上余計な事は言わずに彼女が引き下がると、ラーズが笑いながら告げる。
「さすがレオノーラ。分かってるじゃないか」
「今度、あなたのご両親に、きつく意見して貰います。次期侯爵家当主として、その態度はなっていないわよ?」
「お、お説教タイムか? レオノーラの叱責って、心地良いよな」
「……本当に、どうしてこうなったのかしら。昔は、あんなに素直で可愛かったのに」
幾分きつく睨み付けても、全く恐れ入らずに飄々としている彼の態度に、レオノーラは真剣に嘆いた。そんな二人を見ながら、アリステアが密かに怒りを増幅させる。
(何なの、この失礼な人! 私の席に座らないで、まっすぐレオノーラさんの席に座るなんて! 従兄弟って事は、やっぱりレオノーラさんが裏で手を回して、私に恥をかかせるつもりなのね! そうはさせるものですか! 意地でも私が、お茶を飲ませてやるわ!)
そう決意したアリステアは勢い良く立ち上がり、無言のまま奥のスペースへと向かった。そして扉を抜けて小物係がお茶を淹れているスペースに乱入し、茶葉を抽出中のポットを奪い取る。
「貰うわよ!」
「あ、ちょっと! 何をするんですか!」
「だから貰うって言ったでしょう! 私がちゃんと出すわよ! 何か文句でもあるの!?」
作業中の生徒が驚いて咎めたが、アリステアは逆に怒鳴り返してカップにお茶を注いだ。更にそれをトレーに乗せて、唖然としている小物係の面々を後目に、自分のテーブルまで戻って行く。
(出されたお茶を飲まなかったら失礼になって、マナー違反になるもの。ちゃんと飲ませて、しっかり私の相手をさせてあげるわ!)
そんな算段を立てながら、アリステアは談笑している二人の所に戻った。
「だから、親父は五月蠅いんだって」
「あなたはまず、言葉遣いから直す必要が」
「お待たせしました! さあ、どうぞ!」
押し問答をしている二人の声に負けないように、声を張り上げながらソーサーをテーブルに置いたアリステアだったが、勢いが良過ぎたのか置いた瞬間にカップが傾いて倒れ、事もあろうにラーズの座っている方向に、中身が全て零れてしまった。
「え? うわあっ!」
「まあ! ラーズ、大丈夫!?」
「え、嘘……」
ソーサーやテーブルクロスのみならず、ラーズの制服の上着の裾やスラックスにまでお茶がかかってしまい、その場の三人は揃って顔色を変えた。そしてすぐさまラーズが立ち上がり、アリステアに詰め寄って恫喝する。
「貴様! 俺の服に何て事をしてくれるんだ!!」
「きゃあっ!」
「ラーズ! そんな事より、早く拭いて洗濯に出さないと。染みになってしまうわ。それに手にはかかっていない? 火傷とかは大丈夫?」
さすがに女生徒に手出しは拙いと、咄嗟にレオノーラが二人の間に割り込んで引き剥がし、真剣に怪我の有無を尋ねると、その表情で彼女が本気で心配してくれているのが分かったラーズが、怒りを抑えながら答える。
「いや、火傷とかは大丈夫だ。服にはかかったが、それで大して熱さは感じていないから」
「それなら良かったわ」
取り敢えずレオノーラが安堵していると、騒ぎを聞きつけた開票係の責任者者であるアドレイスが足早にやって来て、事の次第を尋ねてきた。
「ラーズ、大丈夫か? ……では無さそうだな。もう作業は上がってくれて構わない。早く寮に戻って着替えて、制服を洗濯に出したまえ」
被害状況を確認して即座に判断を下した彼が、係の責任者である以上に公爵家の子息で貴族科の上級学年でもあった為、ラーズはその指示に素直に従った。
「分かりました。失礼します」
しおらしくアドレイスに頭を下げたラーズだったが、狼狽して黙り込んでいるアリステアを見やって悪態を吐く。
「ったく! この無作法女が!」
「……っ!」
「おい! 貴様! アリステアを怒鳴りつけるとは何事だ!」
ここで先程から揉めているのを見て取ったグラディクトが駆け付け、ラーズを叱りつけたが、彼は王太子相手に全く恐れ入る事無く、小バカにした口調で言い返した。
「はぁあ? 俺に茶をぶちまけるような、頭の足りない女を怒鳴りつけて、何がどう悪いのか、教えて頂けませんかね?」
「貴様、無礼だぞ!」
そこで舌戦などに巻き込まれるのは真っ平だと判断したアドレイスは、強制的に事態を収束させた。
「ラーズ。君は早く寮に戻って、服を洗濯に出したまえ」
「ちっ!!」
忌々しげに舌打ちしてラーズが歩き去るのを確認してから、アドレイスはグラディクトに向き直って冷静に告げた。
「殿下。彼女は彼にお茶をかけておきながら、未だに謝罪もしていません。これでは『無作法』と言われても、全く反論できません。そこはご理解下さい」
「わ、私は! ちゃんと謝るつもりで! でもあの人が、いきなり怒り出したから!」
「ほら見ろ! 彼女はちゃんと謝罪するつもりだったのに、あいつがさっさと立ち去ったんだろうが」
「そうですか。それなら今後は、もっと早く謝罪するように心がけるべきですね」
アリステアの弁解を彼が冷ややかに一刀両断していると、集まってきた小物係の生徒が、そこのテーブルの惨状を見て溜め息を吐いた。
「あ~あ。このテーブルクロス、もう駄目ですね」
「完璧に染みになっちゃいますよ。急いで洗濯をお願いしたら、なんとか取れるかしら?」
「とにかく、このテーブルはもう使えませんね。これからは他のテーブルに、人を回しましょう」
「分かりました」
「それではアリステアさん、お疲れ様でした。もうここは担当して頂かなくて結構です」
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