悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(6)物の頼み方

 放課後に鞄を持って教室から離れ、友人達と談笑しながら図書室に向かっていたエセリアは、いきなりグラディクトに呼び止められた。


「エセリア、話がある」
「はい、グラディクト殿下。何でしょうか?」
 硬い表情で呼び止めた彼とは真逆に、廊下で足を止めたエセリアは穏やかに微笑みながら応じた。しかし彼は、彼女の周囲に立っている女生徒達を睨み付けながら、短く命令する。


「……お前達は下がれ」
「その必要はありませんわ。殿下のお話が済んだら、すぐ先程の話の続きをしますから」
 すかさず口を挟んで友人達を引き止めたエセリアに、グラディクトは忽ち声を荒げた。


「私の言う事が聞けないと言うのか!?」
 しかしその非難の声をエセリアは一笑に付しながら、平然と話を続ける。


「別に、人払いする必要などございませんでしょう? ここは学園の廊下であり、私達は単なる一生徒ですわ。王宮で勤務中の官吏ならばいざ知らず、ここでどんな重要な国家機密をお話になると言うのです? それに友人達との楽しい語らいに割り込んで来られたのは、殿下ですのよ? 少しは彼女達に遠慮して頂きたいですわ」
「このっ……」
 そう堂々と主張されて、グラディクトは怒りで顔を赤らめたが、辛うじて怒鳴りつけたりはしなかった。その反応を見たエセリアは、彼が自分を呼び止めた理由を推察する。


(側付きまで、この場に連れて来ていないという事は……。大方、他人の目に触れない私と二人きりの場所で申し訳程度に頭を下げて、数合わせの為の音楽祭への参加を要請するつもりだったんでしょうね。私が応じなければ『この私が頭を下げたのに、無礼な奴』とか何とか難癖を付けて強制しようと考えているんでしょうけど……)
 それで彼にしては珍しく下手に出ているのだろうと看破したエセリアは、心の中で彼に向かって悪態を吐いた。


(はっ! ちょっとムシが良過ぎるんじゃない? ふざけるんじゃないわよ、このバカボンが! そんなにやりたきゃ、自分が演奏するか、衆人環視の中で土下座くらいしろってのよ!)
 しかしそんな事は面には出さずに、穏やかにグラディクトを促すと、彼はエセリアに向かって唸るように言い出した。


「……それでは言わせて貰うが、お前は何故、音楽祭に参加申請をしない?」
 それを聞いたエセリアは、わざとらしく驚いてみせた。


「音楽祭? そんな行事はございませんでしょう? 存在しない催し物に、どうして参加できるのでしょうか?」
「開催はする! だから参加者を集めているんだ!」
「あら……、おかしいですわね。そんな告知はありませんでしたわよ? 皆さん、ご存知かしら?」
「いいえ、全く」
「見ても聞いてもおりませんわ」
「確かに先日、アンケートやらの変わった物に回答させられましたが、開催など決定してはおりませんが」
「そうですわね。殿下。不確定情報を鵜呑みにするのは、次期国王としては如何なものかと。その様な態度は、在学中に改められた方が宜しいかと存じます」
 話を友人達に振ると、彼女達が困惑顔を見合わせながら意見を述べた為、エセリアがあっさり話を締めくくった。しかし腹の虫が治まらないグラディクトが、盛大に怒鳴りつける。


「偉そうに私に説教をする気か!? 殊勝なふりをして、お前が裏で糸を引いているのは分かっているんだぞ!」
「はぁ? それは一体、何の事でございましょう?」
「これまでに去年の音楽祭の参加者や、今年の新入生で音楽の嗜みがある者に個別に当たってみたが、全員口を揃えて『あの素晴らしいエセリア様の演奏を聞いてしまったら尻込みする』とか『エセリア様が出ない行事になど、恐れ多くて参加できない』などと口にして、参加を固辞しているんだぞ!」
「まあ……、皆様、そんなに畏まらなくとも宜しいのに」
 しおらしい事を言いながら苦笑してみせたエセリアを、グラディクトが盛大に非難する。


「白々しい。どうせ貴様が裏から『音楽祭に参加するな』と圧力をかけたのだろうが!?」
「それは、根拠の無い言いがかりと言う物です。要するに皆様が音楽祭に対して、大して興味も熱意も持てないと言うだけの話でしょう」
「何だと!?」
「そもそも音楽とは、自らと親しい人間の気持ちを和ませ、人間関係を円滑にする為の要素や手段の一つに過ぎません。それなのに自らの存在を目立たせる手段として、大勢の前で技量を誇りひけらかす行為をするなど、音楽に対する冒涜です」
 真顔でエセリアが断言すると、アリステアと共に自分自身まで貶されたと感じたグラディクトは、更に激高した。


「貴様、私の了見が間違っているとでも言うつもりか!?」
「現に、そう申し上げました。それが何か?」
「このっ……」
 平然と言い返したエセリアに、グラディクトは悔しげに歯軋りした。すると彼女は興味を失ったように踵を返し、友人達を促して再び歩き始める。


「それではお話がお済みのようなので、皆様参りましょう。殿下は暫く、こちらにお残りになるみたいですし」
「待て!」
「まだ何か、お話がございますの? 手短にお願いします」
 鋭く呼び止められて、再び足を止めたエセリアだったが、そんな彼女に向かってグラディクトが、人が普通に頷く程度にだけ、頭を下げてきた。


「……お前が参加したら、音楽祭に参加しても良いと言う者が、かなり存在しているんだ。だから参加してくれ」
「あら、そうでしたか。それでは考えておきますわ」
 それにエセリアがあっさり頷くと、彼が即座にポケットから折り畳んだ用紙を取り出し、彼女に突き出す。


「それならこれに、名前を書いてくれ」
「これは何ですか?」
 しかし受け取る素振りを見せずに尋ねてきた彼女に苛立ちながら、グラディクトは説明を加えつつ、それを再度突き出す。


「この前のアンケート用紙だ。参加希望の欄にお前が名前を書いて出してくれれば」
「私は『考える』と言いましたが、『参加する』などとは一言も言っておりませんが」
 その噛み合わない会話に、グラディクトは怒りを露わにした。


「何だと!? 貴様私に向かって、嘘を吐いたのか!?」
「ですから私は、『音楽祭の参加を考える』と言っただけです。考えた結果、不参加となったとしても、責められる筋合いなどございません。それでは失礼します」
「エセリア! 貴様、私を愚弄するつもりか!」
 グラディクトが尚も喚いていたが、エセリアはこれ以上の議論など無駄だと切り捨て、彼を無視してその場から去った。彼の相手に飽き飽きしたのは彼女の友人達も同様だったらしく、エセリアと一緒に歩きながら、口々に訴える。


「話が盛り上がっていた所でしたのに、殿下のおかげですっかり興が削がれてしまいましたわ」
「大体、あれが人に物を頼む態度ですの?」
「しかも、あの不作法女の言いなりになった挙げ句の事でございましょう?」
「最後までそのようなくだらない話を聞いて頂いただけ、ありがたいと思って頂きたいですわね」
 かなり気分を害しているらしい友人達を、エセリアは苦笑しながら宥めた。


「皆様、このままカフェに移動して、仕切り直しと致しませんか? その後、図書室に参りましょう」
「それが宜しいですわね!」
「そうしましょう」
 誰からも反論など出る事は無く、エセリア達は目的地を図書室からカフェへと変更した。


(さて、音楽祭に関しては、このまま話が立ち消えになる可能性が大だけど、次に向こうはどう出るかしらね?)
 そして皆と談笑しながらも、エセリアはすぐに今後の事について、考えを巡らせていた。





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