悪役令嬢の怠惰な溜め息
(3)悪筆の暴露
グラディクト達はローダスと分かれてから事務係官の詰め所に赴き、首尾良く必要な枚数の紙を手に入れた。そして統計学資料室で早速書き始めたが、確かに書く文章は少ないものの、当初思っていた程は書き進められなかった。
その翌日。グラディクトは放課後になると側付きの三人を統計学資料室に誘導し、一連の出来事を語って聞かせた上で、当然の如く命じた。
「今、話した通り、これを印刷するには時間がかかるし、そもそも印刷する程の物でも無い。私達が昨日のうちに既に何枚か書いているが、お前達も分担してここにある用紙全てに、この見本の内容を書き写せ」
「宜しくお願いします!」
「…………」
しかし説明を受けても、目の前の大きな机の上にある用紙やペン、インク壺などを微動だにせず無言で眺めている側付き達を、グラディクトが苛立ったようにした。
「どうした。さっさと書き写さないか」
「……分かりました」
「ほら、やるぞ」
「ああ」
三人が憮然としながら手を伸ばし、紙やペンを引き寄せたところで、グラディクトから有無を言わせない口調で注意される。
「言っておくが、他人の目に触れる文書だから、綺麗な字で書くんだぞ? 読めないような悪筆など論外だ。もしそんな物を見つけたら、書き直しさせるからな」
「……そうでございますか」
「じゃあ皆さん、頑張りましょうね!」
「…………」
ひたすら能天気なアリステアのかけ声に、側付き達は神経を逆撫でされながらも、文句などは言わず黙って作業に取りかかった。それを見たグラディクトとアリステアも、机を囲んで書き写し始める。
しかし少しして沈黙に耐えきれなくなったアリステアが、書き終えた用紙を纏めてある所に重ねながら、明るく声を発した。
「やっぱり、五人で書くと早いですよね!」
「ああ、そうだな。だいぶ枚数も揃ったし、ここで内容に漏れがないか確認しておくか」
この間に五人が書いて積み重ねておいた用紙の山を引き寄せ、グラディクトがそれに目を通し始めたが、すぐに何枚かの用紙をより分けて、憤慨した声を上げた。
「何だこれは……」
「え? グラディクト様、どうかしたんですか?」
いきなり聞こえた不穏な声に、アリステアは怪訝な顔になって手を止めたが、同様に何事かと自分に視線を向けてきた側付き達を、グラディクトは叱りつけた。
「貴様ら、たるんでいるぞ! 何だ、この判別しがたいにも程がある、汚い字は! 私を馬鹿にしているのか!?」
「どれの事でしょう?」
中の一人が心外そうに問い返した為、グラディクトはより分けた用紙を、彼の目の前に突き出した。
「しらばっくれるな! これもこれも、このより分けた分、全部だ! さっさと事務係官から書き直しに必要な紙を貰って来い!」
「…………」
その内容を確認した側付きは、無表情で目を細めただけだったが、横からそれを覗き込んだ他の者は、明らかに馬鹿にした口調で言い返そうとした。
「はぁ? 何言ってんだ。それは」
「殿下、分かりました。後は私達で進めておきますので、お手伝い頂かなくても結構です」
「これ以上、ご不快な思いをさせるのは申し訳ございませんので、私共にお任せ下さい」
しかし他の二人が彼の悪態を遮るが如く、強い口調で申し出た為、グラディクトはそれに気付かず、不遜な態度のまま言い放った。
「それ位、当然だろうが! 最初から自分達だけでやると、率先して申し出ろ! 字は汚いし気は利かないし、本当に使えない奴らだな! いいか? やはり最後に私が内容をチェックするから、今後気の抜けた字など書くなよ!?」
憤然としながら暴言を吐いたグラディクトは、アリステアを促してそのまま統計学資料室を出て行ったが、室内に三人だけになってから先程抗議しようとした側付きが、彼以上の剣幕で怒りの声を上げた。
「あの野郎……。貴様が読めないとほざいたのは、自分が書いた物だろうが!! それも分からんとは、とんだ間抜けでど阿呆だな!!」
「気持ちは分かるが、落ち着け。それに、あの人に指摘しても無駄だろう。『貴様がすり替えたんだろうが!』とか、難癖を付けられて罵倒されるのがオチだ」
「そうそう、体よく追い払う事が出来たし、今のうちに進めようぜ? 気が変わって『やっぱり手伝ってやる』とか恩着せがましく言われた挙げ句、また手を出されたら、俺達の仕事が余計に増えるだけだ」
「本当にろくでもないな!!」
未だに怒りが収まらずに吐き捨てた彼だったが、他の二人に諦め顔で宥められ、何とか怒りを抑えて中断していた作業を再開した。
「それで? 本当に殿下達は、昨日から全生徒分のアンケート用紙を手書き中なの?」
同じ頃、《チーム・エセリア》の面々が揃った所でローダスが事の次第を報告すると、以前ワーレス商会に顧客の意見集約方法として提案し、既に運用しているアンケートを利用して時間稼ぎを目論んでいたエセリアは、予想外の話の流れに目を丸くした。そんな彼女を眺めながら、ローダスが苦笑いで説明を加える。
「“殿下達は”と言うか、“側付き達が”がですね。廊下で側付きの三人とすれ違った時に、『自分が一番汚い字を書いているくせに、何言ってやがる。手伝わせると仕事が増えるだけだ』とか、小声で悪態を吐いていましたから」
「そっ、そうなのっ……」
何故かそこでエセリアが、口元を手で押さえながら笑いを堪える様子を見せた為、その場の殆どの者は(今の話のどこに、笑いの要素が……)と首を傾げた。そこで笑いの発作に襲われているらしいエセリアの代わりに、サビーネが真顔で解説する。
「殿下の直筆を目にした事のない人には分からないと思うけれど、殿下の悪筆は教授陣泣かせなの。試験時毎に『正解が書いてあるかどうか判別できない』と、泣き言を漏らされていると小耳に挟んだ事がありますし、私は偶々提出物を回収している時に目にした事がありますが、あれはちょっと酷いですわ……」
遠い目をしながら語ったサビーネに、驚いたカレナが反射的に尋ねた。
「仮にも王太子である方が、そんなに悪筆で大丈夫なのですか?」
それに、何とか平常心を取り戻したエセリアが、淡々と答える。
「王族なら公務では、サイン位しかしないですから。長々とした文書は文官が書きますし、親書とかもよほどの事が無ければ代筆でしょうから、大して支障はないでしょう」
「なるほど……、それもそうですね」
カレナが素直に頷いて納得したところで、エセリアはローダスに視線を向けた。
「ローダス。その作業は、あとどれ位で終わりそうかしら?」
「そうですね……。放課後を利用して書いていますが、側付きの奴らが如何にも嫌々書いているのが丸分かりの状態ですし、少なくとも明日まではかかるのではないですか?」
「それなら紫蘭会の会員には、アンケート用紙が配られたら『音楽祭の開催を希望する』項目の方に丸を付けてもらう様に、今日中に話を伝えておいて貰わないとね」
エセリアが唐突に言い出した内容を聞いて、他の者は全員怪訝な顔になった。
「え? どうしてそんな事をする必要があるのですか?」
代表してサビーネが疑問を呈すると、エセリアが落ち着き払って答える。
「ある程度の人数が殿下の企画に賛同しないと、水面下で彼らを支持していると思い込ませている仮想集団の存在を、殿下達に疑われてしまう事になるでしょう?」
「言われてみれば、そうですね。アンケートを取って、誰も開催を希望しなかったら不自然です」
サビーネが納得したように頷いた隣で、ミランが驚きで目を大きく見開きながら、慌てて問い質してきた。
「それではまさか、今回エセリア様がアンケートなどを持ち出したのは、全く存在などしていない《反エセリア派の抵抗勢力》が如何にも存在しているかのように、殿下達により明確に印象付ける為だったのですか!?」
彼がそう口にした途端、全員の視線がエセリアに集まったが、彼女は落ち着き払って微笑んだ。
「ミラン、それはあくまでもついでなの。第一の理由は、本当に時間稼ぎだったし。それに便乗する形で、余計な手間を労するように仕組んでくれるなんて、ローダスはさすがだわ」
「恐れ入ります」
さり気なく誉められて頭を下げたローダスだったが、内心ではエセリアの深謀遠慮に舌を巻く思いだった。それは他の者も同様で、感嘆の溜め息が漏れる。
「さすがはエセリア様ですわ」
「本当に、二段構えの作戦とは……」
「凡人には今後の展開が予測出来ませんので、教えて下さい。これからどうなる、いえ、どうなさるおつもりですか?」
それを受けて、エセリアが顔付きを改めながら申し出る。
「勿論、音楽祭などを開催するつもりは無いわ。だから、関係各所に根回ししておくつもりよ。あなた達にも動いて貰いますね?」
「お任せ下さい」
「また楽しくなってきましたね」
エセリアの指示の下、《チーム・エセリア》の面々は早速一致団結し、グラディクト達の暴走を抑える為の活動に、勤しむ事となった。
その翌日。グラディクトは放課後になると側付きの三人を統計学資料室に誘導し、一連の出来事を語って聞かせた上で、当然の如く命じた。
「今、話した通り、これを印刷するには時間がかかるし、そもそも印刷する程の物でも無い。私達が昨日のうちに既に何枚か書いているが、お前達も分担してここにある用紙全てに、この見本の内容を書き写せ」
「宜しくお願いします!」
「…………」
しかし説明を受けても、目の前の大きな机の上にある用紙やペン、インク壺などを微動だにせず無言で眺めている側付き達を、グラディクトが苛立ったようにした。
「どうした。さっさと書き写さないか」
「……分かりました」
「ほら、やるぞ」
「ああ」
三人が憮然としながら手を伸ばし、紙やペンを引き寄せたところで、グラディクトから有無を言わせない口調で注意される。
「言っておくが、他人の目に触れる文書だから、綺麗な字で書くんだぞ? 読めないような悪筆など論外だ。もしそんな物を見つけたら、書き直しさせるからな」
「……そうでございますか」
「じゃあ皆さん、頑張りましょうね!」
「…………」
ひたすら能天気なアリステアのかけ声に、側付き達は神経を逆撫でされながらも、文句などは言わず黙って作業に取りかかった。それを見たグラディクトとアリステアも、机を囲んで書き写し始める。
しかし少しして沈黙に耐えきれなくなったアリステアが、書き終えた用紙を纏めてある所に重ねながら、明るく声を発した。
「やっぱり、五人で書くと早いですよね!」
「ああ、そうだな。だいぶ枚数も揃ったし、ここで内容に漏れがないか確認しておくか」
この間に五人が書いて積み重ねておいた用紙の山を引き寄せ、グラディクトがそれに目を通し始めたが、すぐに何枚かの用紙をより分けて、憤慨した声を上げた。
「何だこれは……」
「え? グラディクト様、どうかしたんですか?」
いきなり聞こえた不穏な声に、アリステアは怪訝な顔になって手を止めたが、同様に何事かと自分に視線を向けてきた側付き達を、グラディクトは叱りつけた。
「貴様ら、たるんでいるぞ! 何だ、この判別しがたいにも程がある、汚い字は! 私を馬鹿にしているのか!?」
「どれの事でしょう?」
中の一人が心外そうに問い返した為、グラディクトはより分けた用紙を、彼の目の前に突き出した。
「しらばっくれるな! これもこれも、このより分けた分、全部だ! さっさと事務係官から書き直しに必要な紙を貰って来い!」
「…………」
その内容を確認した側付きは、無表情で目を細めただけだったが、横からそれを覗き込んだ他の者は、明らかに馬鹿にした口調で言い返そうとした。
「はぁ? 何言ってんだ。それは」
「殿下、分かりました。後は私達で進めておきますので、お手伝い頂かなくても結構です」
「これ以上、ご不快な思いをさせるのは申し訳ございませんので、私共にお任せ下さい」
しかし他の二人が彼の悪態を遮るが如く、強い口調で申し出た為、グラディクトはそれに気付かず、不遜な態度のまま言い放った。
「それ位、当然だろうが! 最初から自分達だけでやると、率先して申し出ろ! 字は汚いし気は利かないし、本当に使えない奴らだな! いいか? やはり最後に私が内容をチェックするから、今後気の抜けた字など書くなよ!?」
憤然としながら暴言を吐いたグラディクトは、アリステアを促してそのまま統計学資料室を出て行ったが、室内に三人だけになってから先程抗議しようとした側付きが、彼以上の剣幕で怒りの声を上げた。
「あの野郎……。貴様が読めないとほざいたのは、自分が書いた物だろうが!! それも分からんとは、とんだ間抜けでど阿呆だな!!」
「気持ちは分かるが、落ち着け。それに、あの人に指摘しても無駄だろう。『貴様がすり替えたんだろうが!』とか、難癖を付けられて罵倒されるのがオチだ」
「そうそう、体よく追い払う事が出来たし、今のうちに進めようぜ? 気が変わって『やっぱり手伝ってやる』とか恩着せがましく言われた挙げ句、また手を出されたら、俺達の仕事が余計に増えるだけだ」
「本当にろくでもないな!!」
未だに怒りが収まらずに吐き捨てた彼だったが、他の二人に諦め顔で宥められ、何とか怒りを抑えて中断していた作業を再開した。
「それで? 本当に殿下達は、昨日から全生徒分のアンケート用紙を手書き中なの?」
同じ頃、《チーム・エセリア》の面々が揃った所でローダスが事の次第を報告すると、以前ワーレス商会に顧客の意見集約方法として提案し、既に運用しているアンケートを利用して時間稼ぎを目論んでいたエセリアは、予想外の話の流れに目を丸くした。そんな彼女を眺めながら、ローダスが苦笑いで説明を加える。
「“殿下達は”と言うか、“側付き達が”がですね。廊下で側付きの三人とすれ違った時に、『自分が一番汚い字を書いているくせに、何言ってやがる。手伝わせると仕事が増えるだけだ』とか、小声で悪態を吐いていましたから」
「そっ、そうなのっ……」
何故かそこでエセリアが、口元を手で押さえながら笑いを堪える様子を見せた為、その場の殆どの者は(今の話のどこに、笑いの要素が……)と首を傾げた。そこで笑いの発作に襲われているらしいエセリアの代わりに、サビーネが真顔で解説する。
「殿下の直筆を目にした事のない人には分からないと思うけれど、殿下の悪筆は教授陣泣かせなの。試験時毎に『正解が書いてあるかどうか判別できない』と、泣き言を漏らされていると小耳に挟んだ事がありますし、私は偶々提出物を回収している時に目にした事がありますが、あれはちょっと酷いですわ……」
遠い目をしながら語ったサビーネに、驚いたカレナが反射的に尋ねた。
「仮にも王太子である方が、そんなに悪筆で大丈夫なのですか?」
それに、何とか平常心を取り戻したエセリアが、淡々と答える。
「王族なら公務では、サイン位しかしないですから。長々とした文書は文官が書きますし、親書とかもよほどの事が無ければ代筆でしょうから、大して支障はないでしょう」
「なるほど……、それもそうですね」
カレナが素直に頷いて納得したところで、エセリアはローダスに視線を向けた。
「ローダス。その作業は、あとどれ位で終わりそうかしら?」
「そうですね……。放課後を利用して書いていますが、側付きの奴らが如何にも嫌々書いているのが丸分かりの状態ですし、少なくとも明日まではかかるのではないですか?」
「それなら紫蘭会の会員には、アンケート用紙が配られたら『音楽祭の開催を希望する』項目の方に丸を付けてもらう様に、今日中に話を伝えておいて貰わないとね」
エセリアが唐突に言い出した内容を聞いて、他の者は全員怪訝な顔になった。
「え? どうしてそんな事をする必要があるのですか?」
代表してサビーネが疑問を呈すると、エセリアが落ち着き払って答える。
「ある程度の人数が殿下の企画に賛同しないと、水面下で彼らを支持していると思い込ませている仮想集団の存在を、殿下達に疑われてしまう事になるでしょう?」
「言われてみれば、そうですね。アンケートを取って、誰も開催を希望しなかったら不自然です」
サビーネが納得したように頷いた隣で、ミランが驚きで目を大きく見開きながら、慌てて問い質してきた。
「それではまさか、今回エセリア様がアンケートなどを持ち出したのは、全く存在などしていない《反エセリア派の抵抗勢力》が如何にも存在しているかのように、殿下達により明確に印象付ける為だったのですか!?」
彼がそう口にした途端、全員の視線がエセリアに集まったが、彼女は落ち着き払って微笑んだ。
「ミラン、それはあくまでもついでなの。第一の理由は、本当に時間稼ぎだったし。それに便乗する形で、余計な手間を労するように仕組んでくれるなんて、ローダスはさすがだわ」
「恐れ入ります」
さり気なく誉められて頭を下げたローダスだったが、内心ではエセリアの深謀遠慮に舌を巻く思いだった。それは他の者も同様で、感嘆の溜め息が漏れる。
「さすがはエセリア様ですわ」
「本当に、二段構えの作戦とは……」
「凡人には今後の展開が予測出来ませんので、教えて下さい。これからどうなる、いえ、どうなさるおつもりですか?」
それを受けて、エセリアが顔付きを改めながら申し出る。
「勿論、音楽祭などを開催するつもりは無いわ。だから、関係各所に根回ししておくつもりよ。あなた達にも動いて貰いますね?」
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