悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(2)職人の矜持

 ソレイユ教授の研究室から印刷室に直行したグラディクトは、そのドアを勢い良く開けながら、中にいる人物に向かって尊大な物言いで言い放った。
「おい! この内容の印刷物を、今すぐ全生徒の人数分刷れ!」
 しかし作業台で原稿通り、黙々とフレームの中に金属製の活字を揃えていた、スキンヘッドがトレードマークのドルツは、鬼の形相で怒鳴り返した。


「あぁ!? うるせえぞ!! それにここは、生徒は立入禁止だ!! ドアにもでっかく書いてあんだろ!! てめぇは文字も読めないどアホか? 即刻出て行きやがれ!!」
「ひっ……」
「だ、大丈夫だ、アリステア。……おい! 話がある!」
 その剣幕にアリステアは小さく悲鳴を上げ、グラディクトはたじろぎながらも、再度声をかけた。しかしドルツは二人に見向きもせずに、原稿を押さえていた金属製のペーパーウエイトを投げつけてくる。


「こっちは仕事中だ。失せろと言ってるだろうが!!」
「きゃあっ!!」
「ぶっ、無礼だろうが!!」
 飛来物を辛くもかわしたものの、壁に激突した時の重い衝撃音に、二人は顔を青ざめさせた。しかしドルツは不機嫌極まりない顔のまま、老境に達しているとは思えない、重く響く声で恫喝してくる。


「あぁあ? 無礼だと? 他人の仕事場に押し入って、他人の仕事を邪魔するののどこが、無礼じゃねぇってんだ? 頭スッカスカのガキが。てめぇのせいで、もう一行分の時間を無駄にしたぞ。どうしてくれる?」
 そこで相手に強く出るのは逆効果だと悟ったグラディクトは、顔を引き攣らせながら下手に出てみた。


「……わ、悪かった。仕事を邪魔してしまった事に関しては謝る。だがこちらも、至急の用件なんだ。印刷して欲しい物があって」
「それならそこのリストの一番下に、てめぇの名前と原稿の名前と枚数と、各原稿の必要な印刷枚数を書いて、原稿は隣の箱に入れておけ。順に印刷してやる」
「分かった」
 入口近くにある机を見ると、確かにリストらしき物と筆記用具、それに箱が揃っており、グラディクトはそれに近づいてペンを手に取った。


(全く、何て無礼な上に粗野な奴だ。こんな奴がこのクレランス学園に、事務係官として在籍していたとは、今の今まで知らなかったぞ。後で学園長に言って、即刻辞めさせてやる!)
 内心では不満たらたらのグラディクトが、それでも一応言われた通りにリストに記入しようとしたが、急に顔付きを険しくしてドルツに問い質した。


「おい、ちょっと待て。先程『リストの順に印刷してやる』とか言わなかったか?」
「言ったが、それがどうした」
「このリストの上部の幾つかは線で消してあるが、まだ二十近くの文書の名前が書いてあるぞ! 原稿も、箱の中に積み上がっているだろうが! この順番で印刷するなら、この用紙はいつ印刷が終了する!?」
「さあて。十日はかかるのは確かだな」
 飄々と作業の手を休めずにドルツが言い返した為、グラディクトは完全に怒って奥の作業台にいる彼に詰め寄った。


「ふざけるな!! 私の原稿を先にしろ!!」
「さっきから、ふざけてるのはてめぇだろうが!! こっちは教授達からの依頼をこなすだけで、手一杯なんだ!! ガキの戯言の相手をしてやるだけ、ありがたいと思え!!」
「さっきからこの私をガキ呼ばわりとは、貴様命が要らんらしいな!? 私は王太子だぞ!!」
「はっ! 今度の王太子は、随分と質が悪いな。エルネスト坊は、素直な良い奴だったが」
 居丈高に命じてもドルツが恐れ入るどころか、白けきった目で告げてきた内容を聞いて、グラディクトは怪訝な顔になった。


「は? エルネストとは……、まさか父上の事か?」
「当たり前だ。それがどうした」
「ふざけるな!! 貴様のような下賤の輩が、父上と面識がある筈が無い! とんでもない大嘘つきが!!」
 そう決め付けたグラディクトだったが、ドルツはそんな彼を鼻で笑った。


「ほう? それなら陛下に尋ねてみたらどうだ? 陛下は学生時代、良くここに入り浸って、俺の仕事も手伝ってくれたからな。本来なら言語道断だが、マグダレーナ様が『城の中ではできる筈もない、貴重な機会と時間ですから』と黙認して、陛下がここに籠もる間、周囲にもごまかして下さっていたし」
「……何だと?」
「確かに下賤な俺達のような人間には、お偉いさんなんか誰でも良いさ。だがな、俺は若い頃の国王陛下と王妃陛下を直に見て、『ああ、この国は大丈夫だ』と思ったもんだ。それが次が、これとはな……」
「貴様!? 無礼にも程が」
「どうすんだ、順番通り印刷するならそれに書け。しなくて良いなら、とっと失せろ」
 淡々と言って、ドルツが如何にも鬱陶しそうに手で追い払う真似をした為、グラディクトは完全に頭に血を上らせた。


「誰が貴様のような、無礼な者に頼むか! アリステア、行くぞ!」
「あ、は、はい!」
 この間、呆然と事態の推移を見守っていたアリステアを引き連れ、グラディクトは憤然としながら廊下に出て歩き始めた。


「全く! 人を馬鹿にするにも程がある! 何なんだ、あの老いぼれは!!」
「王太子であるグラディクト様に、本当に失礼ですよね! きっと王様と王妃様がここに在学中に、過剰に優しく接してしまったせいで、図に乗ってしまったんですよ!」
「確かに父上も王妃も、目下の人間に甘い所があるからな。私が王になったら、王家の威厳をこけにする奴らなど、即刻国外追放にしてやる!」
「当然ですよね!」
 声高に悪態を吐いている二人を、すれ違う生徒は何事かと不審な表情で見やっていたが、エセリアの指示で印刷室付近でこっそり待ち構え、廊下に漏れ聞こえていた怒鳴り声でのやり取りを聞いていたローダスとシレイアは、呆れ顔を見合わせた。


「……随分とまた、勇ましい事を言っているな」
「あのドルツ係官に怒鳴られて、まだあんな事を放言できるなんて、ある意味凄いけどね。それでどうするの? 取り敢えずエセリア様に報告する?」
「いや、この際、少し嫌がらせをしてやろう。鞄を持っていてくれるか? 用が済んだらホールに向かうから、そこで落ち合おう」
「分かったわ」
 そこでローダスは最近鞄に常備しているウィッグを取り出し、素早く装着して髪を整えてから、更に書類を何枚か取り出してシレイアに鞄を任せ、二人の後を追った。


「殿下、アリステア様。どうかされましたか? 何やら随分、ご立腹のようですが」
 追う準備をしているうちに見失ったものの、いつもの統計学資料室だろうと見当を付けたローダスは、そこに向かう途中で首尾良くグラディクト達に追い付いた。そして何食わぬ顔で尋ねると、二人が口々に訴えてくる。


「ああ、アシュレイか。つい先程、不快で話の通じない者と遭遇してな」
「本当に酷いんですよ! 聞いて下さい!」
「一体、どうなさいました?」
 それから少しの間、二人の話に耳を傾けるふりをしたローダスは、しみじみとした口調で述べた。


「それは災難でしたね……。あのドルツ係官は、学園内でも偏屈な事で有名ですから。頼んだ原稿に誤字があったりすると、学園長ですら罵倒すると聞いた事があります」
「そんなに傍若無人とはな」
「誰だって呆れますよね?」
「それはともかく、その『アンケート用紙』とやらの印刷を、どうされるおつもりですか?」
 現実的な問題をローダスが口にすると、グラディクトは如何にも難儀しているように言い出した。


「それが困っているんだ。刷り上がるのを来月まで待っていたら、益々開催時期が遅くなる。他の行事との兼ね合いもあるし。何とかならないか?」
 縋るような目で見られたローダスは、彼が自分に何とかしろと無言で訴えているのが分かったが、別に気分を害する事無く、神妙に言い出した。


「それですが……。差し出がましい事を申し上げても、宜しいでしょうか?」
「構わん。言ってみろ」
「見たところ、そちらの文書は大して書く分量もございませんし、全ての項目を手書きしても、大した手間では無いのではありませんか? 全生徒分の枚数を書くとなると、確かにそれなりに時間はかかると思いますが、どう考えても数日のうちに終わると思いますが」
「……手書きだと?」
「はい、駄目でしょうか?」
 考えてもいなかった事を言われて、揃ってポカンとした顔になったグラディクト達に、ローダスが重ねてお伺いを立てると、二人は一転して喜色満面の笑顔になり、彼を褒め称えた。


「いや、素晴らしい! アシュレイ、お前はやはり頭が良いな!」
「本当です! 凄いわ!」
「いえいえ、大して良くはありません。現に今も、テルゼス教授にレポートの再提出を命じられて、今から向かう所ですから。今日中に満足のいく物を完成できなければ、単位がどうなるか分からないと脅されておりまして」
 手にしている全く関係の無い紙の束を目の前に持ち上げ、(あんたらに付き合って時間を無駄にする気は無いからな)と内心で考えながらアピールすると、その嘘八百を信じたグラディクトは、残念そうな顔になりながらも、さすがに無理強いはできないと謝罪の言葉を口にした。


「それは、大変な時に引き止めてしまったな、すまない」
「いいえ、私の方からお二人に声をかけたのですから、お気になさらず。それでは失礼致します」
 すかさず一礼してさっさとローダスがその場を後にすると、グラディクト達は心底感心したように語り合った。


「本当にアシュレイは気が利くし、必要な時に役に立つ奴だな」
「アシュレイさんは何でもそつなくこなすイメージがあったので、レポートを再提出なんて意外でしたね。でも却って親近感が湧きました」
 普段、散々再提出させられているアリステアが、笑顔でそんな事を口にすると、グラディクトが苦笑いで応じる。


「そうだな。完璧な人間など、存在しないと言う事だ。外面は良くても底意地が悪い、エセリアのようにな」
「グラディクト様ったら……、仮にも婚約者の方ですよ?」
 一応窘めてはみたものの、アリステアは笑顔であり、グラディクトも鼻で笑い飛ばした。


「はっ! そんなのは今だけの話だからな! それじゃあアリステア、急いで事務係官から必要な枚数の紙を貰って来よう」
「はい!」
 アンケート用紙を調達する為、意気揚々と歩き出した二人の背中を、ローダスは廊下の曲がり角に姿を隠しながら、呆れ顔で見送った。


「やる気満々だな……。俺には関係無いが、側付き連中と頑張れよ」
 ローダスはそう呟いてから、何事も無かったかのように、シレイアと合流するべく歩き出した。





コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品